逆風の窮奇
窮奇戦後半です。
狭い室内での戦闘を避けるべく外へと後退した一紗達は目を疑った。
上空は雷鳴轟く暗雲が広がっており、道場敷地の周囲を囲むように巨大な突風に囲まれていた。さながら台風の目のように道場付近だけは強風が吹くだけだったが、霊山の外と内が完全に断絶されている。蕾華が操る植物を駆使して風の壁を突破しようと試みたが、暴風領域に入った蔓は風の刃で擦り潰されてしまう。
「これじゃ脱出は不可能ね。鎧兜が戻ってきたとしても入れないわ」
「やはり窮奇の頭部を封じるしかありません」
「奴は万全じゃない。サシなら何とかなりそうだが……」
一紗は迫りくる追手を睨んだ。
昨日まで面倒を見ていた教え子達が悪意を持って襲ってくるのだ。
惡姫・皆殺し娘の異名通り本気を出せば彼らを殺すことは簡単である。だが妖魔王の干渉を受けているだけの修練者達を殺すわけにはいかなかった。
「アイツら、元に戻せるのか?」
「伝承によれば、窮奇の干渉を受けた人間は、窮奇が討たれてからすぐに正気に戻ったそうです。ただ、己が過ちを悔いて自害する者も多かったそうですが……」
「元々善人な人程、悪意を増幅されたときに犯した罪の重さに耐えられないのだと思うわ。だから彼らが悪事を働く前に何とかしないと――」
討伐されて尚、禍根を残すとは妖魔王らしい所業である。不幸中の幸いなのは窮奇の大きな干渉を受けた者はこの道場内に限られるということ、また風の壁で隔絶されているということである。下山して悪事を働く者もいなければ、登山して窮奇の麾下に加わる《膂族》もいない。
現状の力が窮奇の限界だと推測できる。全盛期の窮奇を仕留めた天征活殺拳開祖も相当な実力者だったのだろう。
「蕾華、馬鹿共の足止め頼めるか?」
「ええ、任せて」
「俺はその間に窮奇を弱らせる。美鳳は封印術の準備を頼む」
「妥当な采配ですが、妖魔王を封じるのは私一人の力では足りませんよ」
それは誰しもが理解していた。同じ妖魔王に数えられる崩界童子は【宍国】の精鋭と一紗達総出で封印術を掛けたのだ。弱っているとしてもそれだけの人員が必要になるということである。
「……今は抑えるだけでいい。時間を稼げば心強い助っ人が来てくれる」
「そっか」「此処には彼がいましたね」
道場の師範にして先々代・護帝覇兇拳継承者〝李・老仙〟。彼もこの暴風域の中にいるはずだ。彼ほどの達人が妖魔王復活の気配を感じ取れていないはずがない。
すぐに馳せ参じないことから何らかのトラブルがあったことは想像に難くない。自らを討った者の子孫にして護帝覇兇拳を極めた男を窮奇が何ら警戒していないはずがないのだ。
一紗達の推測は正しかった。
老仙の書斎から近くの部屋まで屈強な妖魔達が足止めに現れていたのである。
老兵でも超人たる彼が名も無き妖魔相手に後れを取ることはない。ただ雑魚相手でも長期戦になれば体力的に厳しくはなる。
それを見越してか戦力としての妖魔以外に肉の盾として残りの修練者達を寄越してきていた。
「この禍々しい気配は窮奇が蘇ったようじゃの。面倒なことになったわい」
人間の拳法家たちを無力化することは護帝覇兇拳を極めた彼にとって造作もなかった。生命活動に必要不可欠なもの以外の氣を封じてしまえば彼らは物言わぬ人形のようになる。だがその状態だと窮奇が呼び寄せた妖魔の餌として標的になってしまうため、緻密な立ち回りを要求された。
妖魔を討伐しつつ肉の盾にされた人間を無力化、さらに彼らを守りながら他の妖魔をも討伐しなければならないのだ。不幸中の幸いだったのが暴風の壁を越えて妖魔が侵入してこないことだ。予め呼び寄せられた妖魔を駆逐すればそれで事態を収めることができる。
「ハァハァ……若い頃は秒殺できたのじゃが年は取りたくないもんじゃ……」
奥の手の〈仙闘氣〉を発動させれば全盛期の力を取り戻してこの場を切り抜けることができるだろう。懸念点は年老いた体で連発はできないことだ。
窮奇との対戦に余力を残すべく老仙は〈仙闘氣〉を頼らず己が力のみで現状をきりぬけようと拳を振るっていた。
そんな彼の葛藤を漠然と察していた一紗はせめて老仙の労力を最小限で納めるべく僅かな〈仙闘氣〉だけで決められるようにと窮奇に抗っていた。
この場に鎧兜がいれば敵の手に堕ちた修練者達を殺さず覇兇拳で動きを封じることができていたが、彼は秀英捜索に出かけてしまっている。
或いは窮奇がそう仕向けたのか、今のタイミングなら楽に道場を落とせるとでも考えたのかもしれない。
いずれにしろ限られた戦力で現状を打破しなければならなかった。
蕾華は空に跳躍していた《膂族》達を樹杖で叩き落とし、地面に足をついたことを確認した後に氣巧術を発動させる。
「〈木属氣巧・樹縛蔓延〉」
大量に生茂る極太の蔓が彼らの足枷となり手枷となって縄のように締め上げていく。だが力自慢の《膂族》や武闘家達は腕力だけで蔓の縄を引きちぎろうと足掻く。
(なんて膂力なの……! 油断したら解かれてしまう! これならいっそ――)
『――殺してしまえばいい』
心の底僅かに沸き上がった悪心を増幅させるように窮奇の言霊がどこからか聞こえてくる。
その甘言に耳を貸せばだんだんと悪心に乗っ取られてしまうだろう。窮奇のささやきに苦しめられていたのは蕾華だけではない。
『手加減するのは面倒だろう? 殺してしまえばいい。不可抗力じゃないか』
「――だまれ!!」
『敵に操られている。命と貞操を狙われている。仲間を守るため。大義名分はいくらでもある』
『黙れと言っている!!』
一紗は行く手を阻む教え子達を退けるのに四苦八苦する度に窮奇のささやきを聞いていた。
手に汗握りながら仲間の無事を祈っている美鳳にも窮奇の言霊が寄せられる。
『力強い《膂族》に襲われるのは怖いだろう? 逃げだしても良いのだぞ? 誰も咎める者はおらん。お前はやりたいことが他にあるのだろう? 此処で体を張る必要はない』
「小細工はききません。念仏でも唱えなさい、窮奇」
ちょうど一紗が修練者達を昏倒させて窮奇への道を開いたときだった。
その行く手を阻む者が現れた。
「オマエ……! 鴻堂!」
一紗に金的を蹴られて殴り飛ばされた彼が目の前に立ったのだ。
既に〈仙闘氣〉を使用しており、怪我も完治している。
「私は最強なんだぁぁぁああああ!!」
先程は下心を歪められて美鳳を襲っていたが、今度は強くあろうとする武人としての欲求が歪曲されてしまった。
皮肉にも欲望と悪心が全開となった鴻堂は凡才を補って余りある体術を見せてきた。
拳才がない彼の〈仙闘氣〉状態ならば通常の一紗でも抑え込むことができたが、悪意を注がれて遠慮も躊躇いもなくなった彼を止めるには波の力では御しきれなかった。
「――クソ! 〈開静〉!!」
まだ二段階目や三段階目の強化を使うわけにはいかない。本丸の窮奇を討つために力を温存する必要があった。それに〈逢魔〉や〈深更〉の状態では手加減できない。もし鴻堂が〈仙闘氣〉を解除すれば勢い余ってそのまま彼を殺めてしまう危険性があった。
今は窮奇の干渉を受けて無理やり〈仙闘氣〉を発動しているが、鴻堂はまだ療養中のはずなのだ。その負担は計り知れずいつ倒れてもおかしくはない。
(消耗戦で時間を稼ぐか? いや鴻堂の身体が持つか分からねぇ。クソ! 雑魚妖魔を引き連れてるだけなら皆殺しにして窮奇をぶっ飛ばせるのに!)
ただ強いだけの敵ならばそれを上回って倒すこともできる。人質を取られたならば頭を使って救出すればいい。だが悪意を植え付けられた味方が襲い来るのは難儀だ。加えて一紗達は常に窮奇の悪意による精神的干渉を受けている。精神力で抗っているものの、状況が一変すれば先程の蕾華のように悪意に身を任せてしまうかもしれない。
そしてそんな葛藤を太古の妖魔王が見逃すはずがなかった。
「〈風属氣巧・斬風刃〉」
猛烈な殺気を帯びた風の刃が戦闘中の一紗めがけて直進してきたのだ。
生命の危機を察し身を捻って回避しようとしたが間に合わず、一紗は右肩から脇腹にかけて大きく断裂してしまった。舞い散る血飛沫で視界が遮られつつも悲痛な顔の少女達の叫び声が耳に強く残る。辛うじて皮一枚で繋がっているが、風圧で右腕ごと落ちるのは時間の問題である。べりべりと皮が剥けていく僅かな時間の中、一紗は思考を加速させる。
(ぬかったな。アイツ自身風属氣巧で攻撃できるのか。いや、敢えて限界まで術の発動を待ったのだろう。腐っても妖魔王だな。しかし、ここで俺が落ちるわけにはいかねーな)
自分が倒れれば戦力的な喪失だけでなく美鳳と蕾華の精神も揺らぎ悪心に支配されやすくなってしまう。だからこそ一紗は僅かな時の流れですぐに自分がとるべき行動を模索できた。
ほんの一瞬だけ〈鬼神招来〉を発動させその再生力で以って復帰し、自分を倒したと油断する窮奇に一杯食わせようと考えたのだ。
「……〈逢魔〉」
血を媒介に斬られた部位を繋ぎ止めていた一紗は牛魔王の黒い氣を包帯状に展開して腕を繋ぎ止めた。
かつての盟友の氣を感じた窮奇は一瞬虚をつかれた様子だ。
その機を逃さず、一紗は黒装を纏った右腕で力いっぱいその顔面を殴り飛ばした。
『グヘッ!』
ドンッドンと地面にバウンドしながら転がった窮奇の頭部は――しかし無傷だった。
仙人さえも顔面を破壊できなかったため相当頑丈なようだ。
『ククク、俺の頭は悪意によって形成されている。この世に悪意があるかぎり砕けることはない。いささか驚かされたが、残念だったなァ、牛魔王の血を継ぐ娘よ。クハハハ!!』
他者を悪意で操作し、風を操る能力を持つ上に本体は物理攻撃では決して破壊できないというのは絶望的な状況である。
――ただ悪い知らせばかりではなかった。
一紗達が奮闘している間に足止め役を無力化した李・老仙が駆け付けてくれたのである。
「すまんの。妖魔の群れは大したことはなかったが、小僧共の氣を封じるのに少し手間取ってしもうた。まさか窮奇が復活しとるとはのぅ」
「老仙さん!」「お爺さん!」
「鴻堂は相変わらずじゃな。敵の手に落ちるとは我が弟子ながら不甲斐ない」
血走った眼で〈仙闘氣〉を発動させ続ける鴻堂を憐れむように見据える老仙は自嘲気味に口角をあげる。
「もっとも情けないのはこのワシじゃな。長年此処で暮らしながら息を吹き返していた窮奇にさえ気づかんかったとは! 自分が情けなさすぎて嫌になる」
白目を吊り上げた老人は凄まじい眼光で窮奇を睨んだ。
弱者ならば睨まれただけで心臓が止まりそうなほど殺気を込めた眼力に気圧された窮奇の首は目をそらすように顔を背けた。
多弁な窮奇にしては珍しく道場の敷地外に向かって首だけで跳躍した。
「なるほど、一瞬にして経孔を突き氣の流れを封じる覇兇拳使いは窮奇にとって唯一の天敵という訳ですね。ですがここで逃すわけには参りません」
美鳳は準備していた封印術を破棄して足止めに徹しようと金縛りの氣巧術を発動させた。
視界に捉えた対象の動きを一定時間封じるものであるが妖魔王に通じたのはほんの数秒だけだ。その間にも麾下の修練者達や鴻堂を肉の盾にして老仙を足止めしている。
「クソ! 蕾華は全力で連中の足止めをしてくれ! その間に爺さんは覇兇拳でそいつらの動きを封じてくれ!」
「じゃが、窮奇は!?」
「俺が蹴り戻す! ただ俺の力技だけじゃ封印は出来ねー。だから――」
「あい分かった。ワシの〈仙闘氣〉で今度こそ完封しよう」
全容を聞かずとも作戦内容を把握してくれたので四人はすぐに動いた。まず蕾華が木属氣巧でさらに《膂族》達の動きを封じる。力技で抜け出そうとする者は美鳳が金縛りを重ね掛けして完全に動きを停止させた。続いて老仙が束縛された彼らの経孔を突いて氣の流れを封じていく。
その間にも首だけで逃走を図る窮奇を一紗が追いかけた。
自らは風に乗って加速し、追手には向かい風を放って進行速度を遅らせるいやらしい風属氣巧を多用してきた。
『ククク、混ざり者とはいえ人間の雌の足では追いつけまい! オマエが牛魔王本人でなくてよかったぜ』
逃走成功を確信した窮奇は背後に追手が掛かっていないことを確認すると、雲に乗って上昇し始める。自由を取り戻した妖魔王は新たなる野望を胸に完全復活するまで身を隠そうとほくそ笑んでいた。
「勝誇るのが早ぇよ」
「エッ!?」
突如眼前に現れた一紗は角と牙が生えた異様な形態へと変貌していた。追跡の際、既に〈鬼神招来〉の三段階目〈深更〉を発動させていたのだ。
一紗は向かい風を受けながら進むのは距離が離されるだけだと即断し、風の影響を受けないルートを迂回する形で大回りするように追跡を続けていた。
この場を切り抜けるのに躍起になっている窮奇は常に背後へ向かって強風を飛ばしていたたのだが、その風は却って自らの進む方角を常に主張していることにもなっていたため強化した身体で追いつくのは簡単だった。
〈深更〉状態の一紗の一蹴でも傷一つ付かない窮奇の頭だが蹴りの衝撃を殺すことはできず、そのまま自らが逃げた出発地点たる覇兇拳道場へと蹴り戻されたのだ。
『また氣を封じられてたまるかッ!』
窮奇の頭部は逆風を吹かせて衝撃を殺すことで何とか虚空で留まろうとしたが、追いついた一紗による強烈な踵落としを受けて道場中庭の地面へとめり込んだ。
『この妖魔王の頭を何度も蹴りおって……! 許さぬぞ!』
風力で地面から這い出た窮奇が顔をあげた瞬間目が合ったのは一紗ではなかった。
そこにいたのは生気溢れる最強の覇兇拳使い、先々代免許皆伝の李・老仙その人である。
「幾万年越しとはいえ開祖様の奥義から回復するとは《九妖王魔》の名は伊達ではないな。……だが覚悟はできておろうな?」
咄嗟に空気の壁を何重にも構成して頭部を守ろうとした窮奇だが、その瞬間には〈仙闘氣〉を纏った老仙の拳が飛んできていた。
生半可な空気の壁を形成しても剛腕によって破壊されてしまうが、壁の密度を上げようとしても彼の拳速を超えることはできない。また一紗に蹴られた痛みから上手く氣巧術を発動できず間に合わない。
その巨大な頭部にはいくつもの経孔があったが、老仙の拳打は正確に突いていく。彼の狙いは頭部全ての経孔を突いて完全に氣の流れを遮断することにあるのは窮奇も察しがついていた。
『俺の氣を完封しようが無駄だ。何千年、何万年か後には周囲の悪意を吸って俺は復活できる。その時代には貴様らも死んでいよう! 貴様らの子孫を食い尽くしてやるぞ!』
「フン! 開祖様に敗れた貴様が今の時代に蘇り敗れただろうが! 次世代にも必ずや貴様の野望を砕く者が現れるだろう! その時を楽しみにしておれ!」
口論の間にも凄まじい拳速で経孔を突き続けた老仙は最後に窮奇の蟀谷へと人差し指を突き入れた。
「〈奥義・天征覇兇拳〉!!」
頭部全ての経孔を突かれた窮奇は一瞬にして眼の光を失い、再び深い眠りについた。その瞬間、周囲の空気が清涼になったようだった。
《九妖王魔》――窮奇は風の操作能力と悪意の操作能力がありましたが
老仙と一紗のファインプレーで勝利です。
覇兇拳使いか封印術に長けた者がいなければまず勝てませんね……。
戦っている面子は悪意の干渉に精神力で抗いつつ凶悪な風属氣巧を相手にしなければなりません。
風属氣巧術も悪意の干渉も万全状態なら百倍以上なので
弱体化した状態で戦えたのが幸運でした。
※ちなみに純粋な風属氣巧は人間側では《颯族》しか扱えませんが
窮奇は妖魔側しかも王なので普通に使用できます。
最後は妖魔王らしい捨て台詞で眠りました。
実際今のまま放置してもいずれ復活してしまうので次話で対策が練られます。




