困惑する異世界生活
一紗の苦難ですね。現在における惡姫の人格形成に繋がる経緯です。
この世界に飛ばした神様は意地悪です。
※ちょっと辛いかもしれません。
――物語は愛澤一紗の意識が異世界へ飛んだ場面へと回帰する。
「――ついに来たぞ。本物の異世界。チートな力を使って無双して……」
そこで一紗は自分の頭身が低すぎること、発する声が高すぎることに気づいた。手の平を見てみると、まるで幼児のような小ささだった。視線をさらに下げて足を見ても同じだ。というよりも幼児そのものだった。
「まさか……」
近くに民家がなかった一紗は泉に自分の姿を映した。
「なんだコレ……」
そこに写るのは紛れもない幼女の姿だった。確かに神への要望通り綺麗にすれば端整な顔立ちであり、今後の成長は楽しみな容姿ではあった。だが現在身に着けている着物はほとんどボロでみすぼらしい。さらによく見ると手足には擦り傷があり薄汚れている。
「異性を魅了する美形とは言ったが、こんなに幼い女の子なんて……」
急に不安になった一紗だったが、すぐに調子を戻した。
性転換は予想外であるが容姿が美しいため悪感情は抱かなかった。まだ大きな性差を感じない幼子であったという点も混乱を緩和した要因だろう。
幼いなら周りの大人に守ってもらえばいいとポジティブに考えたのである。来るべき日が来るまで親の庇護下で教育を受けて力を蓄えればいい。
一紗は人気のある場所を探す。少し離れた場所から人の話す声が聞こえてきた。
(やはり近くに村が? こんな幼女が一人で遠くまで外出するわけないもんな)
その読みはあたりだったようで藁の屋根の家が並ぶ村らしき場所に出た。村人は中華っぽい服装をしている。
キョロキョロする一紗を見つけた三十代後半くらいの女性がいきなり怒鳴りつけてきた。
「**○▲*~~! ××※▲!」
「???」
態度から何か怒っているのは分かったが、何と言っているのか理解できなかった。異世界故の言葉の壁にぶつかったのだ。
女性も最初は一紗がとぼけていると思っていたようだが、言葉が通じないことを理解したようで驚いていた。一紗は自分を怒鳴りつけた年配の男女と、その息子らしき青年が暮らす家にお世話になるしかなかった。自分とは似ていないが家族なのだろう。
「ど、どういうことだよ、神様。言語くらい分かるように調整してくれないと……」
幸い、頭をぶつけて記憶と言葉を忘れたと解釈してくれたらしく、そういうものだと扱ってくれたようだ。
「もうあきた……。何だこの世界? 洋風魔法ファンタジーじゃないじゃん。どっちかというと中華風の感じだし。やっぱりただの夢かなぁ?」
しかしこの世界は夢ではなく現実だった。眠った後目覚めても見慣れた日本の風景はなく、自分の体も幼女のそれだった。
「とりあえず、ここで生活しろってことか?」
一紗は幼いながら農作業や裁縫の手伝いをさせられることになった。一応学生時代に田植えは経験していたし、家庭科で人並みに裁縫はできたので苦労はしなかった。むしろ父と母と兄はその器用さに驚いているようだった。
やがて二月経つ頃には完全に言語が分かるようになっていた。しかし言語を理解したことを少し後悔した。なぜなら自分はとても冷遇されている立場だと理解したからだ。
「ふん、お前は将来息子の嫁になるんだから、精々役に立つようにするんだねっ!」
「孤児を育ててやってるんだから恩を返せよ!」
自分が親だと思っていた二人は養親だった。彼らの話を統合すると、捨てられていた自分を拾い、息子の嫁にするために面倒を見ているようだ。
「恩着せがましい奴らだ。しかもアンタらの息子と俺は十以上年が離れてるだろうに」
今の一紗は力が弱く庇護対象故に彼らに歯向かうことができなかった。一度本気で抵抗したときがあったが、ボコボコになるまで殴られてしまった。
「親が恋しい。俺の親は優しかったな。それにメシも一日三度あったし……」
空腹を押さえながら農作業に戻る一紗。
義理の親に怒鳴られるのも、奴隷同然にこき使われるのも嫌だったが、何より嫌だったのは醜悪な義理の兄との入浴である。幼児の体故に直接手は出されなかったが、ベタベタと肌を触り、厭らしい目で見てくる義理の兄に嫌悪感を覚えていた。
「お前は我が家に尽くし、息子の嫁になるんだ。そのためだけに生きるんだ」
義理の親はことあるごとに同じことを言ってきた。
「ようやくわかってきた。名も付けられず実の親に捨てられ、義理の親に虐待同然にこき使われて、キモイ男の嫁認定されている。だからこの体の持ち主は異世界に救いを求めたんだ」
一紗は確信した。名もない〝彼女〟はこの地獄から逃げるために異世界を望み、一紗と精神を入れ替えたのだ。一紗は現実世界に飽きて神に異世界を望んだが、彼女は本当につらかったから逃げ出したのだ。
「これからどうしようか……。また望んだら神様が元に戻してくれるかな?」
一紗は再び異世界を求め、神に祈ることが日課になっていた。
そんなある日――。
『カンカンカン!』
けたたましく金属を叩く音が聞こえる。
「な、何だ?」
音源を辿ってみると、高台の方から叫ぶ男の姿が見えた。
「山賊だァ――!! 戦える者は武器を取れー!!」
「山賊!?」
高い場所に上って見てみると、確かに武器を持った男たちが村まで迫って来ていた。
幸いなことに村には刃物や長物、弓矢等の武器が沢山あった。女子供は屋内に隠し、男たちは武器を取って山賊との戦いに備える。
「ぼ、ぼくもいかなきゃ!」
義理の兄も槍を持って出陣していく。
ちょうど門が突破され、山賊が雪崩れ込んできた。そのまま村の男達と激突する。男達は勇敢に武器を構えて対峙する。
数も武器も山賊より多かった。
――しかし。
「な、なんだアレ?」
一紗が見たのは珍妙なものだった。それは地面を盛り上げて壁を作り矢を弾く者、手から空気砲のような波動を発して村人を吹き飛ばす者、火の玉を放出して家屋に放火する山賊達の姿だった。
「ギャ――――!!」
「ぐわぁ!」
村の男達は簡単に蹂躙されていった。
そこで一紗は思い出した。『魔法のような能力が存在する世界』を望んだことを。
「なんで……山賊が村人を襲うために使うんだよ? ……魔法はもっと化け物退治とかに使う崇高なものなんじゃないのかよ……?」
あっという間に戦いは終わった。村人の敗北という最悪の形で。
年老いた者や男達は皆殺しにされ、女達は山賊達に囲まれていた。山賊が邪魔で彼女達の姿は見えなくなったが、かつて大人の男だった一紗には彼女達がどんな目に遭っているかは察しが付いた。
一紗を含む子供達は牢屋に入れられて荷物のように運ばれる。曲がりなりにも自分を養っていた養父母と義兄は死体として転がっていた。
「あいつら……人間じゃない!」
幼い一紗からすると欲望のまま暴虐の限りを尽くす彼らが人の皮を被った化け物に見えた。
一紗は今の自分が何者かようやく理解できたその日に商品として売られることになった。異世界に来て三カ月目の日のことだった。
売られた先は飢饉で子供が死んだ家だった。最初の家と同じような扱いではあったが、彼らとの付き合いはさらに短かった。近くの内戦に巻き込まれて村が滅んだからである。子供の身では生きていけず、またすぐに人攫いに捕まってしまった。
それからも『攫われ』『売られて』『こき使われ』を何度も経験することになった。自分を買った奴の顔も名前も覚える必要はなかった。どうせまた自分の所有者は変わるのだから。
下働きとして裁縫や農作業に勤しみながら一紗は神に祈り続けていた。
一紗が異世界で生活して分かったことは、この世界が古代中国に似た世界であり、この国の名を紅華帝国ということ。動物の他に妖魔と呼ばれる化け物が存在し恐れられていること。そして〝氣巧術〟と呼ばれる妖術・武術が存在するということである。
かつての世界の娯楽漫画でよく見た摩訶不思議な大陸国という感じだ。漫画と違うのは治安が悪すぎるということである。氣巧術を扱う山賊が村を襲い、女に乱暴し、子供を売りさばく。そんなことが日常的に起こっているのだ。一紗は獣的な妖魔よりも氣巧術を扱う盗賊を恐れた。
一紗が奴隷労働に従事する間もこの国は内戦も何度も起こっていた。それなのに、国を治める公務員的な役員の姿は一度も見ることはなかった。
悲嘆に暮れる絶望の日々を送り続けたある日、祈が通じたのか神が再び夢枕に立った。
「ドウデスカ望ンダ世界ハ?」
「ふざけんなっ! 元の世界へ返せ! 俺はこんな世界は望んでいないっ! 俺の人生を返してくれ!」
だが神は冷淡に告げる。
「不可能デス。アナタノ人生ハ既ニソノ体の持チ主ダッタ彼女が引キ継イデマス。ソシテ彼女ハ食ト家族ト平和ニ満チタ世界ヲ、愛澤一紗トシテノ人生ヲ手放シタクナイト……」
「何言ってんだよ! この体の持ち主って言えば幼女だっただろう? 大人の男の人生なんて嫌に決まってるじゃないか! 言葉の壁も知識の壁もあったはずだ!」
「全テ彼女ハ克服シマシタ。初メハ苦労シテマシタガ、平和ナ世界ヲ愛シ、大好キナ学問ヲ収メ、喜ンデイマス。知恵ノ遅レモ取リ戻シマシタ。周囲ハ一時的ナ記憶喪失ト幼児退行ダッタト判断シタソウデス」
ようやく神に会えて元の世界に帰れると思ったが、既に自分の体に入ったその人物は一紗の人生をモノにしてしまったようだ。その事実を提示された本物の一紗は怒りに拳を握った。
「ふざけんなよ……愛澤一紗の体も、家族も、人生も、全て俺の物だったはずだろ? 今すぐ元に戻せよ!!」
「無理デス。異世界同時人格移植ハ、入レ替ワル人間双方ガ了承シテイル必要ガアリマス。ダカラ以前、最終確認シタノデス」
確かに思いだしてみるとそのような情報処理をしていた記憶がある。だがここで引き下がれるわけはなかった。元の世界に戻る唯一の手段なのだから。
「頼む! 体の持ち主と交渉してくれ!」
「不要デス。彼女、否、彼ハ交渉ニ応ジルツモリハナイソウデス。伝言ヲ預カッテイマス」
そう言って神は何かの音源を再生した。
『素敵な人生をくれてありがとう。物好きさん』
それは男だった頃の一紗の声だった。とても幸せそうな声だった。一紗は今日まで名も無き彼女の人生を体験した。彼女の悲惨な人生から逃げ出したかった。今の状況こそが異世界の一紗と入れ替わる前の彼女の人生そのものだった。
温かい飯の美味しさ、福祉のありがたさ、娯楽の面白さ。
手放して初めてそれらが大事であり、自分の人生が幸せに満ち足りていたことを自覚した。
自分も早く逃げ出したい。だが世界がそれを許さない。今の不幸な現実から見ると一紗の人生は楽園だった。楽園に逃れた者が再び地獄に戻りたいと思うはずなどなかった。それを理解した一紗は発狂した。
「いやだぁぁああああ! いやだいやだいやだ帰りたいぃぃぃ――!!」
泣きわめく一紗を見下し沈黙する神。一紗は藁にも縋るようにその足を掴む。そして壊れた人形のような表情で訴えた。
「ねぇ神様ぁ。人格移植って別に元の体じゃなくてもできるんだよね? だったら誰でもいい。他の人と入れ替わらせてよ……元の世界じゃなくていい。ここよりも平和な世界を……」
「ワカリマシタ。検索シテミマショウ」
「……ありがとう、ございます……」
神の寛大さに感謝する一紗。もうどこでもよかった。目の前の地獄から逃れられるなら、治安のいい世界にいけるならば、例え容姿が優れていなくても、才能に恵まれていなくてもよかったのだ。次の神の采配が終わった時、もう自分は泥を啜らなくてもいい。悪意を向けられない優しい世界が自分を待っているのだ。
期待と安心感に包まれた一紗は神の次の言葉を待った。
「――ゼロ件デス」
「……へ?」
「平和ナ世界デ今ノアナタト立場ヲ入レ替エタイ者ハゼロ人デス」
それは絶望的な答えだった。
「で、でも! 俺みたいに異世界に行きたい人間はいるはずだろ!? 俺は元の世界でも散々見てきたんだ! 異世界に行きたいって言う奴を!」
「口デハソウ言ッテイテモ実際ハ今イル世界ニ未練ガアルノデス。無自覚ニネ。……家族、恋人、仕事、娯楽、文化、人ハ無意識的ニソレラヲ愛シテイルノデス」
膝をついた一紗を見下しながら神は消えていく。一紗はその光の粒子を必死に掴もうともがいた。
「ま、待ってくれ! 何でも言うことを聞く! だからいかないで!」
「コレハアナタガ望ンダ世界デス。ソコガアナタノ唯一ノ居場所……」
夢の野原で神の声が木霊した。
過去回想もう少し続きます。
次回、師父との出会いです。