第2話 砕かれた希望と終わらない絶望
少女はこの日、ある準備をしていた。この屋敷から抜け出す準備である。
深く暗い闇の底で暮らす日々から自由になる為、そして今まで散々自分を虐げてきた父と姉に復讐する為、少女は今日、ここから脱走する。
だが少女はまず初めにこの部屋の唯一の扉の鍵を開け、屋敷の中をうろつき始めた。
何故少女がこのようなリスクを犯す真似をしているのかというと、一言で言えば嫌がらせの為である。
少女は生まれてから15年、父と姉から理不尽な暴力を受けてきた。
その15年の間に積もった恨み辛みは相当のもの。
屋敷内を荒らしに荒らしてから出て行く、それが少女の2人に対する復讐だった。
そもそも何故少女が部屋の外に出られているのか、それは少女が部屋の鍵を模倣したからである。
少女は部屋に落ちていた1本の針金を鍵穴に通るように加工し、擬似的に部屋の鍵を作った。
その為、実は少女は夜な夜な部屋の外に出ては厨房の食べ物を盗み食いなんて事もしていたが、今までその事を咎められた事は一度もない。
それだけ屋敷の中の警備は杜撰なのである。
部屋と屋敷内を行き来していた為、屋敷内の部屋を完全に把握している少女はある部屋に入り、クローゼットの中から普段は屋敷の侍女が着ている服に着替えた。
彼女が身につけている簡素でみすぼらしい服で屋敷の中をうろついていたらすぐにバレてしまう。
侍女が着けている帽子を深く被り、1つの大きな袋を手にした少女は部屋を後にした。
屋敷内の侍女に扮した少女が次に向かったのは父親の書斎である。
ここには仕事で使っている大事な書類が保管されており、中には国の重大機密ともいえる内容が書かれている書類もある。
以前、部屋を訪れた侍女の独り言を頼りに少女は父の机を漁り、目についた書類を片っ端から袋に詰め込む。
仕事で使う大事な書類が無くなって慌てふためく父親を想像し、口角を上げながら少女は部屋を出て行った。
次に少女が向かったのは姉の部屋である。といっても姉は部屋を2つ所持しており、少女が入ったのは彼女の私物が置かれている物置部屋である。
ここには彼女の趣味である高価な宝石やアクセサリーが大量に置いてある部屋で、普段からイヤリングやネックレスなどを大量に身につけていた。
今後の生活資金にするのと、姉への仕返しの為に少女は父親の書類が入った袋の中に姉の宝石やアクセサリーに大量に詰め込んだ。
大事なコレクションが無くなって怒り狂う姉を想像し、笑いを堪えながら少女は部屋を出て行くのであった。
2人への復讐を終え、清々しい気持ちになった少女は侍女の服を着たまま玄関を扉に手をかける。
(これで、私は自由だ。)
全てから解放され、これからの新しい人生に胸を膨らませながら少女は屋敷を出て行った。
だが、少女は知る由もなかった。自分がこのような目に遭っていた理由を。そして、この世界に味方も居場所もないという絶望を。
屋敷を出た少女はすぐさま屋敷の裏に駆け回り、さっきまで来ていた服と靴を脱ぎ捨て林の中へ放り投げると再びみすぼらしい服に着直した。
ここから離れ、新しい街へ行くのに給仕服のままでは歩きにくい。
それに、この格好をしていたら親切な人が自分を助けてくれるかもという打算もあった。
といってもこんな大きな袋を抱えていたら流石に怪しまれるので、少女はできるだけ人目のつかない裏路地を歩いて行く。
「おい、そこのお前」
裏路地を進み出してから暫くすると、鉄製の鎧と兜を身につけ、腰に剣を差した1人の男に呼び止められた。
「私、ですか?」
「お前以外に誰がいる。それで、その袋は何だ?」
袋の事を聞かれた事に、少女は身体を一瞬震わせ眼孔がわずかに大きくなった。
袋の中には、ついさっき屋敷から盗んできた重要書類と大量の宝石類が詰め込まれている。
もし袋の中を見られたら盗賊と思われて捕まってしまい、牢に入れられてしまう。
この危機的状況に少女は身体中から汗が止まらず、袋を持ったまま後退りすると、男はある事に気づいた。
「その手にある焼印……。お前、"イモウト"だな?」
男にそう言われた少女は、即座に自分の手に己の視線を向ける。
今まで全く気づかなかったが、少女の左手の手の甲には禍々しくて不気味な紋様の焼印が確かに押されていた。
(何、この焼印……?何でこんなものが私の手に押されてるの……?それにイモウトって何……?)
自分の手の甲に押された謎の焼印や男の口から出たイモウトという今まで聞いた事ない単語。それらは少女を混乱させるには充分な代物だった。
「お前、その姿からしてどっかから逃げ出して来たんだろ。それに、何の事だか分からねぇって顔してるから教えてやるよ」
男に図星をつかれ、少女は更に動揺する。
怯えた目で後退りする少女を見据えながら、男は口を開いた。
「この国ではイモウトは生まれながらの罪人だ。ずっと昔、イモウトは自分の姉の婚約者である王子を無理矢理奪い、当時の国王を怒らせて処刑された。それ以来、イモウトは災厄をもたらす存在として処分されるようになったんだ」
男の話を聞いた少女は戦慄し、そして自分がなぜ屋敷であのような扱いを受けていたのかをようやく理解する。
そして男は哀れむような瞳で少女を見つめ、溜め息を吐きながら腰に下げていた剣を引き抜いた。
「今までロクな目に遭わず、やっとの思いで逃げて来たお前にこんな事したくないのだが、イモウトである以上、俺はお前を捕まえなきゃいけねえ。悪く思わないでくれ」
最後に少女に向かってそう言うと、男は剣を振り下ろして彼女に襲いかかった。
「ひぃ!」
男の剣を間一髪で避けた少女は袋を抱え、声にならない声を上げながらがむしゃらに走った。
これから暖かくなる兆しが見えてくる時期だが夜はまだまだ肌寒く、ところどころ雪がまだ残っており、足の裏の感覚がだんだんと無くなっていくがそれでも少女は裸足で走り続けた。
後ろで自分を追いかけてくる男に捕まれば、全てが終わってしまうのだから。
(なんで、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの……。私が何をしたと言うの……。私はただ、普通に生きたかっただけなのに……!)
例えどこまで逃げようとも罪人として扱われ、忌み嫌われる彼女に安らげる場所も、心から信用できる人も何処にもない。
人の目に怯え、罪人の烙印を押され、死ぬまで蔑まれなければならない絶望に少女は涙が止まらなかった。
「待て!クソッ無駄に早えなコイツ!」
無我夢中で走り続ける少女に、男も逃がすまいと必死に追いかける。
すると少女は突如、方向を90度転換して茂みの中を突き進み始めた。
男は茂みの中には入らず、暗闇の中へ消えて行った少女を見つめる事しかできなかった。
「チッ!あん中に入りやがったか。アイツ、魔物に襲われなきゃいいんだが……」
少女が入って行ったのは、王国内でも最も危険な場所とされている通称"魔物の森"。
隣国との国境沿いに位置するこの森は、非常に広大で迷いやすく、その上凶暴な魔物が森の中をうろついており、許可が下りた者しか立ち入りが許されていない。
そんな危険区域に入って行った少女に、男は彼女が無事にこの森を抜けられる事を祈るしか出来なかった。
そんな危険場所とは知らない少女は屋敷から盗んできた袋を抱えながら森の中を彷徨った。
薄暗くて全く開けない視界、日が当たらずじめじめとした土の感触、不気味な程に包まれた静寂な空間。考えなしに逃げ込んだ森の中は、かつて自分が幽閉されていたあの部屋が頭の中をちらつかせた。
少女はあてもなく歩き続けるが、極度の空腹と疲労でだんだんと意識が朦朧になっていき、木の根っこに足が引っかかってその場に倒れる。
(もう、身体が動かない……。私、ここで惨めに死ぬんだ、誰にも見られずに……。こんな人生だったけど、1回でもいいから、誰かに愛されたかったな……。)
全てを諦めた少女は、鬱蒼とした森の中で一筋の涙を流しながら意識が途切れた。




