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お詫びのはずが

 そしていつもの蕎麦屋にて

百合子がメニューを見ることもなく注文する。

「天ざると中ナマ。」

「体の調子悪いの?」

優子が心配そうな顔をする。いつもなら、この三倍は注文するのに。まして、中ナマですって?メガジョッキじゃないなんて…

「月よりの使者」

不機嫌そうに百合子は答えた。体力はあるものの、どちらかと言えば生理は重い方なのです。

とは言っても、脂っこいものを欠かすわけにはいかないようですが…

「で、私に言いたい事があるって?」

 あまり調子も機嫌も良くなさそうな百合子に、優子が口ごもりながら切り出した。

「あのさ……。私……こ、こん…」

と、その時、二人の携帯にメールが着信する。スマホを見た二人の顔が曇った。

「災派か…」

百合子がつぶやく。

「山火事…。まあ、土砂崩れよりマシね。」

非常呼集のメールに優子は肩をすくめる。土砂崩れの時は、ぬかるみの中で二次災害の恐怖に耐えながら、生き埋めになったであろう被災者を手作業で探さなければならないのです。それに比べれば、山火事はヘリから投下される水がそばに落ちてきて圧死しそうになったり、火に囲まれて焼け死ぬことがあるくらいですから、まあ、たいしたことは……あ、やっぱりそっちも嫌ですね。

「じゃあ行きますか。」

 百合子が腰をあげる。

「何言ってるの、部隊で留守番しときなさい。そんなに調子悪いんだから。」

メガジョッキを頼めないくらい…とまではいわなかったが。

「あのヒヨッコを一人で行かせたら迷子になるでしょうが。」

 ヒヨッコとは、お守役を仰せつかっている小隊長の事だろう。自分のことを差し置いて他人の面倒を見ようとするのは、このチビの美徳であるのだが…。

「無理しちゃだめよ。」

「この程度無理じゃ無い、優子とは鍛え方が違うから。じゃあ、今日のお会計まかせたわよ、話は来週聞くわ」

 優子にお会計を任せるのは、今日だけじゃなくて、いつもの事なんですけどね。


 水田地帯を抜け山沿いの道をしばらく走った後、百合子は小型トラック(と言うよりはパジェロと言った方が通りがいい)を、道路沿いの空き地に停めた。パジェロには、小隊長の山本と通信手兼ねてドライバーの百合子。その他の小隊主力と増強のための本部隊員が数人、大型トラックに搭乗している、まだ到着していないが。

「ここが小隊の集結地です。ここで命令の補足指示をしましょう。この後の動きは中隊から示されてますよね?」

「うん。」

 言葉少なくうなずいた。小隊長の山本の表情は硬い。着隊して1年もたっていないうちの実任務だ。緊張するのも当然の事だろう、

 さして間を開けることなく、オリーブドラブの大型トラック、通常3トン半と呼ばれる汎用トラックが2両接近してくるのが目に入る。百合子は道路に出て大きく手を振って空地へ入るようドライバーに指示を出す。空地に入ったならば、停車位置まで百合子が誘導する。山本の目にはそれが神業だ。まるで子犬でも呼ぶように手招きをすると、象よりもはるかに大きなトラックがよく躾けられたれた犬のように、百合子の指先の小さな動きに合わせ進路をセンチ単位で修正しながら近づいていく。車が停車位置まで来ると、百合子は小さく右手を挙げこぶしを握って見せた。車がぴたりと停止する。何気ない動作だが流れるように美しい。横から見ると百合子が運転してきたパジェロとトラックのバンパーの位置がぴたりと一致している、切り返しを一回もしていないのに。誘導する側とドライバーの阿吽の呼吸だ。おいでおいでをする掌のちょっとした角度でタイヤを何センチずらすのかドライバーに伝わるらしい。これが免許取りたての隊員同士でやると、こうはいきません。10分かかっても真っすぐ止められなかったりするのです。なんせ普通なら若葉マークのドライバーが、大型トラックを運転しているんですから……

 それはさておき。

 トラックから降りてきた隊員が、すぐさま山本の前に2列横隊を作る。隊員を前に補足指示を下達しようと達也が息を吸った瞬間、無線機を背負っていた百合子が、

「小隊長、中隊本部に集合完了を報告します。」

と言って、中隊本部と交信を始めた。集合の結節を報告するのは基本中の基本、とは言えみんなすぐ忘れるんですよね。百合子のナイスフォロー、他の人間には小隊長が忘れていたようには見えないでしょう。

 通信を終えた百合子が山本に報告をする。

「速やかに前進,小隊ごと消火開始せよ。との事です。」

「了解。」

山本はうなずき、並んでいる小隊員の方を向いた。

「山腹で水源がないので、ジェットシューターによる消火を実施する。現在地で、消火栓からジェットシューターに水を詰めたら出発する。経路については、その山道を30分ほど登った先。水は足りなくなることが想定されるので、水がなくなった後はスコップによる延焼防止を実施する。質問?!」

「無し。」

重苦しいが力強い声が返ってくる。

「かかれ」

山本の命令で、列は散開しトラックからジェットシューターを下ろし、消火栓から水を詰め始めた。

 ジェットシューターとは、20リットルくらい水を入れることのできるナップザック、まあキャメルバックと言った方が分かり易いかもしれませんが…に、水鉄砲をつけたような簡易的な消火器です。と言うとなんてことないようですが、山道を歩くとなると重いわ、腰が冷えるわ、結構厄介な代物です。20リットルの水という事は、20kgですからね。

 無事命令を下達し終わったのを見て、百合子がほっとため息をつく。お守り役を仰せつかっている小隊長がなんとか命令を下達出来たことで安心したのだろう。それに気がついた優子が思わず吹き出す。父兄参観じゃないんだから…いくら経験の浅い小隊長と言ったって過保護にもほどがある。とは言え、現場での作業指示って意外と難しいんです。保護者の目で見ていたらハラハラするのもやむを得ないというものでしょう。

 百合子はランドセルのように背中に背負っていた無線機をお腹の側に抱え直す。

「何やってるの?」

優子は尋ねた。

「ジェットシューター背負わなきゃならないでしょうが。」

くだらないことを言うなというような顔をして優子を見た。

「何言ってるの、あんた生理でヨレヨレでしょう。無線機と水を両方なんて無理よ。部隊について行くだけだって危なっかしいのに。」

ふん、と百合子は鼻で笑う。

「あの山の上で火を消すんだから、一つでも多くジェットシューターを持って行かないと。それに、少しくらい調子が悪くたって、そこらの男より動けるわ。」

 と、言葉は勇ましいが顔色は悪い。しかし、一度言い出したら百合子が人の言うことで決心を変える事はない。

「無理するんじゃないわよ。」

「もっと早く言って欲しかったわね。」

 言ったでしょうが、留守番しとけって。それでも百合子が弱音を吐くのは極めて珍しい。恐らくここまで来るだけでも、相当辛かったのだろう。にもかかわらず、まだ荷物を目一杯担いで山を登ろうとするなんて、このチビは全く頑固なんだから…

「小隊長に迷惑かけるんじゃないわよ。」

優子はコツンと百合子のヘルメットを小突いた。

「ふん、あんなひよっこに面倒見てもらうほどヤワな百合子さんじゃ無いわ。」

 そう言うと自分で両頬をパチンと叩き、気合を入れた。

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