ニセモノの思い出【2-1】影武者の日常
このお話は一章エピローグ後に入ります。
奪回した【愁国】を整えている際のエピソードです。
《顔無》の影視点のお話で前編後編の二話構成になります。
彼女の存在が明かされるのは二章になってからなので
一紗はこの時点で影武者の存在を知りません。
隠密部隊《顔無》は常に主の眼や手足になるべく活動している。
その活動範囲は多岐に渡る。主な任務は情報収集と工作活動であるが、中には暗殺といった裏の仕事を受け持つことさえある。
普段は【愁国】内部で不穏分子がいないか観察したり、諸外国で諜報活動をしている者もいる。直接的な戦闘能力はそれほど高くないが、彼女達の活動のおかげで【愁国】の平穏が維持されているといっても過言ではない。
ある日、《顔無》の中で【武言】周辺で活動しているメンバーが緊急招集を受けた。
鬼面の《顔無》が招集したようだった。十人ばかりの構成員が城の天井裏に集まってくる。
「鬼、何かあったの?」
「お前達……。実は姫様が大変なんだ」
彼女の足元には【愁国】の領主であり、自分達の主でもある美鳳が床に伏していた。
頬が紅潮し、呼吸が荒い。
「まさか、毒でも盛られた!?」
「いや、風邪だ。ここ最近ご多忙だったからな、疲れが出たのだろう」
集められた《顔無》達は一気に脱力した。
緊急招集というからには大事かと思っていたのだ。確かに主の風邪を心配しないわけではないが、重篤でなければ回復を待つしかないのだ。わざわざ集められる理由がない。
「鬼、なぜ集めたの?」
「……私から説明します……ゴホッ!」
「姫様! あまり無理をなさらず!」
起き上がった美鳳は差し入れられた水を飲んで息を整える。
そして《顔無》達に視線を向けた。
「私は……しばらく公務ができません。ですが、政権を奪回したばかりで席を外すのは非常にまずい……。なので影、私の代わりを、ケホッ! 務めていただけませんか?」
「入れ替わりですね。問題ありません」
影と呼ばれた《顔無》は面を外した。
その素顔は主と瓜二つ。彼女は影武者なのだ。入れ替わるのも初めてではなかった。
しかし、主の代行というなら彼女個人を呼べばいいはずだ。他の《顔無》は首を傾げた。
「影は分かるけれど、なぜ私達まで招集したの?」
「お前達には交互に姫様の介抱と影の手助けをしてもらいたい」
「……一紗と蕾華が参入してから……けほけほっ! 初めて入れ替わり、ますからね。……兄上もいるので、不測の事態に……けほっ! 備えたいのです」
「姫様、もうお休みください。後は私達でやるので……」
「すみません、職務は予定表にまとめましたので……お願いします」
「承知いたしました」
受け取った予定表には既に「やるべきこと」と「そのために必要なこと」が丁寧にまとめられている。自分の不調を感じ取った美鳳が本格的に体調を崩す前に記したのだろう。
彼女自身が実行できなかったのは予定が詰め込まれ過ぎており、動けなかったからだ。
都督という身分がいなければ進められない政は多い。彼女が病欠を公表できない理由でもあった。
(美鳳様は急進的に【愁国】の復興を成されている。【武言】の組織編成と政策の見直しから【利邑】改革案の提示と促進。そして日常業務。本来半年はかけるべき仕事を一週間で実行している。倒れられたのも無理はない)
急いで片付ける仕事は既に終わっていたため、影に託されたのは優先度が低い案件と日常業務だった。
「あぁ、美鳳。ここにいたか」
いきなり呼びかけられて身体をビクッとさせてしまう。
相手は見慣れた人物だった。蒼いチャイナドレスがよく似合う傍盾人である。
「一紗さ……最近はどうですか?」
《顔無》として活動中は『様』づけが定着していたためについいつもの癖で呼んでしまいかけて慌てて取り繕った。影武者が固有名詞でボロを出すのは恥ずべき行為である。
自嘲気味に咳払いしていると、返事の催促だと受け取ったらしい一紗は考え込んだ。
「……特に問題はねーが。最近の美鳳が仕事しすぎだと思ったから様子を見に来ただけだよ。昨日だって体調崩し気味だったろ?」
そう言って影の顎をクイッと持ちあげる。整った顔立ちの一紗に至近距離から観察されるのは気恥ずかしかった。
「あれ? 体調は大丈夫そうだな?」
「私は元気ですよ。昨日は早めに休みましたので。もういいでしょう」
多少強引に拘束を振り解いて距離をとると、一紗もそれ以上追求してこなかった。
正体はばれていないようだ。
そのまま傍盾人として一紗を連れだった影は美鳳としての日常職務を行うことにした。町の不満から改善点を議論する会議、教育制度の改革、各市政官への意見調査など。
情報収集や人手がいる仕事は《顔無》の他メンバーが裏方で協力してくれたため問題なく進めることができた。
普段から美鳳と接している人間達は影が本物だと疑っていないようだ。
(大丈夫。匂いでも気配でも私がニセモノだとは分かるはずがない……)
影は隠密として修業しており、氣の性質も主のものに近づけていた。感知力の強い氣巧術士でも見分けるのは至難だろう。そして自身の体臭も薬で消しており、美鳳の着物や下着を普段から身に着けることで匂いを上書きしていた。嗅覚からでも判別することは難しい。
影武者として似せているのは顔と体格だけではなかったのだ。
(でも私と美鳳様とでは周囲の人間と接してきた時間が違う。些細な違いでも勘の良い人間なら気づくかもしれない)
特に気にしていたのは常日頃から行動を共にする一紗の存在である。修羅の中で生きてきた彼女はとても疑り深いのだ。正直なところ、身辺警護を任せている一紗には真実を話してもいいだろうと影は思わなくもなかったが、主の考えを尊重し正体を隠す方向で動くことにした。
(とはいっても一紗様のことは情報以上のことはあまり知らない)
青月城を根城にしていた惡姫。強い女修羅。我流拳法の使い手。伝聞で集められた情報はそれだけだ。そして《顔無》として客観的に観察して得られた情報は「強い」「疑り深い」「男っぽい」「意外に甘いもの、可愛いもの好き」「心を許した人間には甘い」等々である。
(どれも参考にならない。完璧な美鳳様を演じるには姫様と一紗様の正しい距離感を掴まないといけない。普段お二人はどう接してた?)
隠密としての影が知る二人の関係は護衛と庇護対象、主と部下、問題児と教育者、時に姉妹のように思うときすらある。その時々によって関係が変動するのだ。
(こんなことは初めて。殆どは主君として振舞えば事足りるのに!)
美鳳と一紗の関係は一言で表せるような単純なものではなかった。本物を演じるニセモノにとって複雑すぎたのだ。
無理に取り繕えばボロが出る。正しい関係を把握できるまでは距離を置いた方がいいと影は判断した。
「一紗、そんなにくっつかなくていいですよ。ずっと私と一緒にいたら窮屈でしょう」
「何言ってんだ。俺はお前の傍盾人なんだぜ?」
「ですが、内戦が終わった今【武言】は平穏ですし……」
「そう言ってサボろうとした俺を説教したのは誰だっけ?」
言われて先日二人がそのようなやりとりをしていたことを思いだす影。そのやる気は本物のときに見せてほしいというのが本音である。なぜニセモノと入れ替わっている時に限って張りきるのか。世の中不条理である。
(今は仕事に集中しよう。仕事ぶりなら本物と大差はないはず……)
職務に注視すると傍盾人の目も気にならなくなる。仕事もかなり良いペースで捌けているだろう。本物の主が復帰した際も随分楽になっているはずだ。他の《顔無》たちも気持ちは同じようで書類仕事を手伝ってくれる。
「これなら喜んでもらえそう……」
「誰にだ?」
書斎で仕事を片付けていたために油断していたが、背後には一紗が立っていた。
隠密として鍛錬した《顔無》たちも気づけないレベルで気配を断っていたらしい。
「誰って、領民に決まってるじゃないですか。民の幸せが領主の幸せですよ」
独り言を聞かれた影は狼狽を隠しながら誤魔化した。
「相変わらずご立派なことで……」
どうにか切り抜けられたようだ。ほっとした影は次の仕事に移ることにした。
重役市政官達を集めて行われた会議の議題は町の犯罪についてだ。
「最近悪質な地域銭貨が出回っているようですな」
「商人組合も被害が出始めているとか……」
「本物と区別が付きにくいというのが難点ですね。見た目はそっくりという……」
紅華帝国で流通する貨幣は大きく分けて帝国貨幣と地域銭貨がある。
帝国貨幣は特殊技師に依頼して鋳造しているために偽物を作ることは困難であるが、地域銭貨はその国々で発行されるものなので偽物が流通することもあった。
今回話題に上がっている贋金もその類のものだった。
「出処はまだはっきりしないのですか?」
「偽物を故意に使っていた業者は捕縛しましたが、鋳造は外国で行われているらしいのです。我が国以外でも相当数出回っているとかで……」
「本物そっくりの偽物なんて迷惑千万ですな!」
「ニセモノは見つけ次第溶かして加工品の材料にしてしまいましょう!」
(うぅ……なんで私が入れ替わっている時に限ってこんな議題なの……)
本物に成り済ましている影にとっては偽物を連呼される耳が痛い会議だった。
世の中不条理である。
「ふ~……やっと終わりましたね」
次の仕事までの空いた時間に縁側に座って一息入れる。主の職務よりも本人のふりをする方が疲れていた。傍盾人である一紗が常に共にあるのもストレスだった。
「なぁ美鳳、本当のこと言ってくれないか?」
「へっ!? 何のことです!?」
まさか気づかれたのか。細心の注意を払っていたはずだ。自分でも認識できていない所に差異があったのか。そんな不安が影の心に満ちてくるも核心を突かれない限りは白を切るしかない。まだ影武者の存在は秘密にしているのだから。
「俺、もしかしてと思ってたんだが……やっぱり偽物なんじゃないかな」
「っ――!?」
心臓の鼓動がどんどん加速していく。突然の追及に誤魔化す言葉が出てこない。「勘違いじゃないか」「気にしすぎ」等と否定することは簡単だがさらに追及が続けば取り繕えないだろう。
「最初の違和感は触れた時だった。手触りに違和感があった」
(手触り!? 美鳳様と私にそんな違いが!? っていうか一紗様と姫様は普段触り合うような関係なのぉ!?)
「次に凝視したときだ。ぱっと見、似てるんだが細部が微妙に違ったんだ」
(細部!? 私は姫様と同じ容姿のはずだけど、確かに眉毛や睫毛の本数まで数えられたら誤魔化せないかもしれない。もしや一紗様は普段からそこまで観察されて――!?)
「でも、まだ疑ってる段階なんだ。真実を知るのは怖いけどお前の口から聞きたい」
真剣な眼差しで目を合わせてくる一紗。もう嘘はつけないだろう。
観念した影が「実は……」と口を開きかけたところで床に小銭がばら撒かれた。
「あの、一紗? 何をやってるのです?」
「何って、これからお前に鑑定してもらうんだよ! 俺の小銭の中に贋金が入ってないかを!」
「は?」
「絶対混じってるのは分かってんだ。でも一つ疑うと全部怪しく思えてきちまって。【愁国】の領主であるお前なら偽物との違いを見分けられるだろ?」
影は脱力した。どうやら取りこし苦労だったようである。会議の時から一紗は自分の小銭が気になっていたらしい。
呆れつつも鑑定してやると、なんと彼女の所持する小銭の八割が贋金だったのだ。
「八割……だと!? そうだ。町で使っちまったら元の金が釣りとして戻ってくる」
「ダメですよ。市場価格を壊しかねないものです。贋金は使用禁止です。鋳造屋にいけば小銭には換金してもらえますが」
「それっていくら?」
「元金の十分の一くらい……ですかね」
自分が手にした小遣いが暴落していたと思い知った一紗は酷く落ち込んでしまった。畳の上に寝転がって不貞寝しはじめる始末である。余程衝撃が大きかったようだ。
(贋金を掴まされたのは可哀想だけど、少し彼女の監視の眼を逃れる時間ができたのはよかったかも……)
ここで影が頼ったのは龍宝だった。彼とは政変の際に顔合わせしている。自分が偽物である事情を知っている身内ならば一紗を誤魔化すのに一役買ってくれるかもしれないと思ったのだ。城に戻ってきた彼を見つけて一声かけてみた。
「龍宝、少しいいですか?」
「美鳳様!? 私に頼み事ですか!? 何なりとお申し付けください!」
「では――」
「ちなみに、贋金運搬業者は捕縛しておきましたよ」
会議にあった業者を逮捕していたのは龍宝らしい。それ自体は素晴らしい行いである。しかし今は別のことを頼みたいのだ。
「それと、鎧兜勢力の再教育も順次進めております。苛めや復讐などは勿論ありません。彼らも今や愁軍の一翼を担っていますので。腕っぷしは申し分ないですし……」
主に言われるまでもなく先に行動しました、と言わんばかりに彼は胸を張っている。察するに褒めてもらいたいようだ。部下への労いは必要だろうとまずはその功労を称えることに決めた。
「お疲れ様です。大変助かりました。それでですね……」
「美鳳様、最近ご多忙だと伺っております。ですが無理はなさらず。こういうときのために影武者がいるのですよ。影に代わってもらえばいかがですか?」
「ですから私が――」
「ご安心ください! 私は本物と見分けがつきますので! 助力もできます!」
大見えを切る龍宝は既に目の前の少女が本物ではないことに気づいていない。影の影武者技能が卓越しているということに他ならないのだが、今は見分けてくれないことが腹立たしかった。
(このポンコツ将軍! 私は偽物なのに!)
思ったことをそのまま口に出そうとした瞬間、一紗が背後から掛けてきた。その姿を見つけた龍宝も長居は不要と考えたらしい。一礼して踵を返してしまう。
「では、私は地方への遠征があります故、失礼します」
「えっ……あっあー……」
彼は真実を告げる前に去っていってしまった。
結局孤軍奮闘しなければならないようだ。
「龍宝と何か話してたのか?」
「何にもならなかったです……いえ、何でもないです」
「――? よく分からんが……。蕾華から伝文が届いたんだ。【慶酒】の復興が完了したから見に来てくれないかってよ」
「成程。ちょうど近い内に視察を考えていたところです。伺いましょう」
傍盾人との行動は長く続きそうだった。
過労による免疫力低下で風邪をひいてしまった美鳳に
代わって影が職務を全うするお話でした。
影は普段他の《顔無》と同じ隠密として活動しています。
他メンバーと違う点は主といつでも入れ代われるように
活動圏が限られてることですね。基本は主の現在地と同じ町に潜んでいます。
美鳳と影の違いは素の口調ですね。
本物は敬語+人物名は呼び捨て
偽物は溜め口+人物名は敬称
ポーカーフェイスの影は内心を悟らせずに本物を演じます。
内心は冷や汗ダラダラなのですが……。
次回の後編は復興後の【慶酒】へ視察に行くお話です。




