試験結果
そうこうしているうちに、和孝の受験が終わる。
「どうだった?」
いつも通りのフワッとした笑顔で優子が尋ねた。
「教えてもらった事は、ちゃんとできたと思いますけど…」
試験が終わって晴れ晴れ、と言う心境にはなっていないようだ。まあ、合格発表は、一ヶ月くらい先のことですしね。
「教えたことの半分もできたら合格できるぐらいしごいたからね。きっと大丈夫。」
安心させさるようにゆっくりと頷いた。
「そうだと良いんですけど…。でも、もしもってこともあるし、もうすぐ持続走競技会もあるんで、休みの日の体力錬成はこれからも一緒にお願いできませんか?」
実業団の陸上部でマネージャーをしていたことのある優子の指導は、適切かつ合理的。わずかの間に3000mのタイムを一分近く短縮させてくれた。これだけ信用できるコーチは、そうそういない。それに、持久走競技会で好成績を修めれば、候補生の試験でも有利になると言う噂だ。一方、優子にとっても、年下のイケメンと休みの日に汗を流すと言うのは、悪い気分ではない。
「良いわよ。でも甘やかさないからね。」
と、セリフに合わない優しげな笑顔。和孝は、そのセリフの方も真実である事を身に沁みてわかっている。とは言え、双方にとってwin winの交渉。話はすぐにまとまります。
「よろしくお願いします。」
夜の事務所での勉強会は一区切りとしましたが、土曜日の体力錬成は継続することとなりました。夜の事務所の勉強会…なんとも言えない響きですねえ。余計な事を考えすぎでしょうか…
そして、一ヶ月ほど経ったある日のこと。
「失礼します。」
優子がいつも通り残業している事務室に、和孝が静かに入ってきた。少し難しい顔をしている。
和孝の顔を見て、優子は軽く首を傾げた。
落ちたかもしれない、と私に不安を持たせようとしているな、合格した癖に…と瞬時に看破する。3ヶ月も顔を見ていれば、和孝が何を考えているかなど手に取るようにわかる。右の頬がひくついているのはうれしいことがあるのを隠そうとしている時だ。見抜いたとはいえ、せっかくの陸曹候補生の合格だ、そのドッキリに乗ってあげようじゃないの。
「試験の結果出た?どうだったの?」
わざと心配そうな表情を浮かべ尋ねる優子。
「それが……」
和孝は、一呼吸。
「合格しました!」
「おめでとう!」
少しオーバーに喜んだ優子は、和孝をハグハグ。確かに好みの顔だったとはいえ、縁もゆかりもない男の子の試験勉強の手伝いをして、合格させたのだ。そのイケメンとハグを楽しむくらいの役得があったってバチは当たるまい。とは言っても、人のものは人のもの、ケジメはつけなければ。ジャイ◯ンとは違うのだ。
「じゃあ、ここからが本番ね。」
「ここからが?」
ドッキリを成功?させ満足感一杯で、ハグハグされていた和孝が不思議そうな顔をする。候補生に指定されたのだから、ここがゴールではないのか?
少し名残惜しそうに、優子は和孝から離れた。
「だって、あなたは百合子に気に入られる男になるために努力しているんでしょ?」
「あっ、そうでした…」
和孝は少し気まずそうな顔をして頭をかいた。
「受験で頭がいっぱいで……そっちまで気が回りませんでした。」
優子はにっこりと頷く。
「うんうん、それで良いのよ。それくらい真剣にやらなきゃ合格できないわ。まだ先はあるけど、とりあえず今晩は、百合子対策のレクチャーも兼ねて、お祝いで飲みにいきましょうか?部隊の人たちと、一緒に宴会の約束とかないの?」
合格のお祝いを営内班や同期とやるのはお約束のようなものですからね。
「来週みんなで飲みに行きます。」
「なら、今日は私の奢りで、パーっと飲みましょう。私はそんなにお酒強くないけどね」
和孝は、少し慌てたように言う。
「そ、そんな申し訳ないです。散々面倒見てもらっているのに。僕が払いま…」
「遠慮しなくて良いわ。陸士に奢られたなんて言ったら私の沽券にかかわるからね。」
日頃の残業の賜物、馴染みの蕎麦屋に、日本酒、焼酎、スコッチ、バーボン、ウォッカ…いくらでもボトルが入っている、運幹ありがとう…。
「だいたいあいつはね、ファッションのことなんか何にもわからないのよ!」
焼酎のお湯割り二杯で、すっかり出来上がってしまった優子の口が滑らかだ。元々、酒は弱い方なので仕方がない。
「そうなんですか?いつも、きちっとした格好をしているみたいですけど…」
優子は細かく首を横に振る。
「教えてあげたのよ、マネキンが着ているのをそのまま丸ごと買えって。シマム◯のね。」
「シマム◯ですか⁈」
あまりオシャレさを感じさせるブランドではないが…
「だってさ、百合子が、ユニク◯はオシャレで怖いから入れないって言うんだもの。」
「ユニク◯がオシャレで怖い?」
和孝が呆れた顔をする。別にユニク◯が悪いってわけじゃないですよ。ただ、あまり聞いたことのないセリフってだけで。
「そうなのよ。今でこそ優等生のような顔しているけどね、元々東北のヤンキーだから。で、ユニク◯が怖いんじゃあとはシマ◯ラしかないでしょ?その癖に、シマ◯ラはダサいから嫌だって駄々こねるのよ。」
「はあ…」
別にシマ◯ラが悪いってわけじゃないですよ。あくまでも、百合子の主観ですから…
憧れていた城三曹の子供じみた言動に、和孝は幾分呆れ気味だ。
「だったら、アベイ◯にしたらって言ったのよ。そうしたら、それで納得してアベイ◯のマネキンと同じ格好しているのよ。シマム◯とアベイ◯が同じだってまだ気が付いていないから。まあ、最先端のオシャレとはいかないけど、まあ統一されたスタイルにはなるじゃない?」
しつこいようですが、別にアベイ◯が悪いってわけじゃないですからね。安いしお洒落だと思いますよ。コホ…ま、それはともかく…
「すごくしっかりしている人だと思っていたんですけど、意外と幼い面もあるんですね。」
優子が大きくうなずく。
「そうなのよ。私と二人で千葉の夢の国に行ったら、あのネズミやアヒルに大はしゃぎで抱きつくんだから。とにかくフワフワしたものが好きなのよ。」
「そんなことする後輩をニコニコしながら見てそうなイメージでしたけど。」
「それは間違ってないわ。後輩と行く時は、そんな感じよ。でもね、本当は自分が抱きつきたいのを歯を食いしばって耐えているの。それで、夜に下宿に帰ってきたら、私に八つ当たりするのよ。ネズミにハグしたかったって」
「はあ……優子さんも大変なんですねえ。」
和孝は同情する。
「そうでしょ?!結構めんどくさいのよ。でも、それがあの子の可愛いところなんだけどね。」
諦めたようにため息をつく。
「お酒飲む時だって妙なこだわりがあるし。なんでも、バーボンはロックでスコッチはダブルなんだって。どれがバーボンでどれがスコッチかなんて分りゃしないわよ!洋酒は洋酒よ!」
不平タラタラの優子に、和孝もそれなりに話を合わせる。でも洋酒って括り方もどんなもんですかねえ。
「そうですね…居酒屋で酎ハイとビールくらいしか飲まないので、僕もよくわからないです。」
「そうでし…」
和孝の返事に満足しかけた優子だったが、はたと思い直す。
「いや、和孝はちゃんと区別できるようにならなきゃダメよ。百合子は酒に厳しいんだから。そうだ、今からショットバーに行きましょう。勉強会よ。」
「はい、良いですけど……」
和孝は優子の真っ赤になった顔をチラリと見る。
「大丈夫ですか?結構、酔ってるみたいですけど」
優子は大きくうなずく。
「全然大丈夫。自分の限界わかってるから。」
酔っ払いの大丈夫が大丈夫だったためしはありませんけどね。