美鳳の怒り
姫さまのご乱心です。
どうするか考えていると、美鳳の姿を見つけた氣巧術師が結界内から駆け寄ってきてくれた。
「美鳳様、生きてあなた様のご尊顔を拝見できるとは……」
「再会の挨拶はまた後で。それよりこの町の惨状はどういうことですか?」
「取りあえず中にお入りください。お連れの方々も」
結界を張っている氣巧術師は一時的に出入り口を作ってくれた。一紗達が中に入って周囲を見渡すと、遺棄された外町と違って清潔な町が広がっていた。家屋に案内された一紗達は現状を把握しようと氣巧術師に話を聞くことにする。
「実は美鳳様が失脚された年から鎧兜一派の手下が町を支配するようになり、商売品の酒をあさるようになってしまい、治安が悪化したのです」
「なるほど、苦労されたのですね」
全ては美鳳都落ちから狂い始めたようだ。美鳳は自分が権力さえ失わなければと後悔しながらも必死に耐えた町人をねぎらう。しかし一紗は解せなかった。
「ちょっと待て。町の治安が悪くなったことと町まで妖魔が溢れてることがどう繋がるんだ?」
龍宝もその疑問に同調する。
「確かに変だな……。どういうことか説明してくれ」
「はい。【慶酒】は元々、妖魔が山から降りてくるので、我々氣巧術師が防衛していたのです」
それは美鳳から聞いた情報だった。彼らの存在があるから清い水や質の高い米、豊かな果実が取れ、酒造の町として安定して栄えることになったのだ。腕利き氣巧術師が守っているならなぜこんな事態に陥ったのか。
町人の男性達が重々しく口を開いた。
「鎧兜一派がいけねーんだ。腕利きの氣巧術師達はほとんど異民族との戦争のために徴収されたんだ。今残ってるのは最低限の手勢のみだ」
「それで町の守備が緩んだところを妖魔共に狙われちまって、俺達は外町を捨てて内町に閉じこもらざるを得なくなった」
過度な戦争のための徴兵が原因らしかった。それは【利邑】でも聞いた話だ。徴兵のせいで防衛の要を失ってしまい妖魔が大量に流入。町まで一気に突破されてしまったようだ。だが美鳳は本当にそれだけが原因かと首を傾げた。
(いくら兄上でも【慶酒】が手薄になるほど過度な徴兵をするでしょうか。町を落とされてしまえば本末転倒……)
徴兵以外の外的要因も考えられた。問題は現在の町人の暮らしだった。多くの畑があった場所は現在は外町として放棄されている。これでは農作がまともにできず酒造どころか食べ物まで苦労するだろう。おまけに妖魔のせいで外界と隔絶されて交易もできない状態だった。
美鳳は今の町の惨状を見て、自分が治めていた頃との違いに心を痛めた。
「いずれにしても、私が政戦に敗れていなければ……」
「美鳳様は悪くないです。今だって私達のために心を砕いてくれてるじゃないですか」
「そうだ! 全部、鎧兜一派が悪い。タダ飯ぐらいで! 頭数ばかりいる癖に肝心な時に役立たずだ!」
「なんだと!?」
声を上げたのは外から入ってきた筋肉質の男達だった。一様にモヒカンヘアで肩パット風の鎧というまさに世紀末スタイルである。
「ひっく、客が来たからって騒ぎやがって……集まって都督様の陰口とはいけね~なぁ」
赤い顔で吃逆を繰り返す男達はずいぶん酔っているようだ。彼らは美鳳達女性陣を見て「ひゅ~」と口笛を鳴らした。彼らの視線は太股や胸、尻にばかり注がれている。
「客は良い女ばっかりじゃねーか。酌させろ」
「お酒ではなく、煮え湯なら飲ませてあげますよ」
「なぁ~にぃ~?」
美鳳は痩せ衰えた町人や、窓から見える荒れた外町を眺めてからモヒカンたちを睨んだ。
「私は今、怒っています。龍宝、一紗、蕾華、彼らに町の人の苦しみの一部でも分からせてあげてください。生死は問いません」
冷静な美鳳にしては珍しく怒りの感情が言葉にも出ている。交渉術で丸く収めようとしている彼女らしくはないが、自分の領地だった場所をめちゃくちゃにされていれば怒るのも当然だろう。【利邑】は失職者や転居者は出ていたもののまだ死者がでていなかった。だが今回は多数の死者が出ているのだ。
「まぁ、殺してもいいならそうするが……なっ!」
一紗は向かってきた男にアイアンロックを決め、そのまま血祭りにあげた。
姑息にも町人を人質にしようとしていた男は龍宝が串刺しにする。古巣を汚された彼も激怒しているようだ。
「よ、よくみれば、鎧兜様の政敵・美鳳じゃねーか! 何しに戻ってきやがった!?」
「それは勿論、【愁国】を我が手に取り戻すためです」
「ほざけっ!」
警棒を掴もうとした手は蕾華の樹杖に弾かれてしまう。そのまま樹杖の先端で乱れ突きされて倒れ伏す。
唯一生き残った男はガタガタと震えながら命乞いを始めた。
「た、助けてくれ。俺は鎧兜様の命令でここに来ただけだ」
そんな彼に目線を合わせて一紗は凄んで見せた。
「町人の話では、テメェら役人は酒に溺れて、妖魔退治もしてねーらしいじゃねーか。税金泥棒か? 何のためにいるんだ?」
「お、俺以外の役人もみんなやってる! 俺だけを責めるのは筋違いだぜ?」
「テメェの汚ねぇ面見てると、元の世界の不正役人共を思い出すわ。みんなやってるんなら仲良く死にな」
「そん、な、べっ!」
一紗は男の頭を手刀で切り飛ばした。そこでふと冷静に戻った。皆殺し娘の惡姫だったが、不用意に殺してはならないと言われていたし、今も「生死を問わず町人の苦労をわからせろ」と言われただけだったが、感情任せに殺してしまったのだ。
久しぶりの血祭に一紗は自ら反省する。
「悪い。殺しちまった」
「構いません。少しくらい死んでいた方が脅しになるでしょう」
冷淡に告げる美鳳の視線からいつもの温かい雰囲気はなくなっていた。あまりの変貌ぶりに動揺を隠せない一紗は龍宝に耳打ちする。
「美鳳はどうしちまったんだ? いつもなら皆殺しにした俺を叱咤するのに」
「美鳳様の兄、紅・鎧兜は共に乱世を平定しようと近づき、その政権を乗っ取ったのだ」
「それは聞いたが……」
「美鳳様と俺と一部の貴従兵達は【愁国】州都【武言】を追われて、《顔無》の手引きで何とか小さな里に落ち延びた。美鳳様の私財も領土も全て奪われたのだ。しかも叛乱の最中、鎧兜の配下に何人もの部下を殺された。そしてようやく力を蓄えて戻って来てみればこの有様だ。怒らぬ方がどうかしている」
「へー、それで穏健な美鳳も鎧兜直属の手下には容赦がないのね」
樹状を廻して返り血を飛ばしていた蕾華も納得したようだ。
かつて美鳳は兄との決戦に備えて一紗を勧誘したと話していた。女だてらに無類の強さを誇り敵とみなした者を皆殺しにする、という惡姫の蛮勇を聞いた上で、だ。
危険な〝盗賊の巣〟に自ら乗りこんで口説きにかかる程彼女は〝力〟を欲していた。
普段は交渉術を武器にして調和を望む彼女が唯一兄とその関係者にだけは剥き出しの憎悪を見せているのだ。
「…………」
しかし一紗は解せなかった。いつも太陽のように温かく優しい美鳳が、恨む相手とはいえ、相手を殺すような命令を下したことが。
(敵を皆殺しにする〝惡姫〟としてはやりやすいはずなんだがなぁ……)
美鳳が凄腕の用心棒を連れて復讐に訪れた噂は【慶酒】中に轟いてしまった。美鳳帰還に活気づく町人が噂を殊更大袈裟に広めたのだ。【慶酒】現市政長は恐れをなして、配下を連れて市役城に閉じこもった。強い結界を張られては突撃することはできない。敵を皆殺しにして悪手を打っていた一紗と同じ間違いである。
美鳳はしかし、怒りの持っていき場を失っていた。
「仕方ありませんね。結界は私が壊します。皆さんは突入の準備を――」
「お前、ちょっと頭冷やせ」
「私はいつも冷静ですが?」
淡々と告げる美鳳に対し一紗は溜息をついた。そして彼女向かってシェイクした酒瓶の蓋を開け放つ。激しく振った炭酸飲料のように勢いよく飛び出した酒が美鳳の顔面に噴出していく。
「【慶酒】名物、炭酸酒だ。故郷の酒の味で昔の在り方を思い出すんだな」
「一紗、私は――」
言いかけた美鳳に逆方向から炭酸酒が噴出された。振り向くと、悪戯っ子のよう顔をした蕾華が笑っていた。
「ふふふ、どう美鳳? 美味しい?」
一紗とハイタッチして喜んでいる。予め示し合わせていたらしい。
雅な着物も美しい顔も酒でずぶ濡れである。
「あ、あなた達ねぇ……」
怒る美鳳の顔面に追い打ちの炭酸酒がかけられる。今度は龍宝だった。
「龍宝あなたまで」
「すみません。お叱りは後で受けますが、今回ばかりは一紗達の言い分も分かりますので」
美鳳は一紗に投げ渡された酒瓶を使って三人の顔面に酒を噴射させる。最初はやり返すだけだったが、炭酸酒のぶっかけ合いを繰り返すうちに段々楽しくなってきた。その陽気さに当てられた町の人達も参加してくる。
鎧兜一派の悪政と妖魔の跋扈、町の半壊と悪いことばかり続いていたためか、鬱屈した分を祭気分で解消しようと考えたのだろう。
鎧兜一派のために貯蔵されていた炭酸酒をたんまりと持ってくる。
「そぉれ!」
「やってくれましたね!」
「よぉし! 皆! 美鳳様達に歓迎の迎え酒を御見舞いするんだ!」
「「オー!」」
「ハハハ【慶酒】の連中が組みやがった! 俺達旅人組も共同戦線だ!」
「私が指揮します! どんどん攻めましょう!」
気が付くと町全体が酒浴び祭りになっていた。どんちゃん騒ぎでそのまま酒盛りに突入する。周囲は酒まみれになってしまったが、気にする町人はいなかった。
「美鳳、少しは落ち着いたか?」
美鳳は一紗から渡された布で顔を拭いた。顔を上げると不思議なことにさっきまでの怒りがどこかに消えていた。夢中ではしゃいだせいだろうか。しかし心に残っていたしこりはなくなり、快眠の後の目覚めにも似た清涼感が心を満たしていた。
「たまには何も考えずに遊ぶのもいいわね。美鳳は真面目すぎるのよ」
「……かもしれませんね」
「憎悪に目が曇れば、正しいことが分からなくなるぞ? お前がそれを俺に教えてくれたんじゃないのか?」
「……そう、ですね。けれど、せっかくの【慶酒】のお酒を無駄にしてしまいました」
そんな美鳳の心配を駆け寄ってきた町の女達が笑い飛ばす。
「気にしないで。最近は鎧兜一派の支配が厳重でお祭りなんてできなかったし」
「そうそう、どちらかというと、私達が姫様をダシにして遊んでるし」
「妖魔が増えてからは防衛戦ばかりで休まる暇もなかったから……」
「どうせ鎧兜一派が飲んでるだけだったから、奴らに飲ませるくらいならパーッとお祭りで使うわ。欲を言えば葡萄酒があればよかったけれど、畑が外町にあるからもう作れないのよね」
「皆さん……」
食事を持ってきた龍宝が美鳳に傅いた。
「美鳳様、曇りは晴れましたか?」
「……はい。龍宝、心配をかけました」
いつもの穏やかさを取り戻した主君を見て龍宝は安堵した。
彼に手渡された皿の料理をもらう。今しがた煮込まれたばかりらしく熱い湯気が立ち昇っている。一口食べると濃厚な旨味が広がった。お酒を使った肉料理らしく臭みがなく甘味があった。素直に料理を食べる美鳳を見て一紗は満足そうに笑った。
「辛気臭せぇときは旨いもん食うに限るわな」
「一紗さま、あーん」
食い意地が張った一紗は何の違和感もなく、蕾華に串焼きを食べさせてもらっていた。そんな彼女の態度がどこか気に入らなかった美鳳は軽く彼女の頬をつまむ。
「……いへへっ。らにすんだめいほー」
「別に、これから解決すべき問題が山積みなのに弛んだ態度をしていたから喝を入れただけですよ」
「んだよ、美鳳は……まだ怒ってんのか?」
夜風に当たると言ってその場を抜けた美鳳は、蕾華に酌されながら豪快に笑う一紗を見てふと考え込んだ。
最初は美鳳にしか靡かず、抜身の刀のようだった一紗も、知らぬ間に龍宝と打ち解け、暴力ではなく言葉で蕾華を懐柔する程になった。そして憎悪に目が曇る美鳳を窘めるまでに成長した。初対面から比べれば随分な変わりようである。
(もしかすると、異界にいた頃はアレが本性だったのでしょうか?)
他人とふざけて笑い合い、命がけで親しい者を守る。間違っていたら体を張って注意する。
そんな一紗の態度に美鳳は傍盾人に向ける信頼と感謝以外の感情が混ざりつつあった。
普段怒らないタイプの温厚な人が怒ると空気が凍りますよね。
いつもは温厚な人に諫められてる方が必死に止める側に回る感じです。
本編ではその役が一紗でした。




