040.高野山
――― 高野山 奥の院 ―――
その一庵で2人の僧が向かい合って座っていた。
「少僧都、このままでよろしいのですか?」
恵信は詰め寄る。
しかし、少僧都は涼しげに座っている。
「そなたの言い分は分かる。
そういう時が拙僧にもあった。」
「ならば、なぜ!?」
「先ず、それを飲んで落ち着くがよい。」
少僧都は静かに床を指し示す。
そこには、茶碗が置いてあり、
沢厳少僧都が栽培し、わずかに採れた茶を煎じてあった。
恵信への苦労への報いるためである。
恵信は息を一つ吐くと、湯呑に目を落とした。
湯呑を押し頂くように持ち上げ、ゆっくりと口に含む。
それで、いくらか、落ち着いたようだ。
「伴天連どもがどうであろうと、
民が救われるのであれば結構ではないか。」
「少僧都ほどのお方が何を言われる!?異国の神ですぞ!?」
「致し方のないことだ。今、民は苦しんでおる。
苦しさの余り、何にすがるかは、民が決めるであろう。
人はその時々の思った通りに生きるものだ。」
「しかし、しかしながら、
民の多くが奴隷として異国に連れて行かれています。」
沢厳少僧都は目を閉じた。
そして、念仏を唱えながら、数珠をまさぐる。
「我らが教えは、世俗の権威を求めぬ。
まして、遠国であれば尚更じゃ。」
「しかし、少僧都!」
少僧都は優しさを湛えた目で恵信を見つめる。
「人の為すことには限りがある。
1人2人を救うたとて、3人は救えぬ。
拙僧ができるのは、その者らの幸せを祈ることのみ。」
「いえ、そうではありません。
少僧都であれば、眞覚大僧都を通して、
大名に働きかけることができましょう!
眞覚大僧都のお言葉を無下にすることはできますまい!」
「忘れたか、我らが使命を。
この地で、一山を挙げて念仏を唱えるは、
この地を守るためにあることを。」
恵信は平伏した。
いかに、歴戦の野武士のような風貌を持つ少僧都であろうとも、
師のこの静かな怒りにはハッとする何かがあった。
「それゆえ、我らが太師は即身仏となられたのじゃ。
死してなお、地獄の門を封印し、
死を超えて、この日ノ本の守護たらんとな。」
「はい。座主以下、日夜、経を唱えているのは、
太師へ経の力を送るため。」
「そうじゃ。我らの力をお送りし、日ノ本を守るためじゃ。」
「されど、されど、わたくしには、」
少僧都は困った弟子を持ったというような優しい顔をした。
やはり、弟子は師に似るものか。
「拙僧もそなたと同じ頃があったと申した。
それゆえ、許せぬというそなたの想いも理解できる。
だが、御山に守護不入とあるからには、
我らも世俗の権威に関わってはならぬ。」
ハッキリと少僧都に言われて、恵信は唇を噛んだ。
確かに、御山に迷惑を掛けることでしかない。
「拙僧も師に問うた。
そして、師にこう言われたのじゃ。
そなたが、彼の地で仏の道を勧めるのじゃと。
一人でも多くの者が仏の情けにすがることができれば、
地の嘆きも減るであろう。
それこそ、そなたのそもそもの役目であろうとな。」
恵信は畳に頭をこすり付けた。
確かに、政治の話ではなく、御仏の教えの話であった。
それこそ、自分のすべきことではないか。
恵信は辞した。
*---*---*---*---*---
「恵信が参りました。」
「恵信がな。」
恵信が去った後、沢厳は眞覚大僧都のもとを訪れていた。
「その昔、私が大僧都に問うたことを問われました。
こうも弟子は師に似るものかと思っておりました。」
沢厳は恵信との会話の一部始終を語った。
「ワッハッハ。あの小僧が国を憂うようになったか。
しかも、沢厳がわしに問うたことと同じではないか。
それは、わしが、わしの師に問うたことでもある。
これはおかしい。教えたわけでもなしに。」
二人はおかしそうに笑った。
しかし、すぐに真顔になる。
「沢厳。恵信の申すことは由々しき事態じゃ。
遠国のこととはいえ、日ノ本の子らじゃ。
異国の奴隷になどさせるまいぞ。」
「しかし、大僧都、彼の地は伴天連の地となっております。
いわば、御仏の威光が届かぬ地。
当山をもってしても、難しいかと存じますが。」
「ふむ。」
眞覚は天井を見上げた。
すぐに視線を下した時には、既に思案が固まっていた。
「それでは、こうせよ。
我らが高野聖は津々浦々まで足を延ばしておる。
戦や疫病で廃れた村であっても、治める者が代わって、
今は暮らせるようになっているかもしれん。
いづれにしても、貧しき者が落ち着ける先を探せるだろう。
沢厳、試みてみよ。」
「ははぁ。」
「それはそうと。」
眞覚は深刻な顔になった。
そうすると、鬼でも恐れそうな凄みがあることを
本人は気づいていない。
沢厳が小僧の頃、この顔がよく夢に出てきたくらいだ。
「おぬしは、七の年の話を覚えておるか?」
「修行中の身であった時、大僧都がおっしゃられた、
太師の入定の後、七の年が百過ぎる年に地獄が現れる
という話でしょうか?」
眞覚はニヤリと笑った。
「よく覚えておった。間もなくに迫っておる。」
沢厳はドキリとした。
「お待ちを。あの話は、大僧都が戯れまでに話されたもの。
古今の伝承にもないことであれば、事の真偽は分かりませぬ。」
「さすがにおぬしは用心深い。
わしの弟子とは思えぬほどじゃ。
もしや、おぬしの方が師であったのか。」
「お戯れを。それで、」
「そこも冷静じゃの。面白うないやつじゃ。」
「師がそうだから、面白くなくなるのです。」
「ふむ。わしゆえにか。
話が逸れたが、わしは真実じゃと思うておる。
伝承にないのは、口伝であったからじゃ。
そして、それを知る者は当山でもわずか。」
沢厳の背を汗が滑っていく。
木は年を経て、大きくなれば、光を多く浴びるようになるが、
それに伴って、できる影も大きくなる。
高野山にも、表があれば、裏もある。
眞覚は、間違いなく裏の人間であった。
そして、これぞと思う人間を弟子にした。
「王城の東を叡山が守り、
大師が阿波、土佐、伊予、讃岐に八十八の大結界を置き、
西の守りとした。
だが、鈴鹿山で起こった大嶽丸を叡山は止められなんだ。
そのため、王城の南に高野山を置いたのが、今の姿じゃ。
しかし、あくまで王城を守ることに特化しておる。
日ノ本全てを守ることはできん。」
「大僧都は、どれほどの禍になるとお考えですか?」
「分からぬ。」
眞覚は腕を組んで目を閉じた。
しばらくの間、沈黙が続く。
「沢厳よ。わしはおぬしに、叡山と当山に地獄の門があると
言うたことを覚えておるか?」
「忘れられるわけがございませぬ。
聞いた時、確か十の歳でございましたが、
夜、眠れなかったことを覚えております。」
「ワッハッハ。それは済まぬことをした。
叡山の門と、当山の門。
それぞれが地獄につながる門を守っておる。
しかし、度々、夢に見る。」
「何と!?門に何か異変が!?」
「そうではない。安心せい。
太師の結界は今も寸分も違わずじゃ。
しかし、人の為すことは完璧ではない。
悪はどこかに道を見つけるのじゃ。
草をいくら取ったとしても、生える場所を探すようにな。」
「では、どこかに。」
「分からぬ。憶測で話すようなことではない。
しかしじゃ、西が闇を増してきているように思える。
まだまだ薄っすらとではあるが、
巷では既に魑魅魍魎どもが溢れて来ておるかもしれん。」
「朝と夜の端境に在る者どもですな。」
「そうじゃ。何か知っておらぬかと、
叡山に使いを出したが、返事がない。」
「何と!?大僧都の書への返事がない!?
いくらなんでも、それは礼を失する話ではございませんか!」
「そうであろうとも。だからこそ、妙なのだ。
おそらくじゃが、僧兵どもが止めておるやもしれん。」
「僧兵が。」
沢厳も覚えがある。
一度、眞覚の使いで叡山を訪れたことがある。
麓で僧兵に止められ、なかなか、通してもらえなかった。
僧兵は高野山にもいるが、あくまで自衛のためであって、
独立の警察権などは持っていない。
叡山のそれは、僧兵と言いながら、
ほぼ独立しているように見えた。
「叡山はさすがに英才、俊才が揃い、多才ではあるが、
多くは学究の徒じゃ。真理を追い求めることを本願とする。
それゆえ、他に興味を示さないのでな。
寝食も忘れて経を読むという暮らしじゃ。」
「仏道にある身には、うらやましき境地でございますな。」
「ある意味、うらやましいと言えるかもしれん。
しかし、生きているということはあさましきことじゃ。
その人が集まれば、それなりに決まりが要るのでな。」
「叡山はその決まりが?」
「座主以下、心ある僧もおられるが、
一度、手にしたものを手放す馬鹿はおるまい。
いつぞやの法皇が嘆いた通りよ。
最早、手に負えまい。
そうでありながら、一方の門を抑えているのは、
さすがと言わざるを得ないが。」
「比叡の門ですね。」
「そうだ。この世に地獄が溢れ出すのを、
金剛の門と比叡の門、この二つの門で阻んでおる。
仮に一つが破れたとて、一方がある限り、
この世に地獄が溢れ出すことはない。
しかし、懸念がある。
大師の残した予言の時が迫っておるということだ。」
「それがいつかということですな。」
「そうじゃ。
だが、そう遠くないとみておる。」
「そうなのですか?」
「今朝、蓮池が赤く染まった。」
「な、なんとっ!」
「声を抑えよ。」
眞覚が野太い声で低く言う。
沢厳が平伏した。
「凶兆だと言う者がいる。」
「まさか、池が赤くなるとは。
そのような話は聞こえてきませんでしたが。」
「僧正殿が直ぐに騒ぎを止められたのでな。
わしとて、蓮池ごときで、
この世の終わりだと騒ぐ気はないが、
何か胸騒ぎがする。
首の後ろに刃でも当てられているようじゃ。」
沢厳は、眞覚が高野山でも一、二を争うほどの法力を
持っていることを知っている。
本来なら、紫衣どころか、緋衣を着るほどの法力であるが、
お世辞にも行儀がよろしくない。
歯に衣着せぬ言動が、僧正たちに煙たがられていた。
そして、表より裏を選んだ。
きらびやかで身動きできぬ僧衣より、
身軽に人を救える道を選んだのだ。
沢厳は、そのような眞覚だからこそ、
教えを受けて良かったと思っている。
「わしも見たが、まるで血の池のようであった。
その上に蓮が、蓮の花が一つだけ咲いておった。
他の蓮は、まるでその花を守るようであった。」
「なんと。蓮の花が咲くは夏。時季外れでありましょう。」
「そのことよ。おぬしは何と見る?」
「分かりませぬ。分かりませぬが、
もし、予言と照らし合わせるなら、
赤い水は人が流す血を表しておるように思えます。
それか、炎か。
今は乱世。そこかしこで、炎も、人の血も流れておりましょう。
それに抗うように花が咲いた。
これを鎮める者が現れたと見るべきでありましょう。」
眞覚は得心がいったのか、うんうんとしきりにうなづいて、
「さすがは沢厳。当山でも俊傑と呼ばれる僧だ。」
「また、お戯れを。」
「いや、本当のことじゃ。
おぬしはわしの弟子にしては出来が良い。
だが、わしの見方は少し違う。
蓮の花。時季外れ。時が違う。
つまり、この世の者ではないかもしれん。」
沢厳はハッとした。
「まさか、魔物ですか?
魔物がこの世を救うと?」
「分からぬ。
わしは最近、夢を見る。
金剛と比叡の門。門の形をしておらぬ。
まるで楔のようじゃ。
その一つが抜ける。
もう一本が外れようとする時、若い男が現れる。
その男は、空を覆いつくすような闇と戦っておった。」
「若い男・・・」
「予言の通りになるとは限らぬが、備えは要るじゃろう。
おぬしもそのつもりで動いてくれ。」
沢厳は頭を下げて、師の前を辞した。
蓮池を見に行った。
(赤い。)
眞覚の言う通り、池の水は血のように真っ赤であった。
その中央に蓮が群生しており、その中央の蓮に花が咲いていた。
心なしか、蓮の周りの水は澄んでいるような気がした。
「泥中の蓮。」
ふと、沢厳は口ずさんだ。
沢厳には、眞覚の考えはわからなかった。
しかし、それでも、白く輝く花には、
確かに、何かの意味があるように感じられたのだった。
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