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元召喚士の帰還  作者: とおりすがり
第5章 光王の献身
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第87話 月下ダイニング

 夕方。

 空の色が変わったのが目に見えてわかるころになっても、学院の研究棟から人が減ることはない。

 むしろこれからが本番とでも言わんばかりに、机の上に新たな書類を積み上げる姿があちこちで見える。

 別に誰かから強制されたわけでもない。全員、自分の意思で残業している。


 ……でも目がキまってるんだよなあ。

 壁にもたれ、空腹を誤魔化すためのコーヒーを胃に入れながらナギアはぼんやりと窓の外を見て黄昏る。

 アーレントとキャルリエを止めるのを諦めてから既にかなりの時間がたっている。

 食堂に行って戻ってくるまでの間で、すれ違う人の目を見るのがだんだん怖くなっていくというのは初めての経験だった。


 上方の窓から視線を下げ、研究室全体を見渡すようにして観察する。

 ジャバウォックの襲来。その情報がここまで行き渡っているかどうかは知らないが、平時と変わりはないように思う。時折、破裂音のようなものが遠くから聞こえてくるが、それもいつもの事。誰も気にしてないし。


 大丈夫か、というのが正直な感想だ。

 ジャバウォックという魔獣は強敵だ。それに対し、この国の防衛力は未知数。

 遺物の研究により異世界の技術が流入しているとはいえ、果たしてそれで神代の魔獣に通用するに至っているのか。

 いつもどおりが現在も続いているのは、急がずとも問題なしという余裕の現れなのか、それとも……。


「……ナギア?」


 己を呼ぶ声が右側から聞こえる。

 そちらの方向を見ると、ソルアと光王がこちらをじっと見ていた。

 二人とも背が低いので見上げる形になっている。

 どうやら考え事に没頭していて、二人の接近に気付かなかったらしい。


「二人とも、何でここに?」

「講義おわった。だから様子見にきた」

「そうか。どうだった?」

「新しいこと沢山覚えた。楽しかった」

「真面目に講義受けてて、偉かったわよー」

「むん」


 ソルアは得意げな顔をして、こちらに頭を突き出してくる。

 その頭に手を置き、ぐりぐりと撫でる。しばらくして満足して、光王の方を向き直り、


「で、何で付いて来てるの?」

「酷くない!? ここまで案内してあげたのに!?」

「……別に、一人で、来れたし?」

「目ぇ泳いでんのよ! 気づいたらあっちこっちフラフラしてたくせによく言えるわね!?」

 

 腕を振り上げ、足をジタバタさせ、全力で抗議をする光王。

 しばらくして落ち着いたのか、こほん、と咳払いをする。


「いい時間だから、晩ご飯でもどうかと思ったのよ。

 アンタも、今日は研究の協力で頑張ってくれたんでしょ? そのご褒美よ」

「そうなの?」

「ああ、今日はアーレントと……」


 とある遺物の研究を、と言おうとして、アーレントの方を見る。

 キャルリエとのやり取りがまだまだ続きそうだったため、放置して勝手に休憩に入っていたのだが、


「うおおおおお! まだだ! まだ吾輩は諦めんぞぉー!

 貴様に嫌われるためなら、このまま足を掴み続けるからなぁー!」

「アンタ本当にそういう所だからね!? もうちょっと周りを見ろっての!」


 …………まだやってた。

 己と同じ方向を見ようとしたソルアの目をそっと塞ぐ。まだこいつには早い。

 光王の方は遅かった。

 見てはいけないものを見てしまった顔をしている光王と目を合わせ、


「……何してたの?」

「……何してたんでしょうね。いやホントに」

「止めた方がいい感じ?」

「……どうなんでしょうね。あれはあれでそのままにしておいた方がいい気がしないでもないんですよね」

「どういうこと!?」


 ちょっとディープな関係なんです。

 そう言って逃げるように光王とソルアの背を押して、研究室を後にする。

 キャルリエの目が怖かったが、言い訳は明日でもいいだろう。周りも生暖かい視線で見てるだけだったし。


 そうして、俺たちは学院を後にした。



● ● ● ● ●



 白の煉瓦で舗装された道と整えられた芝生が適度に配置された道。

 光王に先導される形で、ナギアとソルアは学院近くの歩道を歩いていた。

 周囲は真四角の白い建物が立ち並び、良い意味で教育機関らしい清潔な空気が満ちている。


「今日のご飯はー?」


 すでにソルアの意識はこれから食べるご飯のことで一杯になっている。

 光王の周りにまとわりつくようにウロウロして先ほどから何度も同じ質問をしている。

 それに対し光王は手をひらひらと払い、雑に受け流している。


「着けばわかるんだから、黙ってついてきなさーい。

 その前にシューヤを迎えに行くけど、別にいいわよね? 何か話があるって言ってたし」

「えー」

「えー、じゃありません」

「むー」

「そういう事じゃないのよー?」


 2人のやり取りを少し後ろから見ていたナギアはふと上空を見上げる。

 その目に、異様なものが映る。

 それは、5つの点だった。

 点は、上空を東から西へ、編隊を組んで飛んでいく。

 時折、点同士が交差したり、入れ替わったりして、流動的に動き続けている。


「あれは……」


 口から漏れた声に気付いた光王はナギアの方を向き、その視線を追い、ああ、と声を漏らす。


「あれは騎士団の哨戒班よ。

 ()()があって、今日からいつもより念入りにやってるみたいね」


 確かによく見てみれば点は人の形をしていた。

 五人で一班となった騎士たちは、そのまま西の方角へ消えていった。

 同じように空を見上げていたソルアが感想を言う。


「すごかったね。あの足についてるのも、遺物?」

「え、何アンタ。あれ見えたの?」

「む? うん」


 哨戒班を含む騎士団には脚部装甲型遺物『何でもブーツ君(命名:光王)』が支給されている。

 飛行機能、脚力強化は勿論のこと、排熱機能、疲労回復、果ては水虫予防まで兼ね備えている便利品だ。

 外観は足から膝下までを覆うメカメカしい鎧。


 近くで見れば遺物だという事は分かるが、ソルアが見たのは上空を高速で飛ぶ姿。

 よほどの動体視力がなければそうと分かるものではない。

 実際、ナギアはソルアの発言を聞いても、遺物らしきものは見えなかった。


「騎士団には、ブーツ以外にも色々な遺物が支給されてるの。

 これも我が国の研究が上手く活用されてるってことよね!」


 そう言って胸を張る光王。

 しかし空を行く騎士の姿が見えなくなったことでソルアの関心は既に別のことに向かっていた。

 光王の隣を通り過ぎ、さっさと先を行ってしまう。


「ふーん。……ナギア、行こ? お腹空いた」

「もうちょっと興味持ちなさいよ! あのブーツにいろんな機能盛り込むのに苦労した話とか聞きたくない!?」

「むー……。どうでも、いいかな?」

「この食欲モンスターめ! って、どこ行くのよ! そっちじゃないわよ!?」

「むうー……」


 ソルアの首根っこを掴んでずるずると引きずっていく光王。

 その姿を微笑ましそうに見て、ナギアは後ろをついていった。

 


● ● ● ● ●



 その後、丁度交代の時間となったシューヤと騎士団が入った建物で合流。

 光王が案内するレストランにて晩御飯となった。

 高台に作られ、テラス席からは国の景色が一望できるレストラン。

 まばらに張られた色とりどりのタイルと程よく色あせた落下防止のフェンスが良い雰囲気だ。

 すっかり月が昇り、眼下に見える光の点は人の営みを物語っていた。


「……あっちで特に光ってるのが学院、ですか」

「ん? ああ、そうだな。また遅くまでやってるんだろうな……。深夜の巡回でばったり会うとめっちゃ怖いんだよあいつら……」


 すでに食事を終え、グラスを手にテラスの手すりに肘をかけるナギアと背をもたれさせるシューヤ。

 シューヤの空いたもう一つの手には度数の高い琥珀色の酒の入った瓶が握られている。

 月とランプの淡い光の下、グラスを片手に語り合う男2人。

 何とも画になる光景ではあるが、


「ねー!? ひどくない!? 『重い』って言ったんだよ!?」

「はあー!? それは無いわー! 思っても口に出しちゃだめだわー!」

「だよねえ!?」


 ナギアの背後から聞こえてくる姦しい声が全てを台無しにしていた。

 本日のレストラン『リヒト』は、料理もさることながら、酒類の豊富さで有名な店。

 「せっかくだし、いろんなお酒試してみない?」

 光王の一言から始まった酒盛りは、既に1時間以上経過している。

 女2人が座るテーブルの上にはすでに空になった酒瓶が大量に並んでいる。

 そろそろ置き場がなくなりそうだ。


「……なんか、すまんね」


 苦笑いを浮かべながら最早何度目か分からない言葉を呟くシューヤ。

 ナギアは指でつまむように持ったグラスを軽く振ることで気にしていないことを示す。

 その顔は酒のせいか、少し赤みがさしている。


 しばらく無言でそれぞれの視線の先をぼんやりを見る。

 美味しい食事に心を満たし、穏やかな時間が流れる。

 ……そろそろ、いいかな。

 小さな吐息と共に、口火を切ったのはシューヤだった。


「これは酔っぱらいの戯言と思ってくれていいんだけど」


 ちらりと視線をナギアの方に寄せても、ナギアはこちらを向いていない。

 しかし聞いていることは気配からわかった。

 だから己も視線を戻し、そのまま言葉を続ける。


「異世界からの来訪者。何もないゼロからのスタート。何も、誰も知らないまっさらな孤独。

 俺と君の境遇は似ている」


 そこまで言って、ほう、と息を吐く。

 己が今から言おうとしていることはかなり踏み込んだ話だ。

 しかし、朝の報告書を読んで、副団長の話を聞いて、踏み込むことを決めた。


「だから、この世界に飛ばされたという理不尽に対する思いを、俺はこの世界の誰よりも知っている」


 また一拍置いて、かつて己がこの世界に来た時のことを思い出す。

 就活が終わり、4月からの新しい生活に対する期待を不安を抱いていた日々。

 いつも通り自宅のドアをくぐれば、『いつも通り』が続くと信じて疑わなかった。

 

「俺は君の望みも知っている。元の世界に戻りたいという望みを」


 ドアをくぐった先にそんなものはなかった。

 一面砂に覆われた砂漠。一切の生物のいない地獄。

 その場所が未開拓領域と呼ばれる人類の生存圏ですらない地と知ったのはずっと後のことだ。

 あの時、偶然光王国の調査団が来ていなかったら、己は間違いなく死んでいた。


「俺は知っている。帰るためなら何でもやってやるという思いがそこにあることを」


 己も初めはそうだった。

 言語。文化。魔術。遺物。王。魔獣。寿命。

 あらゆる異質を前に、『いつも通り』をこの手に取り戻すと決意した。

 ……それこそ、どんな手段を使ってでも、だ。


「だから聞きたいんだ。君は、この世界のことをどう思っている?」


 こちらはあちらを見ない。あちらもこちらを見ない。

 己の目には酒瓶を片手に賑やかに話す妻とその新しい友人が映っている。

 しかし、彼の目には、この世界が映っているのだろうか。


「――君は、この世界のことを、元の世界に帰る上での障害と捉える、魔王なのか?」

 


● ● ● ● ●



 …………うまいな。

 シューヤの質問に対し、ナギアが思ったのは素直な感嘆だった。

 己が真に魔王であれば、シューヤの発言はかなり危うい、というかほぼアウトだ。

 しかし、初めに酔っぱらいの発言とすることでどんなことを言っても戯言で済ませることができる。


「違うと言って、信じるんですか?」


 だからこそ、こんな返答しかできなかった。

 己の中で警戒が数段、階段飛ばしで上がるのを感じる。

 シューヤはだらしのない笑みを浮かべる。


「ま、そうなるよなあ……。酔った勢いでなら何とかなると思ったんだけど」

「残念ながら、そこまで酔ってませんよ。あそこの空き瓶の山はほとんどあの2人が作ったものです」


 振り返ることなく、背後を親指で指す。

 今はあちらを見る気にならない。

 あちらは、少し、店のランプのせいで眩し過ぎる。


「…………」

「…………」


 沈黙が流れる。

 次に沈黙を破ったのは、ナギアだった。


「……これは酔っぱらいの戯言と思ってくれていいんですけど」


 視界に転々とした光を持つ闇を収めつつ、声を漏らす。

 背後で繰り広げられているはずの声が今では遠くに聞こえる。


「確かに、俺は元の世界に帰りたい。でもそれはかつてあった日常を取り返すためじゃない」


 胸の中に硬い物があるのを感じる。

 それを吐き出すような思いで、己は語る。


「俺の帰還は、俺の過去の罪の清算がゴールなんです。

 だから、俺は、貴方とは似ても似つかないんですよ」

 

 

● ● ● ● ●



 アルジオ帝国。

 それがかつて己が仕えていた国の名だ。


 戦争。紛争。内紛。クーデター。

 アルジオ帝国は常に何かと戦っていた。

 初めは隣国との些細な領土争いだったらしい。

 国内の資源のうち、余剰とされる部分を消費しての短期決戦となるはずだった。


 それが狂い始めたのはなぜだったのか。

 想定よりも長期化した戦闘が、いつしか使ってはならないはずの資源まで使い始めたからか。

 戦争というビジネスによって権力を握ったものが現れ始めたからか。

 それとも、一時の勝利という美酒に酔いすぎたからか。


 ……気付いたときには、戦争のために戦争をするようになっていた。


 その国では、己は、名前もなく、ただの『6番』であった。


 物心がついた時には、そうなることが決まっていた。

 というのも、己が育った孤児院こそ、帝国の兵士を育成するための機関だったからだ。

 なぜ自分が孤児院で育てられることになったのかは分からない。

 やむを得ない事情があったのか、それとも、単に邪魔だったのか。

 そんなことを考える暇も与えられなかった。


 命令に忠実に。

 疑いを持たず、ただ忠実に。

 そして最後には一人でも多くの敵を殺して死ねと、そう教えられてきた。


 結局のところ、己は紙の上の「今日の戦死者数」を1つ上げるかどうかの存在でしかなかった。

 

 

● ● ● ● ●



「――そんな困った顔をしないでください。

 これは、ただの戯言なんですから」


 酒のせいか、ふう、と漏れる息が熱い。

 憐れむような表情でシューヤはこちらを見るが、本当にそれは見当違いなのだ。

 幸福な生活があり、そこから転落したのなら、己も自分の境遇を嘆いたのかもしれない。

 しかしそうではない。そうではなかったのだ。

 初めから地獄に生まれてしまったがゆえに、そこを地獄と認識できなかったのだ。


「それに、ある時を境に、俺の境遇は一変しましたしね。

 ……今思えば、あれさえなければ、とも思いますが」

「……何があったんだ?」


 己とシューヤの目線は今でも合わない。

 己は闇を、シューヤは光を見続けている。

 

 

● ● ● ● ●



 幼少から、人を殺すための訓練を受けていた。

 その中でも、「マト」と呼ばれる異質な訓練があった。


 曇天の下、硬い土の訓練場に、粗末な服を着た訓練兵が2列に並んでいる。

 1列は背が高く、もう1列は背が低いことから、一方が年長組、他方が年少組というのが容易に見て取れる。

 その列と向き合うように、軍服を着た壮年の男が立ち、厳かに告げる。


「――では、これより『マト』の訓練を開始する。

 本訓練は、隣に立つ者をペアとして行う。年少組は、年長組の指示に従い行動せよ。では、準備始め」

「はっ!」


 言葉と共に、小さな影がキビキビと動く。

 列の先頭に立つ周りと比較しても小柄な少年が、隣に立つ少年兵に敬礼をとる。


「セレンこじ院所ぞく、『6番』であります。本日はよろしくおねがいいたします」

「――ああ」


 年長の少年兵は短く答えると、6番の背後を指さす。

 その指先に視線を追うと、そこには体の太さほどの丸太を十字の形に組んだものがあった。


「あっちで準備をする。付いてこい」

「はっ!」


 年長の少年兵についていくと、十字の前に立つように指示される。

 言われたとおりに立ち、十字の横線に沿うように腕を広げる。

 おもむろに少年兵はポケットから麻紐を取り出すと、6番の両手足を十字に括り付け始める。


「……」

「……」


 6番は自らが縛り付けつつあることを認識しながらも、何も言わない。

 目の前の少年兵は準備をすると言い、自分はその指示に従わなければならない。

 そこに疑問を差し挟む余地などない。

 周りを見ても、同じように年長組が年少組が十字に括り付けるという光景が広がっている。

 だから、ここではこれが正しいのだろうと、思う。


 己の体を十字に括り付けるのが終わったペアの少年兵は、こちらを見ることなく己をそのまま放置して訓練場の反対側に歩いていく。

 しばらくして、5,6歳の子供が子供が括り付けられた十字架の列と、それと向かい合うように立つ13,4歳ほどの少年兵の列がそれぞれ訓練場の端に完成した。


 その中央に立った教官役の男が十字架の方を向き、初めて訓練の内容を説明する。


「本訓練は、諸君らの魔術属性を見極めると同時に、新兵候補生に人を殺すという経験を積ませることを目的とするものである。

 今から、ペアとなった者が諸君らをあらゆる手段で殺しにかかる。

 死にたくなければ、魔術で自らの身を守りたまえ」


 本来、新生児の魔力属性を調べるときには、それに適した魔術師が鑑定を行うのが常である。

 しかし、使い物になるかどうかも分からない者ごときのために、貴重な属性を持つ魔術師という資源を割くことなどできない。

 一方で、幼少の者は身の危険を感じたときに本能的に魔術的現象を起こすとの報告が上がっている。

 ならばそれを利用すればいいではないか。そうだ、ついでに新兵諸君にも『童貞』を捨ててもらおう。

 更には、殺されかけても魔術を使うことができない無能や、人を殺すこともできない臆病者をふるいにかけられる。

 一石二鳥どころか三鳥。理論のみが先行し、倫理というものを書いた訓練。それが「マト」だった。


 告げるべきことは告げ終わった教官は、初めの位置に戻り、最後に訓練場の端にそれぞれ並んだ者たちを見渡し、


「――始め」


 と言った。


 次の瞬間、訓練場の端と端を繋ぐように、様々な色が走った。

 色は全て西から東を一直線に進む。その先にある者を破壊するために。

 訓練場の一方の端から、いくつもの打撃音と共に苦痛と悲鳴の幼い声が木霊する。

 痛みと死から逃れようと手足を暴れさせても、拘束は解けない。


 やがて、訓練場の光景は2つに分かれた。

 1つは襲い掛かる死に抵抗する光景。向かってくる色に対し、幼い体から色を発し、防ぐものだ。

 もう1つは死に屈する光景。もはや声も漏らさず、動きもせず、色をその身に受け続けるものだ。


 6番に向かってきたのは紫電の色だった。

 数え切れぬほどの屈折を遂げながら、既に幼い身を何度も焼いている。

 魔術で自らの身を守れ、と言われても、その方法が分からなかった。

 そんな訓練を受けたことはない。教えてもらったことのないことはできない。


 だから、しぬ。


 すでに隣にいた者は物言わぬ骸となっている。

 もうすぐ自分もそうなるのだろう。

 ……べつに、いいか。

 率直にそう思った。

 自分は訓練についていくことができない落ちこぼれであり、これからもそれはきっと変わらない。

 だから、ここでおわってもいいか、と。


 最後に、と閉じかけていた目蓋をあげ、まっすぐ前を見る。

 自分を殺す人はどんな顔なのだろうか。

 それはほんの気紛れだった。

 どうか出来損ないの自分の代わりに、誇らしい顔すらしていてほしいとすら思った。

 だから見た。


 今まさに己を殺そうと構えるその顔に、一筋の涙が伝っていくのを。


「――あ、」


 思わず声が漏れた。

 その感情は怒りであり、憎しみであった。

 その矛先は己自身。

 己の死の責任を押し付けようとする、甘えに対するものだった。


「ああああああっっ!」


 だから吠えた。

 今まさに自らに向かって放たれた毒々しい紫を、掻き消さんばかりに吠えた。

 何かができるとは思わなかった。

 それでも、あの涙を見て何もしないという選択肢だけはとることができなかった。


 そして己は見た。

 己の体から放たれた銀色の光が空間を歪ませるのを。


 これまで訓練所を走る色は、数えきれない打撃音を奏でていた。

 しかし、銀色の光が走ったかと思えば、一切の音が無くなった。


 いつの間にか、訓練の中央を縦断するように、巨大な壁が現れていた。

 壁は自らに激突してくる色を散らすでもなく、跳ね返すでもなく、ただ無音で吸収し続けた。

 このままでは落第となる、と恐れた年長組の何人かが壁を乗り越えようとするが、滑らかな素材でできたそれは、手をかけるところもなかった。


「――ほう」


 訓練場を二分するように現れた壁。

 十字架がある列に残された教官役の男は、己のすぐそばに出来上がった壁に触る。

 すると、触れたところから己の魔力が吸収されるのを感じる。

 笑みを深くした教官役は、異常を感じてやってきた他の教官役に壁の解析を命じるとともに、この事態を引き起こした少年に近寄った。


「……なんだ、気絶しているのか」


 少年は魔力切れを起こしていた。

 ぐったりと前に倒れた頭を乱暴に掴み、初めてその顔をまともに確認する。


「……面白い。中々使えそうじゃないか」

 

 そして満足したように頷き、その手を放した。

 

 

● ● ● ● ●



「解析の結果、壁はあの世界にはない物質で出来ていたみたいで、後に『魔吸鉱』と名付けられました」

「……」

「魔吸鉱は前線の兵の防衛装備に利用され、帝国の侵攻作戦に大いに役立ったそうです」


 そして己は金の卵を産む者として、同期が危険な作戦で命を落としていく中、安全な後方で飼われるようになった、という所でナギアの話は終わった。


 ……しまったぁー! 地雷踏んだぁー!

 表情筋を全力で保ちつつ、シューヤは心の中で悲鳴を上げる。

 自分で踏み込んでおいてなんだけど、この空気についていけない。


 助けを求める視線を妻に向ける。

 お前ならこの空気をどうにかしてくれるはずだ。

 ルクスピカラと目が合い、力強くうなずく。

 ……違う、つまみとボトルの追加じゃない。


「で、その後、召喚した者だけの部隊の指揮権を得られるように、二重スパイとか密告まがいのこともしたりして……」


 ……続いたぁー!?

 そろそろ表情筋がヤバイ。

 どうしたらいい? もういっそ一気飲みして潰れるか?


 そんなことを考えていると、隣からくつくつという笑い声が聞こえる。

 声のした方を見れば、ナギアがこちらを見てにやにやと笑っていた。


「……お前さあ」

「……ふ。すみません、驚かされた仕返しという事で一つ」

「うるせえよ」


 そう言いながら空になったナギアのグラスになみなみと酒を注ぐ。

 よく分かった。こいつは悪い奴だ。


「実際の所、魔王じゃないことなんて証明できませんよ。

 魔王が直接出張ってくれれば、楽なんですけどねえ」

「出てくるかあ? 印象だけだと、最後まで表に出てこないで悪だくみすると思うんだけど」

「ですよねー」


 お互いに困った顔をして緩く笑う。

 結局のところ、ジャバウォックも魔王も、その時になって見ないとどうなるか分からないのだ。

 それまでにできる限りの準備をしておくことが、今やるべきことだ。


「明日になれば本格的に試練も始まるんですよね……」

「そうだな。さっさとクリアして、ジャバウォックなんか来る前にさっさと次の国にでも行っちまえよ」

「そうしたいのも山々なんですけど……」


 ナギアが体を反転させ、目の前を指さす。


「今は、あれをどうにかしないとまずいのでは?」


 そこには、酒瓶を握ったまま酔い潰れて眠っている光王とソルアの姿があった。

 小さな2つの体が、山のような酒瓶の中に埋もれている。


「何かさっきから静かだと思ったら……」

「とりあえず今日はこれで解散ですかね」

「ま、そうだな。気をつけて帰れよ」


 そう言いながら会計を済ませ、己は妻を、ナギアはソルアを背負い、店の前で別れた。


 帰宅の道中、背中に背負われている妻が肩から顔を出してくる。


「……どーだった? ちゃんとお話しできた?」

「何だ起きてたのか。

 ……うん、ちゃんと、話せた」

「……そう、なら、いいわ……。よく頑張ったわね……」


 そう言いながらこちらの頭を優しくなでる。

 そして、己の頭に手を置いたまま、そのまま寝落ちしてしまった。


 動く歩道を使えば楽に、早く帰ることができる。

 それでも今日は、ゆっくり歩いて帰ろうと思った。



 ――遠くから、「うおおおお!? 吐くんじゃねえええ!」という悲鳴が聞こえた気がした。

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