蕾華の葛藤
計略をもって陣地を奪い合う、それが戦争です。
【愁国】の覇者に相応しいのは兄か妹か。
翌朝になってもずっと一紗と美鳳で対話している。蕾華は相変わらず心ここにあらずという様子だった。大戦の前にこれでは駄目だと美鳳は心配になった。もう一人の相棒は鈍感すぎるので少し席を外してもらうことにする。
「一紗、ちょっといいですか?」
「あ? なんだよ」
「旅立つ龍宝に食料の大半を渡してしまったので、私達の分が足りません。ちょっと調達してきてください。獅子肉と魚と野菜と……」
「全部じゃねーか! たくっ、仕方ねーなぁ。お前も考えなきゃいけねーことが色々あるんだろーが食糧の配分くらい最初に考えてほしいぜ」
文句を言いながらも言われた通り一紗は食糧確保の狩に出かけた。そして一息つくと落ち込んでいる蕾華に語り掛ける。
「さて、蕾華。悩みがあるんなら言ってください」
「へ? ななな何でっ!?」
あからさまに狼狽する蕾華。取り繕うこともできず言葉に詰まってしまっていた。
彼女の態度があからさまだからというのもあるが目敏い美鳳が仲間の異変に気づかないはずはない。
「【慶酒】を出た辺りくらいからどこか上の空でしたし、何か懸念点でもあるのですか? 察するに一紗に関係あることだと思いますが……」
「あなたは優れた交渉人ね。そんな細かいところまで見てるなんて。一紗さまには動揺を悟らせないようにしていたつもりだったけど……」
蕾華は【慶酒】の書庫で一紗が「異世界に渡る方法」を探している場面に出会った時に、彼女が異世界出身であり、帰りたがっていることを知ったことを打ち明けた。そしてもしその方法を見つけてしまったら、彼女が自分を置いて帰ってしまうことを心配していたと胸の内を明かした。
「そうでしたか。……実は私もそれについては心配しています」
「美鳳も? じゃあ一緒に頼もうよ! ここに残って生きていこうって!」
一紗を引き留める仲間ができたと思って少し顔を明るくさせる蕾華。だが美鳳は首を横に振った。
「私は彼女を傍盾人に引き立てるとき、元の世界に帰る方法の模索を交渉材料にしています。見つけたら速やかに一紗に伝えなければなりません」
「でも! 伝えたら帰っちゃうんでしょ!? 美鳳はそれでいいっていうの!?」
「良いわけないでしょう!」
美鳳は珍しく声を荒げた。その眼は涙で潤んでいる。
表に出していないだけで彼女も一紗との別れは望んでいないのだ
「一紗は大事な戦力であり、傍盾人であり、仲間です。失っていい訳がない。……でも、彼女はその方法を探って十年余りこの世界を彷徨い続けたのです。元の世界に戻るかどうかは彼女の自由です。そして、もし帰ることになっても仲間として笑顔で見送ってあげねばなりません」
「……そう、よね。うん、それが一紗さまのため……」
彼女の言い分は尤もだった。何が一紗のためになるか考えればそうなる。
美鳳と話して多少楽になったが、やはり『自分がその一紗が元の世界に帰れる可能性』を持っていることまでは言えなかった。
そして美鳳もまた一紗に元の世界に帰ってほしくない想いがより強くなっていた。彼女と別れるには沢山の思い出を背負いすぎた。もう『【愁国】を取り戻すだけの戦力だった』とは割り切れなくなっていたのだ。
「元の世界に戻る方法を交渉材料にしたのは失敗だったのでしょうか……? いえ、あの時はああいうしか一紗を懐柔できなかった。仕方なかったのです」
やがて獅子を背負った一紗が帰ってきた頃、山頂から見える州都【武言】が騒がしくなってきた。一部から火の手が上がっている。
「ん? 一体どうしたんだ?」
「周囲の盗賊が【武言】に仕掛けたんですよ」
数で劣る兵力を補うため、美鳳は近くの廃墟などをねぐらにしていた盗賊達に「州都が危ういので攻めるなら今だ」と情報を流して襲わせたのだ。これで鎧兜派の兵隊との潰し合いになる。上手くいけば州都の近くの不逞犯罪者と鎧兜勢力を一掃できると考えたのだ。
――武言城。玉座から立ち上がった鎧兜の怒号が鳴った。
「盗賊共が仕掛けてきたと!?」
「はい。【武言】は今、【利邑】や【慶酒】に兵を遠征させていて手薄だという情報がどこからか流れているようで……」
「小賢しい美鳳か。二つの町を落としたと聞いたときにまさかとは思ったが、【武言】にいた頃より狡猾になってやがる」
三年前、鎧兜はお花畑のような平和主義、理想主義を抱えた妹から簡単に政権を奪取した。結果的には逃がしてしまったが、最初の謀反で妹の命を取らなかったのはこの乱世で甘い考え方をする妹は長くないと考えたためだった。野垂れ死にするか平民に身を落として生活するかのどちらかしかないだろうと思っていた。しかし、優しかった妹は狡猾さと力を手に入れて故郷を攻めるまでに至ったのだ。
「鎧兜様、いかがいたしますか」
「盗賊は俺が直々に潰してくる。アイツへの伝言もあるからな」
城の上階から最下層に着地した鎧兜は馬車よりも早く門前へと駆けていく。
数分後には衛兵が手を焼いている防衛線まで駆け付けてしまった。
盗賊たちは豪華な鎧に身を包む鎧兜を一瞥すると偃月刀を向ける。
「なんだぁ? お前が親玉か? カハハ、この町はもらうぞ!」
「身の程知らずが。爆ぜろ」
高笑う盗賊の額に指がめり込んでいる。いつ攻撃されたのかも理解できなかった彼は防御もとれなかった。
遅れて盗賊の仲間達が気付くがそのときには彼の頭が爆発した。
「なっなんだ? ぐっ」「がっ!」「げっ!」
仲間が爆ぜたことに動揺した虚を突いて、鎧兜は目に入った全ての盗賊の経孔に一撃ずつ入れていく。あまりの手際に盗賊達は反撃もできなかった。
ようやく自分達が攻撃されたと理解して鎧兜を睨む。
「お前達に与えられた思考時間は三秒だ」
「なにを――うっ!」「どべっ!」「ぴぎゃ!」
盗賊達は頭や首、腹や胸などの経絡が暴発し内側から爆発してしまった。言葉を失う者、悲鳴を上げる者、命乞いする者にも容赦はなかった。己の凶拳を振るい爆殺していく。遠くから弓矢で狙う射手は所持していたボウガンで逆に射殺してしまった。
「やはり《鏐族》が制作に関わった武器は殺傷力が違うな。ンガガガ!」
満足そうに武器を仕舞う鎧兜の周囲には血と肉の破片ばかりが散らばっている。味方のはずの衛兵達も目を覆いたくなる光景だった。【武言】に残っていた美鳳派の官僚達はこの現実を前に臆してしまった。
「はたしてお優しい美鳳様でこの男に勝てるのか?」
――山頂で待機していた美鳳達の元に、森林から盗賊と思われる男は満身創痍でトボトボと歩いてきた。警戒する一紗達。彼は美鳳を見つけると立ち止まって口を開いた。
「あっ……伝言。……美鳳、国が欲しければ城に来、いぃいいいっ!?」
鎧兜からの安い挑発ともとれる伝言を告げた次の瞬間、盗賊の男は爆散した。
「これはっ覇兇拳!? ということは早くも盗賊達は返り討ちにあったようですね……」
「これが覇兇拳? なんて恐ろしい。ご先祖様から聞いてはいたけど……」
「嘘だろ、おい……さっきまで生きてたんだぞ……」
実際に目にする殺人拳は恐ろしいものだった。さっきまで生きていた男が内部から氣が暴発して爆散したのだから怯えるのも当然だ。だが【愁国】を取り戻すためにはこの恐ろしい殺人拳とやり合わなければならない。
一応望遠鏡で覗いてみると、煙が上がる中侵入してきた盗賊達は覇兇拳の前に肉塊へと変えられていったのを確認できた。鎧兜の姿が見えなかったが、覇兇拳の犠牲者が出ている以上、町の収拾にあたっているのだろう。
武術家の一紗と蕾華は感覚を研ぎ澄ますことで、覇兇拳による氣の乱れを敏感に感じ取っていた。
「【武言】の氣の流れがおかしい。波長が狂って沢山の命が消し飛んでいくわ」
「蕾華も分かるか。なんて凶悪な拳法なんだろうな。これじゃあ……盗賊共は全滅だな」
戦況が悪いのは【武言】だけではなかった。【利邑】は貴従兵達と守備兵達が一丸となって防衛しているが、鎧兜派の猛攻もすさまじいものだ。一瞬の油断も許されない。町への侵入を許せば物資を奪われてしまうのだから外門を守り、籠城戦を続けている。
そして【慶酒】でも鎧兜軍の突撃が何度も行われていた。
「龍宝の兄貴、こっちに来てる奴らも鎧兜派の主戦力になる奴らだぜ?」
「そのようだな。【利邑】の部下達も手こずっていると聞く。もしや【武言】の守りは手薄なのでは……?」
「どうするんだ。兄貴?」
泰然一派は龍宝の指示を待つ。
「第一防衛線を破棄し後方へ下がる」
「えぇ!? いいんですかい?」
「元々第一防衛線は妖魔に荒らされた外町のさらに一番外側だ。復興も進んでいなかった。拘る理由もない。いらなくなった例のブツを置いていけ」
「へい。よーっし! みんな引き上げるぞ!」
「「おぉ――!!」」
覇兇拳の前に呆然とする一紗達だったが、状況は常に動いている。《顔無》から逐一報告が入る。【利邑】の兵糧攻めが効いた鎧兜一派はさらに【利邑】への攻撃を激化させたらしい。本気で奪還に来ているようだ。同時に【慶酒】にも主戦力が攻めてきていることも派遣している《顔無》の伝書鳩より連絡された。
直後に他の《顔無》からも新たな連絡が入った。
「【慶酒】、第一防衛ライン突破されました!」
「なっ!? アイツ、何負けてるんだよ!」
「いえ、これでいいのです」
「負け戦がいいってどういうことなの?」
「これは戦略的撤退です。撤退時に酒壺を置いていくよう指示を出しました」
美鳳の目論見通り、敵兵は廃棄された第一防衛ラインに残っていた【慶酒】の酒を壺ごと持って帰ったようだ。そしてその酒を飲んだ州都の兵士たちは意識薄弱になり弱体化していっていると次々に連絡が入る。
「――成程。宋の置き土産か。薬入りで使えなくなった酒をここで利用するとは策士だな」
「【愁国】を我が手に取り戻すためには使える物は何でも利用しますよ」
【慶酒】から戦利品として持ち帰った薬入り酒は鎧兜軍の多くを酩酊状態に陥らせた。気づいた鎧兜が破棄させたが、兵は不当に酒を没収されたと鎧兜に不満を持ち士気が下がってしまった。美鳳の作戦通りである。
――それから数日が経過した。戦争はまだ続いている。美鳳も鎧兜も町同士の攻防戦は続けているが、互いに敵の本拠地にまで攻められていなかった。
美鳳は情報を地図に纏めて逐一分析し、その間は一紗と蕾華が食糧調達に出かけている。
長期戦を覚悟していた美鳳に精神的な疲労は見られなかった。
「美鳳、食糧を取ってきたけど、状況はどう?」
「膠着していますが消耗戦になればこちらが有利です。元々【利邑】は交易の町として栄えていましたし備蓄は十分。【慶酒】も宋が自給自足の体制を作りかけていたので龍宝がそれを利用して防衛戦を展開しています。対して敵軍は補給場がないので長くは持たないでしょう」
「そう。ならよかっ――」
「敵襲だァ―!」
森の向こうから返り血を浴びた一紗が叫びながら走ってきた。続く追っ手を容赦なく殺していくが、数が多いので撒き切れない。すかさず蕾華が樹杖で助太刀に入る。
「一紗さま、こいつらは!?」
「賞金稼ぎだ。【愁国】は俺達三人の首に賞金を懸けたらしい」
「えぇっ!? 《顔無》からそんな情報は聞いていませんよ!?」
今回は敵の情報操作が上を行ったようだ。覇兇拳と兵力差ばかり警戒していたが、悪知恵が働くようだ。考えてみれば美鳳から謀略で国を奪った男だ。何をしてきてもおかしくはないと気づくべきだった。
賞金稼ぎが次々と仕掛けてくる。美鳳が結界を張ってもすぐに居場所を突き止めてしまう。結界探知や結界破りを心得た凄腕まで彼女達を狙ってきているようだ。しかし《杜族》と惡姫の武勇に勝るものはなし。向かってくる敵を蹴散らしていく。
「我流――〈紅孔雀〉!」
一紗の我流拳が炸裂する。背後の敵が血しぶきを巻き上げた。その姿が羽を広げた孔雀のように見える。あまりの美しさに見惚れてしまった別の敵にも容赦なく手刀を御見舞いする。
「木属氣巧―――〈乱喰林〉!」
蕾華も木属氣巧術を発動。彬のような細い木が地面から生えていき、賞金稼ぎ達を穿っていく。躱しきった敵には蕾華の棒術が炸裂し、グシャリと骨を砕かれる。
美鳳を守りながら、乱れ舞う二人は時に背中合わせで戦う。蕾華はその頼もしさを実感した。さらに愛おしさを再認識した。その分、一紗が帰ってしまうということに対して恐怖心が満ちていく。
戦闘中に「自分が怪我をすれば一紗が心配して残ってくれるかもしれない」という想いが心の底から沸き上がり、彼女の動きを一瞬鈍くしてしまった。
「もらったぁ! 死ねぇ!」
隙が生じたせいで槍を構えた賞金稼ぎに狙われてしまった。その槍による刺突が腕に掠るが、カウンターで叩き潰す。
敵を倒したはずが、同時に視界がぼやけて立っていられなくなる。
「ぐっ……これ、は……毒?」
蕾華はその場に膝をついてしまう。尚も体を支えることができず地面に倒れ伏した。
紅兄妹の攻防が始まりました。
そして一紗を想うあまり不覚をとってしまった蕾華、果たして!?
……といった具合で次回に続きます。




