第70話 一蓮托生の死闘
エドグランの破裂によって一番の被害を受けたのはエドグランの周囲を囲み、警戒に当たっていた5人の黒服だった。
その体が破裂するとともに、制御しきれなくなったエドグランの魔力の暴走現象が発生し、黒服たちの視界が闇に閉ざされる。
真っ黒な視界の中、武器を振るおうにも近くにいた仲間に当たるかもしれないという可能性が腕を鈍らせる。
闇の中に潜む化物はその隙を見逃さなかった。
部屋の隅で邪魔にならないよう立っていたカムルナギア、ソルアリシア、ガスティの3人はその異様な光景を目の当たりにしていた。
黒服の一人が叫び、エドグランの体が内側から膨張するように破裂したかと思うと、広い会議室の一角に真っ黒な半球のドームが出来上がっていた。
闇王とカロスはギリギリそのドームの範囲外に逃れてはいたが、周りにいた5人の黒服は全員飲み込まれてその姿を確認できない。
「な、何が……?」
「暴走現象か。ソルア、警戒を」
「了解。武器持ってないから支援に回るね」
「頼む。俺は幾らか素手でも戦える。
保護の優先順位は低くても構わない」
「……了解」
「これは……『暗牢』ですかね?」
「光も音も通さないを見ると、効果としてはそれに近いと考えてよさそうね」
「彼、破裂しちゃいましたけど、それで終わりだと思います?」
「現実はそう甘くないものよ」
「ですよねー……」
待機組と闇王組でそれぞれ現状の把握とこれからの予想に努める。
部屋の中央と隅に分かれていた2組は自然と1か所に集まり、誰に言われるまでもなく自然と陣形を作り上げていた。。
黒のドームから最も近い位置にカムルナギアとカロスが構え、その後ろでソルアリシアと闇王クロアネロンがサポートに回る。
ガスティはさらにその後ろでいまだ気絶したままのケイオシアを守っている。
「ガスティさん、一応聞きますけど実践経験は?」
「……ありませんわ。せいぜいが護身程度です」
「了解です。できるだけそこを動かないように。
ええと、貴方は……」
「あ、闇王陛下の執事のカロスと申します。
得意魔術は闇属性の妨害魔術。苦手なのは肉弾戦です」
「了解です」
カムルナギアがドームを睨んでいると、中からものすごい勢いで身長の半分ほどの何かがまっすぐ投擲される。先ほどまでエドグランが座っていた椅子だ。
これに対し反応できたのはソルアリシアとカムルナギアの2名。
「『スロウ』!」「『空砕』」
ソルアリシアの右手に金色の、カムルナギアの左手に銀色の魔法陣が浮かび上がる。
2人の魔術を受けた椅子は、空中でそのスピードを落とし、内側から捻じ切られるように粉砕される。
対象の時間の流れを遅くする時属性魔術『スロウ』。
炎王戦で用いられた粉砕現象を魔術に昇華した空属性魔術『空砕』。
示し合わせるまでもなく完璧なタイミングで発動した魔術によってひと先ず危険は排除された。
だが、当然終わりではない。
あの椅子を投げつけてきた何かが不可視のドームの中にいる。
「やはり中に何かいますね」
「大方、あの女の言っていた『キメラ』とかいうものでしょうね」
「俺たちだけで何とかなると思います?」
「何とかしなさい。できなければ死ぬだけよ」
「何でこんなことに……。
俺、今回こそは怪我しないと思っていたんですよ?」
「良かったじゃない。このまま全国の病院コンプリートしたら?」
「嬉しくねえ……」
軽口を叩き合ってはいるが、一瞬たりとも目を離せる状況ではなかった。
しばらく硬直状態が続く。
先に変化が起きたのはドーム側。
暴走が収まったのか、ゆっくりと上部から溶けるようにドームが消えていく。
ドームの内部から現れたのは隻腕の化物。
何倍にも肥大したその左腕の肘のあたりからは鎌のような刃が生え、哀れな犠牲者の血に濡れていた。
すでにエドグランの面影はなく、筋肉で膨れ上がった左半身と病的なまでにやせ細った右半身という1個の生命体としてアンバランスが過ぎるその姿には生理的嫌悪を覚えずにはいられない。
床は10の肉片が散乱しており、ドームに飲み込まれた者が全員両断されたことを物語っていた。
「GAAAAAAAAAAA!」
化物ーーキメラは新たな獲物を見つけ、歓喜の雄叫びをあげる。
その叫び声だけで空気が震え、ただ置かれただけだった椅子や机がガタガタと震えだす。
敵はキメラ一体。
だがカムルナギア側の構成も前衛1、後衛3、非戦闘員2と極めてバランスが悪い。
実質的にカムルナギア一人が最後の砦と言える状況だった。
(あの刃が後衛に届くようなことがあれば一気に不利になるな)
「俺が前に出て足止めします。
その間に全力で妨害を」
「分かりました。
陛下、僕は『行動阻害』と『回復阻害』を担当します」
「なら私はそれ以外ね」
「私はー?」
「その辺に落ちてる物を投げつけてくれ。
当たり前だが、俺には当てるなよ?」
「……頑張る」
「確約はしないんだな……」
プイッと顔を背けるソルアリシアに不安そうな顔を向けるカムルナギア。
しかしその顔も、改めてキメラの方を向いた時には冷徹なものに戻っていた。
あのキメラも元はエドグランで、メイド服の女の被害者だということは十分に認識していた。
しかし、今彼を元に戻す手段はない。
そして、もしここで闇王が斃れる事があれば次はいつ試練が行われるか分からない。
――ならば、あれは俺の目的の障害となる敵だ。
頭の中から『容赦』と『慈悲』の文字を消し、戦闘を遂行する。
「『瞬身』」
カムルナギアとキメラの距離はおよそ10メートル。
それを魔術でたった1歩に縮める。
カムルナギアが姿を現したのはキメラの右隣、一見して弱点のように見える枯れ木のような体に拳が届く距離。
「『崩突』」
放たれるのは一撃必殺の拳。
短期戦となれば不利となると考え、当たりさえすればあの炎王ですら沈めかけた一撃を右半身の胴辺りに見舞う。
火王国から闇王国までに来るまでの間に行われた修業によって、瞬身後の硬直時間が短縮され、スムーズな攻撃への移行が可能となっていた。
これに対し、キメラも反応はできていた。
目の前で一人消え、右側に現れたことを気配で察したキメラは全身を右に向かって捻り、刃をもってその体を両断しようとする。
その反応速度は既に人間のそれを超え、カムルナギアの拳が届くよりも先にその首を跳ね飛ばすかのように思われた。
しかし、それを妨害するのが目を離した先にいる3人の魔術師。
「『アクセル』!」
「『黒式・行動阻害』『黒式・回復阻害』」
「『三禍終命呪詛』」
まずソルアリシアが全力で投げつけた椅子の破片が空中で何倍にもその速度を上げ、キメラの頭に直撃する。
その破片はキメラの筋肉質な左側頭部に当たり、ダメージを与えるまではいかないまでも怯ませることには成功する。
その間にカロスと闇王の魔術が効果を発現させる。
カロスの魔術によりキメラの動きが鈍る。さらにカムルナギアが与えるであろうダメージからの回復を阻止する。
闇王もカムルナギアと同じく短期決戦を狙い、一般人では使えないような超級魔術を唱える。それは、『呼吸阻害』『思考阻害』『鼓動阻害』の3つを併せた、王の名に恥じない凶悪な魔術だった。
「……GUU」
「せいっ!」
結果としてキメラの刃がカムルナギアに届くことはなく、お手本のような姿勢から放たれたその拳は深々とキメラの体に突き刺さる。
通常であれば勝利を確信する場面。
しかし、カムルナギアは苦々しい顔を浮かべると、全力で後ろに飛びずさる。
闇王とカロスもまた、警戒を緩めることなくキメラを睨んでいた。
その理由は明白。
3人がキメラを対象に形成していた魔法陣のどれもが砕け散っていた。それは3人の魔術がキメラの魔力抵抗を受け、弾かれたことを意味していた。
「効いたのは一瞬だけでしたね……」
「複数の魂が合わさって何人分もの魔力抵抗力になっているということでしょうね」
直接あのキメラに妨害魔術をかけることはできない。
そう判断した2人は次の手を取る。
直接作用する魔術が効かないなら、『不和の泥』のように継続して妨害し続ける魔術を使えばよい。
1つの手段が奪われても、すぐに次の手を考えられる適応力がこの2人の武器でもあった。
「GAAAA!」
「……くっそ」
それどころではないのがカムルナギア。
食らわされた正拳突きが気に入らなかったらしく、キメラはカムルナギア1人に狙いを絞って刃を振るい続けている。
『煙舞』を使って何とかかわし続けているが、反撃に出られるような隙が全く無かった。
さらに問題なのがキメラを殴りつけた右の拳。
『崩突』を放った拳はキメラの体に刺さりはしたが、それはまるで腐肉に手を突っ込むような気持ちの悪い感触のものだった。
殴られた場所から噴き出た黒い煙は呪いと化し、煙に触れたカムルナギアの拳からその機能を奪いつつあった。
その頑健さをもって攻撃を弾く左半身とその脆弱さをもって呪いを振りまく右半身。
おぞましい実験によって生まれた生物は存分にその脅威を発揮していた。
(どうする……?
魔術を直接かけるのは無理。
右半身からならば物理攻撃が通るが、やればやるほど呪いが振り撒かれる。
やるなら一撃必殺だが……)
今この場で最も高い攻撃力を叩きこむことができるのは誰か。
『纏魔の闘法』を使ったカムルナギアか、『アクセル』で高速度の投擲が可能なソルアリシアか。
しかし今のカムルナギアは右手を使うことができなくなっている。
利き手でない左手や足でキメラの命を一撃で断つほどの威力を出せるか、確証が得られなかった。
その間に闇王とカロスの魔術が完成し、メイド服の女を縛った粘性のある泥が大量に現れる。
泥はキメラに覆いかぶさるように流れ込み、その粘性と呪いによってその動きを留める。
いずれは筋力と抵抗力で無理やり突破されるだろうが、思考に没頭するだけの猶予はできた。
(泥……。便利な魔術だな……)
そこでカムルナギアはハッと気付く。
同じように泥によって拘束されたメイド服の女はアスディルの短剣によってその足を縫い留められていた。
そして、メイド服の女はその足を捨てる形で逃走していた。
ならば、その場所には今も短剣が残されているはずだ。
「ソルア! 短剣だ!
あいつの体に食い込むくらい、全力で投げてやれ!」
「……む! 了解!」
カムルナギアの意図を察知したソルアリシアは加速し、根元から残った左肢に刺さった短剣を抜きとる。
そしてその短剣を泥から脱しつつあるキメラに向けて全力で投擲する。
狙うは柔らかな右半身。
筋肉に守られた右半身が貫通を勝手に防いでくれるから、その心配をする必要はない。
「世界は加速する。私が望む限り、どこまでも! 『フルアクセル』!」
投げられた短剣は一直線にキメラに向かって突き進む。
ソルアリシアが編み出す金色の魔法陣が、その速度を2倍、3倍と増加させる。
そしてその速度は、メイド服が放った弾丸と同じ速度に達する。
「GUGYAAAっ!?」
ナイフは狙い通りにキメラの右半身から侵入する。
それは戦闘が始まって以来の大ダメージを与えるが、刺さった場所から呪いをまき散らす。
その切っ先は心臓にまで達することなく、しかし狙い通りに筋肉によって止められる。
キメラは自らにダメージを与えた者を睨みつける。
ダメージはあるが致命傷ではない。
遂に泥から脱し、一跳びで距離を詰めようとする。
「それを許すはずがないだろうが」
所詮は理性を失くした獣。
直近にダメージを与えた者に攻撃するしか考えられない者に勝利はもたらされることはない。
「世界は捻じれる。誰が望むでもなく、いつまでも。『空砕蓮華』」
左手に現れた銀色の魔法陣が対象とするのはキメラの体……ではなく、その体に埋め込まれた短剣。
内側から捻じれる短剣は、キメラの体内で破裂する。
さらにその破片を対象とした『空砕』がキメラの体内で連続して発動する。
「GYU! GUI! GYA!」
体内で何度も起こる衝撃にキメラは短い悲鳴を上げ続ける。
悲鳴が上がるたび、プシュプシュと音を立てて呪いの煙が吐き出されるが、次第にその勢いも弱まっていく。
頑丈を誇る左半身も、体内で鋭い刃が暴れ回ったことによりズタズタとなり、外からも皮膚を内側から突き破った破片が確認できた。
とどめを刺すためにカムルナギアは警戒しつつも近づく。
右手を侵す呪いは肘まで上り、肘から先は真っ黒な塗料で塗られたかのようになっている。
腕に走る鋭い痛みに顔を顰めながらも、歩みは確かに一歩、また一歩とキメラに近づく。
「た、助けて……」
キメラの口から初めて人語が発せられる。
それは正気を取り戻したエドグランの懇願か、知恵をつけたキメラの懇願だったのかは分からない。
しかしその答えがどちらにせよ、全身にできた切り傷から血を流し、命乞いをする姿は見る者全ての同情を誘うものであった。
カムルナギアにもその声は聞こえていた。
それは理不尽によって今まさに命を奪われようとしている犠牲者の声だった。
カムルナギアが最も嫌う、『ただ運が悪かった』からもたらされる死に怯える者の声だった。
無事な左の手の平に食い込んだ爪から血が滴り落ちる。
それでも、このキメラの危険性を考えた時、ここで見逃すという選択肢をとることはできなかった。
「俺は、貴方を、助けない」
右足に魔力を纏い、思い切り振り上げる。
その足をキメラの頭に向かった振り下ろす。
カムルナギアの足によってエドグランの頭が潰される瞬間、ただ一人を除いて皆が目を逸らしていた。
カムルナギアだけが、エドグランの命が失われるその瞬間を、頭に焼き付けていた。




