第74話 疑心暗鬼の道行
「ナギア君、ちょっと来てもらっていいかしら」
カムルナギアが闇王の下で手伝いという名目で働かされているのが当たり前の光景になってきた頃。
左手一本で器用に大量の資料を抱えて廊下を歩いていたカムルナギアは唐突に闇王に呼び止められた。
何本も並ぶシンプルな柱の一つの陰から体を半分だけ出して、手をこまねいている闇王に対してカムルナギアは全力で警戒の表情を浮かべる。
これまで何度も突発的な思い付きに振り回されてきた経験から脳が逃走を推奨しているが、逃げたら逃げたで後日酷い目に遭わされることも確定しているため、闇王に声をかけられた時点で詰んでいるといって良い。
「……今度は何ですか」
「そんなに嫌そうな顔をしないで頂戴。
貴方にとっても悪い話ではないはずよ」
カムルナギアの反応を見ることもなく、さっさと目的地へ向かい始める闇王。
そんな背中を見送りながら、カムルナギアはため息をつき、近くにいた職員に資料を任せてその後ろについていった。
闇王が向かったのは小さな部屋だった。
少人数での利用を想定したその部屋には、小さな窓と2脚の椅子が向き合うように置いてあるだけ。
カムルナギアは闇王がその部屋に入っていくのを見て、言いようもない違和感を感じていた。
既にこの場所で働くようになってから半年以上が経過している。
それにも関わらず、カムルナギアは今までこの部屋の存在を認識することができなかった。
この部屋が建物の中で隠れた場所にあるというわけでもなく、これまでも何度もこの部屋の前は通っている。
何らかの認識阻害系の魔術が使われているとは予想できるが、視界に入っていたはずのものすら認識させないレベルともなると、どんな理論構築がなされているのかを考えるのも馬鹿馬鹿しくなるレベルだった。
「……はぁ」
「何をしているの? 早く入ってきなさいな」
カムルナギアのそんな複雑な思いに気付くこともなく闇王は入室を急かす。
部屋に入るところを見られると認識阻害の効果が消えるなどという脆弱な理論は組まれていないため、単に効率を重視しているだけである。
カムルナギアが部屋に入ると、闇王は部屋の奥側の椅子に座るように指示する。
この部屋にかけられた認識阻害と防音の魔術が今でも働いていることを一応確認してから、しっかりと内鍵を閉める。
これから話す内容は、とある人物だけには聞かせることはできない内容だからだ。
「さて、ここまでやっているのだから分かっているとは思うのだけれど、これから話すことは秘密のお話。
まず一つ目、君の右腕を治すことができる人がもうすぐやってきます」
「やっとですか……。
随分長かったですけれど、そんなに忙しい人なんですか?」
カムルナギアの右腕にある腕輪に3つ目の光がともってからすでに半年以上が経過している。
その間、様々な経験を積ませてもらったことには感謝しているが、それでも長い間待たされたという感覚は捨てきれない。
「それほど忙しいわけではないだろうけれど、気軽に呼べるっていうほどでもないのよ。
なにせ光王だから」
「……コウオウっていう名前の方なんですね?」
「現実逃避は許さないわよ。光王ルクスピカラ。
私と同じ『八王』の一人で、『光輝王』の名を冠する女よ」
「……まじか」
この世界に存在する8つの国のうち1つ、光王国を治める王。
それぞれの国にて行われている国家事業魔術のことを考えれば、簡単に呼びつけることができないのも当然だった。
カムルナギアはこの世界で高名な解呪士でも呼んでいるのだろうくらいにしか考えていなかったため、唐突に出てきたビッグネームに眩暈を感じる。
「別におかしな話でもないわ。
相手を呪い、侵すのが闇属性。
であれば、その逆の役割を担うのは光属性に決まっているじゃない」
「だからってそのトップを引っ張って来なくても……」
「一番確実な方法をとった方がいいでしょう?」
闇王はしれっとした表情で語るがここまでに至る過程は容易なものではなかった。
光王国側との折衝、闇王国側での準備等々……。
魔王の存在が明らかとなり、普段より他国と連絡を取り合う機会が増えたこともあり、これでも光王の訪問は早めに実現した方なのである。
その裏でガスティを含む何人もの官僚が長い間家に帰れなくなったが、それに関しては知らぬが仏である。
「……ん? 確かこの世界の王は自国の範囲内でなければ十全に力を発揮できないんですよね?
それなのに光王が直接来るって大丈夫なんですか?」
「そのあたりは問題ないわ。
それに関しては光王には独自の抜け穴があるのよ。
……それがあるせいで余計面倒なことになってるとも言えるのだけれどね。
ま、それは見れば分かるわ。楽しみに待っていなさいな」
闇王はそう言いながらカムルナギアから視線を外し、窓の外をちらりと見る。
カムルナギアにはその意図は分からない。
ただ闇王の顔が少し険しくなったのを見て、あまりこのことには触れない方が良いということは分かった。
「じゃあ次ね。今日こうして隠れて話してる一番の原因でもあるわ」
「……聞きましょう」
「君と一緒に旅をしているあの子……ソルアリシアといったかしら。
貴方、あの子のことどう思ってるの?」
「……質問の意図が図りかねますが」
ソルアリシアの名前を聞いてまず思い浮かんだのは、彼女が何かやらかしたかもしれないという可能性。
ここしばらくはあちこちで手伝いをしていたらしいが、いつ突飛な行動をとってもおかしくはないというソルアリシアに対する印象は未だに払拭されていなかった。
しかしカムルナギアはその考えをすぐに頭を振って否定する。
ソルアリシアはこの半年の間、闇王と直接会うようなことはなかった。
それにわざわざ密会を開くまでもない。
結果として、唐突に彼女の名前が出てきたことに困惑を覚えずにはいられなかった。
「で、どうなの?」
「あいつのことは……。そうですね、庇護対象?」
「あら、てっきり『そういう風』に見てると思ってたのに」
「怖いのであえて詳しい内容は聞かないことにします。
でも実際、『そういう』感情はありませんよ。
見ていて危なっかしいという気持ちと、あの森から連れ出した責任の半々くらいです」
「そう……。それなら問題なさそうね」
「?」
闇王は真剣な表情でカムルナギアを見つめる。
ここでカムルナギアがソルアリシアに対して恋愛に近い感情を抱いていた場合、それ以上を話を進めることはできなかった。
カムルナギアの目を見て嘘はないと判断した闇王は本題を切り出すことにした。
「ソルアリシアには魔王の関係者ではないかという疑惑があるわ。
そこで貴方にあの子の監視……そしていざという時の排除をお願いしたいのよ」
空気が固まる。
闇王とカムルナギアはしばらく無言で見つめ合う。
「……………………根拠は?」
「まずはこれね」
そう言って闇王からカムルナギアに手渡されたのは一つの古い書類の束。
薄緑色の表紙のそれには風王国で見た印章が記されており、風王国から取り寄せたものであることが分かる。
カムルナギアは闇王が目で読むように促すのを見て、その表紙をめくる。
どうやらとある報告書のようだった。
『 第三次ソルの森調査報告書
文責:三等書記官 アーガルム
本報告書は、本国西方に位置する森林帯『ソルの森』の内部調査の結果である。
動員された人員は500名。
これはこれまでの第一次、及び第二次調査においてそれぞれ10名、100名を派遣したところ帰還者が0に終わったことを踏まえ、より慎重を期した結果である。
本調査の生還者は1名。
調査開始から10日後、本国西門にて保護される。
外見に異常は見られないものの、著しく錯乱しており、今後の回復可能性も否定されたことから、以下に唯一聞き取ることができた単語を羅列する。
『白い悪魔』『みんな骨になった』『殺されて生き返って殺されて……(以下続く)』
本結果を受け、同森の今後の調査は断念。
内部にいるであろう『何か』が本国への接近する可能性に備え、浅部の調査にとどめるよう厳命するものとする。』
「…………」
「その報告書が作られたのは今から2000年以上前。
そこに書かれているのが彼女の事なのか、彼女の親に当たる人物なのかどうかは分からないわ。
それでも外見の特徴と使われたであろう属性の一致は見逃せないわ」
「……これだけで魔王であるとは言えないでしょう」
「ええ、そうね。
でも彼女には他にも怪しいところがあるの。
例えば、魔王の影響下にあったエドグランと同じように、この私が彼女の精神を覗き見ることができないこととか、2人とも記憶が欠けているとかね」
闇王が危惧しているのはソルアリシアがエドグランのように突如として怪物に姿を変えることである。
厳重に拘束してしまうことも考えられたが、エドグランの時に厳しく問い詰めたことが結果として暴走を促してしまったことの反省から、遠方からの監視に止めざるを得なかった。
そして今後ソルアリシアがカムルナギアと旅を続けるなら、その監視役はカムルナギアに頼むしかなかったのである。
「ねえナギア君、彼女はどうしてあの森にいたの?」
「……分かりません」
「もしかしてあの森は、彼女を封印するために用意されていたんじゃないの?」
カムルナギアは頬を流れる汗を感じていた。
もしソルアリシアが魔王が用意した手駒の一つで、遥か昔に誰かがその存在を森に封印していたのだとしたら、自分が彼女を森から連れ出したことはとんでもないことをしでかしたことになる。
エドグランの時は闇王というこの世界最強格の存在がいたからあの規模で対処できたからにすぎず、次同じことが起きた時に都合よくそんな状況であるとは限らない。
いや、エドグランとソルアリシアでは保有魔力量が段違いである。
確実により大きな規模での被害が発生する。
「彼女の監視……、頼まれてくれるわね?」
「…………承知しました」
そう答えるしか、無かった。
同時刻。闇王とカムルナギアの会談場所と同じ構造の部屋にて。
「急にお呼び立てしてすみません」
「ん。いいよ、大事な話なんでしょ?」
カロスとソルアリシアが対面する形で座っていた。
いつも通り闇王国の孤児院で子供たちの面倒を見ていたところ、唐突な招集命令を受けたのである。
ソルアリシアはこの半年で『一緒に遊んで楽しいお姉さん』の立ち位置を確立させており、遊び盛りの子供たちの相手を頼まれることも多くなっていた。
それは恐らくソルアリシアの精神構造が子供のそれと近いからで、果たして遊んでいるのか遊んでもらっているのかが判断し難いというのが何とも言えないところである。
「ちょっと今日は貴女にお願いしたいことがありまして」
「なに?」
急に呼びつけられたというのに、ソルアリシアの機嫌は悪くない。
それは、現在ソルアリシアの膝の上に大量のお菓子が乗っているためである。
カムルナギアとの会話から、ある程度の扱い方を心得ていたカロスが彼女を呼ぶうえで用意しておいたものだ。
これからのことを考えると、できる限り機嫌がよい状態で話を進めたいというのがカロスの考えだった。
「その前に一つお聞きしたいことが。
ナギア君のことはどう思っていますか?」
「……?」
ソルアリシアはこてんと首を傾げる。
何故突然カムルナギアの名前が出てきたのかもわからないし、何なら何を聞かれているかどうかもよく分かっていなかった。
カロスによる補足を待ち、無言でその目をじっと見つめる。
「えーっと……。好きとか嫌いとか、そういう話です。
貴女から見て、ナギア君とはどういう人でしょう?」
「……ふむ」
ソルアリシアは床をじっと睨み深く考えてみる。
正直考えることは得意ではないが、せっかくの良い機会だと思って普段使わない頭をフル回転させる。
そのまま数分が経過するが、カロスもじっと答えを待つ。
「……むう。なんか、放っておけない。
ナギアは、弱いから」
「……弱い?」
今度はカロスが首を傾げる。
エドグランの暴走の際、討伐に最も貢献したのがカムルナギアだ。
的確な状況判断やそこから出される指示の内容には内心舌を巻いていたほどだ。
それに炎王にも勝利したという実績もある。
そんなカムルナギアと弱いという評価がどうしてもカロスの頭の中で一致しなかった。
「……えっとね。なんというか……」
「大丈夫です。いくらでも待ちますので、ゆっくりと考えてください」
「……ナギアは、会った時に比べて強くなったとは思う。
でも、ナギアは、誰かと戦うことに向いてない。
勝っても負けても、ナギアは、色々と抱えちゃうから」
「……ああ」
ソルアリシアの説明を聞いてカロスにも得心がいく部分はあった。
あの戦いの最後。
カムルナギアだけが最後まで目を逸らさなかった。
それはエドグランに対する同情とか憐憫といったものから来るものだったのだろうが、あの瞬間間違いなくカムルナギアは何かを抱え込んだ。
人としては正しい姿であるとしても、戦う者としては望ましいとは言い難い。
そんなことを続けていれば、いつかは壊れてしまうから。
「ナギアは弱い。
だから、私がナギアを守らないと」
それがソルアリシアの結論だった。
カムルナギアは、好きとか嫌いとかの前に、守らなければならない対象だった。
その答えを聞いてカロスは悩ましい気持ちになる。
(……この部屋の防御術式、もう一段階上げておくべきでしたね)
このまま話を続けて自分の身の安全は保障されるのか。
若干心配になりつつも、もうすぐ光王が来て2人がこの国を去る以上、ここで話を打ち切ることはできない。
覚悟を決めて、本題に入る。
「貴女の考えは分かりました。
そのうえで、貴女にお願いしたいことがあるのです」
「最初に言ってたやつだね。なに?」
「ナギア君――カムルナギアには、現在、魔王の協力者ではないかという容疑がかけられています。
貴女には、そんな彼の監視、そしていざというときの排除をお願いしたいのです」
ソルアリシアの目を見て話すのがカロスにとっての最大限の礼儀だった。
しばらく無言の時間が流れる。
その間にも、ソルアリシアから放たれる『圧』が部屋を満たし始める。
「――――――は?」
小さな部屋がソルアリシアから発せられる魔力の余波を受けてガタガタと震えだす。
2人の座る椅子が、窓が、来ている服が、急速に劣化していく。
幸い2人の体に影響はなかったものの、カロスは冷や汗が止まらない。
「どういう、こと?」
「……説明はします。まずは、落ち着いてください」
「…………」
ソルアリシアは自身を落ち着けるように目を閉じる。
数度の深呼吸を経て、部屋の揺れは収まった。
それでもカロスの心臓の鼓動が収まることはなかった。
「我々がドールと呼ぶあの女性が持っていた武器のことは覚えていますか?」
「……『拳銃』、だっけ」
「そうです。彼女曰く、魔王から与えられた異世界の武器であるとか。
確かナギア君は、異世界の物を召喚することができましたよね?」
『ドールに提供された武器を魔王はどのようにして手に入れたのか?』
魔王対策委員会でこの議題が出された時、真っ先に怪しいと思われたのがカムルナギアだった。
あらゆる世界の壁を飛び越えて人・物を召喚することができる魔術属性、空属性。
カムルナギア自身も異世界からの来訪者であるという事実が、その疑いをより濃いものにしていた。
「ナギアは、召喚術を嫌ってた」
「もちろんそれは知っています。
ですが、自らの命が危機にさらされたなら、使うという可能性も捨てきれないのではないですか?」
「…………」
「我々も彼が進んで魔王に協力しているとは考えていません。
ですが、エドグランという無意識の間に操られていた実例がある以上、あらゆる最悪の状況を考えなければなりません」
ソルアリシアは急変したエドグランの様子が急変した時のことを思い出す。
カムルナギアがそれと同じ状況に置かれているかもしれない。
空属性という属性の希少性を考えた時、魔王が目を付けたとしても不思議ではない。
「それに魔王は、我々の前に姿を現さずドールを使うなど、慎重に事を進めているという印象を受けます。
こうした所は、ナギア君の特徴と一致するのではないですか?」
「…………むう」
それを否定する材料は思いつかない。
もしカムルナギアが魔王の協力者で、エドグランの死も計画の一部なのだとしたら。
(その時私は、どうした良いんだろう……)
「先ほどは排除という厳しい言葉を使いましたが、いざというとき、ナギア君の安全を確保するためにも、彼の様子を注視してくれる人が必要なのです。
……ご協力いただけませんか?」
「……分かった。
ナギアの様子がおかしくないか、見ておけばいいんだよね?」
「十分です。よろしくお願いいたします」
カロスから差し出された右手を、ソルアリシアは力なく握り返した。
同時刻。闇王の執務室。
キリキリキリキリキリキリキリ……。
「胃が痛いですわ……」
「? どうしました?」
ガスティは今頃繰り広げられているであろう会話を思い、顔を顰める。
ガスティにとってカムルナギアとソルアリシアは命の恩人ともいえる。
ほんの少しの間の付き合いしかないガスティから見ても、あの2人の息がぴったりと合っていたと思うし、できることなら今後もそうあってほしいと思っていた。
その矢先に、お互いがお互いのことを監視しなければならない状況になってしまった。
「薬か何か取ってきましょうか?」
「いえ、結構ですわ……。
本当に、この状況を打破できる特効薬でもあればよかったんですけどね……」
「?」
同時刻。隠れ部屋。
「じゃあナギア君、よろしくお願いね?」
「……分かりました」
落ち込んだ声でカムルナギアは答える。
気分が落ち込んだあまり、部屋の中も暗くなったように感じる。
否、実際に暗くなっている。
これまで窓から暖かな光が差し込んでいたのが嘘かのように、空を暗雲が覆っているようだった。
「来たわね」
「……? 来たって、何が……?」
「窓の外を見てみなさい」
闇王が窓を指さすのに従い、言われるままに窓を開けて外を見てみる。
空には雲ではなく、巨大な何かでおおわれていた。
「何だ、あれは……?」
「あれこそが浮遊大陸群から構成される一つの王国。
貴方たちが次に向かう場所でもある、栄光と探求の国『光王国』よ。
今真上にあるのは王都島『マルクス』かしら」
半年の休息期間を経て、次の物語が始まる。




