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『おにーちゃんと、一緒にいるの』
「えぇ……」
俺は今、困惑していた。
妹との買い物から帰ってきたら向こう側の世界の灯香の意識が戻った。
ゾンビ化していた影響か思考が幼げで記憶も一部抜けているようだが、会話も出来るしドアを開けるなどの動作も出来る。
喜ばしい事だ。うん、喜ばしい事なんだ。
まあ、まだ妹は難しい事は理解しきれてないけどな。今見えている俺は並行世界の存在うんぬんと説明したが、おもっきし首を傾げられたのち幽霊扱いされた、だから俺は生きてるって……。
まあ、そんな事はどうでも良い。今は大変困った事になっている。
時刻は六時を少し過ぎて。料理はもう少し時間が掛かるという事で先に風呂に入って来て良いよと此方側の世界の灯香に言われて着替えなどを持って風呂に行こうとしたのだが、洗面所まで向こう側の世界の灯香がついて来た。
それで俺は今から体を洗うからついて来ないで欲しいと灯香にお願いしたら、一緒に居たいと駄々をこねられた。
うん、マジで困った。どうしよう、この状況。このままじゃ灯香は確実に風呂場まで一緒に来てしまう。
「あのな、灯香。男と女が一緒に風呂に入るのはイカン事だと思うのだよ」
『? 兄妹だから、一緒にお風呂に入れるよ』
「年を考えてくれ妹よ。お前は今何歳だ?」
『……何歳だっけ?』
「いや、そんなボケは求めて無いから。
ほら、自分の年齢を言ってみなさい」
『……六歳!』
もうやだこの子、自分の年齢すら分かってない。
誰かー、要介護者の扱いに長けた人は居ませんかー!
……居る訳ないよなチクショウ、そもそも俺しか認識できてないし。
『うんしょ』
って、オイ。
何でパジャマ脱ぎだしてんだお前……あれっ? そういえば今まで着替えとかしてなかったな。
考えれば髪も伸びてるし代謝も一応はしてるんだよな。つまり、今まで不清潔な状態だった?
ゾンビだから清潔も何もあったもんじゃねえけど。
「じゃなくて何で脱いでるの!?」
アホな事を考えている間に妹はショーツ一枚だけとなっている。
そのショーツにも手を掛けようとしている。
俺は即座に妹の腕を掴んで引っ張る。ひんやりした肌触りだな……無心になれ俺、相手は妹だ反応したら負けだ。
無知シチュエーションというワードが頭の中に浮かんだ時点で負けだと思うけど、それでも無心になれ俺。
「おにーちゃん手が邪魔。
おにーちゃんと、お風呂入るの」
「いや、だから」
「おにーちゃんと、また一緒にお風呂。
えへへ、楽しみ」
……完全に一緒に入る気満々だよ。
うん、一緒にお風呂入ってたね。俺が小学四年生まではなぁ!!
もうこれ、どうすりゃ良いのこれ。
灯香が一緒に風呂に入るのを諦めるのに何か良い案が無いか、何か何か何か!?。
「おにーちゃん、お風呂場でなに騒いでるの!!
それに何か女の子の声がするんだけ……ど?」
洗面所のドアを開き妹が登場。
騒ぎが気になって来たのだろう。愛用のエプロンを身に纏った灯香は俺を見て、見えないはずの灯香を見て、そして俺を見る。
えっ、何で向こう側の灯香が見えるの?
もしかして此方側の灯香も俺と同じ体質になったの?
いや、違う。向こう側の灯香が洗面所の鏡に映っているって事はこっち側に来てるわ……何でこっち側に来てるの!?
何が要因で……まさか服を脱いでショーツに手を掛けた灯香の腕を掴んで引っ張ったから、それで此方側に引っ張られて来たのか?
つまり、もしかしたら今まで俺が向こう側の世界に物を送っていたのとは逆に、向こう側の世界の物を此方側に引き込む事が出来るという事なのか?
ちょっとこれは後で検証するとして、今の状況を見つめ直してみよう。
騒ぎを聞きつけた灯香が今見ている光景についてだが……わりかし俺、詰んでると思うんだ。
俺は今、ショーツ一枚だけとなった女の子の腕を強引に掴んでいる状態だ。で、何も事情を知らない此方側の灯香がこれを見て、どう思うか。
うん、思いっきり事案だなこれ。
「……おにーちゃん」
あっ、うん。
此方側の灯香の目が冷たくなっていく。
あのな、妹よ。これには深い理由があってだな。
「色々と問題だよ、これ。
それに私のそっくりさんに手を出すとか、つまりそう言う事なんだ」
そう言う事って、ちょっと誤解してないですかね?
うん、色々と誤解なんだ灯香よ。一先ず話を聞いてくれ。
「誤解も何もないと思うよ、おにーちゃん。裸の女の子の腕を掴んでいる時点で状況証拠は十分だし。
とりあえずおにーちゃん、その手を放す。説明はその後に訊くから」
そう言って此方側の世界の灯香は俺から引き離すように向こう側の灯香を抱き寄せる。
何か誤解を解く材料は……そうだ向こう側の灯香に誤解を解いてもらえれば何とかなるはず。
その今まで無言だった向こう側の灯香はなすがままに引き寄せられ、そして次第に顔が険しくなっていって。
「大丈夫? 酷い事されて―――」
「うー、おにーちゃんに、いじわるするの、キライ!!」
かぶり、と。
向こう側の灯里は此方側の灯里の首筋に噛みついた。
「痛った!?
ちょっと、何するの!!」
すぐに此方側の灯里は向こう側の灯里を引き離して怒る。
その首筋には歯形が刻まれて、血がにじみ出している。
「嘘だろ、おい……」
悪い夢だと思いたい。
向こうの世界の俺が書き残していたノートに、書かれていた一文を思い出す。
無垢の世界で電気がまだ生きていてインターネットが使えた時に調べた事を書きなぐったメモ。
ゾンビになる感染経路について、二つ。
一つは飛沫核感染。感染者の咳などを吸い込むことによる感染。この場合はゆっくりと病状は進行してゾンビへと転化する。
もう一つは唾液感染。ゾンビに噛まれることによる感染。この場合は即座にゾンビへと転化する。
つまり、直に此方側の世界の灯里もゾンビへとなってしまう。
なんで、こんな事になってしまったんだ。今日は灯里の誕生日だというのに、何でなんだよ。
◇
「むー、おにーちゃんと一緒にお風呂入りたかった」
「あのね……そんな事したら本当におにーちゃんが犯罪者になっちゃうから止めてね。
ほら、とりあえずじっとする。向こう側に居た時はお風呂に入れなかったでしょ。
今まで溜まった汚れをしっかり落とすからね。まずは髪から洗うよ」
「……目に泡が沁みる」
「じゃあ目を閉じようねー」
あるぇー。
妹は噛まれたのにゾンビになるどころか普通に二人して風呂に入ってるんだけど。
俺は色々と疑問に思いながら、此方側の世界の妹に言われた通りに妹の部屋から持ってきた着替えを洗面所の置いた。
「着替え置いとくぞ」
「「ありがとおにーちゃん」」
うん、なんだろうね。
とりあえず噛まれてしまったけどゾンビ化しないのなら、まあいっか。