亡国の姫君【3-2】お節介な先輩
前話に続く中編になります。
「乃梅との出会いと生活」を描いたお話ですね。
じれったくなった温優は自ら側室入りを志願した。
しかし赦鶯は曖昧に笑うばかりである。
「殿下、私には帰る場所がありません! 殿下の側室にしてください!」
「うーん、困ったな」
「いつまでもお客様待遇では周りの者が怪しみますよ。私は殿下に温かい食事と寝床を頂戴しました。綺麗な服屋髪飾りまで! 御恩に報いさせてください」
「……分かった。そこまで言うなら、他の者達にも紹介しよう」
熱心な交渉の末、温優はようやく側室たちがいる部屋へと案内される。
出迎えたのは十代中盤から後半程度の少女達である。
皆綺麗な女性だったので思わず見惚れているとその中でも飛びきり若い少女が思いっきり睨み付けてきた。
「聞いたわよ! あなた新入りらしいわねっ!」
「えっ、はい。そうですが……」
「乃梅、悪いけど……この子に色々教えてあげてほしいんだ」
「殿下の頼みなら断りません! この側室筆頭! 大先輩である乃梅が殿下に相応しい女に教育致します!」
「あ……うん、ほどほどにね。この子は来たばかりで心細いはずだから」
側室の五人と親し気に話す赦鶯から悪意は感じない。少女達も心から信頼しているように笑顔で談笑している。
(なるほど。彼女達は既に調教済みのようね。きっと心を圧し折られて降伏を余儀なくされたんだわ。そして屈服した少女を使って今度は私を調教するつもりなのね。善良そうな振る舞いは油断を誘う罠。皆騙されたんだわ。――何て恐ろしい男なの!)
皇子が政務で席を外した後、乃梅が笑顔で手を引いてきた。
「さぁ、温優。側室として教育の時間よ」
(来たわね。どんな寝技を教え込むつもりなのかしら)
ところが、乃梅が教えてきたのはいやらしいものでは決してなかった。
筆を握らせて書道を説いたのである。
「あの、これは?」
「淑女たる者、教養を身に付けなければならない。ときに旦那様から政務のお話を聞くこともあるからね。夜伽だけが側室の仕事ではないの」
「はぁ……」
「聞くところによると貴女難民だそうじゃないの。どうせ学を身に着ける暇はなかったでしょう? 代わりに私が教えてあげるわ。感謝しなさい」
自信満々に胸を張るだけあって彼女は字がとても綺麗であり、有名な漢詩をそらんじることもできていた。模写技能も相当高い。
だがそれは温優も同じだった。一応豪族の姫として高い教養を身に着けてはいたので漢詩の読み書きなど造作もないことだった。
「……っな!? なんて達筆な―――ふん、まぁまぁできるじゃないの!」
本音が隠しきれていないが、彼女の合格ラインには達したようだ。
誤字脱字がない模写技能に非の打ち所がなかったため、先輩風を吹かせられなかった乃梅は着物の袖を噛んで悔しがっていた。
「どこでこんな教養を身に着けて――」
「難民となる前は一応没落豪族の端くれでしたので家長より多少の教育は受けております」
「ふーん、父兄に感謝することねっ! きっと宮中で役に立つわよ!」
悔しがっていても貶めることはしないのは乃梅の良い点だった。
そんな彼女を見て口元が緩む温優だったが慌てて自身の目的を思い出して姿勢を正した。
工作員として紛れているため、宮中の人間に心を許してはいけないのだ。
(大義のために油断しちゃダメよ。この乃梅って子だって皇子側の人間。正体を隠して私を探っているのかもしれない)
あくる日には温優は外に連れ出された。
ご機嫌の乃梅がボールのようなものを他の側室にパスして遊んでいる。
「それは蹴鞠ですね」
「よく分かってるじゃないの」
ボールを蹴って遊ぶ競技である。元々は武官の鍛錬に使われていたものであるが、今では貴族の遊びとして嗜まれるようになっている。
「蹴鞠は男子の遊戯。勿論、殿下も嗜んでいらっしゃるわ。殿下の側室たる者! 当然出来て当り前よ! さぁ! 貴方も側室なら習得なさいな!」
「えぇ、男子の遊びで殿下が好かれていても側室がやる道理はないのでは……?」
「共通の話題こそ夫婦関係を円満にする秘訣よ! 城に籠ってばかりでは運動不足になるし! 太ったら殿下から嫌われるわよ! それに他の側室は皆できるのよ!」
首を傾げながら他の側室に視線で尋ねると、彼女達は苦笑いしながら教えてくれた。
「私達も乃梅から教えられたのだけれどね」
「最初は野蛮だと思ったけれど、慣れてくると案外楽しいものよ」
「そ、そうですか」
蹴鞠自体は父や兄がやっていたために知っていた温優は普通に遊ぶことができた。
締瓏から戦闘技能を習っていた彼女からすれば蹴鞠など簡単だった。
温優はその運動神経が良さで経験者の先輩たちを驚かせた。
先輩マウントをとろうとしていた乃梅の方が疲れている始末である。
「ハァハァ……ゼェゼェ……あなた、運動神経も良かったのね……」
「難民として死に物狂いで国境を渡っていたので……」
言い訳はすぐにできたが、温優は失敗したと後悔していた。
自分が工作員として目立ちすぎていたのである。
教養があり、運動神経が良い元豪族の難民。これを突き詰めて行けば、自分の正体に気づかれてしまうと冷や汗を流していた。
(少し自重しなきゃ。……でもどこまで実力を落とすべきか。脳無しすぎてもそれはそれで疑惑の目が持たれそうだし……)
温優は何気なく縁側に腰かける乃梅を見た。はしゃぎすぎて他の側室から介抱されている始末の先輩側室は非常に馬鹿そうに見えたのだ。
(あの子を参考にしよう。彼女より少し格を落としたくらいがちょうど良さそう)
――翌日、意気揚々と乃梅が起こしに来た。
眠気眼をこする温優に対して厭らしい笑みを浮かべる。
(はっ! ついに夜伽の調教でも始まるのか!?)
警戒する温優に手渡されたのは林檎だった。
どこからどう見ても食用の甘い果実である。
「――? ありがたく、いただきます」
朝食代わりに齧ると途中で強奪されてしまった。
「これは貴女の朝食じゃないの! もう、新しいの用意しなきゃ。折角教育道具だったのに」
「教育道具?」
「そう! 淑女たる者、料理ができて当然。いついかなる時も旦那様の胃袋を掴めるのができる側室というものなの」
「料理なら一流の料理人が城にいるではないですか」
「ふふん、馬鹿ね。いくら殿下でも小腹が空いたときに厨房に頼みづらいでしょう? 気の利いた側室は膝を貸すときに間食を用意するものなの」
乃梅は懐から林檎を取りだしてナイフで皮を剥き始めた。随分手慣れている様子で皮を繋げたまま林檎を剥ききって見せた。同時にしてやったりとドヤ顔を見せつけてくる。
「さぁ、貴女もやってみなさい」
(ここは無能を晒しておくかな)
手渡されたナイフと林檎を使って皮むきを始める温優。
敢えて下手くそに向きながら頃合いを見て自身の指を切って見せた。
「すみません、どうも不慣れで」
「仕方ないわね」
と言いつつ、満面の笑みを浮かべた乃梅は予め用意していた包帯で温優の傷を治療する。
そして「こうやるのよ」と得意げに林檎の皮むきのコツを教え始める。
「力を込めすぎると駄目なのよ。滑るようにやるの」
「はぁ……」
再び皮むきに着手する温優は手元が狂って林檎を床に落とす。
それを拾う乃梅は嬉しそうに笑った。
「もう、どんくさいわね。でも少し安心したわ。貴女完璧超人じゃなかったのね」
「私にも苦手な分野くらいあります」
「ふーん、た、たとえば?」
「料理は見ての通りですが……氣巧術なんて全然できませんね」
勿論嘘である。周囲の人間に氣巧術が不得手なか弱い女だと認識させておけば動きやすいとおもったのだ。ところが目を輝かせた乃梅が大層嬉しそうに顔を近づけてくる。
「だめじゃないの。苦手意識をもってやらなかったらいつまでも上達しないわよ。私が先輩として教えてあげるわ! 感謝してよね!」
胸を張る乃梅に押し切られて午後は氣巧術の特訓をすることを約束させられてしまった。
散々自慢したのでどれだけ凄い氣巧術を見せてくれるのかと少しばかり期待していた温優だが、その期待は大きく裏切られることになる。
「〈木属氣巧・直紙〉!」
破れた障子や手紙を元通りに直す木属氣巧術。
「〈火属氣巧・灯〉!」
明かりを灯したり、薪に点火したりする時に使う汎用的な火属氣巧術。
「〈水属氣巧・洗流水〉!」
身体や洗濯物、食器などを洗う際に重用される水属氣巧術。
乃梅が見せてくれた氣巧術は初歩的なものだった。
(こんなの全部できるし……属性適合率が低くても扱えるものばかりじゃない)
戦闘用氣巧術を使える者なら当然に覚えている技である。
呆れて言葉を失う温優の態度を感動していると勘違いした乃梅は一層胸を張った。
「ふふん、貴女には特別に私が手取り足取り教えてあげるわ」
「よろしくお願い致します」
勿論教えてもらう必要もなかったのだが、乃梅のレベルが低いためにそれに合わせるためには全く氣巧術の適性の無い無能者を装うしかなかった。
温優は火属氣巧術を扱えばマッチ程度の炎を一瞬燃やすだけ、水属氣巧術でも水を持ちあげられるのは十秒程度といった為体を演じて見せた。
「やはり私には才能がないようです」
「うーん、残念ね。他の側室たちは一通り覚えられたのだけれど」
「力及ばず……すみません」
「気にしなくても良いわ! うん! 私でも習得に三年かかったし!」
(才能が無いのは貴女では……?)
「温優には教養があるし、別の分野で頑張りましょう!」
気の毒なほど同情されてしまった。高レベルの技を扱える温優としては不名誉極まりないが、氣巧術を使えない弱い女という認識を植え付けることには成功できていた。
「氣巧術が必要な時は私が助けてあげるわ。まぁそれ以外でも困った時は私を頼りなさい。いいわね?」
「はい、分かりました」
「あと、その敬語は禁止よ。私のことも呼び捨てでいいわ」
「なぜですか?」
「なぜって他人行儀じゃないの。もう私とあなたは何日も一緒に過ごしたじゃない? 腹を割って話し合った親友といっても過言ではないわ!」
(親友か。私の腹など読めていないくせにお気楽なバカ姫だ)
「今後は同じ側室として殿下を支えていきましょうね!」
乃梅に手を握られた温優は初めて自分の愚かさに気づいた。
ここ数日間、側室と交友を深めていただけで肝心の皇子とは何も関係が進展していないのだ。
皇子と肉体関係を結ぶ程度の信頼は得なければ機密情報を盗むことはできない。
ここは先輩の側室にその有効手段を尋ねてみるかと一計する。
「あの、すみません。質問よろしいでしょうか」
「敬語」
「すみ……ごめん。ゴホン、それで質問なんだけど乃梅は殿下にいつ抱かれたの?」
お茶を吹きだしてしまった乃梅は慌てて手拭いを掴んで口元を拭く。
「大人しそうな顔して直球の質問するわね。――っていうか貴女はまだ抱かれてないの?」
「うん。なにか無礼をしてしまったのかと心配しているの。だから乃梅がどうやって殿下に取り入ったか、そのコツを知りたくて」
「コツねぇ。うーん……私は側室入りしたその日に抱かれたから分からないわ。夜伽で指名されることも多いし……」
(なっ! この姫、馬鹿な癖にソッチのテクニックは上級者なのか!?)
「まぁ焦っても仕方がないわ。にこやかに挨拶していればその内殿下の方から手を出してくるわよ」
それから温優は自分を指名してもらえるように赦鶯との距離を詰めようと奔走した。
肩を揉んだり、共に食事をとったり、とにかく関係を進展させようと努力した。
健全な交流は拒絶せずに談笑してくれるのだが、いざ大人の雰囲気を作ろうとすると赦鶯の方から退席してしまうのだ。
(コイツ、側室囲ってるくせに身持ちが固いのか!?)
焦れた温優は事故を装ってボディタッチを試みるも、闘い慣れした赦鶯に躱されてしまう。
強硬手段として下着姿で迫って見せても彼が強引に襲ってくることはなかった。
正攻法で打つ手がなくなった温優は泣き落としに出る。
「どうして……どうして相手してもらえないのですか?」
「キミにその気がないからだよ」
「そんなことないですぅ……私はいつでも準備万端ですよぉ……」
さめざめと泣いて袖の隙間から相手の顔を伺ってみると、赦鶯は困った顔をしている。
これはもう一押しだ、と切な気な表情を作って彼に迫る。
すると、赦鶯は強引に温優を押し倒してきた。
慣れた手つきで肌着を簡単に脱がせていく。
(何で……望んでいたことなのに……怖いっ! 嫌だ! やっぱり仇相手なんて!)
覚悟をしてきたことなのに我慢していた涙がどんどん溢れてくる。
そんな彼女の態度を見た赦鶯はさっきまでとは反対に彼女に服を着せ始める。
「無理しなくていいよ。恩返しなんて考えなくていい」
上着を着せ終わった赦鶯は部屋から立ち去ろうとする。
折角のチャンスを逃してなるものかと温優は彼の袖に手を伸ばした。
――刹那、押し入れから影が飛び出して赦鶯に襲い掛かる。
刺客かと思われた奇襲者は乃梅だった。命を狙った訳ではなく単純に皇子を止めようとしただけのようだ。
「やはり押し入れに隠れていたんだね。キミの気配が読めない僕ではないよ」
「流石は旦那様、でも貴方を行かせるわけには参りません」
なぜか足止めしてくれているが、それよりも温優は自分の弱さを恥じた。
皇子との関係を進展させようと焦り、いざ迫られるとパニックになり、隠れていた乃梅の気配にすら気づかなかったのだ。
「どいてくれ、乃梅。僕はその気がない子を抱くつもりはない」
「いいえ。温優にはその気があります。先日も私に相談しましたから。本来は黙って見守っていようと思いましたが、じれったくなって出てきました」
「お友達を気遣うのは乃梅の良い所だけれど、僕には彼女にその気があるとは思えないんだ。どこか拒絶しているようにすら見える」
「それはきっとこの子は難民として貞操の危機が何度もあったので男性が怖いのだと思います。でも殿下の恩義には報いようと頑張っているのです! どうか抱いてあげてください!」
(まったく見当違いだけどナイスフォローだわ、おバカ姫!)
皇子と乃梅の口論の間に心を落ち着かせた温優は袖で涙を拭う。
「いやぁ。でも涙を流す女の子とことに及ぶ訳には……」
「大丈夫です。私も一緒にお相手しますから」
驚いたのは皇子だけではなかった。温優自身も「何言ってるの!?」と出かけた言葉をなんとか呑みながら乃梅を凝視してしまう。
(いきなり何を言いだすのよ!)
「初めてが三人でってかなり業が深いと思うけど!?」
このときばかりは皇子と気持ちは一つだった。
だがお節介な側室筆頭様はウィンクをみせて小声で耳打ちしてくる。
「私と二人なら恐くないでしょ。怖くなったら代わってあげるから。ね?」
残念なことに彼女の発案には一理あった。
心のどこかで拒絶を殺しきれない相手と二人キリで情事に及ぶことはできない。
しかし、乃梅に手を握られると少し落ち着くことができたのだ。
皇子との信頼を得るためにはもうこの流れに身を任せるしかなかった。
「お願いします! 乃梅と二人なら大丈夫な気がします」
「後悔……しないでよ?」
――翌朝、生まれたままの姿の温優が目を覚ました。
隣には同じく裸体の乃梅が寝息を立てている。
既に皇子は出かけたようで姿が見えなかった。
(結局身を任せてしまった……あぁあああああああああ!!)
肌を重ねた事実に後悔する温優。もっと後悔していたのは途中から愉しんでしまっていた自分がいたことである。それだけ皇子は手慣れていた。昨晩の情事を思い出して赤面する温優は恥かしさを払拭すべく頭を振った。
(でも、相手の尊厳を踏みにじるようなことはしていなかったわ。……赦鶯の前評判と実際の人物像が違い過ぎる。この違和感は一体……)
考え込んでいる内に隣の眠り姫も目を覚ましたようだ。
「あら? 温優もう起きたのね」
「うん、私の背中を押してくれてありがとね、乃梅」
「先輩なんだから当然よ。……それでどうだった?」
彼女の質問の意味を遅れて理解した温優は再び頬が紅潮する。
「……その、悪くはなかったわ」
「まぁ旦那様も手加減してたからね」
「あれで!?」
「いつもはもっと凄いのよ」
温優は赦鶯の身辺をより深く調査することにした。
勿論、魅惑の技を知りたかったからではなく、断じてなく、工作活動のためだった。
皇子暗殺のために彼の秘密を探り続けなければならなかった。
しかし、皇子と接すれば接する程、肌を重ねる度に温優は余計に混乱した。
事前情報と実際の人物像の乖離が目に見えてきたからだ。
(師匠の言葉を思い出すのよ! アイツは父の命を奪い、国を滅茶苦茶にした悪党のはず!)
温優は自分の心に沸いた疑心を憎悪と復讐心で上書きして工作員として情報の漏洩を続けたのだった。
危ない描写はBANされかねないので割愛です。
読者の皆さまのご想像にお任せします。
温優は体当たりで世話を焼いてくれる乃梅に
少しばかり気を許してしまいます。
また、赦鶯に対しても「事前情報と違うぞ?」と
首を傾げることが多くなっていきます。
最後に『疑心を憎悪と復讐心で上書きして』としめたのは
温優から情報を受け取った締瓏が
術の効果を強めたからですね。
定期連絡の文面から弟子の「躊躇い」を読みとったわけです。
それが『第三章・皇族主流派に潜む内通者』における謀反に繋がります。
『亡国の姫君』の一話二話は本編前の時系列のお話でした。
そして最後の第三話は投獄されたあとのお話ですね。
次回で『亡国の姫君』は終了です。




