妖魔王の置き土産
窮奇を退けた一行でしたが
彼の遺した置き土産はひどいものでした。
復活した窮奇を辛くも再封印できたのは幸運だった。
だが妖魔王が残した爪痕は大きかった。
修練者達は悪意の増幅は解けたものの、一紗や老仙に散々痛めつけられたので修業どころではなくなっていた。安静を義務付けられていたのに〈仙闘氣〉を使用した鴻堂は勿論全身筋肉痛に襲われている。
老仙が氣の流れを正常に戻したが、彼らはすぐには回復しない。少しずつ慣らしていく必要もあるし、外傷を治すには美鳳の治癒術が必要不可欠だった。
「すみません、俺たち……」
「どうも自制が効かなくて申し訳ありませんでした」
「謝らなくていいです。逆風の窮奇相手に死者がいなかったのは幸運でしたから」
太古の歴史では軍そのものどころか国そのものが窮奇の手に落ちることも多かったし、討伐されて尚、多くの自殺者を出したのだから今回は快勝といえるのかもしれない。
「でも、どうして今暴れ出したのかしら? そのまま後千年くらい眠っていればもっと回復して力を取り戻していたんじゃないの?」
「奴は俺を牛魔王と誤認して話しかけてきた。自分が蘇っているのを意図せず明かしちまったんだから覚悟を決めたのかもな」
「お主がここに来訪しなければ窮奇は虎視眈々と復活の機会を狙い続けておったのかもしれん。本当に感謝しかない。……まったくワシも耄碌したもんじゃ」
老仙は窮奇復活を察知できなかった自らを恥じているが、彼が無能だったとは断言できない。既に窮奇は太古の昔に最強の開祖の手によって封じられている。彼も窮奇復活の懸念を文書等で残していたわけではないので完全に気を封じられた状態から蘇ることは想定外だったはずだ。弟子や子孫たちは開祖が完全に討伐しているという先入観があるし、「開祖が討伐しきれなかったのでは?」と疑問を抱くこと自体不敬だと自制する空気があった。何代も前からずっとそうだったのだ。
窮奇の首が安置されていた部屋の空気が悪かったのもかつての妖魔王の首があるのだからそういうものだと誰もが認識していた。
加えて窮奇自身が覇兇拳を警戒して息を殺していたのも大きい。
仮に復活できても現代の免許皆伝覇兇拳使いに再封印されては元の木阿弥だからだ。辛酸を舐めた敗北者故にその警戒心も凄まじいものだっただろう。
「自分を責めるのはやめましょう。この際、今抑えられたことは僥倖ととるべきでしょう」
「ワシも鴻堂もしばらく〈仙闘氣〉は使えんがな」
「俺もこんなに長時間〈深更〉を維持したのは初めてだ。全身の筋肉が悲鳴を上げてる。ちょっと療養が必要だぜ」
「それなら私が介抱してあげるー」
疲労の少ない蕾華はこれ幸いにと一紗に膝枕をする。
大きな戦闘の後だというのに信じられないくらい緩い空気である。
ジト目で蕾華を見ていた美鳳は大きなため息をついた。
「まずは窮奇の頭をどうにかしなければなりません。氣を封じただけでは復活するのですから」
「どうせ千年後とかだろ? その時代のことはその時代の人間に任せりゃいいだろ」
「未来に火種を残すことが得策とはいえません。できることは今の時代から対処すべきです」
美鳳の指摘はもっともである。だが問題はその手段が中々見当たらないことだ。
なにせ窮奇の頭部は頑丈すぎるのだ。
「頭を完全に破壊できればいいのだけれど……」
「無理じゃろうな。開祖が駄目だったと手記に残している。じゃからワシは最初から氣を封じるように技をかけた」
「〈鬼神招来〉の全力でも傷一つつかなかったんだ。悪意の塊が形を成してるとか言ってたし、覇刃斬や海亘でも破壊は無理なんだろう」
「――だとすれば、完全封印するまで。幸いにも既に《九妖王魔》を共に封じた実績のある仲間がいます」
一紗と蕾華もその人物に心当たりがあった。同盟国である【宍国】の《巫族》達だ。封印術に長けた彼らは既に《九妖王魔》の一柱たる崩界童子を封印・管理している。
彼らならば窮奇の危険性を理解し、どんなに多忙でも力を貸してくれるはずである。
その期待通り、転伝識字で文を飛ばすと「すぐに向かう」と返事が来た。
「後は彼らの到着を待つだけですね」
暗雲はすっかり消えて快晴の空が広がっている。
まるで窮奇が蒔いた悪意の種が消え去ったかのようだ。美鳳の治療を受けている《膂族》の中には心が軽くなったと訴える者も少なくない。
妖魔王が沈黙したことで悪意の干渉が消えた影響だろう。
直接洗脳を受けなかった老仙も清々しさを感じていた。
「天征活殺拳が覇兇拳に名を改めたのは千年前……その時には少しずつ窮奇の干渉があったとしたなら秀英も……」
出会ったばかりの秀英はとても優しい少年だった。門下生になった後も彼は兄弟弟子達を常に気にかけていた。たとえ二大本家が考案した忌むべき制度があろうとも、それで悪に堕ちるとは思えなかったのだ。今なら腹を割って話すことができるのではないかという希望が湧いて出てきた。
「あの子は本来人格者。妖魔王の影響を受けていたとしたら狂気に走ったことも説明がつく」
「師父、秀英は……」
「分かっておる。お前の家族を殺したのは秀英自身。そのことについては償わせる。じゃがもう一度……もう一度だけ話をしようと思うておる」
「奇遇ですね、師父。俺も同じことを考えておりました」
返事をしたのは鴻堂ではなかった。
それは道場の門付近から歩いてきた青年の声だった。以前とは違い優しい声音で敬語で話してくる。本家の血筋と見るや襲い掛かってきた狂気はどこにもなかった。
「……秀英」
老仙は傷ついた体に鞭打って彼の下へと歩み寄っていく。
元々血筋ではない彼に対して差別意識などなかった。本家からの圧力を受けていたのは事実であるが、秀英の才覚は素直に認めていた。秀英もまた本家関連の出来事がなければ老仙を敬っていた。ほんの少し些細な行き違いがあったにすぎない。
同じ立場の鎧兜と和解で来たのだから秀英とも手を取り合えるはずだと光明が差していた。
「本家筋のゴタゴタにお前達を巻き込んで申し訳ないと思うておる。夢半ばで命を落とした子達への墓参りも欠かしておらん。じゃから――」
「ええ、わかっていますよ」
近づいてくる秀英は輝く笑顔を向けてくる。
彼はもう憎悪を抱いてはいないのだと老仙は涙を浮かべた。
「やはり、お前も窮奇の干渉を受けておったのじゃな! そうなのじゃろう!? でなくてはお前程の男が罪なき女子供を手にかけることはすまい!?」
二人の距離が抱擁を交わせられるほどに縮まった時、秀英からふっと笑顔が消える。
だが戦いに傷つき、愛弟子と和解できると希望に満ちた老仙はそのことに気づいてはいなかった。
「殺気!? 逃げろ、爺さん! ソイツは――」
まだ体を上手く動かせない一紗が大声で叫ぶも、その時には遅かった。
老仙は〈仙闘氣〉を発動する間もなく秀英の狂拳をその身に受けたのである。
「ガハッ! ……シュウ……イン?」
「この機を待っていた。俺は誰の干渉も受けていない。俺は俺の意思でアンタら一族を殺したいと思っている」
彼は窮奇との戦いに消耗し〈仙闘氣〉を使用できなくなる時をずっと窺っていたのである。
他の者達も傷ついた体で止めに入ることはできず、ただ老人が嬲り殺されるのを見ていることしかできない。老仙本人は弟子が自らの意思で狂気に走ったという事実に絶望し、反撃も覚束ない状況である。
「耄碌したな爺。とどめだァ!!」
致命の経孔を狙った最後の一撃は老体に接触する前で制止した。
秀英本人が止めたわけではない。彼の腕が別の人物の大きな手に捕まれていたのである。
「やっと見つけたぞ、秀英。師父に手出しはさせねェ」
「鎧兜……! この期に及んで俺を阻むのか!?」
「お前が師父を殺すつもりならそうなる」
「……やはり爺を消すにはお前から殺す必要がありそうだな」
「秀英! オマエ――」
再会したばかりの時は親し気に話しかけてきたのに今となってはかつての友人も目標を阻む妨害者としてしか認識していない。
改心を期待し謝罪する師を、傷つき油断した老人を騙し討ちする形で殺そうとした旧友の蛮行に鎧兜は痛感してしまった。もう昔の優しい秀英はいなくなったのだと。
「千載一遇かと思ったが失敗だったな。……此処では邪魔が入る。鎧兜、あの場所で決着をつけよう。生き残った勝者だけが夢を掴みとる。待っているぞ」
そう言い残して秀英は森の中へと消えた。
残された老仙は出血と弟子の狂気に呆然となっている。鎧兜の処置が正しく迅速であったため命は繋ぐことが出来たが、しばらくまともに戦えないのは明らかだった。
「……結構遠出してたんだが、禍々しい気配が道場の方から感じたからあわてて引き返してきたんだ。まさかガキの頃に見た窮奇の首が生きてやがったとはなァ」
「ああ。俺も話しかけられるまで分からなかったからな。鎧兜や爺さんたちが気付かなかったのも無理はねーさ」
「既に氣はお爺さんが封じたけれど万全を期すために赦鶯達を呼んで封印術を施すことになったから」
「あの厄介な妖魔王を後世に復活させるわけにはいきませんからね……」
鎧兜の脳裏には【宍国】で戦った崩界童子や【倭国】で交戦した牛魔王の血を組む覇刃斬の姿が浮かんだ。双方単騎では勝てなかった強者である。
そこから同じく《九妖王魔》に数えられた窮奇の実力を推し量り大きなため息をついた。
「あそこまで弱った師父を見たことがない。それだけ窮奇のヤローが強かったんだろうなァ」
「それだけではありません。老仙さんは秀英の暴走は窮奇の干渉によるものだという希望的観測に基づき不用意に接近しました。最初から警戒していれば結果は違ったでしょう」
「ケッ、お花畑の美鳳に指摘されるようじゃァ師父も焼きが回ったもんだ」
表だって悪態をつくものの、心内では師の心情も理解できていた。
実際自分が師の立場で窮奇と交戦した後、秀英に会ったなら同じ行動をとっていたに違いなかったからだ。
部屋を出ようとする鎧兜をか細い声が呼び止めた。
「待て、鎧兜。……秀英を討つのか?」
床に伏した老仙が首だけを向けて問いかけてきた。
鎧兜は振り返らないまま首肯した。
「ああ。窮奇はただの切っ掛けに過ぎなかった。アイツは変わっちまった。本家の血筋を絶やすためなら手段を択ばない冷血漢だ」
もう二大本家の直系は海亘、雲深、鴻堂、老仙の四人しか残っていない。
彼らに関わりさえしなければ冷静で優しい良き武人であるが、彼らを殺すためならば我を忘れる現状では放置するには危険が過ぎる。
交渉の機会は何度もあった。それでも彼は目的を変えなかった。世のため人のために窮奇と戦い傷ついた恩師をも騙し討ちするくらいに落ちぶれてしまったのだ。
「せめて俺の手でケリをつけてくる」
世話になった友を殺すのは相当な覚悟がいる。それも相手は自身と互角以上の実力者だ。躊躇いは死を意味する。それでも鎧兜は秀英との決着をつけることを望んだ。
「あいつも先に俺を殺すと言ったし、待ち構えているはずだ。だが俺の留守中に戦えねェ師父や鴻堂を暗殺しようと手下共を差し向けてくる可能性はある」
「分かった。留守は俺達に任せろ。まだ万全じゃねーが、あのアホ共に後れを取る程弱っちゃいない」
「俺達も戦います!」「《仙絶血砕流》は師の仇故」「此処はお任せください!」
病み上がりの修練者達の中でも回復が早かった者達が立ち上がる。彼らも一紗の修業で心身ともに強くなったのだ。成長した状態で窮奇の手駒に堕ちたのは大誤算だったが、今度こそ《仙絶血砕流》相手に拳を振るってくれるはずだ。
「悪ィな。……そンじゃァ行ってくるぜ」
一足飛びで道場から山の方へと駆けていく鎧兜を皆で見送る。
既に太陽が山の影へと沈み、夜の帳が降りてきていた。
「止めなくて良かったのですか? 秀英は門下生時代、兄上より強かったと聞きますが」
「誰も鎧兜が敗ける心配なんてしてねーさ……。心配してるのはアイツの心の方だ」
「幼馴染の親友を……というのはきついと思うわ」
外弟子の身で覇兇拳を使いこなしているのは彼らだけだ。秀英を正面から互角に撃ち合える者はそうはいない。
それに鎧兜自身が誰かに役割を代わって貰うでなく自らの手で決着をつけることを望んだ以上、彼の意思を尊重しようと皆の心が一致していた。
同盟国というのは頼りになりますね。
窮奇の完全封印は封印術に長けた《巫族》に一任されることになりました。
窮奇が消えて秀英も正気に戻るかと思いきや
彼は自らの意思で復讐に走っていました。
秀英ら外弟子を捨て駒扱いしていた本家筋の方は窮奇の悪影響を受けていたので
間接的には彼もまたその被害者の一人ではあります。
ただ窮奇を討っても狂気が消えず
騙し討ちさえしてくるので最早説得は不可能だと判断した鎧兜は拳でケリをつけにいきます。




