つれない返事
「……で、また、交際申し込みに来てる子がいるんだけど?」
あまり気乗りしない様子で、優子が切り出した。
ここは、優子と百合子の二人で借りている六畳一間の古アパート。と言って二人が怪しい関係というわけではない。独身の若い隊員は駐屯地に居住しなければならないのだが、休みの日ぐらいは束縛を逃れ自由に過ごしたい、ということで俗に日曜下宿とも呼ばれる安アパートを借りることがある。最近はめっきり少なくなりましたけどね。まあ、近頃は規律もゆるくなりましたし、スマホでゲームするだけならベッド一つあれば十分ですから、外泊しない子も増えましたね…。
「ふーん、で?」
と、他人事のような顔をして百合子は残り少なくなった日本酒のワンカップを傾ける。
「で、じゃないわよ!どうするのよ、今回の子は?」
少しイラついた様子で、優子は尋ねた。
「だから、男を作る気なんてないって言ってるでしょ。」
百合子はシレっとした顔で、二本目のワンカップに手を伸ばす。お世辞にも高級な酒ではないがエチルアルコールが入っていればそれで満足らしい。
「だろうと思ったけどね。どうせ断るんなら、自分で断ればいいじゃない。」
「時間の無駄。」
「その分、私の時間が無駄になってるでしょうが!」
懐かしめの言葉で言えば、優子は、激おこぷんぷん丸。
「お姉様、感謝してるわ。」
お祈りをする少女のように胸の前で手を合わせ、少し上目遣いのきらきらした瞳で優子を見つめる。完全無欠の美少女っぷり。騙されない人間はだれ一人として……
「何が感謝してるよ!外面だけは良いんだから、まったく…」
外面だけは良い、と言っても外面以外を見るのは優子だけ。言うなれば優子だけが被害者と言ったほうが正確だ。
「まあ、明日断っとくわ。」
優子は諦め顔で言った。
月曜日のこと、またまた訓練事務室のドアを優子が叩く。中では、運幹と訓練陸曹があーでもないこーでもないと、議論している。
「運幹、お取り込み中のところ申し訳ないんですが…次の中隊訓練の命令は、まだですか?」
「すまん!今晩までには何とかするから」
と、平謝りの運幹。決して、役立たずの人じゃないんですよ。ただ忙しすぎるのがいけないんです。
「明後日までだからそんな慌てなくても良いですけどね……もし、なんでしたら私作っておきましょうか?」
「そんなこと三上に頼むわけには……」
訓練陸曹がコホンと咳払いした。綺麗事言っているゆとりは無いでしょう、と言わんばかりに。いやいや、本来、運幹のサポートは訓練陸曹、つまりあなたのお仕事なんですが…
「……頼むっ!」
訓練事務室のお二人は、決して無責任でも節操がないわけでも無いんです。ただ、忙しすぎるだけなんです。
「分かりました。明日までに作っておきます。でも高いですよ、蕎麦屋にジャック・ダニエル入れといてくださいね〜。」
これでまた百合子にたかられても、懐が痛まずに済む。同期でありながら、百合子は優子に奢ってもらうことに痛痒を覚えないのだ。
ふと、部屋に入った時運幹と訓練陸曹が議論していたのを思い出す。
「そう言えば、さっき何のお話し合いをしてたんですか?」
「ああ、小隊の無線通信手を誰にしようか迷ってるんだよ。どいつも帯に短し襷に長しって感じで。」
優子が小首をかしげる。
「無線通信なんか誰でも良いでしょう、って言うか大抵、欠にしてるじゃ無いですか?」
「大学校出の候補生が配属されるんだよ。」
「ああ、なるほど。」
無線通信手は、無線機を背負って小隊長の通信をしてあげるのが任務ですが、通常は欠員になっています。だって小隊長が自分で無線機くらい使えますし、そもそも人が足りないんですから。にもかかわらず、わざわざ無線通信手を配置しようとしているのは何故か?それは単に通信をさせたいのではなく、小隊長のお守り役をさせたいのです。一般隊員からの叩き上げの小隊長ならまだしも、一般大学や大学校出の幹部候補生なんて素人同然ですからね。まあ、教育係みたいなものです。なのでそれなりに優秀な人間を付けなければならないけれど、メンドくさい仕事ではあるので、正直なところ、やりたいという人間はいないだろう。
「ふむ…」
優子の頭にはすでに適任者が閃いていた。頭脳明晰、スポーツ万能、必要とあらば上司に苦言を呈することも辞さない、尚且つ、めんどくさい仕事を押し付けてやりたい小生意気なチビが…。チビは余計でしたね。
「城三曹が良いんじゃないですか?」
真面目そうな顔を作って、意見具申をする優子。
「城か…仕事はできるけどWACだからなあ。小隊長と一緒に行動させたら、演習の時に管理事項の手間がかかるし…」
管理事項とは風呂とかトイレとかの生活基盤です。セクハラと言われるかもしれませんが、演習場における女性の風呂トイレは切実な問題です。
「心配ないですよ。あいつなら、エンピ(スコップのことを業界の方はこう呼びます。)一本渡しておけばそこらの茂みで大でも小でも勝手にやってきますから。風呂なんか4、5日入らなくたってケロッとしてますし、一緒の天幕の中に男の人がいても寝袋の中でパンツ履き替えるやつですから。」
「そうなのか?」
運幹が目を丸くする。運幹がこの部隊に来たのは二年前、百合子が可愛らしい素敵なお姉様と扱われるようになった後。元ヤン全開の時代のことは、ご存知ない。なお百合子の名誉のために言っておきますが、普段は毎日お風呂に入っていますし、原っぱで用を足すこともありません。
「じゃあ城にやってもらうよう中隊長に言っておくか。」
ザマアミロとお腹の中で思いながら、真摯な表情で頷く。
「それが良いと思います。それにあいつくらい仕事が捌けて体力バリバリの人、男だっていないでしょう?あ、城が良いって私が言ったことはくれぐれもご内密に。」
と、言いながら訓練事務室を後にする。そんなこと、百合子にバレたら何を奢らされることやら…
その夜のこと。
事務室で運幹の代わりに命令作りで残業している優子の元に、三上士長が訪ねてくる。
「あの、城三曹はなんて…?」
緊張した面持ちで三上士長が尋ねる。
「今はそう言う気分になれないって。だから今回は諦めてね。三上くんカッコいいし、しっかりしているからもっと優しい彼女見つけられるわよ。」
申し訳なさそうに優子が答えた。しかし根も葉もないきれいごとと言っているつもりはない。あの元ヤンより優しい子はいくらでもいる。これだけイケメンならば、そんな子の1人や2人捕まえることは難しくないだろう。
「そうですか…」
力なく俯き、じっと足元を見つめる。
「ごめんね。」
なんで私が謝らなきゃいけないのだろう?悪いのはあのチビなのに。
「僕のどこがいけないんでしょうか?」
三上くんは悪くない。いけないのは全部あの外面のいいチビよ、と優子は思う。
「タイミングが合わなかっただけだから、そんながっかりしないで、ね?」
と、言われてもそうそう元気になるわけがない。
「たとえダメでもせめて一度くらい会ってからダメと言われたかった…」
まあ、そうでしょうね。イケメンだし態度も悪くない。今までの人生でこれほど雑に袖にされたことは、そうそうなかったのだろう。
かっこいい子がこれだけ落ち込んでいるのだ、少しは力になってあげようか、と言う思いがよぎる。見た目で行動が左右されるのは、優子も同じ。いい男は得ですね。
「うーん。じゃあ一度くらい会えないか、もう一度城三曹に聞いてあげる。」
「ありがとうございます。あともう一つ厚かましいお願いなのですが…」
「なに?」
「もし会えた時、どんなふうにすれば嫌われないか教えていただけますか?」
あの元ヤンの好みに合わせるのは少々めんどくさい。それに今日は、中隊訓練の命令を作らなければならないので、時間がない。
「もし、城三曹が会うと言ったら教えてあげる。」
「お願いします。」
でも…あいつが会うと言うことはないだろうな、残念ながら。年下のイケメンと取り止めのない話をするのも、悪いものではないのだけれど…