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第5話 ルナ

 初めてミレイスと対峙した少女は、彼女を見つめたまま呆然としている。

 そんな少女にミレイスは、表情を一切崩さずにそのまま話しかけた。

「君は初めて私と会っただろうから名乗らせてもらうよ。私はミレイス・アーミュラ・イルヴェトリー。ここサジェノ王国の第二王女だ」

「は、はじめまして」

 少女は、どうやら自分は今サジェノ王国のいう国に居て、目の前の女性が王女様だと知り、軽い会釈をしながら淡々と挨拶を返す。

「ところで、ここは何処なのでしょうか?」

「ああ。ここは私の部屋だ」

「!?」

 部屋に見渡しながら、少女は起きてからずっと疑問に思っていた事をミレイスにそのまま尋ねる。

 ミレイスからさらっと帰ってきた返事に、少女はさっきまでどことなくふわふわしていた意識が覚醒し、声にならない声を上げた。

「ご、ごめんなさい!ミレイスさんのお部屋とは知らず、勝手に使ってしまいました!」

「謝らなくていいよ。君をここへ連れて来たのは私だし」

 座っていた椅子を吹き飛ばし、腰を水平に曲げながら慌てて謝る少女に、ミレイスは笑いながら自分がここに連れて来た事を赤裸々に明かす。

「えっ?連れて来たというのはどういう……?」

「この国の東側にある国境沿いの森で騎士団の人達と共に魔物の討伐をしていたら、君が倒れていたのを見つけてね。私が保護したんだ」

 森の中で意識を失い、次に目を開けたのが此処だった事にようやく少女は頭の中で納得する。

 そして同時にここが死後の世界ではなく、紛れもない現実である事に少女は気付き、改めてミレイスに深々と頭を下げた。

「助けていただいてありがとうございました」

「お礼を言われる筋合いは無いよ。私は人として当たり前の事をしたまでだ」

 感謝の言葉を述べる少女に当然の事をしたまでと言って謙遜し、どこまでも腰が低いミレイス。

 そんな身も心も凛々しくて美しい彼女に、少女は今まで感じた事の無かった感情を抱いている事に気づく。

 (何、この感情は……。)

 だが、その感情が何なのかまでは少女には分からなかった。

「そういえば、名前聞いてなかったね。何ていうの?」

 その直後、ミレイスから名前を聞かれた少女はなんて言おうか悩み、唇を微かに震わせた。

 少女は生まれてから1度も名前で呼ばれた事がなかった。

 使用人達からは名ばかりではあるがお嬢様と呼ばれ、姉からはアンタやお前といった二人称、父親に至ってはそもそも話した事がほとんど無い。

 名前自体はあるのかもしれないが、呼ばれなければ無いのも同然。

 その事になんて言おうか迷ったが、そのままでは埒が開かないと諦め、顔を伏せながら重い口を開いた。

「名前は、ありません」

 少女の口から放たれた言葉に、ミレイスとその場にいたメイドは目を見開いて言葉を失った。

 人間誰しも名前があり、それが当たり前である。

 当然、ミレイスもメイドも名前のない人間になんて出会った事が無かったし、そんな人間がいるなど考えた事もなかった。

 だが、目の前にいる少女には名前がない。

 名を持たない彼女に出会った事は、2人にとっては何よりの衝撃だった。

「そ、そんな事ないだろ。言いたくないかもしれないが、せめて私にだけでもーー」

「本当に、無いんです」

 少女はミレイスの言葉を遮り、顔を伏せたまま鉛のような重々しい声で断言する。

 少女の表情と態度にミレイスは、彼女が単に言いたくないからではなく本当に名前がない事が感じられた。

 そして、彼女にどう接すればいいのか分からなくなってしまった。

「なんてかわいそうなお方なのでしょう!ここには幾らでも居ていいですからね!」

 少女の話を聞いて境遇を察したメイドは号泣し、少女に抱きついていつまでも居ていいと言う。

「そんな訳にいきません!明日にでもここを出て行きます!」

 メイドの提案を即座に蹴り、明日に王城を去ると言う少女。

「出て行くと言っても行くあてはあるのかい?それに君にはまだここに残って貰わなければならない」

「えっなんでですか?」

「勝手ながら君の持っていた荷物を拝見させてもらったのだが、その中にこの国の存亡に関わるような書類が出てきて来たんだ。それで君は今、諜報員の疑いが掛けられているんだ。悪いが、しばらくここにいて貰う必要がある」

 ミレイスから諜報員の疑いが掛けられている事を知り、少女は動揺を隠せなかった。

 あの日、父の書斎から盗んだ書類の中にそのような書類があるとは思わなかったのだ。

 ただ父に一泡吹かせる為に盗んだ書類でそのような事になるなんて誰が想像出来ただろうか。

「そう、ですか……」

「それで、君の目が覚め次第、地下牢に繋いで情報を聞き出せと言う者も居てな……」

 ミレイスの話を聞いた少女は目の前が再び絶望に染まる。

 (この世界は、どこまで私を許さないの……。)

 そんな扱いはもう嫌というほど味わった。それが逃げた先でも繰り返される。

 暗い牢獄の中に幽閉され、永遠に晴れない疑いを訴えながら死ぬまで拷問を受ける暗い未来しか描けない少女に、ミレイスは彼女を一点に見据えながら口を開いた。

「だから、私は君を従者にしようと思う」

「えっ?」

 ミレイスの口から出た言葉に、少女は耳を疑った。

 今の自分は、諜報員の疑惑が掛けられている身。

 そのような怪しい人物を自分の従者にするなど、常軌を逸しているとしかいいようがない。

 だが、ミレイスは決して揺るぎはしないという秘めた瞳をしている。

 (どうして、この人は私にここまでしてくれるの……。)

 ミレイスが何故、自分を従者にしようなどと考えたのかは分からない。

 だが、ただドス黒い闇の中に沈んでいくだけの自分に差し伸べられた一条の光だった。

「本気で仰っているのですか殿下!?」

 ミレイスのとんでもない提案に、メイドはすかさず彼女に反対する。

「ああ。本気だ」

 だが、ミレイスは凛々しい面持ちと真剣な眼差しでメイドを見ながら断言する。

 王族として、そして人としての彼女の威圧に圧倒されたメイドはそれ以上何も言えなかった。

 そしてミレイスは、凛とした姿勢を緩めて少女に優しく微笑みかけた。

「名前がないのなら私が君に名前をあげよう。君は、今日からルナだ」

「ルナ……」

 ルナ。それが生まれてから15年間名前のなかった少女に付けられた名前で、初めて誰かから与えられた特別な贈り物だった。

「その……ルナとはどういう意味なのでしょうか」

「ルナは月って意味なんだ。君の黄色い瞳が月を連想させてね。それに、私が君を見つけた時は綺麗な満月だったからルナにしたんだ」

 名前の由来を聞き、ルナはどこか心が暖かくなるのを感じる。

 すると、ミレイスは目の前のルナに左手を差し出した。

「その手は?」

「握手しようと思って。右手で私の手を掴むんだ」

 言われるがままにルナは右手を伸ばし、差し出されたミレイスの左手をそっと掴む。

「これからよろしく。ルナ」

 こうして少女もといルナは、ミレイスの従者となった。

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