038.黒い炎
「火はまだ点けてないぞ!?」
いや、それどころか、本丸に油を撒いていない。
(どういうことだ?)
これはマズい。
普通に火事か!
兵士が起きてきたら大変だ!
急いで、油に火を点ける。
―クロ、シミュレーション通り、人に会わないように、
油を撒いたところに最短で誘導してくれ!―
―はい。―
クロが文句を言わないので、スムーズに進む。
いつもだったら、軽く言い合いになるので時間が掛かる。
少し何かに怯えているような感じだが、
命令に従ってくれるのでイライラすることがない。
次々に、火を点けながら登山道へ向かう。
一気に燃え上がるように、
撒いた油の複数箇所に松明で火を点ける。
門から出たが、ここまで10分くらい掛かった。
まだ、騒ぎにはなっていないようだ。
東の曲輪に火を点けれていないので、足を向けようとしたが、
数歩、進んで、立ち止まった。
人が起き始めているのなら、見つかるリスクがある。
(あきらめた。)
十分だ。
深追いは禁物。割り切ることも大事だ。
本丸のすぐ下の南の曲輪が燃えるだけでも
かなりの大ダメージだろう。
「あれ?」
木に隠れながら、様子を窺おうと、
南の曲輪から出て、少し離れた高い木の上に登っていた。
煙が出てから、15分は経っているけど、
本丸から炎が出ているようじゃない。
しかし、煙は変わらず、出続けている。
(燻っているのか?)
本丸の3ヵ所から出ている煙は、変わらず、細く出ている。
そう。細く。
ずっと見ているけど、大きくなるようには見えず、
本丸から炎が上がる気配もなさそうだ。
ボヤか。誰か、消し止めたのか。
それにしては、何で、出続けて・・・???
「火事だー!」
誰かが叫んだのが聞こえた。
オレが火を点けた南の曲輪の櫓や門から、炎が上がり始めた。
油で火を点けたからか、炎の勢いがすごい。
消火できるような勢いには見えない。
「火事だー!」
「起きろー!火が点いてるぞー!」
次々に、声が上がっている。
酔いが醒めた人たちだろう。
炎に照らされた何人かの影が動いているのが見えた。
その間にも、上がった炎は盛んに火の粉を飛ばしている。
お祭りでもしているかのような明るさになった。
「わぁぁー、館に燃え移ったぞー!」
火を消そうと、走り回っている人たちがいる。
しかし、酔いが残っているのか、動きが悪い。
その状態で何とか水をかけようとするが、
一気に燃え上がった炎は、
天を焦がそうかという勢いになっている。
炎は収まるどころか、次々に別の建物の屋根をなめていく。
あちこちから、煙が上がり出した。
「火を!火を消すんだー!」
誰かが必死に叫んでいる。
しかし、バケツリレーもせず、
一人一人が手桶に水を汲んでくるようなことをして、
この炎が消せるわけがない。
山上でどれだけの水があるかも分からないし、
消火設備なんてない時代だ。
消火訓練さえしていないに違いない。
あっという間に、南の曲輪は火の海になった。
「助けてくれー!」
屋敷から服に火が点いた人が転がり出てきた。
地面に転がって火を消そうとしている。
天まで燃え上がった炎は、周辺の木々まで燃やし始めた。
山が丸ごと燃えているかの様相になってきた。
麓から見ると、キャンドルに火が点いているようだろう。
いや、普通に山火事か。
100mは離れているはずだけど、
オレにまで炎の熱が伝わってくる。
「クッ、」
「ククッ、」
「クッ、クッ、」
「クッ、クッ、ク、アーッハッハッハ!」
自分でもよく分からない笑いがこみ上げてきた。
オレの目の前で、炎は天を覆うかのように燃え上がり、
炎が何か別のものの形を取り始めた。
ついに、東の曲輪にも火が点いたようだ。
勢いよく燃え始める。
こちらでも、火を消そうとする人がいる。
同じように手桶に水を汲んでくるが、炎に見合っていない。
オレの中を焦がすように、熱く、何かが燃え始めた。
「アッハッハ!燃えろ!燃えろ!」
本丸にも火が点いたようだ。
さっきの煙とは比較にならない、
黒々とした太い煙が上がり始めた。
ついに、人々が城から逃げ始めた。
門が燃えているので近寄れない。
何人かが塀を乗り越えて、石垣を飛び降りた。
しかし、すぐに炎が追い付いてきた。
炎の中を逃げ惑う。
髪や服が燃えながら、登山道を目指して走っていく。
熱い。
オレの周りに揺らめくように熱気が上がっている。
この辺りまでは、炎は届いていない。
しかし、身を焼くような熱さを感じている。
いや、体の中だ。
熱は体の中から、どんどん溢れてきている。
「ハハハッ!いい気味だ!」
止められない。
こみ上げてくる笑いを止めることができない。
分からない。
なぜ、笑っているのか。
なぜ、こんなにも高揚しているのか。
しかし、オレの中から何かが溢れてきている。
感じていたのは、紛れもない快楽だった。
愉悦と言ってもいいかもしれない。
それも、建物が燃えていることではなかった。
人が燃えていることに対してだった。
何かがおかしい。
遠くで何かが叫んでいるが、
すぐに愉悦の波に押し流される。
その間にも、黒い煙が夜空を埋め尽くすように覆い、
炎はどんどん燃え広がっている。
「アーッハッハッハー!燃えろ!
みんな、燃えてしまえー・・・ う、ううぅ」
激しい頭痛がする。
急激に体が震えだした。
何かがヤバい。
オレは震える手で、何とか木から下りた。
手に力が入らない。
いや、体に力が入らない。
膝をついた。
体から力が抜けてしまったかのように、
指を動かすことさえできない。
それなのに、体の中から力が溢れてくる。
(おぞましい。)
感じていたのは、恐怖だった。
まぎれもない恐怖でしかなかった。
湧き出てくる力が恐ろしかった。
自分が自分でなくなる。
なぜだか、そんなことを感じた。
寒い。
さっきまで熱かったのに、今は寒い。
水の底に引きずり込まれているようだ。
段々と意識が薄れてきた。
薄れる意識の中で、ふと、目の前が揺らめいた。
陽炎のように、景色が揺らめいている。
陽炎は、少しずつ形を持ち始め、炎になった。
オレの足が燃えている。
いつの間にか、膝から下が燃えていた。
手の指先からも炎が上がり始めた。
徐々に上に向かってくる。
熱は感じない。
呆然とそれを見ていた。
「黒い・・・炎・・・」
気が付くと、炎はオレの周りを壁のように取り囲んでいた。
頭を残して炎に包まれている。
ようやく意識が戻ってきた。
オレは炎をどうにかしようとした。
しかし、体に力が入らず、どうしようもできない。
もがこうとするが、体が1ミリも動かない。
首から頬に炎が上がってくる。
唯一、開いていた空を見上げた時、
天に向かって噴き上げた炎の壁が、その空をふさいだ。
(逃げれない。)
絶望がオレを包んだ。
もう戻れない。
なぜか、それだけが分かった。
終わった。ここまでだ。
何も感じられない。
炎が顔を焼き始めた。
オレの全身が炎に包まれた。
目を閉じた。
意識が遠くなっていく。
ハッ
オレを覆っていた氷のような重さが消えたので、
不審に思いながら、目を開いた。
さっきまでオレを包んでいた炎はキレイさっぱりと消え、
暗闇の中で四つん這いになっていた。
何も聞こえない。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
燃えている城や木々など、何もない、
洞窟のように、静寂な暗闇の中にいる。
目の前に気配を感じた。
顔を上げた。
「し、師匠!」
師匠だ。
立ち上がろうとしたが、体が動かせない。
「この馬鹿者が!」
ビクッ
師匠が地面を棒で打った。
今までに見たことがないほど、鋭い振りだった。
体を打たれていないのに、
血が噴き出るように痛んだ。
風が、音が、体ではなく、心を切り裂くようだった。
「ごめ、ごめんなさい。」
涙が溢れてきた。
涙が次から次へと溢れてきて、止まらない。
師匠の顔を見れなくて、地面に額をこすりつけた。
「馬鹿者!馬鹿者め!」
師匠の打擲は激しくなっていく。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
体が震えている。
悲しかった。
ひたすら悲しかった。
このまま消えてしまいたいと思えるほど、
師匠の悲しみが、
師匠を悲しませてしまったことが、
オレの心を圧し潰してしまうようだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
オレは涙を流し続けた。
謝り続けることしかできなかった。
里に帰ってきた。
どこをどうやって帰ってきたのか、覚えていない。
奥から笑顔で佳月さんが玄関に走り寄ってきた。
佳月さんに抱き着き、その胸で、声を出さずに泣いた。
オレの服の裾をつかみ、心配そうに見上げる、
あやの涙にも気づかずに。
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