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「おにーちゃんの言う通りなら、この私のそっくりさんは並行世界のゾンビ化した私で、ゾンビだけど意識があるんだね。
……おにーちゃん設定盛りすぎだよ。そもそもゾンビなら噛まれたら私もゾンビになっちゃうじゃん。それとも遅効性?」
そう言って此方側の世界の灯香は歯形が残った首筋を擦る。噛み傷から滲み出ていた血は既に止まっている。
今はリビングで緊急家族会議中。俺の隣には体を隠すためにバスタオル一枚を身に纏った向こう側の世界の灯香が椅子に座っていて、長テーブルを挟んだ対面には料理を中断した此方側の世界の灯香が椅子に座っている。
向かい合うような形で、若干気まずい。
「いやまあ即効でゾンビ化するって書いてあったんだけどなぁ。
まあ俺の話は嘘だと思うかもしれないが全部本当なんだ。ちょっと不思議な能力に目覚めてしまってな」
「不思議な能力って、前におにーちゃんがネットの掲示板に書いてたゾンビが見えるとかいう中二的なあれ?」
「中二言うなし、割と真面目に悩んだ末に俺と同じ境遇の奴がいないか探すために投稿したんだからなアレ」
「その割と真面目に書いた文章がネットで色々とゾンビコピペとして晒されてるみたいだよ」
「やめて、その事実はテキメンにメンタルに響く……」
ほんと、辛い。ネットって怖いね。
「まあ、おにーちゃんの与太話はいったん置いておいて」
「いや、与太話じゃなくてだな」
「おにーちゃんの隣でだんまりしてる……名前なんていうの」
無視された。
それと、今まで俯いて会話に参加していなかった向こう側の世界の灯香がびくりと肩を震わせる。
此方側の世界の灯香を噛んだ後、自身がゾンビである事に思い至った妹は取り返しのつかない事をしてしまったと理解して委縮している。
向こう側の世界の灯香はちらりとこちら側の世界の灯香を見て、再び目をそらして口を開いた。
「柄牧、灯香……」
ボソリと、小さな声の呟き。
その呟きにこちら側の世界の灯香は小さくため息をついた。
「貴方もそんな設定でいくんだね。まあ良いけど。
それじゃちょっと話変わるけど、貴方に噛まれたの痛かったなー」
「うぅ、その……」
「その事についてはまだ何も言われてないけど。
噛まれた所、結構痛かったなー」
此方側の世界の灯香は芝居掛かったような声音で向こう側の世界の灯香に言う。
向こう側の世界の灯香は色々と目を彷徨わせて、そしてポツリと口を開いた。
「ごめん、なさい……」
「うん許すよ。ほら、顔を上げて。
私と同じ顔が落ち込んだり怯えたような表情だと変な気分になっちゃうからね」
「許して、くれるの?」
「うん、許すよ」
その言葉に、向こうの世界の灯香の表情は花が咲いたかのように明るくなっていく。
「ありがとう、おねーちゃん」
瞬間、此方側の世界の灯香は一瞬だけ雷に打たれたようにフリーズした。そして頷いた。
「……やばい、おねーちゃんって呼ばれるの良いかも。
いつも学校じゃ年下扱いだから、新鮮な感じで良い……。
うん、良いよ。色々変な設定で私を誤魔化そうとしてるけど、訳有りでおにーちゃんが連れてきたって事でしょ。
問題が解決するまで家に居て良いからね」
そう言って、此方側の世界の妹は仕方ないなぁと言いたげな視線をこちらに向けて苦笑する。
前科あるからね、その節は誠に申し訳ありませんでした。前に家に連れてきたのは妹と同い年くらいの女の子だったなぁ。今は確かヤの付く仕事の一番偉い人に引き取られたんだったか。元気にしてるかなぁ。
そんな事を思ってる間にも妹たちの会話は続いている。
「家に居る間の決まり事とかは後で話し合うとして、まずはお風呂に入ろっか。
気になっていたけどちょっと臭うし、しばらくお風呂に入ってないでしょ。何なら一緒に入る?
って、そうそう。改めて訊くけど貴方はおにーちゃんとは何も無かったって事で良いかな?」
「……おにーちゃん、変なの。
一緒にお風呂に入ろうって言ったら、すぐに断られた。
服を脱いだら、おにーちゃんは無表情になったり焦った顔になったり色々してた。
一緒に何回もお風呂に入ったのに、おにーちゃん変なの」
「……ちょっとタイム、おにーちゃん廊下に行くよー」
「あっ、はい」
今まで会話の外の住人だったのに、色々と問題が有る発言すぎるよ向こう側の世界の灯香……。
俺は此方側の世界の妹に促されるまま廊下へと出る。
ドアを閉じて妹に向き直ると、目の前に居た妹は腕を組んで笑顔で俺を見つめていた。
笑顔のまま、妹は口を開いた。
「弁明はある?」
「俺は無実です」
「一緒にお風呂に入ったんだよね」
「俺は無実です」
それしか言い様がないんだよ、これ。
結局、此方側の世界の灯香の誤解が解けたのか分からないまま、妹二人は一緒に風呂場に入って行った。
その際、此方側の世界の灯香が俺に女の子と一緒にお風呂に入るのは恋人以外禁止令を出す辺り、やっぱり誤解が解けてねーわこれ。