倒された妖魔王
日常の中に非日常が迫ってきます。
《膂族》の体の丈夫さは目を見張るものがあり、老仙らの対処が適切だったとはいえ、一晩安静にしていただけで鴻堂は回復していた。
そうして翌日から早速、鴻堂と鎧兜の手合わせ修業が始まった。
鴻堂は凡才を補うべく〈仙闘氣〉をうまく使いこなすため、鎧兜は半端者を相手に〈仙闘氣〉使いとの戦い方を学ぶべく拳を交わした。
そんな弟子の戦いぶりを老仙が監督している。眼は弟子達に向けたまま彼は一紗に感謝の意を示した。
「悪いのう。この老いぼれの体調を気遣ってこの方法を発案してくれたのじゃろう?」
「爺さんに死なれたら鎧兜の修業見てくれる奴がいなくなるし打算の上だよ」
「おぬしが気にかけたのは鎧兜だけではないだろう。鴻堂もまた〈仙闘氣〉を覚醒させた。ワシとの修業ではその片鱗すら見せられなかったのに」
最後の一押しは《仙絶血砕流》に追い詰められたことだろう。しかしそれまで自らを研ぎ澄ませられたのは一紗が鴻堂に修業をつけたからだと老兵は見抜いていたのである。
「鴻堂は鎧兜達に比べて拳才がない。下手に拳法を教えて本家の宿命を背負わせたくなかったからワシはあの子への指導に消極的だった。最低限身を守る術しか教えなかった」
「けどアイツは自ら強くなることを願った。人の想いが才能に勝ることもある。鎧兜もそうであってほしいからな。格下の鴻堂から学ぶこともあるだろう」
「ほっほっほ。若いのは可能性に満ち溢れていてええのぉ。……あの二人についてはワシが責任をもって育てよう。お主は他の者達を見てやってくれ」
ここからは覇兇拳の修業になるため一紗が見てやれることはもうないだろう。
若き教え子と頼もしい仲間の面倒を彼に任せて一紗は大多数の修練者達が鍛える別館へと足を運んだ。
彼らは既に自身の流派の技を体得しているので、一紗の仕事は彼らの実技の監督が主である。自分の流派の利点を活かし弱点を克服するための修業、そして組手や技の練習相手になることである。
修練者の中には覇兇拳には及ばないものの人体急所を破壊する一撃必殺級の暗殺拳を使う者もいた。彼らにとっては頑丈で技を見切ってくる一紗は絶好の練習相手だったのだ。
手加減の必要もないばかりかカウンターを決めてくるため得るものは大きかった。
「先生、もう一度お願いします!」
「懲りねぇな。まぁとことん付き合ってやるぜ」
修練場から喧騒が響く中、美鳳と蕾華は束の間の休息を客間でとっていた。
老仙から借りた囲碁に興じている。盤上は白が圧倒的優位だった。
「もう、美鳳強すぎ! 手加減してよ!」
「貴女は初心者ではないでしょう。私に二度も勝ったのですから」
勝敗は二回を除き、美鳳の圧勝だった。初めこそ手加減していた美鳳だったが、想定外に蕾華の実力が高かったため、美鳳の方も熱を入れてしまったのだ。
「美鳳も意外に負けず嫌いよね」
「宮廷では〝良い負け方〟を教えられましたから。本気でやり合えたのは久しぶりでした」
幼少期、帝都ですごしていた彼女は家庭教師によって『身分の高い男性を煽てる処世術として』上流階級の遊戯も習っていた。ギリギリで競り負けることで対戦相手から「自分には及ばないがそこそこ頭の切れる女」と思わせる方法を教え込まれたのである。
そんな彼女にとって本気で遊べる友人は貴重だった。
「うぅ、もう一回よ!」
「何度でも受けて立ちましょう」
再び囲碁を再開する少女達。
やはり知略面では美鳳に少し分があるようだ。――とはいえいつも楽勝しているわけではなかった。ハンデなしの勝負で何度も美鳳が肝を冷やすくらいには蕾華も強かったのだ。相手の実力が高い程頭を使うので美鳳としては丁度良い相手だった。
「――ときに蕾華、一紗の指導に付き合わなくても良かったのですか?」
「んー? 一紗さまに呼ばれれば手伝うけど手は足りてるみたいだし。それに……」
「それに……?」
言い淀む彼女に先を促すと自嘲気味に続けた。
「あそこにいたらなんだか自分だけ置いていかれたような気がして……」
修練者達は師を失くしても強くあろうと励んでいる。暦・鴻堂は才能がなくても〈仙闘氣〉を磨き、鎧兜は〈仙闘氣〉が使えなくとも正統血統に抗えるように鍛えている。そして想い人の一紗は既に牛魔廷で修業を積んで彼らを教え導ける立場になっているのだ。
自分だけが停滞していると感じてしまっても無理のない事だった。
「私が今以上に強くなるためには憑霊術を身に着けないといけない。でも、そのためには――」
「【木国】へ戻る必要があるわけですね」
蕾華は小さく頷いた。《杜族》である彼女が憑霊術を身に着けるためには大自然の恵み溢れる故郷の地で先達たちに手ほどきを受けるのが手っ取り早い。だがそれは一度失敗している。さらに王族なのに緑髪で生まれ陰口を叩かれた過去や親と兄妹達に向き合わなければならない。
「無理をして戻っても良いことはありません。来るべき時まで待つのも成長には必要ですよ」
「来るべきとき?」
「一紗は育壌を修羅の力で殺しかけたことが切っ掛けで己が血と向き合いました。兄上は覇刃斬に敗れたことで強くなろうと決意し、苦い過去あるこの地へ赴きました」
「私も【木国】へ戻ろうとする切っ掛けが来るってこと?」
「ええ。どの道天下を狙うなら【木国】との交渉も避けては通れぬ道。その時が来れば貴女の力を借りることにはなってしまいます。ただ友人として貴女の心構えが整うまでは待つつもりですよ」
「ありがとう、美鳳」
友人の心遣いに感謝して盤上に視線を落とすと、既に投了が秒読みの状況になっていた。
心が乱れている間にどんどん追い込まれていたらしい。
友人の心に寄り添っている間も頭はちゃんと回していたのだ。
ガックリと肩を落とした蕾華は今一度再戦を申し込んだのだった。
そんな平穏な日々がしばらく続いていた。
相変わらず《仙絶血砕流》に動きはないようだ。
老仙が直接〈仙闘氣〉を行使した修業をしなくなった以上、秀英が想定していた時間経過による弱体化は望めないはずである。
仮に彼が奇襲を仕掛けてきても万全の老仙が迎え撃つことになるだろう。
だが鎧兜は一抹の不安を抱いていた。鴻堂が〈仙闘氣〉に目覚めたことは秀英自身も認知している。頭の切れる彼ならば一紗が提案した「老仙が〈仙闘氣〉を濫用しないで済む修業方法」にも考えが及んでいてもおかしくはないのだ。
(秀英、お前の望む結果にはなってねェが……どうするつもりだァ?)
幸か不幸か未熟な鴻堂が身体を酷使して〈仙闘氣〉の発動できなくなった。少しばかりの休息が必要になったため彼が休んでいる間に鎧兜は今一度、秀英の捜索に出ることにしたのだ。
「〈仙闘氣〉が使える本家筋には勝てないと絶望しているお前なら分かるはずだ。まだ師父は倒せねェぞ……!」
其れで説得できればよし。鎧兜は旧友と師が殺し合う未来は避けたかった。
一方で再び〈仙闘氣〉を使用できるようになるまでしばらく休養が必要となった鴻堂は歯がゆい思いをしていた。他の修練者達が身体を鍛えている中、自らは休んでいなければならないのだ。
「面目ない……。私は自分が情けないです」
「そう腐るな。〈仙闘氣〉を身に着けて間もない上に鎧兜の拳を受け続けたんじゃ。身体が悲鳴を上げてもおかしくはあるまい」
「……ですが、相手の鎧兜はピンピンしているじゃないですか」
「実戦経験の差じゃな。精進せよ。――其れより折角時間が空いたんじゃ。世話になっとるお嬢さん方にアレを見せてやりなさい」
鴻堂がいれたお茶を飲んでいた三人娘は揃って小首を傾げた。
師の言葉の意味で全てを察したらしい鴻堂は神妙な顔を向けてきた。
「……本来部外者には秘匿しているのですので……今からお見せするものについては、どうかご内密にお願い致します」
「それは光栄ですが……どういったものでしょう?」
「奥義書とかか? いや、そんなの見せられてもなぁ」
「もしくは古い拳法道場だし年代物のお宝かしら?」
「いいえ、あまり良いものではないですが一見の価値はあるでしょう」
道場自体かなり広い敷地面積であるため、まだ見ぬ区画はかなりの数に上る。しかし、そういった修業のための区画は悉く素通りして彼は奥へ奥へと歩を進める。
それこそ歴史的資産価値の高いものが安置された部屋もあったが全て素通りしていく。
歴史ある道場故に古物や骨董品の類は多いのだがどうやらそういうものではないらしい。
鴻堂が連れてきたのは倉庫などではなく、覇兇拳道場でも最奥にあたる場所だ。
どこかしら装飾も豪華であり昔は貴族が住んでいたような気配さえある。世が世なら立ち入りの許可さえ下りなかっただろう。
「――それで見せたいものとは?」
「こちらになります」
長い廊下を渡りきり幾重にも封鎖されていた扉を開ける。
重い大扉をこじ開けると神殿のような場所にいきついた。
しかし神々しさは全く感じられない。それどころ掃除は行き届いているのに廃墟を訪れているような感覚さえ覚える。
「一紗さま」
「ああ。いやな気配を感じる」
「流石ですね。武道を極めた者ほど此処には寄り付きたがらないのです。アレが安置されております故……」
鴻堂がハッと氣をこめると、部屋中の蝋燭に火が灯り、室内が明るく照らし出された。
――と同時に中央にある物体に自然と目がいく。綱で結ばれた四本の柱に囲われた何かの頭部がそこにあった。巨大な猛獣らしき妖魔の頭部である。敢えて既存の生物で表現するならば虎の頭蓋に少し似ている。ただ似ているだけで大きさも性質はまるで異なっている。漆黒の体毛は針鼠のような鋭い棘状になっており目視で硬さが推測できる。
「見たこともない種類の妖魔ですね」
「それはそうでしょう。コイツはこの世で一体しかいない。遥か昔、天征活殺拳開祖が討った《九妖王魔》――〝窮奇〟の頭ですよ」
一紗達は絶句してしまった。《九妖王魔》といえば妖魔大戦で人類に戦いを仕掛けてきた妖魔軍の総大将達だ。辛くも人類が勝利したものの完全に倒しきれてはいなかった。今でもその多くがどこかで眠っていると言われている。
【宍国】に封じられた『崩界童子』人間と契り種を存続させた『牛魔王』は共に強かった。その二体と並ぶ妖魔王の亡骸が目の前にあるのだ。少女達の表情は無意識に硬くなっていた。
「大丈夫。いきなり噛みつくことはしません。開祖が全身の氣の流れを完封した後、五体を破壊しました。唯一頭蓋だけは壊せず残ってしまったためこの霊山で代々保管しているのです」
「……〝窮奇〟って言ってたな。どんな妖魔だったんだ?」
「〝窮奇〟は《四凶》に数えられる一体ですね。悪い伝説は沢山残ってますよ」
「四凶?」
「九体の妖魔王の中でも早い段階で人間に対抗すべく団結した四体の王をそう呼称するの。《四凶》それぞれが人間を滅亡寸前に追いやった四つの災厄をもたらしたわ」
美鳳と蕾華はそれぞれ学んだ《九妖王魔》の知識を教えてくれる。
『怠惰の渾沌』は人々の活力を奪い、多くの国々と民族を崩壊させた。『暴食の饕餮』は田畑を無制限に食い尽くして大飢饉を引き起こした。『戦壊の檮杌』は世界中で争いの火種をばら撒きあらゆる民族を戦禍に巻き込んだ。
「――なかでも『逆風の窮奇』は悪質極まりません。有する能力は〝風向きを変える力〟」
「風属氣巧に長けていたってことか?」
「それだけではありません。かの妖魔王は人の心にも干渉するのです」
美鳳と蕾華が伝え聞く能力は風属氣巧を操る力と悪心を操作する力であった。曰く、どんな聖人君主であっても窮奇の前では悪人になってしまうというのだ。
天地万民のため窮奇を討つと仕掛けていった勇者は仲間の情報を売って妖魔側へ寝返った。次に窮奇を説得すると言った高僧は、酒池肉林を貪る生臭坊主へと変わり果てた。
またある時は窮奇が近くを通っただけで愛妻家だったはずの旦那が妻を殺しその肉を料理して窮奇をもてなしたという逸話まで残っているという。
「どんな人間であれ欲があり、あらゆる手でそれを成就させようという悪心があります。普段は理性で抑えることができますが窮奇の前には通じません」
「腕の立つ討伐部隊を差し向けても窮奇側に着く者や味方同士殺し合う者達が続発して倒す事ができなかったって話は聞いてるわね」
「左様。故に開祖様が単身で窮奇と対峙し討ち果たしたのです」
千年以上精進を続けて仙人と呼ばれる領域に至っていたからこそ、窮奇の悪心を操作する力が開祖には全く通じなかった。得意の風属氣巧も覇兇拳により封じられ最後は爆死することになったらしい。彼がいなければ人間は窮奇によって滅茶苦茶にされていた可能性もあった。そんな難敵を単騎撃破したのだから最凶にして最強の拳法使いだったといえよう。
「お世話になっている皆様にできることは少ないですが、此れは物珍しいかと思いまして」
かつて人類を震撼させた賊軍の王は亡骸になっても尚不気味な威圧感があった。唯一無二の生物の死体と称すれば興味をそそられるが、見世物として長時間見るには嫌悪感が湧いてくる。歴代の覇兇拳伝承者もそれを分かっているから一般公開せず秘密裏に保管していたのだろう。
「確かに見る価値はありましたね。この地に妖魔王が封じられていると知れたのも収穫です」
「うん……でもそろそろいいかしら。私は少し小腹が空いたから何か頂きたいわ」
「承知しました。では客間でお茶の続きを致しましょう」
蕾華は実際に腹が減っていた訳ではない。ただ一秒でも早くこの部屋から出たいと考えての方便だった。太古に人々の心を乱したと言われる妖魔王の頭蓋と同じ部屋にいるだけで心をかきむしられるような不快感があったからだ。
部屋を後にする美鳳と蕾華に続くように最後尾から後を追う一紗は不意に後ろ髪を掴まれるような感覚を覚える。
――と同時に背後から声が聞こえてきた。
『久しぶりだな。牛魔王』
「……!?」
振り返ると窮奇の眼が爛々と輝いていた。
《九妖王魔》――逆風の窮奇の登場回でした。
覇兇拳開祖に敗れて体を失って尚、完全には死んでいなかった妖魔王です。
《四凶》は有名な妖獣なので、大陸妖怪や中華伝承に詳しい方なら
一人の名が判明した時点で推測できるので引っ張らずに四体全員公開しました。
人々の活力を奪い、多くの国々と民族を崩壊させた『怠惰の渾沌』
大飢饉を引き起こした『暴食の饕餮』
世界中で争いの火種をばら撒いた『戦壊の檮杌』
これら《四凶》が《九妖王魔》の四枠を埋めます。
古代史では猛威を振るった彼らは人間との戦いに敗れ、現代はそれぞれ別の場所で封じられています。
化け物に勝った人類も化け物ですw
余談ですが、参考にした窮奇の伝承はよく分かりませんでしたw
悪人の味方をして善人を虐げるというものがあったので
悪意を操作して善人さえ貶めるという能力にしましたw
次話は窮奇が一紗を牛魔王と呼称した理由など明示します。




