エピローグ そして
20分ほど山道を登ったところに、ちょっとした空き地があった。火災現場がもう近いのか、かなり焦げ臭い匂いが充満しており、心なしか煙が漂っているような気もする。
できたら、ここで一旦間合いを切りたいところだけれど…と、優子が思った時、百合子が1mほど前を歩いている小隊長の肩を軽く叩いた。怪訝な顔をして振り返った小隊長に目配せをして、空き地を見た。
ハッとした表情を浮かべた小隊長の山本が小隊に指示を出す。
「いったんそこの空き地に入ってください。荷物の点検をします。」
少し重くなった脚で小隊員は空地に入って行った。いくら身体を鍛えているとは言っても、山登りの訓練をしているわけではない。短い時間であっても舗装もされていない山道を登ればそれなりに疲労は大きい。
「小隊陸曹、ライターとかの可燃物を携行していないか確認してください。あと不要な荷物もこの空き地に置いていくように。点検が終わったら出発します。」
そう言い終わると、ちらりと百合子の顔を見て列を離れた。実際の点検は小隊陸曹、簡単に言えば小隊長の次にえらい下士官、まあ50才くらいのおじちゃんにやって貰って、小隊長は全般を見る、と言うのが一般的な流れです。全般を見るというと聞こえがいいですが、まあ、一休みと言うのが正直な所。なんせ実任務で小隊の指揮を執るというのは、神経が疲れ果てるものなのです。まして山本にとっては初めての事ですし。
早めに点検の終わった優子は、百合子の体調を確認しようと歩み寄った。が、それより僅かに早く、百合子に近づいたものがいる。小隊長だ。何か小声で話しかけている。
「ありがとう。教えてくれて。」
「たいしたことじゃありません。あと、指示を出す時は丁寧語を使わないように気をつけて下さい。」
若い幹部にはありがちなミスだ。命令を下達するときに敬語を使ってはならないのは大原則。なぜなら命令は何があろうとやらせるものであってお願いしてやって貰うものではないからだ。とは言え、相手は部下と言ってもみんな経験豊富な年上のおじさんたちなのだから、思わず敬語で話してしまうのが人間の常。聞いていた優子は思わず吹き出しそうになる。こんな実働でバタバタしている最中に、敬語を使うなと説教するとは。まあ、言っていることは正しいけれど。しかし山本は素直だ。年上のお姉さんの忠告を受け入れる。
「了解。気を付ける。それは良いけど、無線機、僕が持つよ。」
「え?」
百合子が怪訝な表情を浮かべた。
「なんとなく、体調悪そうだから。」
ほう、あの小隊長、なかなかじゃない。他の男どもは百合子の調子が悪いことなど誰も気がついていないようなのに。と、優子は感心した。ヘルメットをかぶり迷彩服を着こんでいると、みんなが同じように見えて他人の体調変化を感じとることは難しい。初めての実任務にもかかわらず部下の状況を把握しているとは、ひよっこの割には大したものだ。
が、それを聞いた百合子の表情は一転して険しいものになる。
「心配いりません。少しぐらい調子が悪かろうが、私の方が小隊長よりよっぽど体力もありますし、山歩きも慣れています。小隊長は、全般を見て小隊の指揮を取らなきゃいけないんです。私の荷物のことなんか気にしている暇は無いはずです。」
大きなお世話、と言わんばかり。ただ、周りに気づかれないようにだろう、言葉はきついがごく小さな声で言う。全くあのチビは意固地なんだから。へたばっているのだから、素直にありがとうございますって言っとけば良いものを。そりゃあ百合子にも駆け出しの幹部ごときに気を使われてたまるかってプライドはあるだろうけど…と、聞き耳を立ててかろうじて聞き取った優子は思う。
それを聞いた山本はどう思ったか、サッと張り詰めた顔になる。
「分かった。通信はまかせた。」
「はい。」
百合子はうなずいた。
ふむ、単なるお人よしかと思ったけど、意外に凛々しいじゃないの。まあ、和孝ほどじゃないけど。あ、でも和孝ならああ言いながら私の荷物を持ってくれるだろう。まあ、和孝の事は置いておくとして、あの二人相性は悪くなさそうだ。百合子にその気がないのは残念だけど、と優子は半分ノロケながら思う。
サッと立ち上がった山本は、小隊に指示を出す。
「出発準備!」
その様子を目の端で追いながら、百合子が優子にすり寄る。
「雑のう持って。」
と、当然のような顔をして言った。雑のうとはナップザックの事ですね。無線機とジェットシューターの方が重そうだが、この二つは持っていなかったらすぐばれる。あれほどの啖呵を切った点前、下ろすわけにはいかないのだ。言い換えれば、それ以外は持つ気力も体力もない。
優子としては、あれほど言っただろう、と言いたいところだが仕方あるまい。若い隊員たちから完全無欠の女神様と崇拝されているこのチビが、弱みを見せることができるのは私だけだ。あきらめた優子が黙って手を出す。百合子はナップザックを手渡した。ずしっと想像を超えた重量が優子の手にかかる。
「いったい何を入れてるの、この重さは?!」
「戦闘糧食3食分と牛肉の大和煮を2缶、桃缶とスポーツ飲料」
「そんなに誰が食べるのよ!」
「私。」
涼しい顔をして言う百合子。こんな重さのものを担いでいれば体調に問題がなくてもつらい。こいつ最初から私に持たせる気で、これだけ持ってきたな、と優子は確信した。
災害派遣も無事終了し、1週間後の土曜日。
いつもの蕎麦屋にて。代り映えしませんが、ここには心行くまで飲んでも飲みつくせないほど、ボトルキープが入っていますからねえ。常日頃の残業の賜物です。運幹さんよ、ありがとう。
「あの小隊長、悪くないじゃない?初めてにしたら小隊のさばきもよかったし。」
「まだまだひよっこよ。まあ、素直に一生懸命頑張るいい子だけどね。」
と百合子。年下とは言っても上司なんだから言葉を選びなさい。
「それはともかく…」
と、優子を見る。
「で、何だったの、私に言っておきたい事って?」
メガジョッキの生ビールを片手に、5人分のから揚げと焼き鳥、とんかつ,てんぷら、生姜焼きと茶色い山に囲まれ、先週とは打って変わって満ち足りた笑顔で尋ねる。
問われた優子は、箸を止め手を膝に置いた。気持ちシルエットが小さくなったようだ。満足感一杯の百合子とは対照的に、優子からは後ろめたさがあふれている。
「あのさ……こ、こ、婚約した…」
「ふーん、まあ良いんじゃないの。もう30なんだし、片付いても良い頃でしょ。」
まだ20代の妹分が身もふたもないことを言う。なーんだ、そんなことか、と言わんばかりの顔だ。自分だってアラサーなんですけどね。
「で、誰と?」
「三上士長。」
「誰それ?三上って、まさか親戚?」
優子は首を振る。
「違う。何ケ月か前、百合子に交際を申し込んできた子。会ってやってくれって頼んだでしょ?」
それを聞いた百合子は、頬をぴくりと動かした。
「へー、私に会ってやれって言っといて、それを横から攫っていくんだ…?確か、今までで一番良い男だとか言ってなかった?」
先ほどよりは剣呑な口調で咎める。
「ごめん…」
優子としては返す言葉もない。しかし優子だってちゃんと百合子に引き渡すつもりだったのだ。でも、一目惚れしてた相手と結ばれた直後にプロポーズされたら、そりぁ断りようがないですよね…まあ、結ばれちゃった時点ですでに問題のような気もしますけど。
ポツリと百合子が言った。
「まあ、それじゃあ、せっかく合格したって言うのに、私の彼氏にするわけには行かないわね。」
「合格?」
なんの合格だ?確かに陸曹候補生には合格させたが…。戸惑っている優子を揶揄うように百合子は言った。
「私好みの男になったら、つき合ってあげても良いって約束したじゃない?」
確かにそう言う約束だった。そのために優子は和孝の教育をしていたのだ。しかし合格と言っても優子が指導するようになってから、百合子は和孝と一度もあっていない。陸曹候補生に合格しだけで良しとするほど甘い人間ではなかったはずだ。
「なんで百合子好みになったってわかるの?会いもしないのに…」
ふふん、と百合子は鼻で笑う。
「優子の良さを理解して、それを手に入れる実行力があるのなら、そんなにバカじゃないってことでしょ。」
「は?」
私の良さを理解して、手に入れたら合格?どう言うことだ?と、戸惑う優子。そこまで言われりゃわかりそうなもんですけどね。そんなことが分からないぐらい、百合子に後ろめたい気持ちがあるんでしょうね。
困惑した顔をしている優子をニマニマした笑いを浮かべて百合子が見つめる。してやったりという思いがあふれ出しているようだ…
「……あっ、あんた最初から私が和孝にッ!?」
ようやく思いの至った優子が声をあげた。
そして百合子のチシャ猫のような笑いがこう言っている、今頃気がついたのかと…
「さあね。私は、交際を申し込んできたやつが、私の好みに合っていれば付き合ってあげてもいいって優子に言っただけで、他にはなーんにもしてないわ。」
そう言うとまたニマニマ笑う。
百合子のいたずら心に私と和孝は振り回されたという事か。しかし、今まで何十人となく交際の申し込みを処理してきたが、百合子は今までそんな悪戯をしたことはない。
「なんで今回に限ってそんなことを…」
「今までで一番良いタマだって言ってたからさ。」
私の態度で、私が和孝に一目惚れしてたのに気がついていたのか。そして、和孝がどんな人間なのか、人となりを私がしっかり判断できるようにつきっきりで指導する場面を作ろうとしたのだろう。百合子の手のひらの上で踊らさらたことに、歯軋りをしながら感謝する。しかし、それもこれも、和孝が本当にカッコよくて、素直でいい子だったのがいけないのだ!少しでも和孝に欠点があれば、プロポーズにO.K.なんてしなかった。百合子に渡すつもりだったのだから。そうだ、つまり悪いのは、和孝なのだ…と、心の中で優子は訴えた。世間ではこれを惚気と言います。
「ブラントンだからね。」
お馬さんの蓋のついたバーボンを要求した。
「雪漫々も付けるわ。」
百合子がこよなく愛する、けっこう入手しにくい古酒の名を優子が言った。それを聞いた百合子が満足気にうなづいた。別に酒の銘柄を喜んだわけではなく、優子の満ち足りた思いを感じ取ったからだろう……と、信じたい。
「で、どうだったの?」
百合子が優子の目を覗き込むようにして尋ねた。
「どうだった?」
「することしたんでしょ?」
と言われた優子の全身に和孝の感触がよみがえる。和孝の指が私の大事な所に…いや和孝はその前にしっかりと周囲から……
「世も末ね、癒しの三上と言われた女がそんな色ボケした顔をするなんて。」
優子の表情を見ていた百合子が揶揄った。優子としては図星なだけに恥ずかしさはあるが、悪い気分ではない。週末が待ち遠しい。
「あんたもすればわかるわよ。」
ふん、と言った顔の百合子。
「優子よりはよっぽど数こなしているわ。」
処女のJCと言っても通用するような童顔の愛らしい笑顔で毒舌を吐く。あの声で蜥蜴食らうか時鳥。百合子からはっきりと聞いたことはないが、入隊前は相当荒れた生活を送っていたようだし、陸上競技に明け暮れていた自分より百合子の方が経験数は多いかもしれない。でも…
「心の底から惚れている男とするエッチは別物よ。」
薄めのウーロンハイの入ったジョッキを持ち上げる。
「おめでとう。」
百合子はメガジョッキをこつんと優子のジョッキに合わせた。
終わり
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「小隊長と後輩の仲を取り持とうとしたら、なぜか私にもカレシができた!」




