決断
自分の想いを見つめ直すこと、素直になることって大事ですよね。
「大丈夫か蕾華! しっかりしろ!」
虚ろな目で生命力が徐々に弱っていく。毒に侵される彼女の姿がかつての牙王の死に際と重なった。一紗は土属氣巧の初級者技〈砂煙〉で残りの賞金稼ぎの目を欺き、美鳳と蕾華を抱いて戦線を離脱した。
(何としても助けなければ! 二度とあの時のような思いをしたくない!)
二人の少女を背負う一紗は、幼少期、盗賊から逃げていた頃の生存本能が蘇り、最適な隠れ家を見つけることができた。外側からは見えにくい洞穴に入って蕾華を寝かせた。
「ハァハァハァ……」
苦しそうに呼吸する蕾華をみて一紗は悔しそうな顔をする。美鳳は刺された彼女の傷口を注意深く確かめた。
「これは毒か?」
「ただの毒じゃありませんね。刃に塗られた毒と氣巧術を用いた呪毒の二つが用いられています。呪毒は私が解法できますが、薬毒の方は薬草を取ってこなければ……」
「薬草の名は? 俺が取ってくる。解法は美鳳しかできねーし」
「解毒にはこの地域に現生する〝癒深栖〟という水草が必要です。湖の底に生えているのですが、近くの湖は私の子供の頃から近づくなと言われた底が見えない『洞深湖』しかありません。ちょうどこの洞窟の奥にも湖に通じる場所があるはずです」
そういって美鳳は一紗の額に指を当てる。すると、洞深湖とそこに生える癒深栖のイメージが脳内に映像として流れた。まるで図鑑の写真を見せられているようだ。
直接脳に見せられたことで記憶には鮮明に刻み付けられた。
「よし、取ってくる」
「気をつけてください。湖には妖魔も棲息していると聞きますから……」
一紗は洞窟の奥へ進み、洞深湖を目指す。頭にちらつくのは苦悶の表情を浮かべた蕾華の顔だった。
「待ってろよ。蕾華」
洞穴を抜けると、瞳に収まらないほど面積が広い湖の近くに出た。水平線の向こうが見えないほど大きく、それは湖というより陸地の海といった方が正しかった。そして岸からすぐに深さが増しており、途中からいきなり底が見えなくなった。
「深いな。だがこれくらいなら」
迷っている暇はない。大きく息を吸って湖に飛び込んだ。そして冷たい湖の中、底を目指して泳ぐ。一紗は戦闘で使用する独自の呼吸法を応用して潜水を続ける。口に含んだ酸素を少量消費するだけで長い水中活動が可能なのである。今となっては計測できないが元の世界のオリンピック選手の数十倍は軽く超える肺活量になるだろう。
おかげで地上からは底が見えなかった湖にも深く潜りこむことができる。
また、一紗眼に氣を集中させて水中でもゴーグルを付けているような視野を得ていた。
――岩陰や底の水草を探すこと十分。
(あった! 癒深栖!)
美鳳がイメージで見せてくれたモノと同じ形状の水草を発見。摘み取るために近くまで潜っていく。沢山生えていたので、その中のいくつかを取って懐に仕舞いこんだ。
(幸いにも簡単に見つけられた。そろそろ息が限界だし良かった。しっかしどんだけ深いんだよ。この湖……)
目的は達成したので水面を目指して光の射す上方へ泳いでいく。しかし半分くらい泳ぎ終わると、目の前を黒い物体が遮った。その物体は一紗めがけて襲い掛かってくる。
(ちっ! 美鳳が言っていた妖魔か?)
水中なのでその攻撃をうまく躱すことができない。そして体が鉛のように重い。これでは攻撃する手段はない。そんな一紗を嘲笑ってか弄ぶような生殺しの突進攻撃を続ける妖魔。
(反撃できねぇ……)
さらにはブレスのようなものを吐くいてくる。それは水圧となって一紗を底に押し戻してしまった。水底にぶつけられた一紗は口に溜めた空気を失い、激しい痛みに襲われる。
ちょうど光が射しその姿を鮮明に捉えることができた。
(――っ!?)
その妖魔の形状は龍そのものだった。莫大な氣を纏っており、あまりの神々しさに目を奪われてしまう。一紗は朧気な意識の中、「龍種の妖魔には近づくな」と牙王から忠告されたことを思いだした。記憶の中の彼に言われるまでもなく潜在氣量に圧倒的な差があった。まともに戦えば死は避けられない。
思い悩む一紗の脳裏に浮かんだのは高熱でうなされる蕾華の姿だった。
(俺は立ちはだかるのが龍だろうが、コレを持って帰らなきゃいけないんだ)
一紗の目的は龍種妖魔を倒すことではない。初対面のとき美鳳が言ったように避けられる戦いもある。一紗は己が目的を達成するため龍種と戦わないことを選んだ。
(アイツをやり過ごすためには俺の存在を忘れてもらうほかない)
氣の流出を抑えて気配を極限まで消す。暗殺者がよくやる手段だが、龍種に小手先の技を通用しない。一紗はさらに気配を殺していく。水に溶けるように同化するように。
すると龍種妖魔は一紗を探しだした。一紗を見失いかけているようだ。だが遠くに行かないということはまだこのあたりで気配を探知しているということだろう。
(もう少し……)
一紗は己の心臓の鼓動さえも数秒止めて去るのを待った。すると、完全に妖魔は一紗を見失ったようでどこかに消えるように泳いで行った。
(行ったようだな)
心臓が再び鼓動しだした一紗は起き上がり、水底を蹴って水面を目指した。
一紗は癒深栖を片手にびしょ濡れで帰ってきた。美鳳は仲間の無事の帰還に安堵する。
「美鳳、蕾華はどうだ?」
「呪毒の解法は完了しました。彼女が生命力の強い《杜族》だったのが幸いでした。並の民族ならもちませんでしたよ。あとはその癒深栖をこちらに」
美鳳は受け取った癒深栖を細かくすり潰すと、所持していた他の粉末を混ぜ合わせた。そして水と共に蕾華に飲ませる。
「蕾華、苦いですが我慢してください」
「うっ……」
無事薬を飲み終えた蕾華は段々と顔に生気が戻ってきた。
「これで後は回復を待つだけです」
「よかった……。美鳳、ありがとう」
「私も蕾華とは友人ですからね。でも少々疲れました。先に休ませてもらいます」
美鳳は近くの柔らかい砂に横になる。かなり集中して呪毒を解法していたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。一紗は感謝のしるしに近くで取ってきた藁を布団代わりに被せてあげた。
そして生気が戻った蕾華に目を向けるとその手を握る。す蕾華も一紗の手を握り返してきた。
「ごめんなさい。油断して迷惑かけて」
「無事ならそれでいい。だがどうした? お前らしくもない。俺と戦った時は殺気こそなかったが動きにもっとキレがあった。あんな攻撃避けられただろ?」
沈黙する蕾華。調子が悪いと取り繕うにも限度がある。それだけ彼女の動きは緩慢だった。
一紗は彼女を信じて次の言葉を待った。
「………私、怖かった」
「怖い? 蕾華が何を恐れるんだ? 闘うことか? それとも死ぬことか?」
その問いかけに頭を振る蕾華。《杜族》の彼女が恐れるものがあることに困惑する。二人の会話を聞き漏らすまいと狸寝入りを決め込んでいた美鳳が耳を傾けていた。
「私は……一紗さまが異世界出身だって聞いて、帰りたいって聞いて……胸の奥が締め付けられたの。離れ離れになってしまうんじゃないかって」
蕾華の不安を一紗は笑い飛ばした。
「ハハハ。馬鹿、お前、そんなことで悩んでいたのか? 俺は帰りたくても帰れねーんだよ」
「それは逆に言えば、帰る方法さえあれば、今すぐにでも帰るんでしょ?」
「……そ、れは……」
予想外の追及を受けて言葉を濁してしまう。一紗としては確かに帰れるなら帰りたかった。そもそもの始まりは帰る手段を探してくれるという美鳳に協力したことだった。帰れる手段があるというなら喉から手が出る程欲しかったはずだった。
しかし彼女の心には奇妙なシコリがつっかえていた。
蕾華は隠している罪悪感に耐えきれず、ついに自身の鞄から小さな本を取り出した。『異界渡航碌』と書かれた本だ。
「私はね……見つけていたの。あなたが帰る方法を」
「え?」
「なっ、聞いてませんよ!?」
信じられない事実に狸寝入りをしていた美鳳が飛び起きた。
「お前、起きてたのか?」
「そんなことはどうでもいいです。それより蕾華、その本は?」
「これは《杜族》の……【木国】に伝わる本よ。内容は、異界より来た学蘭を纏った武商が諸国漫遊の旅を完遂した後、異界へ帰ったというもの。当然彼がどうやって帰ったかも書かれている。武商の出身は日本という平和な国だったそうなの」
いきなり指示された帰還方法。驚きのあまり言葉が出ない。美鳳の方もまさか蕾華が一紗が帰る方法を知っているとは思わなかったようだ。
「それは本物なのですか?」
「分からないけれど、一紗さまがこの本に書かれた方法を試して成功すれば、永遠のお別れになっちゃう。だから……私は悩んで……」
一紗は本に手を伸ばしてその内容を見てみる。突然こちらの世界に来た武商が困惑しながらも商いをしながら旅を続けてついに帰っていったという経歴が羅列されていた。そして気になる帰る方法について書かれたページをめくろうとした時、その手を掴まれた。
「一紗さま! 私、戻ってほしくない! 帰らないで!」
蕾華は涙ながらに訴える。彼女は一紗を慕い、一紗のためになることを率先してやってきた。しかし一番一紗のためになることを実行すれば、彼女が悲しむ結果に終わってしまうのだ。それ故思い悩み、戦場で隙が出来てしまう程苦しんだのだ。
「蕾華……」
どうすればいいのか分からず頭を掻きむしる一紗は救いを求めるように美鳳に視線を送る。
「私が残ってほしいといえば、貴女はこの世界に残ってくれるのですか?」
「……それは」
「次の決戦で私は【愁国】を取り戻すつもりです。故郷を取り戻すことが出来れば目的の一つは達成します。紅華帝国全土を平定するにはまだかかりますが、【愁国】奪還後の段階でなら貴女が抜けるのも自由。そういう契約でしたしね。……決めるのは貴女です」
(俺は……俺はどうしたらいいんだ?)
頭を抱えて思い悩む一紗。
蕾華は意を決して悩んでいる一紗の唇を奪った。
「―っ!?」
いきなり目の前で起きた事象の衝撃で固まってしまう美鳳。一紗も何が起きたか分からず、されるがままである。
そしてゆっくり唇を離されると、口づけをした少女は涙を零しながら呟いた。
「……どうしても帰るつもりなら……私も連れてって。一紗さまと一緒にいられるなら私はこの世界のすべてを捨てても構わない……」
「蕾華……お前……」
蕾華はいつか故郷に帰って親と和解したいと思っていたはずだ。だがそれを捨ててまで一紗と共にいることを望んでくれた。一紗は今一度元の世界のことを回想する。「面白くない」と考えられるほど満ち足りた日常。平和な日常。しかしここまで自分のことを求めてくれる人間がいただろうか。
(……そうだ。俺は誰かに必要とされたかった)
活躍する場や魔法のような力、真新しい世界。確かにそれらも求めたが一紗を異世界に駆り立てた一番の理由は承認欲求だった。「誰かに認められたい。望まれたい。求められたい」それこそが神に祈った理由だった。異世界を望んだ理由だった。
ようやく結論が出た一紗はパタンと本を閉じた。
「俺は……帰らないよ」
「え?」
「こっちの世界でやらなきゃいけないことがまだあるし、俺の故郷では手に入らなかったモノがここにあるからな」
一紗は二人の美少女を見てウィンクする。
「一紗さまぁ!」
一紗に抱き着き、その胸に頭を埋めて泣きじゃくる蕾華。ここまで好意を向けられると照れくさい。蕾華から視線を外すとバツの悪そうな顔をする美鳳と目が合った。
「美鳳もありがとうな」
「私は……蕾華のように人生を懸けてまで貴女を引き留められませんでしたが?」
「お前の立場上、ここまで来て全てを放り出すことはできないだろう? それに俺の意見を尊重してくれるのも蕾華の優しさとは違った形の心遣いだと思うぜ?」
「……乗せるのがうまくなりましたね」
美鳳は自分の髪を弄りながら頬を紅くした。
どさくさに紛れて一紗は土属氣巧術を使いました。
はい、彼女は武術以外で氣巧術を使えないのではなく〝使わない〟のです。
生き残るために他者の技を盗んできたため、五大民族に及ばないまでも属性氣巧術などは一通り使えます。
ただ、殴った方が早いために普段は敢えて使っていません。
飛んでる蚊一匹を始末するために殺虫剤を取りだすのが無駄なので手で潰すのと同じ理屈ですね。
そして龍種妖魔の登場です。
文字通り格が違うのでこの時点の一紗ではまだ勝てません。
牙王師父、ちょくちょく出てきますね。
また今回は決断の回でした。
一紗は自分の求めるものを再認識して「帰らない」という選択をします。
これは大きな決断です。
蕾華も正直に乙女の想いを告げました。
美鳳は……まだ自分の感情を決めかねているという状態ですね。
蕾華が回復し、鎧兜勢力との戦い第二ラウンドの始まりです。




