居城を守る虚嬢
主力無き【愁国】の防衛戦が始まります。
居残り組の知恵と勇気が試されるのです。
刑楽と龍宝が鎬を削っていた頃、【愁国】は向かってくる【彎国】大軍勢を前に戦々恐々となっていた。
今、愁国の兵士は最低限の防人しかいない。
なんとしても自領へ入れないために国境線で防衛を行うしかなかった。
「美鳳様、大丈夫でしょうか? 今は龍宝様もおりませんし」
「安心してください。私には奇策があります」
勿論そう告げる少女は美鳳本人ではない。その影武者の〝影〟だった。
姫君の留守は武言の一部官僚しか知らないのだ。彼女は影武者の役目として領民に不安を与えないように冷静に振舞うことを徹底している。それも美鳳から伝授された作法だった。
(私の役目は美鳳様の身代わりを果たし、あのお方の留守を守ること!)
影は第一の計略を発動させる。土属氣巧術で隠していた大量の死体を地面の上に突出させたのである。これらの死体は【寥国】から《顔無》が回収したものだ。旅人狩りで殺された難民の成れの果てや一紗達が狩った【寥国】の悪しき領民達の屍である。
その惨い死に様を見た彎軍の歩みは緩慢になった。
「何と恐ろしい。……これ程のことをやった者がおるのか?」
「もしや、【愁国】には未だに戦力がおるのではないか?」
「――だとすればこの手勢では厳しかろう」
弱気になる将軍達を奮い立たせるのは【彎国】の領主、紅・子睿である。
「臆するな! 【寥国】の使者の情報では今【愁国】には戦力になる奴はおらん! これを機に【愁国】をいただき、我が【彎国】が覇を唱えるのだ! さすれば我らが旧領を取り戻せる!」
【彎国】は【寥国】と秘密裏に同盟し、見返りにかつて戦争で【彎国】から割譲された領土を返還するという約束をとりつけていた。故に彎軍兵士達の士気も高かった。
勿論、留守を狙って【愁国】を落とせたところで帰ってきた美鳳達に奪回されることは子睿も分かっていた。
しかし、彼としては【寥国】との密約を果たして旧領を奪還し、目障りな妹の出鼻を挫いてやれば良いという考えであった。
最悪、美鳳ら本軍が退き返してきたときに撤退すれば、適当な言い訳も立つだろうと浅はかに考えていたのだ。【寥国】に脅されたとか現場の兵士が独断で行ったなど、弁が立つ子睿は言い訳も用意していた。
子睿の記憶に蘇るのは都落ちして亡命してきた妹の宣言である。
『兄上、ご助力お願いします! 私は必ずや【愁国】を取り戻します! しかる後、天下統一を果たし、国家安寧を成したいのです!』
(女の癖にこの兄を差し置いて天下統一とは生意気なんだよ!)
彼は焦っていた。子睿は本当のところ、兄である鎧兜や満喰を非常に恐れていた。護帝覇兇拳の使い手と何度も戦争に敗れた相手だ。臆するのは無理もなかった。そして自領から遠く離れたところで覇を唱える五大民族の血を継ぐ兄弟達も恐ろしくてたまらなかった。帝国再統一など野心を抱けば彼らに目をつけられることになる。
(――冗談じゃない! あんな化け物共を相手にするなんて!)
小心者の本性を隠すために敢えて尊大に振舞っているのが紅・子睿という男だった。
しかしそんな彼が焦りを感じたのは美鳳の存在である。
最初こそ彼女の言葉を女の戯言だと聞き流していたが、彼女は自分が畏れた鎧兜を降伏させ、再び配下に加えた。
さらに今度は自分が勝てなかった満喰に戦いを挑んだのだ。見下していた妹が自分よりはるか先の次元へと歩を進めている事実に彼は憤りを隠せなかった。
(俺がお前に立場を教えてやる)
戦力が留守の【愁国】に侵攻することで兄・満喰へ恩を売り、すぐに撤退することで兄・鎧兜とことを構えず、妹があたふたする姿を見ることができる、そんな汚い考えだった。
子睿の動機はどうあれ、【愁国】が危機的な状況であることは変わらない。
第一計略の死体による脅しは僅かに進軍を止めたに過ぎなかった。
「止まりませんか。では第二の計略の犠牲になってもらいましょう」
進軍を続ける彎軍の前衛が突如吹き飛ばされる。それも一人二人ではない。練度の低い注意力が散漫した兵士は次々と爆発の犠牲になった。
「なんだ、何が起きている!?」
「土属氣巧術だ! 皆の者、用心せよ!」
影が仕掛けたのは『土属氣巧術・〈踏起爆陣〉』だ。予め仕掛けを組みこんだ陣を地中に印し、その陣の上を踏んだ敵を爆破する技である。早い話が地雷戦術だった。
これも彎軍の足を止めるのに役立った。
「小癪な真似を! すぐに地雷源を調査しろ!」
「はっ! 直ちに!」
しかし戦術が露見されれば対策もされる。探知能力に優れた彎軍兵士が地雷原を特定し、土属氣巧に覚えのある将兵が先に陣を攻撃して爆発させてしまうのだ。
この地雷掃討作戦により安全な進路を確保され、彎軍の犠牲者は地雷と接触した最初期の身に留まったのだ。
「どうしましょう、美鳳様!? 敵は止まってくれませんよ!?」
「三時間程度の時間稼ぎにはなりましたか。上々です」
「雷将軍や惡姫はまだ来ないのですか!?」
増援はこない。そんなことは主から作戦を聞かされている影はよく分かっていた。しかし味方にそれを告げれば錯乱状態になりかねない。影は不安を悟られないようにして第三の計略を発動させた。
「幻術・〈虚幻軍将〉」
影が発動させたのは殺傷能力のない幻術技である。自分の記憶の中にある兵士の幻影を産みだす技だった。勿論彼女が産みだすのは【愁国】の守護者、一紗、蕾華、龍宝、鎧兜と貴従兵達の姿であった。
「まさか!? 【愁国】の将兵が勢揃いだと!?」
「図ったな、【寥国】め!」
攻撃能力の無いただの幻影であるが、本物の武勇は敵を脅すには絶大な効果があった。
惡姫の蛮勇、《杜族》の圧倒的強さ、護帝覇兇拳の殺戮能力、貴従兵総大将の武勇。それは戦争に碌に勝てていない彎軍を怖気づかせるには十分だった。
このとき影が気をつけたのは龍宝の立ち位置だ。
子睿が彼に拘っていたのは聞いていたので、幻影だと見抜かれないために子睿から最も遠く、彎軍の新兵の多い場所に配置していた。
(子睿が幻影の調略に乗りだされれば返答しないことを不審に思われてしまいますが、この位置なら問題ないでしょう)
「こ、殺される!」
「撤退! 撤退だ! 早くしろ!」
普通なら質量の無さや色から幻影だと看破されてしまうはずだ。しかし影は努力し、その幻影の完成度を上げていた。また幻影が敵兵を殺さないという違和感を緩和すべく、彼らに殺される用の彎軍兵士の幻影をも生みだし、一紗達の幻影に抹殺させて見せたのだ。
味方兵士の顔を全て覚えている訳ではない彎軍兵士は血の気が引いていた。
また、この幻術の効果は敵兵の士気を削ぐだけに留まらなかった。
「雷将軍が来て下さった!」
「一紗姫、蕾華姫もお揃いだ!」
「護帝覇兇拳さえあれば恐れるものはない!」
防人の味方兵士達が率先して幻影の軍に加わりだしたのだ。心強い味方の登場に愁軍の士気は上がっていた。
さらにその乱戦に乗じて彎軍兵士に扮した間者を送り込む。彼らに嘘の情報を教えさせることで彎軍の動きを翻弄させた。おかげで彎軍は守りが硬い陣形に少人数で攻撃させたり、守りが薄い箇所を強固であると誤認させることができた。
「ゴホッ、けほっ、けほっ! ……まだです。もう少し」
殺傷能力がない幻術といっても大軍勢を誤認させるために広範囲で質の高いものを大量に作成したことで影は身体に負担を生じさせていた。元々《顔無》は直接戦闘を得意としていないのだ。彼女の身体は限界に達しつつあったが血反吐を拭って幻術を維持し続ける。
「ん? 今、敵将の身体が揺らいだぞ? もしや……」
子睿は恐る恐る鎧兜の身体に剣を刺した。そして全く手応えを感じなかったことでそれが幻術による偽計だとようやく気づいたのだ。
「皆の者! これは偽計ぞ! 敵は単なる虚像に過ぎん!」
(見破られた……!?)
愁軍防人たちは敵が自分達の士気を下げるためだと判断して聞く耳を持たなかったが彎軍は徐々に落ち着きを取り戻して愁軍防人達を切り倒していった。
「ふん、やはり留守は本当のようだ。これで【愁国】は落ちた! ハハッ! ハハハハハ!」
勝利を確信して自分に酔う子睿。彎軍は侵攻を止めない。
このままでは【愁国】は侵される。万事休すかと思われた。
――その時、子睿の耳にとんでもない知らせが舞いこんできた。
「我が【彎国】に【宍国】が攻め込んだ!? おいおいおいおいおい! 冗談だろ!?」
冗談ではなかった。中立を決め込んでいた【宍国】が突如【彎国】領土に侵攻したのである。今まで【彎国】の仮想敵国は【寥国】であったので【宍国】に対する備えは一切なかった。加えて【彎国】の最大戦力はこの【愁国】攻めに投入しているのだ。
「おのれ! 我が国の戦力が留守の間を狙うとは姑息で卑怯な奴らめ!」
「殿下、戻りましょう!」
「致し方なし! 者共、撤退だ!」
彎軍は【愁国】の村々を襲う前に反転して撤退を始める。
今の愁軍防人達に彼らを追撃する体力はなかった。
「ふぅ……どうにか、姫様の計略が間に合いましたね……」
影はほっと胸を撫で下ろした。
美鳳が【彎国】との密約締結の帰路に仕掛けた〝保険〟とは【宍国】の存在だった。かの国が珍しい妖魔が出没する【彎国】の領土を狙っていたことを美鳳も理解していた。
【彎国】が【寥国】に侵攻された際に領土割譲を条件に手助けを申し出ていたが【彎国】が突っぱねたという話は子睿本人から聞いていたことだ。
よって美鳳は使者を使って「手薄な【彎国】を攻められるぞ」と【宍国】の将軍達を唆していたのである。
また、【宍国】が予想外に早く動いたことには一紗も関係していた。
使節団は一紗と交わした「今後【愁国】と仲良くしてくれたら嬉しい」という口約束が【宍国】の決断を早めたのである。
大軍が撤退していく様に安堵した影はその場で倒れかける。地面に体を打ちつける前に戦場から戻った鬼面の《顔無》がその体を支えた。
「美鳳様なら……ゴホッ、もっと犠牲をなくし、て上手く……やれたのに……」
「上出来だ、影。そなたは役目を果たしたのだ。今はゆっくり休め」
影武者の活躍で【愁国】は存亡の危機を脱した。
愁軍主力はその報を受けて歓喜し、【寥国】攻めを加速させる。
本来直接戦闘向きではない影ちゃんが策略と幻術を用いて
命を削りながら国土を守り切りました。お疲れ様です。
【宍国】は【愁国】と同盟関係にありませんでしたが
かの国が【彎国】を攻めてくれたおかげで【愁国】は助かりました。
【宍国】が動いた理由をまとめますと
・珍しい妖魔が出る湿地帯が欲しかった。
・美鳳がかの国の有力者達をそそのかして【彎国】が不審な動きをすれば叩くように計っていた。
・一紗が特使に恩を売っていた。
という感じです。
※雑な勢力相関図イメージ更新です。
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↑「中立破棄&侵攻」
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【宍国】
【彎国】が【寥国】と結んだ理由は前話のあとがきで記載した通りです。
本編では領土返還の見返りに密約していたとだけに留めました。




