覚悟
新婚旅行はパリとウィーンに10日間滞在。妻の理央はピアニストで、旅行中も楽器店によったり、コンサート会場の下見とか、世界的に有名なピアニストの演奏を聴きに行ったりとか、半分は仕事絡みだった。
それでも、海外旅行も初めてのオレには十分楽しいものだった。パリでの3日目の夜、理央は妻としての役目を果たしてくれたが、正直、オレは何の感慨もない。唯、顔が美しいだけの感情を持たない人形を抱いているような、味気なさと空しさだけを感じていた。
翌朝、理央は何事もなかったような、涼しい顔でオレに今日のスケジュールを告げる。「気が進まなければ、あなたはご自由にして下されば良いですから」と社長が部下に命令するように事務的に。
そう言いながら、開き直ったように平気でオレの前で着替えている。恥じらいなんてものも持ち合わせていないのかと思うと情けない。この女は一度でも男を愛したことがあるんだろうか。さっさと、ルームサービスの朝食を済ませると、オレのことなんか何もしないまま部屋を出て行った。誰もいない部屋に一人残されて、オレはこの結婚が失敗だと思った。夫婦になれば情が湧いて、少しは妻を愛せるかと思ったが、やせて貧弱なからだにも失望したし、唯オレの前に横たわっているだけのあの女を二度と抱こうとは思わなかった。
予定通り、オレたちは帰国して芦屋にある新居に向かった。社長宅の隣に建てられたオレの家は、ガラスが多く使われたメルヘンチックな建築で、近所の人々から「ガラスの城」と呼ばれている。
玄関まで来ると、理央は「結婚して初めて入る時は夫が妻を抱き上げて入るものなのよ」と言う。こんな時だけ妻になるのかと呆れつつ、オレは痩せ細った孔雀のような
女をお姫様抱っこして一歩踏み出した。
人から見れば、社長の美しい娘を嫁にもらい、大邸宅に住み、仕事も順調なオレは幸せ者に思われるだろう。本当のところはオレの胸に隠して幸せ者として、生きて行こうと改めて誓った。それがオレの覚悟だった。