生きていた窮奇
窮奇が何故誤認したのか。
どうやって意識を取り戻したのかが明かされます。
その声に反応したのは一紗だけだった。
美鳳と蕾華、鴻堂は何も聞こえなかったらしく立ち止まらずに部屋から出ていく。
室内を見渡してもあの不気味な窮奇の頭が安置されているだけだ。
幻聴かと思って部屋を出ようとした時、再び窮奇の声が聞こえてきた。
『相変わらず愛想のない野郎だな』
「なんだ……? 声が聞こえるぞ。美鳳、蕾華――」
『人間には聞こえぬ。妖魔にのみ聞こえるように話しておるからな。大戦時もそうしたもんだろう? ククク、お互い無様な姿になったものだ。俺は頭だけ、貴様の器は人間の雌と来たもんだ』
やはり窮奇の頭が話をしているようだ。口は動いておらず念話のようだが、声が不気味かつ著しく不快である。
「窮奇……! 生きていたのか!?」
『黙れ! 誰が口を利く許可を与えた!? 俺はオマエではなく牛魔王と話しておるのだ!』
尊大で傲慢な命令口調だった。
牛魔王の血を引く一紗を本人と誤認しているわけではないようだ。彼はあくまで牛魔王本人とみなして一紗の身体に話しかけている。
『なァ、牛魔王。昔のこと根に持ってんのか? 悪かったよ。お前の忠告が正しかった。人間を侮った俺は身体を壊されこのザマだ。お前の提案に乗ってれば良かったな。昔のことは水に流して俺と手を組め。この太平の世で人は廃れた。今なら〝俺達〟が勝てる』
話の内容から察するに妖魔大戦期に決裂したことへの謝罪と妖魔復興のための企てをしているらしい。独り言をつぶやく窮奇の真意を更にさらに探るべく一紗は無言で耳を傾けた。
『人間共に《四凶》と畏れられたことで驕ってたことは事実だ。お前ら〝五王〟より上だと言ったのは言葉の綾だよ。機嫌直せって』
町中で独り言をつぶやく怪しい老人のようにしばらく話を続けていた窮奇だが牛魔王から返事どころか悪態すら返ってこないことに不信感を抱いたようだ。
彼はここにきて無視していた一紗に話しかけた。
『オイ、小娘。牛魔王はどうした?』
「はぁ? 牛魔王なら妖魔大戦後に戦死したぞ。ボケてんのか? 俺は一紗だ」
『牛魔王そのものの肉体が滅びたことは知っている。だが奴には〝分霊〟という御業があった。自らの同族や眷属に霊魂の一部を分け与える力……』
牛魔王本人とその配下達の戦闘力はすさまじいものがあった。ただ牛魔王軍が特に精強だったのは指揮系統が統一されていたことが大きい。
牛魔王は眷属に魂の一部を宿し、眷属の眼を借りて戦況を垣間見ることが出来たし、各々の精神世界から助言をすることもあった。それこそが牛魔王軍の強さだったと彼は評した。
『部下への分霊は助言程度しかできなんだが、血族への分霊は意味が異なる。牛魔王には紅孩児という息子がいたが、奴は短時間なら血を分けた息子の体に自らを宿すことができた。幾千里本体と離れていてもな。人間共は二人目の牛魔王として奴の息子さえ恐れたものだ』
窮奇は親切にも思い出話をしてくれたわけではない。
彼の発言を噛み砕けば、牛魔王の血を引く者ならばそれを器として初代牛魔王が復活できることを意味していた。
だからこそ窮奇は最初から一紗を現代の牛魔王としてみなしていたのである。
『オマエの血にも牛魔王が眠っておるはず。さなくば下等な人間等と契る必要はない。未来に人間が落ちぶれることを見越して人の姿で血を残すとは考えたものよな』
窮奇は、牛魔王が降伏して配下諸共人間と交配したこと自体が未来に人間へ逆襲するためだと考えているらしい。だが【倭国】で直系たる牛頭詩侑から聞いた話と人物像がまるで異なっていた。
初代牛魔王は確かに未来に血を残すために無謀な玉砕をせず降伏した。しかし人間を愛していたからこそ己が血が子孫を狂気に駆り立てないように呪いをかけたのだ。
そんな王が今更子孫の身体を乗っ取って復活を企てようとしているとはとても思えなかった。大体そんな野心があるならば始皇帝が生まれる前にやっているはずである。
「悪いが初代牛魔王は俺の中にはいない。声を聴いたこともない。俺以外に血縁者を二人知っているが牛魔王に乗っ取られた奴はいないぞ? 受け継いだのは〈鬼神招来〉だけだ」
『馬鹿な!? あの鬼神が本当に血と力だけ係累に与えたというのか!? 在り得ぬ!』
全盛期の牛魔王がどういった人物だったのかまでは知らないが、少なくとも同族たる窮奇の前では冷酷な面を覗かせていたようだ。
《九妖王魔》が恐ろしいものであることは疑いようもない。崩界童子は龍使いの《巫族》を以てして封印するのがやっとだった。
牛魔王は〈鬼神招来〉の再生力だけでなく血脈の身体を借りることさえ可能らしい。古代人が完全に討伐しきれなかったのには理由があった。
さしあたって今気になるのは目の前の窮奇である。天征活殺拳の開祖だった仙人の奥義を受けて体を失い、氣を完封されたにも拘わらず頭だけで会話することが出来ている。
開祖の討伐が雑だったとは思えない。息を吹き返したからには何らかのカラクリがあるはずだ。しかしそのまま追求しても口を噤むだろう。そこで一紗は交渉で情報を引き出すことにした。
「なんだかんだ言って妖魔大戦に敗けたわけだし、牛魔王も弱ってたんじゃねーの? 大戦後に死んじまったらしいし」
『ふむ……奴の最期は伝聞でしか知らんからなぁ。相当やられたのか……?』
「今のお前みたいにな……仙人に単騎でボロ負けしたって聞いたぞ」
『ほざきよる。確かに俺は天征活殺拳に敗れた。弱っているのもまた事実。しかし奴は肝心なことを見落としたのだ』
いよいよもって復活の秘密を漏らしてくれそうだ。此処で下手に追及して沈黙されては面倒なので一紗は敢えて一言を話さず、疑いの眼だけを向けた。
そうすると久しぶりの対話相手に気分を良くしたのか窮奇はうっかり口を滑らせた。
『俺の力は他者の悪意を増幅させるだけに非ず。他者の悪意を食って回復することができる。たとえ体を失おうと全身の氣を封じられようと、何百年、何千年と時をかけて少しずつ吸引すれば口が利ける程度には治る』
恐ろしい告知である。他者の悪意を操作するだけでなく、悪意さえあれば氣が封じられた状態でさえ蘇るならば手の打ちようがない。窮奇もまた《九妖王魔》の例に漏れず不死性を有していたのだ。
ただ、気の遠くなるほど時間を掛けなければ口が利けなかったと考えれば当時彼を討伐した仙人が如何に強かったかは想像に難くなかった。
『俺は永久の歳月の中、少しずつ力を蓄えた。その間、何もしていなかったわけではないぞ。自我を取り戻してからは俺を封じた男の家系・流派を呪ってやった』
開祖が他界して長らく経ってから天征活殺拳が自らを戒め覇兇拳と名を変えたのは外弟子達が力に溺れたからだと老仙は話していた。そこに窮奇が僅かばかり取り戻した力で悪意を植え付けていたのだろう。仙人の血を引く二大本家の直系は辛うじて難を逃れたが、他はそうではなかったようだ。
「じゃあお前が……覇兇拳の忌まわしい制度に噛んでいたのか!?」
『フン、俺は殆どの力を自らの復活に回していた。奴の家系に与えたのは僅か零れた悪意の欠片に過ぎぬ。無から悪意は生まれない。人間は自らの悪意で身を亡ぼしてゆくのだ』
「ふざけんな! 秀英が狂気に染まったのもお前の差し金だろ!?」
『アレは暦家の身から出た錆。外弟子を捨て石にする制度を作ったのは連中だ。秀英とやらを追い詰めたのも暦家。挙句残ったのは血塗られた定めのみ。兄弟弟子で殺し合い、師弟で殺し合う。……ククク、滑稽! 滑稽!!』
実際の所、切っ掛けを与えたのは窮奇であっても怨嗟を蓄積したのは二大本家そのものだろう。自らを律して修業を続けた開祖は窮奇が生み出した悪意の影響を何ら受けなかった。しかし〈仙闘氣〉と血肉を受け継いだはずの子孫は悪意の影響を僅かでも受けてしまったのだ。
そしてそんなことにすら気づかずに秀英という最大の被害者であり加害者を出してしまった。窮奇にとっては自分を討った相手の子孫を僅かな力で自滅に導けるのは確かに滑稽に映るだろう。益々彼を放置するわけにはいかなくなった。
「お前の思い通りにはさせない。黙ってりゃ良かったのに俺に話しかけたのが運の尽きだ。生きていると分かった以上、もう一度封印する」
『俺が首だけだと高を括っておるな。牛魔王が不在ならば人間臭い雌餓鬼等恐れるに足りん』
今までの会話は精神世界での僅かなものに過ぎなかったが、それでもこれだけ長らく対話していると現実でも時間が経過する。
先に部屋を出ていた蕾華達も一紗が部屋から出ないことを不審に感じ退き返してきた。
「一紗さま、どうかしたの……?」
「窮奇は復活している! 蕾華! 一緒に叩くぞ!」
樹杖を手にした蕾華はすかさず木属氣巧を発動させる。
床板から芽吹いた蔦は激しく茂り標的となった対象を絡めとる。――が、彼女が狙ったのは窮奇の首ではなかった。
一紗の足に蔦が纏わりついて動きを封じられてしまった。味方から奇襲されると思っていなかったため回避が間に合わなかった。
「蕾華、何して……?」
「ふふふ、ごめんなさい、一紗さま。なんだか今は欲望がおさえられないの」
強引に一紗を押し倒した蕾華は蔦で自らの身体ごと二人をどんどん巻き付けてしまう。
こんな場所でいきなり情事に及ぼうとするほど彼女は節操なしではない。間違いなく窮奇の差し金であることは推測できる。
『ククク、俺は悪意の形を感じ取ることができる。そのものは貴様への独占欲を持っていた。仲良く肉欲に溺れるがよい』
「冗談じゃねー! こんな浪漫もムードもない場面でお楽しみできっかよ! 目を覚ませ、蕾華!」
彼女の眼は思い人を無理やりにでもモノにしてやろうという悪意を孕んでいた。
遅れて駆け付けた美鳳は二人の姿に絶句する。
『もう一匹来たか。此れは面白くなりそうだ』
(まずい、美鳳まで正気を失っては……!)
窮奇は凄まじい眼力で美鳳を睨んだ。
一睨みされるだけで心がかき乱される感覚を覚える。「天下が欲しい」「万民から認められたい」「帝位を争う兄妹達が邪魔」「父親から帝位を簒奪したい」という欲求と悪意が増幅されてしまう。だが増幅された欲求と悪意に抗うように彼女は自らの唇を流血するまで噛みしめるさらに発端となった窮奇を睨み返した。
「私の臣下――いえ、友人たちを好き勝手にはさせません」
弱体化しているとはいえ自らの能力を跳ね返した少女の眼光に一瞬だけ委縮する窮奇。
その隙に美鳳は蕾華に襲われている一紗に活を入れる。
「一紗、これは完全に心を掌握する洗脳術の類ではありません。本人の欲求と悪意を操作されているにすぎない。蕾華も元は強い人間です。少しの刺激を与えれば正気に戻せるはず」
「少しの刺激……?」
一紗は改めて自分に覆いかぶさっている友人を見つめた。
彼女は本来積極的に肉体関係を結ぼうとはしない性格だった。夜這い未遂のときさえ、攻勢をかけられたら恥じてしまう程そっち方面には強くないのだ。
今は薬に宛てられて気分が高揚しているような状況なだけだ。元来の蕾華を呼び戻すべく一紗は大胆な行動に出た。
あの日の夜は接触がなかったが、今回は蔦で絡まっていることをいいことに逃げられないよう片手を彼女の肩に回し、空いた手で思いっきり彼女の胸部を掴んだのだ。
「はにゃ!?」
胸の感触で一瞬覚醒した蕾華はみるみるうちに茹蛸のように赤面していき、羞恥心が煩悩を上回った。どれだけ悪意に支配されていても体の方はヘタレのままだった。
「あ、あの一紗さま……」
「お前が望むなら続きをするが? その気がないなら窮奇封印に手を貸してくれ」
「う、うん」
再び共闘して窮奇を封じ込めようとした時、後ろから「きゃっ」と悲鳴が聞こえてきた。
背後には美鳳に襲い掛かる鴻堂の姿があった。
「天女様……わが生涯の伴侶となっていただく」
「ちょッ! 何故道着を脱ごうとしているのですが、私は皇女ですよ。不敬ですし貴方の社会的名声も地に堕ちます! お願いですから正気に戻ってください!」
「難しいことは事を済ませてからでいいじゃないですか」
元々が美鳳に好意があったため悪意が暴走している。無言で暴力的に乱暴しようとしなかったのは未熟であれ老仙と一紗に鍛えられたが故か仙人の血筋だったからか。
対して美鳳は正気を失くした相手には得意の交渉術も使えず、窮奇に抗った精神力も役には立たない。未熟とはいえ鴻堂は《膂族》の男であり、武術の心得がない少女を抑え込むのは簡単だった。フィジカルでは美鳳がどうすることもできない。
『ククク、さぁ欲せ! 己が悪意に身を任せるのだ!』
窮奇は自身の手を動かしていない。風属氣巧さえ発動していない。
ただ悪意を増幅するだけで味方同士を争わせている。鴻堂が敵なら首を刎ねることは簡単だが味方を殺めるわけにはいかない。
一紗は心の中で詫びながら彼の金的を蹴り上げ、無理やり美鳳から引き離すと、さらに彼を遠方に殴り飛ばした。
「大丈夫か、美鳳」
「ええ。……も、問題ありません……!」
ずっと家臣団や龍宝に守られたきたため、本気で男から手籠めにされかけたのは初めてらしい。気丈に振舞ってはいるが強がりなのは明らかだった。
「大丈夫だ、美鳳。後は窮奇を封じるだけだ」
「ですが、背後からまだ殺気を感じます……」
二人の背後には樹杖を鋭利にとがらせた蕾華が据わった眼を向けていた。
いつもは可愛い嫉妬程度で終わるものも悪意を増幅されている今は大変なことになる。
「イチャイチャしてる場合じゃないでしょ? はやく、離れてよ」
「「は、はい……」」
今再び彼女が敵に回ることは避けたかった美鳳と一紗はヤンデレ寸前に陥った彼女を刺激しないように慌てて体を離した。
「ふー、これで後はお前を封じるだけだぞ、窮奇」
『どうかな……?』
一歩踏み出そうとした刹那、部屋の木壁を突き砕くように大量の人間達が入ってきた。
その全員に見覚えがある。道場で修業している修練者達だった。
武芸を志し、心身ともに鍛えた彼らも窮奇の手駒に落ちてしまったのである。
「クソッ! お前ら、正気に戻れ!」
『無駄だ。多少精神を鍛えた程度の奴に我が呪縛から逃れられん』
残念ながら妖魔王の言葉は真実だった。太古の戦争において聖人君主や高僧ですら堕落したのだ。弱体化された力とはいえ、現代の若人たちの悪心を掌握することは造作もなかった。
窮奇が操作したのは拳法家として当然の悪心である名誉欲、武将として必要な出世欲、男として御しがたい性欲だった。
『さぁ、肉欲を満たしたい者はその雌共を好きにするがいい! 出世と名誉が欲しい者はその者達を殺すがいい! 己が悪心に従え! 従うのだ!』
暗示や催眠のように窮奇の言葉が《膂族》達に浸透していく。
――と同時に彼らの眼が血走った。
「師範、前から良い女だと思ってたんだ……じゅるり」
「皇女の首を持って行けば他国での登用は間違いなし!」
「《杜族》の棒術使いを屠れば武人として大きな名誉が得られる!」
「殺すなんてもったいねー! 三人並べて俺が種づけしてやる! ヒャッハー!」
そんな汚いことを考える者、まして口に出す者はただの一人もいなかったはずだ。皆勤勉で己が武を磨いていた優等生だったのに一瞬で変わり果ててしまった。
一紗は自分の生徒との戦いを余儀なくされた。
牛魔王は〈鬼神招来〉以外にも分霊という秘術を持っていました。
長男の紅孩児は人間との間に生まれたのではなく、妖魔を母に持つ純血です。
戦況によっては息子の身体に憑依して直接闘うこともできました。
これを応用すれば乗っ取り転生できるだろうと思っていた窮奇は
一紗を牛魔王の転生候補と誤認したのです。
《九妖王魔》――窮奇は悪意を操作するだけでなく
他者から悪意を吸うことで回復再生することができます。
身体を破壊され全身の氣を封じられても
無意識で呼吸するように悪意を長年蓄積して意識を回復させました。
それでも体の再生に至っていないのは戦った仙人が強かったからですね。
弱体化した現在の能力でも心身共に鍛えた武人すら貶めます。
美鳳と一紗は悪意の干渉を撥ね退けました。
蕾華は一紗への片想いを利用された形ですがヤンデレ化に留まりました。
鴻堂は完全にアウトです。
窮奇は二大本家の血筋も呪っておりました。
開祖の仙人やその血を色濃く受け継いだ歴代伝承者たちは影響を受けませんでしたが
その他大勢の親族は少しずつ悪影響を受けておりました。
窮奇は普段は完全に沈黙し、力を蓄えていましたので
悪意のバラマキも微々たる量を長年に渡り散布しているだけで気づかれていませんでした。
少し空気が悪いかな? 程度にしか思われていません。
封印された当初は完全に意識もなかったので開祖やその直弟子達存命時代は
死んでいる状態に等しかったのです。
完全に復活するまでは死んだふりをしている予定だったのですが
旧来の知人(誤認)が来たので思わず話しかけてしまいました。お茶目さんですね。




