002.男の子?
「やあ、これは見事な猪ですね。」
不意に掛けられた声に飛び上がりそうになったが、
警戒しながら、ゆっくりと振り返った。
そこには、男の子が立っていた。
(こんな森の中に男の子?)
「これは失礼しました。私は日吉と言います。」
オレの沈黙に、何かを察したのか、男の子は名前を名乗った。
「ああ。」
「猪の声が聞こえたと思ったら、
あなたが走って行くのが見えましたので、
追いかけてきた次第で。」
「ああ。」
さっきから「ああ」しか言っていない。
それほど意外な登場だった。
男の子は、小学生ぐらいに見える。
いわゆる冒険者の格好をしていない。
どう見ても、武器も持っていないようだ。
それどころか、江戸時代の人が旅にでるような服装をしている。
そして、ひよしという名前。
うーん。
「ところで、その猪は、売り物でしょうか?」
「えっ、何?」
「猪です。売るんですか?」
危ない。男の子の姿をジロジロと観察してしまっていた。
平静を装って、返事をする。
「いや、食べるつもりで罠にした。」
「ああ!」
「ん?」
「あの~、その~、言いにくいのですが・・・」
「何だ?」
「できれば、私もご相伴に預かりたいのですが・・・」
「一緒に食べたいってこと?
いいよ。こんなに食いきれないし。」
「ありがとうございます!」
助かった。
お礼に日吉が「捌く」と言ってくれたからだ。
血抜きのために、下になっているの猪の後足に切り込みを入れると、
腹を切り裂いた。
「うう。」
まだ薄っすら湯気が立っている。
内臓を見たわけではないのに、湯気だけで吐きそうになった。
涙目になりかけたが、意地で何とか我慢した。
小さい子に解体させて、見ているだけのオレが吐くわけにはいかない。
そのまま、皮も剥ぐようだ。
そして、その間に火も熾した。
日吉は、本当に手際がいい。
十分に血抜きが終わった猪を部位ごとに切り分けていく。
周りにいくらでも石があるので、積み上げてかまどを作った。
それに木を渡して肉を焼く。
これはオレの初安打。いや、発案だ。
いくらなんでも、これぐらいはしなければ。
男の子が持っていた竹串を刺して、かまどの石組みの隙間に立てた。
見上げると、かまどの上にある枝から肉が吊るされている。
今、食べる分だけを焼いて、その他は、燻すそうだ。
そうすると、傷みにくくなるらしい。
すごい。サバイバルに慣れてるな。
そういう教育を受けたんだろうか。
「上手に焼けましたー!」
「何ですか?それ?」
「いや、何でもない。」
日吉の言うように、強火で遠火を意識した。
途中から、じゅうじゅうと脂が滴っている肉で腹が鳴りっぱなしだった。
どこに嫁に出しても恥ずかしくない肉を頬張った。
もっと、獣臭いと思ったが、そうでもない。
歯ごたえもすごいが、肉汁もすごい。
じっくり育てた甲斐があった。
それに、日吉が持っていた、塩とか、山椒とかを混ぜたものが、
良いアクセントになっている。
「旨いな!」
「本当に!」
オレは夢中で食べていたが、日吉は自分の肉を半分ほど腹に入れると、
お腹が大きくなったのか、腹をさする仕草を見せた。
顔を上げ、ふと気づいたように、オレに話し掛けた。
「そういえば、お名前を伺っていませんでした。」
「オレ?」
「そうです。」
「オレは、源静馬っていう。」
・・・・・・。
某ネコ型ロボットのヒロインと一字違い。
読み方は「せいま」なんだが、小学生は残酷だ。
誰かがそれに気づいてからは、しずまちゃんと呼ばれるようになった。
オレは勉強なんて嫌いだし、お風呂もあんなに入らなくても大丈夫だ。
逆に、意地で風呂に入らなかった時期もある。
中学校に入ってからは、いちいちリアクションするのも面倒臭くなって、
人と距離を取るようになり、名前を呼ばれること自体がなくなった。
おかげで気配を消すことが得意になった。
「源!?氏の長者でしたか!?」
「は?氏の長者?」
「源の姓を名乗れるというのはすごいことです。」
この子が何を言っているのか分からないが、
それにしても、日本語だし、話が通じるのは良かった。
女神(会うのは女神じゃないと嫌だ)に会えなかったから、
異世界親切パックを受け取っていないし、スキルもない。
言語が分からなかったら、どうしようかと思ったけど、
その心配は必要ないようだ。
「氏の長者」というのは、後で知ったが、
本家の名字を名乗れているということらしい。
本流から離れれば離れるほど、本家に遠慮して名字を変える。
オレは源を名乗った。つまり、源氏。武士の棟梁だ。
今時、源氏もクソもないが。
この「氏の長者」という言葉は聞いたことがなかったが、
源という姓で源氏にたどり着くというのは驚きだ。
異世界じゃないのか?
この男の子の登場で、混乱に拍車が掛かりそうだ。
まさか、ただの転移かと頭を過ぎった。
ただの転移とただじゃない転移の違いも分からないが、
場所だけの話で、現代なら早く帰らなければ。
日も落ちそうになってきて、かなり暗くなりかけている。
暗くなってくると、ここで夜を過ごすことに不安になってきた。
あれ?そういや、この子の親は心配しないのか?
まさか、家出か!?
「しかし、ご格好は雑兵というか、物売りのようですが。」
日吉の観察は続く。
言われて、自分の服に目をやった。
いや、買ったばかりの頃は、しっかりしてたのよ。
四六時中着てるし、何回も洗濯したら、ヨレヨレになるじゃん。
何度も洗濯していると、ほつれてくるのは仕方ないんだ。
人と話すのを避けてきたオレにとって、
いろいろ詮索されるのは、何か、嫌だ。
聞かれる前に聞く。
そう。先手必勝。
これ、鉄則。
それに、聞きたいことはいろいろある。
「え~っと、日吉だったっけ。
日吉は、もうすぐ暗くなるけど、こんなところにいて大丈夫か?」
「夜になったら、動かない方が良いです。
狼や熊が出ますし、一番怖いのは盗賊ですね。」
「えっ?」
「何です?」
「盗賊?」
「そうです。」
盗賊?
あー、小学生だから、猟師とかを盗賊扱いにしてるのか。
狼は絶滅したけど、野犬はいるかもしれないし。
大きな犬を狼にしているんだろーなー。
冒険だな。まあ、そういう時期もあるよね。
「でも、ここにいて大丈夫なの?」
「暗くなる前に、ここを片付けます。
離れた木の上を、今夜の宿にしましょう。」
そっか。最近、熊関係のニュースが多かったし、熊は恐いな。
「その風呂敷、大丈夫?」と思わないでもなかったが、
日吉の持っていた風呂敷に肉を包み、
かまどを炭を隠すように崩した。
槍は木の上に引き上げて隠し、
オレたちは、100mほど離れた、
枝葉が多く、隠れやすそうな木の上に登った。
すっかり暗くなったので、目の前の枝さえ見えないくらいだが、
枝が密集しているので、寝ぼけて落ちる心配はないだろう。
「ところで、日吉は何でこんなところに?」
ナイーブなところだろうが、
ふわっと言うと、いまいち噛み合っていないので
ストレートに質問することにした。
「私は駿河に行くところです。」
「えっ?駿河?」
「そうです。」
駿河って静岡県のことだよね。
今時、駿河なんて言う?
「何をしに行くの?」
「今川家に奉公できないかと思っているのです。」
うん?今川家?
えっ?駿河??
駿河の今川家といえば、オレのわずかな知識では1つだけだ。
「え~っと、今川義元?」
「そうです。駿遠三の大大名、今川義元公です。」
おいおい!異世界じゃなくて、戦国時代じゃん!
違う世界じゃなくて、時代を逆行してたのか!
あー!どおりでか!
この子の格好が江戸時代だと思ったのは!
「駿河って言ったよね。ここって、どこら辺?」
「ここは、遠江です。」
日吉が怪訝な顔をする。
オレにはもう1つの衝撃だ。
えっ、何だって?遠江だって?
オレ、掛川市だよ。
ここ、近所の山じゃん!
どおりでか!
時代は違うとはいえ、どこか見覚えがあるはずだよ!
正直、戦国時代と分かって、ショックは少なかった。
異世界よりは現実味があるからだ。
同じ日本だから、何とかなる気がするからかもしれない。
しかし、歴史は得意じゃない。
社会で習った日本史はいろいろ変わってきていて、
何が正しいか分からなくなってきているし、
大まかな歴史しか分からない。
オレの知識のほとんどは、某野望シリーズの歴史ゲームでしかない。
ほぼシナリオ1~2の大名配置とおぼろげな武将ステータスだ。
いつも信長スタートなので、後半の遠くの大名はほぼ覚えていない。
それにしても、源と名乗ったのはマズい気がしてきた。
この時代、超がつくほど由緒ある家なのだ。。
合戦でわざわざ「我こそは~」と名乗りをあげるほどだったし、
オレが名乗っていると、問題を起こしかねない。
「え~っと、だからな~」
何とか誤魔化せないかと頭をフル稼働させる。
「オレは、大陸の生まれなんだ。」
これだ!
異世界物のお約束!
常識が無いのは「遠くから来たからだ」作戦だ!
「大陸・・・、すると、唐ですか?」
(から?どこだ?)
「堺では明からの船が着くそうです。
もしや、静馬殿もそれで?」
(明?ああ、中国か。)
「そうだ。オレの爺さんだったか、その前だったか、
商人と一緒に明に渡ったんだが、船が沈んで帰れなくなって、
向こうで住むことになって、記帳する時に、ほら、名字がないじゃん。
それで、役人が日本なら源だろうと勝手に足してたんだよ。
あっちの人は、こっちと違って、姓と名があるから。
気付いたら、もう、そうなってたから、
そのまま、向こうでそう名乗るくせがついてるんだ。」
「そうなんですか?」
日吉が案外、素直で助かった。
いや、この時代、ネットなんてないから、
他国の情報なんて知りようがないんだ。
それに、どうでもいい情報だろう。
「まあ、そういうわけで、源氏とは何の関係も無い。」
「では、余り名乗らない方がいいですね。」
「ああ、気をつける。」
あれ?よく考えてみたら、こいつ、どこから来たんだ?
「日吉って、どこから来たの?」
「私は尾張です。」
「尾張!?」
尾張って、名古屋じゃん!
「聞いて良ければ、日吉って何歳?」
「14です。」
中学生か。小学生じゃなかったか。
小柄なんだな。
いや、そうじゃない。
尾張から駿河まで、14歳が1人で歩いて行こうとしているのか!
しかも、働き口の当てがあるわけでもないのに。
「それで、静馬殿はどうされるんですか?」
驚いていると、日吉が聞いてきた。
「どうとは?」
「これからです。」
ああー。
そういや、オレは帰国子女設定だ。
帰国する船が難破して、近くの浜に流れ着いて、
うろうろ彷徨っているうちに山中まで来たのだ。
知識が全くないのも、多少、服装が変なのも仕方がない。
「静馬殿が良ければ、一緒に駿河に行きませんか?」