牙王との出会い
師父・牙王さんとのエピソードです。
振り仮名は漢語読み。
一紗は飛び起きた。そこは複数の子供達が雑魚寝している牢屋だった。皆一様にみすぼらしい恰好をしている。
(そうか……。ここは奴隷商の荷台の中だった。売られるのは何度目だろう? これが今の俺の現実か……)
鉄格子を掴むが、自分の幼い膂力ではどうすることもできなかった。
「ギャ――!」
「なんだ?」
叫び声が聞こえたのは荷台の前からだ。鉄格子から上に被せられた藁を掻き分けると、奴隷商人が殺されていた。そして夜闇には松明の炎に醜い山賊達が照らされていた。
鉄格子は無理やり壊されて開けられる。そして発育が整った十代半ば以上の子は山賊達に掴みだされていく。他の山賊達も群がってきた。
「けっ! ほとんど使えねぇガキどもじゃねーか。兄貴! さっさと売り払いましょうぜ」
「そうだなぁ。酒代程度にはなるか」
どうでもいい会話が聞こえてきた。
手籠めにされる女性達を見た一紗は「自分ももう少し成長したらああなるのか」と回らない頭でぼんやり考えていた。
不意に一紗の手が強引に引かれる。
呆気にとられたまま牢から掴み出されてしまった。
「え?」
持っていたナイフを捨てて馬乗りになってくる男。それは野獣のような目だった。
一紗は失念していた。ここは常識が通じる世界ではない。
子どもだから貞操が安全ということはないのだ。
(殺されたくないっ!)
一紗は自分に夢中になっている男のナイフを拾うと、彼の喉笛に突き刺した。
「がっ……ゲホッ……な……」
一紗が初めて人を殺した瞬間だった。襲ってきた男は大量に吐血して絶命した。男の断末魔を聞いて仲間たちが駆け寄ってくる。
「こいつ! 宏業を殺りやがった!」
「ガキのくせに! ぶち殺しちまえっ!」
運よく一人を殺しても多勢に無勢。勝てる見込みはなかった。
(生まれ変わったら元の世界に戻れるかな?)
ぼんやりとそんなことが脳裏に掠める。死を覚悟して目を閉じた。
「やめろ」
一紗に向けられた刃は、ある男のたった一言で止められることになった。発言したのは盗賊達の頭と思われる恰幅の良い男である。毛皮の衣を羽織り、獅子の顎骨を首飾りのように身に着ける彼はまさに野獣の王という印象を与えた。
男の鎧は全て妖魔の部位から作られている。
それがもし、彼自らが倒した戦利品であるならば相当の強さが窺い知れる。
否、醸し出す圧倒的覇氣から考えて全て彼の手で殺し、奪ったものなのだろう。
「ガキのくせに急所を一撃とは面白い。気に入った。お前、名はなんていうんだ?」
男の闘氣に気負わされた一紗は唇を動かすことができない。
「ん? 話せんのか?」
千歳一隅のチャンスに男の反感を買いたくなかった一紗は、自分が殺した男の血を使って、震える手で地面に『一紗』と名前を書いた。盗賊の頭はその名を漢語風に読んだ。
「イーシャ? それがお前の名前か。おい、他のガキ共は売り払っとけ。コイツは俺様が貰う」
盗賊団の親玉は名を袁・牙王と言った。破落戸共を束ねる男は洞穴に一紗を案内する。彼はドスンと岩に腰かけると、凄まじい眼光で一紗を睨んだ。
「さてイーシャ。お前の今後だが……」
「……ひっ! 襲わないでくだ……さい」
「そう怯えるな。取って食おうってんじゃない。俺様は宏業みてぇな趣味ねーからな」
胸を撫で下ろす一紗に牙王は言った。
「これから命と貞操の安全は保障してやる。飯もやろう。代わりにお前には暇つぶしの相手になってもらう」
「暇……つぶし?」
「ああ。ちょっとした余興だ。お前の力を育ててみたくなった」
牙王は幼年でありながら大の男を一撃で屠ったのを見て興味がわいたようだ。
彼は盗賊行為の合間を見つけては一紗に戦い方を教えてきた。教わったことは主に近接格闘術と氣巧術の基礎である。
「人間の体には氣と呼ばれる力が宿っている。生命力そのものといっていい。本来は経絡を通って体を循環するだけだが、それを活用するのが氣巧術だ」
それは一紗が以前漫画で読んだ知識に似ていた。その上、異世界に来てからは盗賊が不思議な力を使うのを何度も見ているのですぐに理解して頷いた。
「氣巧術は用途として格闘術の強化が一番多い。賢い奴は五属性、即ち木火土金水の性質を持つ術を使うこともできる」
「……五属性?」
「他にも幻術や呪術、治療術にも利用できるって話だが、そんなもんは重要じゃあねぇ。強ささえあれば全てを打ち砕ける。今日からその基礎を叩きこんでやる。死ぬ気で覚えろ。途中で死んだらお前はその程度の人間だったって訳だ」
「は、はいっ!」
牙王はスパルタ教育ではあったが、一紗は彼の機嫌を損ねないように、また生きる力を得るために必死で食らいついた。短気な牙王は一紗が動かなくなると興味をなくしたが、その日の機嫌でまた修業をつけてきた。
一紗は彼の率いる盗賊団の略奪行為には加担せずに、彼らが盗賊行為をする合間に自主鍛錬に励んだ。辛くもあったが不思議と袁・牙王との修業時間が一番満ち足りていたのかもしれない。彼は少しずつ技を身に着ける一紗を可愛がった。
また、牙王に教わったのは戦い方ばかりではなかった。
「いいかイーシャ。よく覚えておけ。弱者に正義を語る資格はねぇ。この世界では自分の存在意義は自分で証明しなきゃならねぇ。お前が俺様の目に止まったのも強さを証明したからだ」
日本で生活していた頃なら理想論を持ってその考えを否定したが、この世界に来て碌な目にあっていない一紗には彼の考えを否定できなかった。
「お前もこの修羅共が蠢く国で女として生きていくなら、死ぬ気で強くなれ。男よりも帝よりも誰よりも。この国にゃ負け犬に居場所はねーぞ」
彼の教えは辛い現実に立ち向かうための指針となり、この世界に馴染んできた一紗の心に深く根付いた。
一紗は袁・牙王の下で四年間生活した。
その生活が終わりを迎えたのは討伐部隊が紅華帝国中央より派遣されてきたためである。
討伐部隊の大将は濁った金色の眼をした黒髪の男だった。彼の率いる紅の旗印を掲げた軍隊は、瞬く間に牙王の根城となっていた村を制圧してしまった。牙王盗賊団は氣巧術を扱えるものが多く、ならず者の中では強い方だったが、討伐隊は赤子の手を捻るように盗賊団の首を取っていった。
牙王は一紗に担がれながら村近くの小さな洞穴まで敗走した。
「グハッ……ゲボォッ……」
傷ついた彼は胸を押さえて大量に吐血する。
誰がどう見ても致命傷だった。しかし刀傷ばかりではないようだ。
顔色が蒼くなる程変色している。
「牙王さん! 大丈夫ですか!?」
医療器具もなく、治療術も使えない一紗は彼の背中をさすってやることしかできない。
「野郎……呪術を仕込んでやがったか……。どうやら俺様もここまでのよう……ゲフッ!」
「牙王さん、しっかり! 貴方にはまだ教えてもらいたいことが沢山あるんだ!」
「ふっ、甘ったれたこと言ってんじゃねーよ……。そんなんじゃあ俺様が死んだ後三日と持たんぞ。見ろアレを……」
そう言って彼が指さしたのは洞穴から見える村だった。盗賊団を討伐のため村に来た役人達が牙王の部下達を残虐に殺している。
「盗賊共は皆殺しだ! 戦利品を奪え! 全ては帝国の所持品となった!」
「げへへ、流石将軍、話が分かる。 おいっ! その女は俺が目付けたんだぞ! よこせ!」
「早い者勝ちだっての!」
彼らはあろうことか、保護するべき女達に狼藉を働き始めた。略奪と蹂躙に勤しむ腐敗役人達。善良な村人まで不都合な目撃者として殺されている。
「どうして……? 女の人の保護もせずに……役人なんじゃ?」
「目に焼き付けとけ……。この国では役人も……信用できん。お前は誰にも気を許すな。俺様が育ててやった……ケホッ……基礎の力を、もっと磨いて自分だけの強さ……を手に入れ、ろ」
牙王を師として慕っていた一紗は彼の手を掴みながら涙を流す。
弱かった自分に氣巧術と武術を叩きこんでくれた彼を心から敬愛していたのだ。
「イーシャ、自分の、力で生き残ってみろ。俺さまも……そうし……た」
最期にそう言い残して牙王は笑いながら絶命した。後に残ったのは深い悲しみと治安の悪い国を作った帝への憎悪だった。
十一歳の一紗はその日から強さを求めて旅に出た。未熟な氣巧術と格闘技を磨いて強かに生き残ってきた。時には弱い子供のふりをして氣巧術の秘術書を盗み、ある時は盗賊に敢えて捕まって彼らの扱う技術を見て盗んだ。
無論自分より強い人間にも沢山会った。命と貞操の危機に何度もあった。旅の最中で気を許した相手が殺されたり、裏切ってきたりしたことさえもあった。その度に牙王に言われた言葉を思い出し、泥水を啜りながら生きてきた。
鍛錬の果てにある程度強くなってからは逃げることも隠れることもやめた。自分に牙を向ける相手は、地方役人も盗賊も関係なく容赦なく皆殺しにするようになった。
そうして廃城を根城に決めた頃には、残虐で敵を皆殺しにする美しい姫君、〝惡姫〟として世に知られるようになったのだ。
出会いからの別れ。
良くも悪くも一紗に影響を与えた人物です。
出番が少なすぎましたが、お気に入りなのでどこかで追加執筆するかもです。