決戦の準備
美鳳はようやく州都【武言】を目前に捉えました。
三年前までは彼女がこの地を治めていたのです。
【慶酒】での祝勝会を終えた一紗達は州都【武言】に進路を取った。
既に【愁国】の主たる町である【利邑】と【慶酒】を手中に収めたのだ。経済と酒造を担う二大町を奪われた州都【武言】はかなり弱体化しているはずだ。実際鎧兜の部下で日の浅い者は一部逃亡したとの噂も流れだしていた。
山をいくつか越えた先が【武言】である。山という自然の要塞に囲まれた大都市【武言】は美鳳が治めていた頃は紅華帝国の臣民から〝美都十選〟にも選ばれた程の均整の取れた美しい町だ。
しかし今は敵の本拠地。警戒していくより他にない。実際、州都に近づくにつれて鎧兜が放ったとされる刺客と何度も交戦することになった。情報収集しようにも捕らえた刺客は自決してしまうのだ。
「鍛錬された刺客ですね。流石は兄上の配下」
「数も増えてきましたし、油断できませんな」
「…………」
蕾華は暗い面持ちで無言を貫く。いつもなら一々一紗に絡んできていたが、最近はずっと大人しかった。しかし鎧兜対決のために集中していると考えた仲間達は特に突っ込まなかった。
「なぁ、美鳳。兄貴について知ってること教えてくれないか? ぶつかる前に奴の戦術とか知っておきたい。今まで思想や性格ばかりしか教わってねーぞ?」
「――そうですね。今までは不必要な情報は取捨選択して目の前のことに集中してもらってきましたが、兄・鎧兜を眼前に捉えた今、話しておくべきかもしれませんね。どうか、委縮しないで聞いて下さい」
あまりにもったいぶるので怪訝な表情を作る一紗。
美鳳は咳払いすると、鎧兜に関する最も重要な情報を話し始めた。
「……兄は体の丈夫さを誇る《膂族》の血を引いており、一紗と同じ拳法家なのです」
「へー……、どんな流派なんだ?」
「使う流派は『護帝覇兇拳』。大陸最凶と呼ばれる暗殺拳です」
美鳳は護帝覇兇拳の知りうる情報全てを解説し始める。
一言一句聞き逃しまいと耳をそばだてた。
曰く、始皇帝が大陸を統一し大帝国を築けた理由の一つが覇兇拳らしい。なぜ最強の氣巧術師と呼ばれる五大民族と始皇帝が渡り合えたのか。それは始皇帝の側近に覇兇拳の使い手が存在したため、というのだ。
始皇帝の護衛で活躍したので、その栄誉を称えられて後世に〝護帝〟覇兇拳と呼ばれるようになったようだ。
「この拳法がなぜ最凶と言われているか。――覇兇拳は氣巧術師の天敵だからです」
「天敵?」
「氣という力は体の経絡を流れているのはご存知ですよね。その経絡の中には経孔というツボがあるのです。そこは氣が放出する場所でもあるのですが、覇兇拳はその経孔を正確に突くことで氣の流れを止めることが出来ます」
「何だって!? それじゃあ氣巧術や肉体を強化する氣巧武術が使えなくなるのか!?」
本当なら恐ろしいことだ。紅華帝国の武道家は強い者程氣巧術の達人である。己の肉体を強化し、或いは術を発動して圧倒するのだ。それは異世界出身の一紗も同じである。ところが覇兇拳はそういった武道家の戦い方を根本から否定する技だった。五大民族が始皇帝の傘下に下ったのも頷ける話だ。
しかし美鳳は更に絶望的な事実を口にする。
「氣を封じるだけではありません。覇兇拳は逆に氣の流れを増幅させることもできます」
「増幅? 今までの話から察するに自身の経孔を刺激してセルフ強化できるってことか?」
「それも可能ですが、もっと恐ろしい使い方をしてきます。覇兇拳の極意は内部からの破壊にあります。経孔を刺激し、不必要に氣の流れを増幅させることで、肉体を暴発させるのです」
それは清涼な川が大雨で水位が上がり氾濫するようなものだった。持て余した氣が体外に出ようとして体を内から破壊するのである。
「恐ろしい話だな……。覇兇拳相手に接近戦は難しいか」
「ええ。下手に近づけば経孔を突かれて終わりです。内部から破壊されるか、氣巧術を封じられるか、いずれにしても次に待っているのは〝死〟です」
「俺も遠距離技はあるにはあるが、そんなに数がない。ここは蕾華の木属氣巧に頼ることになるか……」
蕾華の方を見ると、彼女は不安そうな顔で俯いていた。その表情は青白く何かに怯えているようだ。覇兇拳を危惧していると思った一紗は彼女の肩を抱いて精一杯元気づけた。
「心配するなって! 俺と蕾華がいれば、相手が覇兇拳でもどうにかなるさ。美鳳だって俺達がやられないように策を練ってくれるだろうし、一応龍宝もいるし」
「人をオマケみたいに言うな」
同席していた龍宝が睨みながらツッコミを入れる。
だが蕾華の表情は晴れなかった。
「私は……別に。何でもない。ちょっと失礼するわ」
蕾華は野宿の火の前から一人席を外す。
「なんだ? あの憂鬱そうな態度……。はっ! もしかしてあの日か!?」
美鳳はふざけたボケをかます一紗の頭を扇子で叩いた。だが美鳳も蕾華の態度は少し気になっていた。いつもは不必要な程ベタベタしているはずなのに、【慶酒】を出発する前日くらいからずっとあの調子だった。一紗は特に気にしてないようだったが、聡明な美鳳は蕾華の感情の機微を敏感に感じ取っていた。
蕾華は木の上で一人考え込む。
『そんなの過去の話だろ? 今のお前を弱いと言う奴がいるなら、それが王だろうが俺が否定してやる。蕾華は努力し強くなったぞ、と他の王族の前で俺が保障してやる』
かつて蕾華を激励してくれた言葉が心に響く。その言葉で【愁国】内を彷徨っていた蕾華はいずれ故郷の【木国】に帰る決意に踏みこめたのだ。
「一紗さまも帰りたい、よね……」
蕾華は膝を抱えて一紗の心中を想う。
誰だって故郷は愛しいものだ。蕾華自身も故郷に帰る腹づもりができた途端、不思議とその日が楽しみになってきていた。ならば、一紗の帰りたいという気持ちを責めることはできない。理性では分かっていても感情で認められなかった。
「私と一緒じゃ幸せになれないの……?」
再び歩き出した一行は日暮れにはついに州都【武言】を一望できる山頂までやってきた。美鳳が言った通り、【武言】は均整の取れた町だった。不況や妖魔に目を瞑れば【利邑】や【慶酒】も中々の町だった。しかし【武言】はさらに規模が大きく美しかった。美鳳は感慨深い様子で城下町を見下ろしている。
「ついに帰ってきました」
「長い道のりでしたな。もう三年前になるんですね」
「手の届く距離まで来れたのが……嬉しくて。もう、見ているだけで士気が上がります」
かつてはこの町で暮らしていた二人は涙声で喜ぶ。【愁国】から都落ちした彼らにとってはついに来たという達成感とこれから故郷を取り戻さんとする高揚感等様々な感情が渦巻いているのだろう。
その時、《顔無》の少女達数人が木々を伝って降りてきた。先遣隊として潜入し、町の情報を調べていたようだ。仮面で表情が分からないが、焦っているように感じとれた。
代表者としてその内二人が前に出て頭を垂れる。
「あなたたち、どうかしたのですか?」
「【武言】に不穏な動きあり。美鳳様を迎え撃つ腹かと……」
「また、落とされた【利邑】、【慶酒】を奪還しようとする動きが再び軍に」
「分かりました。引き続き探ってください」
「「はっ!」」
報告を終えた《顔無》はすぐに散って行った。
「予想通りという感じでしたね。【利邑】を制圧した時、州都【武言】への流通を止めたのが効いてきましたね。これで鎧兜の主軸の補給路は断ったはず」
「……兵糧攻めは兵法の基本ね。流石は美鳳。だから【利邑】を先に落としたのね」
蕾華は不安を気取られないように会話に参加する。
「ふふ、余程焦ったのでしょう。最近はじわじわと効果が出てきて【利邑】を奪還しようと何度か仕掛けてきたようですが……」
「――残してきた貴従兵に返り討ちにあったと。こうなることを見越して貴従兵を龍宝以外【利邑】に留めたんだな」
美鳳は知略家だった。先に【利邑】を落としたのも未来を考えてのことだった。しかし【慶酒】を落とされて敵も本気になったようだ。これから両町を奪還する動きが加速していくことだろう。なんとしても奪い返される前に州都を陥落させる手段を考えなければならない。
即席木造ハウスで野宿する美鳳達は作戦会議を開いた。
最初に意見を述べたのは龍宝だった。
「二つの町を守りながら州都を落とす兵力はありません。貴従兵も【利邑】を守るのが精いっぱいです。どうするおつもりですか?」
美鳳は情報を整理しながら深く考え込む。一紗と蕾華も口を挟まずに彼女の答えを待つ。作戦立案能力は彼女が一番高いからだ。やがて脳内シナリオのプロットが完成したようだ。
「【利邑】はこのまま貴従兵に任せます。【慶酒】は泰然一派と……龍宝、貴方に任せます。ただし今回は防衛戦。深入りはしないでください。追って指示を出します」
「――っ! 分かりました。州都に攻められないのは残念ですが、それは【利邑】に残してきた部下達も同じこと。その任、引き受けましょう」
信頼し合った主従関係の二人は互いの領分、得意分野を熟知している。だからこそこの采配になったのだろう。一見、【慶酒】防衛は泰然一派から好かれている一紗や蕾華に任せた方がいいように見えるが、防衛戦という観点で見れば龍宝に任せた方が無難である。
龍宝は個人の戦闘力も高いが、将軍としての指揮能力もある。美鳳が【愁国】の領主だった頃は若くして州都の防衛に務め、鎧兜の謀反に遭った際は主を連れて撤退戦を完了させている。今日まで美鳳が無事生きてこれたのも彼の存在によるところが大きい。これが最善の手だった。
「鎧兜戦には参加できぬかもしれぬが、【慶酒】の防衛を任された以上全うするつもりだ。一紗、蕾華、美鳳様を頼むぞ」
「ああ」「……うん」
美鳳から詳細な指示を伝えられた龍宝は、敵が攻めてくる前に【慶酒】へと退き返した。
残ったのは一紗と美鳳と蕾華の女子三人だ。流石にたった三人で州都に攻め込むことはないだろうが、龍宝が抜けてどうするかは一紗には想像が付かなかった。
「さて、ではそろそろ夕食にしますか」
「はぁ!? 何でこの下りでメシになるんだよ! 州都が目の前にあるんだぞ! 俺の高ぶった士気はどうすればいい!?」
「ゴミ箱にでも捨ててください」
「ふざけんなよっ!」
「別にふざけてなどいません。今はまだ仕掛ける時ではないのです。州都にはかつての私の部下もいます。今《顔無》を使ってこちらにつくよう説得しているのです」
流石に抜け目がない。確かに国ごと鎧兜に奪われたのなら執政している美鳳の身内もまだ【武言】にいるだろう。力になってくれる可能性は高かった。
「じゃあ内部工作が終わるまで待っていれば味方が増えるんだな」
「いいえ。彼らも今や鎧兜の部下という立場があります。簡単にこちら側に寝返ってはくれませんよ。命がかかっているのですから。故に【利邑】、【慶酒】の防衛戦を通じて揺さぶりをかけるのです」
防衛戦を成功させ、美鳳有利となれば勝ち馬に乗ろうとする者がでてくるはずだ。そこまで考えての待ち状態だった。何かあれば《顔無》から連絡が入る手筈となっている。
「しかしただ待っているだけで時間を潰すつもりはありません。先程ある誤情報を流しました。すぐにでも動きがあるはず……」
「はぁ~。……結局、動きがあるまで待機に変わりはないじゃないか」
「…………はぁ」
一紗達は作戦を立てながら夕食を食べる。その際も蕾華は一言も話さなかった。
やがて夜も更けて三人は眠りについた。
ふと気づくと、蕾華は真っ白な空間に佇んでいた。見覚えのない場所だったが正面には微笑む一紗が立っている。
安堵して声をかけようとしたとき、一紗の背後の虚空に穴が開いていく。穴の向こうには全く別の世界が広がっていた。
『じゃあな、蕾華。俺は元の世界に戻るよ』
『え? 待って行かないで! 私を置いていかないで!』
何度も呼び止めるも、一紗は蕾華には目もくれずに穴の中に入っていってしまう。必死に追いかけてその手を伸ばすが、一紗の体は虚空の穴ごと消えてしまった。
「一紗さま!」
悪夢に苛まれた蕾華は飛び起きた。隣に眠る一紗を見てほっと胸を撫で下ろす。一紗の存在を確かめるようにその布団に潜り込み、強く抱きしめた。
「一緒にいてよぉ……一紗さまぁ……」
蕾華は涙を流しながら再び眠りについた。
護帝覇兇拳の説明回でした。
美鳳の説明通り、五大民族を抑えた一番の理由です。
始皇帝の護衛が使うかの拳法により多数の死者を出した五大民族は和平へ舵を取りました。
美鳳も並の戦士では兄に抵抗できないと考えて
惡姫こと一紗を勧誘しています。それだけ危険視していたのですね。




