再修業開始
自身を破門にするつもりだったと聞いた鎧兜は
老仙の真意を確かめるべく道場へ――。
道場はいつになく活気にあふれている。覇兇拳の使い手としては三流以下である鴻堂も他流派の半人前達に混じって鍛錬していた。
「鴻堂、お前は型に嵌り過ぎいている。もっと柔軟に動け。実戦じゃ敵は止まっててくれないぞ。それから技を決めた後、気が緩みすぎだ。だから簡単にカウンターを受ける」
「よく見てますね、一紗殿」
「覇兇拳の技は鎧兜から見せられてるからな。お前の技はアイツに比べると威力も速度も狙いも完成度も駄目……まぁつまり全部駄目だな」
「あの悪漢と比較された上駄目だしされるとは……」
一紗もなるべく教え子達のやる気を削がないように他の修練者達に対しては言葉を選んでいるが、鴻堂は正直見ていられなかった。はっきり言うと拳法の才覚がない。恐らく二大本家の中で最も拳才に恵まれなかったのだろう。そんな状態から短期間で三流程度にまでは育て上げた老仙の指導力は素晴らしいというしかない。
厳しい指摘と同時に鉄拳を受けた鴻堂は涙目になってしまう。
「大丈夫ですか。一紗は物言いが強いですが目は確かなので、腐らず頑張ってください。真面目なのが貴方の長所でしょう?」
「て、天女様……」
簡単に治癒氣巧を施す美鳳に頭を掻いて礼を言う鴻堂は真っ赤だった。
そんな彼を冷やかし交じりに見つめる少女達。
「アイツ、絶対、美鳳に気があるよなぁ。恋愛に現を抜かす前に拳を磨けっての」
「私達も天から降りてきたのに美鳳だけ天女扱いのままだしねぇ。まぁ皇族だしどちらにしても身の程知らずだけど」
「……そう言うてやるな。お前さん達が来るまで鴻堂は出家同然の生活だった。若く麗しい女子に免疫がないんじゃよ」
背後からいきなり介入してきた声に驚いて振り返ると、老仙が微笑んでいた。一紗も蕾華も気が緩んでいたとはいえ、音もなく気配を消すのが上手い。筋トレをしているだけの好々爺に見えて覇兇拳を極めた男の片鱗を垣間見せる。
「驚かすなよ、爺さん」
「すまんの。こんな賑やかな道場を見ていると昔を思い出して懐かしゅうての」
老仙の眼には幼い鎧兜、秀英、雲深、海亘や途中離脱した元門下生たちが賑やかに騒いでいる情景が浮かんでいた。あの日々がずっと続いていたらと思ってしまう。
そんな淡い幻想は道場の扉が乱雑に開けられるのと同時に消え去った。
入ってきたのは鎧兜である。《仙絶血砕流》の首領となってしまった兄弟弟子・秀英と対話するためにしばらく下山していたはずだ。
「鎧兜……ダチは見つかっ――」
言いかけた一紗は鎧兜の氣がいつになく荒れているのを感じ取った。兜のせいで表情が分からないが、荒れ狂う氣の流れから怒りを感じさせる。
彼は何の躊躇もなく老仙の元に歩み寄るや否やその胸倉を掴んだ。
「俺を辞めさせようとしてたっつーのは本当か?」
「秀英から聞いたか。……事実じゃ、ワシはお前に覇兇拳の真髄を教えるつもりはなかった」
師の返答に目を血走らせた鎧兜は思いっきり拳を振り上げる。いきなりの剣幕に道場内は静まり返った。唯一、鴻堂だけが止めようとしたが一紗が手で制止、蕾華の木属氣巧で拘束される。正当な怒りをぶつける権利は鎧兜にある。そのため外野は事の成り行きを見守っていた。
それからしばらく拳を震わせていた鎧兜は少し間をおいて腕を降し、老仙の胸倉から手を離した。
「昔の俺なら目一杯ブン殴ってたが……今の俺ァ少し冷静だ。アンタの言い分を聞いてやる余裕もある。……質問を変えてやるぜェ。師父は何で俺を破門にしなかった?」
弟子の怒りと質問から秀英との間でどんな会話が成されていたか察したのだろう。老仙は重い口を開ける。
「お前も知っての通り、覇兇拳は二大本家の血筋が順守される。故に外弟子が跡取りとなることはない。そればかりか修業中に命を落とすことすらある。じゃから――」
「――良家の弟子を殺さねェように理由をつけて破門にしていた。だったら俺も白牌や満喰のように破門にするつもりだったはずだ」
「最初はそのつもりじゃった。だがお前は苦手な勉学に勤しみ、海亘に格の違いを見せられても尚食らいついた」
苦手な学業も頑張り、才能の差に不貞腐れても何度となく立ち上がり、時間をかけても自分が教えた技を習得していく。
『俺は絶対師父の期待に応えて見せる!』
真っ直ぐで努力家の愛弟子に対し絆されるのに時間はかからなかった。覇兇拳を諦めさせようと出していた課題を愛弟子が乗り越えてくれるのを願うようになっていた。そしていつしか鎧兜に期待する自分がいた。
「鎧兜、お前を後継者にしたいと思ったのは、ワシが作った壁を常に乗り越えてきたからじゃ。お前には血筋を超える何かがあると思った。だから覇兇拳を教えたんじゃ」
確かにいつの日か老仙の鎧兜に対する稽古はかなり熱心になっていた。少年時代は期待されているのだと何も考えずに喜んでいた。真実として「期待があったから」という理由は変わらなかったがその意味は大きく違った。血や仕来りを無視してでも育てあげたいと本気で考えていたのだ。それが「後継者にしたかった」という言葉に繋がる。
今までは裏切られたという気持ちがいっぱいだったが、全ての真実と師父の心境を知ってバラバラだったピースを並び替えると自分がどれだけ師父に愛されていたか、入れ込まれていたかがようやく見えてくる。
『辛い修業になる。命を落とす者が例年出てくる。それでもお前は拳を学びたいか?』
入門を志した者達に老仙はそう問いかけていた事を思い出す。初めから警告はしていたのだ。さらに修業の初期段階で明らかに力が足りてない者は死なないように事前にふるいにかけていた。
覇兇拳鍛錬中の事故が起きた時もできる限り延命措置をしていたし、それで命を取り留めた者もいる。死にゆく弟子達を無視していたわけではないのだ。
彼は自由な拳法家に見えて皇族や良家との関係、二大本家からの圧力等多くのことを抱えていた。そして真実を話せないまま多くの子供達を門下に入れなければならないことに心を痛めながら指導していたのだ。
外弟子への罪悪感があるからこそ自罰的な心境になり自己弁護や保身に走らず無口になってしまった。その態度が余計に外弟子達を誤解させることになってしまっただけなのだ。秀英に真実を知られた時にもっと上手く話せていたら、他人の口から聞かれる前に鎧兜へ伝えていたなら違っていたかもしれない。
ただ常に後ろめたさを感じていた老仙は自身の真意を表だって主張できなかったのだ。
或いは鎧兜や秀英なら分かってくれるという甘えがあったのかもしれない。
老仙の葛藤を全て理解した鎧兜は顔を上げる。
「アンタにもう怨みはねェ。……だが少しでも悪いと思ってんなら、止まっていた修業の再開――本腰入れて奥義伝授までやってもらうぜェ」
「ああ、勿論だとも」
「こっから休みなく鍛錬だァ。……そのために、先に厠でクソしてくる」
「トイレなら俺も付き合うぜ。場所まだ把握してねーし教えてくれ」
一紗は廊下に出る鎧兜に付き添おうと立ち上がる。
「一紗さま、お手洗いなら私がついて――」
「蕾華は一紗の教え子達を視ておいてください。その方が一紗も感謝しますよ」
「そ、そうかしら」
美鳳は小さく目配せを送ってきたので一紗も彼女の厚意を受け入れて、鎧兜の背中を押して厠まで急いだ。
本当に催していたわけではない。ただ感情的に限界だったのだ。
稽古する声が殆ど聞こえなくなったあたりで鎧兜は耐えきれなりストンと膝をついた。いかつい兜の隙間からポタポタと雫が溢れて床を濡らしていく。
師父に裏切られていたわけではないという安堵感が心を満たしていた。そればかりか正当血統の海亘や雲深より期待されていたというのが嬉しくて溜まらなかった。色々な感情が混濁してポロポロと落ちる涙を止めることができない。
道場で大衆の前で涙を見せるわけにはいかなかった鎧兜は敢えて席を外したのだ。
「みっともねェ……みっともねェみっともねェ。大の漢がこんなンで泣くなんざ……」
「みっともなくなんてない。男にだって泣きたい時くらいある。カッコつけないといけないときにだけ漢の顔を作ればいいんだぜ」
「……姉御」
「今だけは胸を貸してやる。爺さんと顔合わせるまでにいつもの鎧兜に戻るんだぞ?」
「あァ……すまねェ……」
兜をとり醜い素顔を晒した鎧兜の頭を一紗はそっと抱き寄せ撫でてやった。今日まで強がり頑張ってきた彼を労うように……。
それから十数分後、一紗と鎧兜は修練場に戻ってきた。
なんだかんだと蕾華が弟子達の面倒を見てくれていたようだ。一紗が先程指摘した個所を矯正すべく棒術で組手の相手になっている。
二十人以上の体術使いを相手にクルクルと全ての技を捌ききり床に伏せさせている。
「あ、おかえり~一紗さま。遅かったね」
「あぁ、ちょっと食い物があたったらしい」
「まぁ大変! 【風來亭】に文句言わないと!」
「方便ですよ、蕾華。察してください」
もう一度鍛錬をと思ったが、全員かなり厳しめにしごかれたらしく続けての鍛錬は無理そうだ。思えばこの場所の使用許可が下りてからずっと鍛錬していた。少しは休憩が必要だろう。鴻堂も滝のような汗を流しながら大の字になっていた。
「続きはもう少し後だな、こりゃ」
「では、お前達は少し場所を空けてくれ。休憩中はワシと鎧兜が使わせてもらおう」
「覇兇拳の鍛錬なら我々も席を外した方がよろしいですか?」
「構わぬ。達人同士の鍛錬は見るのも稽古になろう。しかと目に焼き付けるがよい。覇兇拳は一朝一夕で身につく者ではない。盗めるというなら盗んでみよ」
好々爺然として雰囲気だった老仙の声音が変わった。迸る氣も最初に鎧兜と組手をしたときよりも濃く勢いのあるものに代わっている。
師の変化に驚く鎧兜だったが真剣さを感じ取って即座に構えを取る。
いよいよ止まっていた覇兇拳の修練が始まるのだ。
「鎧兜、昔はお前に見せていなかった技を披露してやろう。――ハァアアアアアア!!!」
気張る老仙は体内から莫大かつ清らかな圧倒的な氣を捻りだした。
――と同時に彼の細胞が不自然な程活性化していく。
白髪だった髪は黒く染まり、皺だらけだった肌は瑞々しく張り、筋肉は若く猛々しいものへと様変わりしていく。
まるで老仙の回りだけ時が巻き戻ったかのようだ。
「なんて生命力なの……!?」
蕾華は溢れる氣の量に感服していた。
生命エネルギーに敏感な《杜族》でなくとも周囲の者皆がその波動を感じ息をのむ。
先程までは体を鍛えただけの老人だったが、今は十代か二十代の青年の姿である。醸し出す氣は神々しくも圧倒的で鍛錬が足りなかった修練生は泡を吹いて失神していた。美鳳も冷や汗を流しながら意識を保つのがやっとである。
「――〈仙闘氣〉。これが開祖の血肉を受け継いできた二大本家に伝わる肉体活性術。溢れる氣を開放することで細胞を活性化させ一時的に全盛期の力を取り戻す」
天征活殺拳の開祖たる仙人は千年以上己が体の氣を操作し細胞を活性化させていた。氣を完全に掌握した彼のみが辿り着いた頂である。だがその血肉は子孫に受け継がれていた。〈仙闘氣〉はいわば開祖の血を継いだ者が仙人の力の一端を短期間再現するという技である。
「開祖の血筋……そういうことかァ」
「ああ。二大本家が始祖の血才を重んじたのも、秀英が絶望したのもこの技法の存在が大きい」
「ちょっと待てよ、爺さん! 開祖の血筋にしか使えない技なら鎧兜が努力しても習得できないだろ!」
「左様。この技の習得は外弟子には不可能。だから鎧兜には違う技を身に着けてもらう」
「違う技だァ? そりゃ一体――」
「全盛期の力に回帰したワシを倒せる技を作りだせと言っている」
一瞬の内に肉薄した老仙は鎧兜の頭を片手でワシ掴み、後方に投げ飛ばした。
何とか壁に激突する前に態勢を整えようとする鎧兜だったが、彼が受け身を取る前に老仙の正拳突きが追い打ちされる。
「ガハッ!」
それもただの突きではない。〝極めた覇兇拳による一撃〟である。腹部の経孔を正確に突かれた鎧兜は氣の流れが暴走するのを感じ取った。全く手加減がない。常人なら胸が吹き飛んで即死するレベルの技だ。鎧兜は氣の暴走が心臓に届く前に止めようと別の経孔を突き、自らの氣を安定させる。
「ワシの一撃で落ちなかったのは流石だな。経孔の対応も見事。だが遅すぎる」
老仙は華麗かつ剛力の足技で鎧兜の顎を蹴り上げ、宙へとその巨体を押し上げる。
空中で身動きが取れない鎧兜を標的に老仙は床と壁を蹴って追い打ちを続けた。
既に顎の経孔を突かれた鎧兜はその氣の暴走を止めることに注力してしまったため追撃をまともに受けてしまう。そしてその全てが氣を乱す経孔を正確に突いている。
一つの暴走を止めても別の経孔を突かれてどうしようもない。
鎧兜は致命となる乱流を避けるだけで精一杯だった。全ての暴走を止めきることはできず、体の表皮の数か所が弾けとんだ。
「〈覇兇・絶空散界拳〉!!」
「ぐわぁああああ!!」
左右の肩部と腿、脇腹から出血し、本人の口からも多量の血飛沫が飛ぶ。
そのまま落下した鎧兜が床に叩きつけられると同時に、着地した老仙の体が僅かに萎んで元の老人体へと戻っていた。
「……ふむ。やはり年を取ると持続時間が短くなっとるの」
「鎧兜!」「兄上!」
駆け寄ってみるとどうにか鎧兜の息はあるらしかった。
即効で美鳳が止血と治療に入るがあまりに痛々しい様である。
「まさか兄上がこんなに手も足も出ないなんて……」
「これが正統血統の覇兇拳……」
一紗達は戦慄していた。まるで大人と赤子である。
敵として相対した時は死にかけたし、肩を並べた時は頼もしい味方だった鎧兜がこうも簡単にやられるとは想像していなかった。
観戦していた他流派の拳法家たちもレベルの違いに騒然となっている。いつもは鎧兜とそこまで親しくもない蕾華も流石に思うことがあったのだろう。手加減の全く見えない戦いに異議を唱えた。
「貴方、師匠でしょう!? 弟子をこんな血みどろにしていいの!?」
「手を抜くのは鎧兜に失礼じゃろうて。それに〈仙闘氣〉は雲深も海亘も既に体得しておる。破る術を見つけなければ鎧兜は早晩戦死する」
鎧兜は血反吐を吐きながらも体を起こした。
出血がひどすぎて頭がくらくらするがそれでも考えられることがあった。正統血統にしか会得できない奥義の存在――圧倒的な力の差。悪に堕ちた外弟子を正すための道徳観とかは最早関係ない。純粋に力の大きさが純血と外弟子とでは開きがありすぎるのだ。
(秀英が仙人の血統根絶に拘ったワケだぜェ……)
どれだけ純粋に努力しても覇兇拳の技を学んでも血筋故に体得した奥義で逆転されてしまう。この理不尽さに絶望したのだろう。正攻法では勝てないと彼の言葉を理解できた。
仙人の血筋しか使えないならば弟子入りの段階から既に平等ではないのだ。どこかに一滴でも血筋が残っていて突然覚醒したなら外弟子の立場はもうない。
非情な事実と正統血統との力量差を痛感しても鎧兜は立ち上がった。
「……絶望ならもう済ませた。此処を飛び出したあの日にな。……俺は立ち止まらねェ! 師父! 俺は〈仙闘氣〉が使えなくとも強くなってみせる!」
今ここに秀英が殺した二大本家の者がいたら身の程知らずだと嘲笑するだろう。
内部事情をろくに知らない観戦者達も無謀だという感情が顔に出ていた。
そんな中、李・老仙だけは歯を剥き出して豪快に笑った。
「その意気や良し! このワシを超えてみろ! その先に海亘と雲深もいる!」
老仙は不器用な人でした。
下手に言い訳を並べない人は好感を持てますが、話さなければわからないこともあるのです。
二大本家に伝わる奥義・始祖の血才と呼ばれていたのが〈仙闘氣〉。
さながら熟成させたワインの深みが増すように
肉体を千年以上氣で強化し続けた仙人の身体は人外のものになっていました。
彼の子々孫々にその血肉は受け継がれ、一時的に仙人の氣で強化することができるようになりました。
〈仙闘氣〉は肉体が活性化させるので老人でも一時的に全盛期の力を取り戻します。
ただ老化してくると持続時間が短くなります。
平時の師父とは互角に撃ち合えるようになっていた鎧兜も
〈仙闘氣〉発動状態では瞬殺されてしまいました。
どう足掻いても体得できない技ですが
その突破口を見つけるべく鎧兜は修業を再開します。
努力の人ですね。




