第26話 アイデンティティ
夜。
俺はシロと共同で使っている部屋で魔力制御の練習をしていた。。
『多元世界論考』を読んでこれからの道のりが途方もないことを知って現実逃避をしたい気分でもあった。
しばらくすると、シロが帰ってくる音がした。
「……ただいま……」
「お帰り。遅かったな」
「……」
「とりあえず、言い分があるなら聞くが?」
シロはおずおずと俺の財布を差し出す。
中身を見れば殆ど空っぽだった。
「ごめんなさい……」
「悪いことをしたという認識はあるんだな」
「うん……」
「何故こんなことを?」
俺は怒っている。
だが感情のまま怒鳴っても良い事はない。
「『美味しいよ』って言われたから……」
「食べ物ばかり買ったのか……」
どんな胃袋しているんだろうか。
「で、美味しかったのか?」
「……分かんない……」
シロは聞こえるか聞こえないかという声で答えた。
それでも2人しかいない部屋には十分すぎる大きさだった。
「今まで食べたものと比べてどうだったんだ?」
「……分かんない……」
シロに味覚がない、という事はない。
激辛料理を食べて悶絶しているのを見たことがある。
ただ、何が「美味しい」という事なのかが分からないのだろう。
……。
俺はなんと言うべきなのだろうか。
流石にこのような経験はしたことがない。
「お前の悩みは俺にはどうしようもない」
「うん……」
厳しいようだが俺には事実を率直に告げることにした。
人から教えられた「自分」ほど曖昧なものもない。
「でも人の財布を黙って持っていくのはもう止めような」
「うん……」
今俺が教えられるのはこれだけだ。
シロが人として成長した時、答えを見つけることを祈るしかない。
「反省したなら、もう俺は怒っていない」
「……ん」
「今日はもう寝るよ。君はどうする?」
「私は……」
重苦しい空気の中ベッドに入ろうとした時。
「「こんばんは!」」
部屋のドアを勢いよく開けて入ってくる音がした。
こんな夜更けに誰だ?
「お手伝いできる事がある気がしました!」
「夜食用のスディルムもありますよ!」
「「……」」
まさかの風王夫妻だった。
……。
「いやいやいやいや」
一番ここに来ちゃいけない人たちだろう。
何考えてるんだ?
「……何しに来たの?」
「僕達はロックさんと目的を同じくする同志です」
「どんな事でも協力は惜しみませんよ!」
そう言いながらスディルムを配膳する王妃。
……本当に王妃なんですよね?
「実を言うと貴方達の会話が少し聞こえていたのですが……」
「まずは暖かい料理を食べましょう」
もう夫妻はベッドに腰かけて居座る姿勢を見せている。
独特なテンポは姉と一緒かあ……。
「すごいグイグイ来るね……」
「「同志ですから!」」
シロは困ったように俺を見る。
俺は黙って首を振る。
夫妻の距離感の詰め方には戸惑いもあるが、追い返すわけにもいかない。
シロは諦めたようにスディルムを一口食べる。
「……どうだ?」
「……分かんない……」
俺の問いに難しい表情を浮かべるシロ。
そんな中……。
「いつも通り美味しいよ、エル」
「本当? ありがとうシルヴァ!」
人の部屋で甘い空気を発し始める夫妻。
お互いを愛称で呼び始めてもはや俺たちのことは忘れているのではないだろうか。
……。
王族ということは分かった上で言わせてほしい。
こいつらホントに何しに来たの?
そのまま夫妻はスディルムを完食するまでいちゃつき続けていた。
俺たちの周りにある重い空気と夫妻の周りにある甘い空気。
……もしかして、嫌がらせに来たのか?
ようやく俺とシロの冷たい視線に気づいたのか、風王は咳払いをする。
「聞くところによるとシロさんはアイデンティティにお悩みがあるとのこと。
僕はその原因の1つに名前があると思っています」
「……名前?」
「そうです。
報告書を見ればお二人の名前は西門警備の小隊長がその場で適当に決めたそうじゃないですか」
6番と呼ばれていたからロック。白髪だからシロ。
何と呼ばれようが別にいいと思っていたため、気にしたこともなかった。
「それはいけません。
名前というのはその人の本質を表すという重要な役割を持つのです」
「私たちもシルードルムという名前に絞るまで、何年も悩んだものです」
盲点だった。
そういえば俺はこれまで何かに名前を付けるということはしてこなかった。
術式の名前も俺に魔術を教えた人が言うままに決めていただけだ。
「僕は王としてのお礼として褒賞金と図書館への立ち入り許可を与えました」
「しかしまだシルードルムの親としてのお礼をしていませんでした」
夫妻の息はぴったりだ。
長年の付き合いから生まれるコンビネーションというやつなのだろう。
「……じゃあ、名前を付けてくれるの?」
シロがおずおずと尋ねる。
その目には期待の色が浮かんでいる。
「はい。私は生まれて来た子の『裁定』を行い、その子に合った名を考えるということもしているんです」
「エルなら貴女にぴったりの名前を付けてくれると思います」
「……!」
沈んでいたシロの顔が喜びの色に染まる。
俺には考え付かなかった解決法だ。
名前など識別記号くらいにしか考えていなかった。
きっとこうした考えは子を持つ親でなければ本当の意味では理解できないのだろう。
「では、早速失礼しますね……」
王妃がシロの手を握り、『裁定』を始める。
しばらくして王妃は手を放し、閉じていた目を開ける。
「報告にあった通り時属性の魔力ですね……。初めて見ました……」
「『時』というと、古代語だと『ソル』でしたっけ……」
「名前に古代語の単語を入れるのはよくあることなんですか?」
この世界独自の風習と思われる。
俺の元居た世界ではそういった文化はなかった。
「そうですね。
特殊属性の人はその属性を名前に入れることが多いですね」
「『エル』も古代語で『聖』を意味するんですよ」
「基本属性の人には親がこう育ってほしいという願いが名前に込められるんです」
風属性のアーガルムの場合、『忠義』を意味する『ルム』が願いとして込められているらしい。
「……」
いつ名前を付けてもらえるのか楽しみな余りシロがそわそわしだしている。
それに気づいた王妃が優しく微笑む。
「待たせてしまってすみません。ソル……ソル……」
「……」
シロはじっと王妃の顔を見つめている。
まるで大切な宝物が今まさに手渡されるのを待ち望むように。
「……はい。決まりました」
「……!」
シロが姿勢を正す。
王妃もシロの顔を見つめ、その頬に手をそっと乗せる。
俺はなぜか神聖な一場面を見ている気がした。
「ソルアリシア。貴女の名前はソルアリシアです」
「……ソルアリシア」
「いい名前ですね。愛称は『ソルア』ですね」
シロ……いや、ソルアは俺をじっと見つめる。
「私……ソルアリシア」
「そうだな、ソルア」
「~~!」
嬉しそうに飛び跳ねるソルア。
夜なのですぐに止めさせたが、それでも興奮は収まらないようだ。
王妃はそんなソルアを微笑ましそうに見ると、次に俺の方を向いた。
「さて、次は貴方ですね」
「……俺にも名前を?」
「もちろんです。『6番』だから『ロック』なんて安直な名前、私は許しませんよ?」
満面の笑みを浮かべる王妃。
何故か笑顔から圧力を感じる。
名づけに長くかかわってきた王妃には矜持があるのだろう。
とはいえ俺は既に『裁定』を受けている。
俺の属性である『召喚』に沿った名前になるんだろう。
「『召喚』は古代語でなんて言うんですか?」
「それなんですが……」
なぜか言葉に詰まる王妃。
何かあったのか?
「先日の『裁定』で分かったのですが、貴方の属性は『召喚』ではありませんでした」
「…………は?」
確かに俺の世界に王妃のような『裁定』の能力を持った魔術師はおらず、正確なものであるという保障はなかった。
だが俺は実際に召喚魔術を得意としているのだから、召喚属性で間違いないはずだが……。
そんな俺の表情を読み取ったのか、王妃が説明を続ける。
「貴方の『召喚』は貴方の本当の属性の一部なんです。
貴方の属性は『空』。空間を操る属性です」
「空属性……」
「貴方の『召喚』は空間を繋げて遠くのものを呼び寄せるという意味では空属性の魔術と似ていたのだと思います。
ですが、完全に貴方の属性に合うものではありません。
『召喚』の際、必要以上に魔力を消費していたのではありませんか?」
確かに俺は召喚魔術でさえ3回使えば魔力枯渇を起こしていた。
それは俺の魔力総量が少ないせいだと思っていたが……。
――魔力の消費量は属性に合っているかによっても変わる。
俺はずっと合わない属性の魔術を使い続けていた。だからすぐに魔力枯渇を起こしていた。
『召喚』の魔法陣を素早く形成できていたのは空属性と全く合わないものでもなかったから。
矛盾はない。
だがいきなり告げられた新事実に呆然とするしかない。
「それを踏まえて貴方の名前を考えました」
「……はい」
まだ少し頭が追い付かないが心して聞く。
そうしなければいけない気がした。
「古代語にて『空』は『ルナ』」
「……」
「貴方の名はカムルナギアです」
「……カムルナギア」
……。
「愛称は……『ナギア』ですかね」
「……ナギア」
「もしかして、お気に召さないものでしたか?」
「いえ、逆です。とてもしっくりくるというか……」
正直名前なんて何でもいいと思っていたが……。
今となってはカムルナギア以外の名前が考えられない。
「ナギア」
「……なんだ、ソルア」
「なんでもないよ、ナギア」
ソルアは満面の笑顔で俺の名を呼ぶ。
その太陽のような笑顔から俺は目を離すことができなかった。




