第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 06
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一方、屋敷を探索する頼光は、四方を障子でしきられた一間へ足をふみ入れた。
間の中央に一脚の燭台があり、ぽっと火がともるやいなや、頼光のあけた障子がするどい音をたててしまった。頼光は燭台のともる一間へとじこめられていた。
(……おもしろい)
頼光はにやりとくちびるをゆがめて笑うと、燭台の前に悠然と座した。
道満がかれを殺すつもりなら、こんなまわりくどいやりかたはしないはずだ。はじめから屋敷にしかけられていた罠か、屋敷に巣くう魑魅魍魎のしわざであろう。
どんな趣向を凝らすつもりか相手の出方を待つ。冥い闇のなかで燭台の灯りだけがゆらゆらと命あるもののようにゆれていた。
待っていたのが短い時間だったのか長い時間だったのかさだかでない。
突如、早鼓のような足音がなりひびくと、四方の障子が見えない力で乱暴にあけはなたれた。
頼光が目を凝らすと、間の障子をへだてて数かぎりない異類・異形の妖しがぐるりをとりかこんでいた。
(屍鬼神ではない!? ……こやつら付喪神か)
付喪神は100年をへた器物が霊性をやどした妖しである。頼光は周囲に群がる妖しを冷静に観察していた。
(道満が生みだしたものではなく、屋敷のまとう邪気にひかれて鳩首したと云うところか)
付喪神には邪気をもとめて群れつどい、夜な夜なさすらう〈百鬼夜行〉と云う習性がある。
群れてさすらうのは霊性がひくいからだ。すなわち、妖しとしては、はなはだ弱い部類に入る。数にものを云わせて人をおどろかせるのが関の山だ。
頼光のぐるりにひしめく付喪神の群れは遠まきに奇声を発したり、がさがさと音をたてて威嚇するものの、けっして頼光に近づこうとしなかった。
一見、頼光をおどかしているようだが、おびえているのは付喪神のほうだ。
(こざかしい!)
頼光がぐるりに殺気をはなつと、付喪神の群れが、
「どおっ!」
と笑って煙のように消えうせた。にげるようすをあわててかくすかのように、すべての障子が音をたててしまった。そして、ふたたび静寂がおとずれた。
8
(……かようなときでなければ、付喪神につきあうのも一興だが、今は道満が気にかかる)
頼光が腰をあげかけると、間の外からなにかが近づいてくる気配がした。正面の障子がしずかにひらくと奇妙なモノがいた。
強いて云えば、人の姿をしていた。
〈尼〉である。しかし、異形であった。
とてつもなく背がひくかった。3尺(約90cm)しかない。
(白楽天の詠んだ〈道州の民〉とは、このような者であろうか?)
頼光が場ちがいなことを思った。総じて背のひくかったとされる道州の民が、この〈尼〉の姿を見たら「いっしょにするな」と憤慨したはずだ。
なにしろ〈尼〉の頭部が異様に大きかった。紫の頭巾をかぶったその頭は、身の丈3尺にして2尺ほどある。太々とえがかれた眉に、どぎつい頬紅。童子の化粧のように、あどけなくぶざまだ。
上半身は裸だった。燭台の灯りに雪のような白い肌がうかぶ。糸のようにやせ細った腕をぶらりとさげたまま〈尼〉は真紅の長袴をひきずりつつ、いざりよってきた。
頼光と目のあった〈尼〉が婉然とほほ笑んだ。丹紅のくちびるからのぞく2本の前歯だけが鉄漿で黒い。
〈尼〉は燭台のそばまでくると、枯れ枝のような腕をのろのろとあげ、灯りをふき消そうとした。
「……だから、今、おまえらにつきあってるひまはないと云ってる!」
頼光が〈尼〉をにらみつけると〈尼〉の姿が陽炎のようにゆらめいて消えた。付喪神の群れが〈尼〉に化けて頼光をおびえさせるつもりだったようだが、頼光にとっては座興にすぎなかった。
9
いつのまにか、外の嵐はやんでいた。頼光は付喪神の残した燭台を手に屋敷のすみずみまで探索をつづけたが、道満の居場所や陰謀を知る手がかりとなるものは、なにひとつ見いだせなかった。
(……そろそろ鶏人が暁を告げる刻限であろうか?)
頼光は道満のかくれ家で一夜をあかしてしまったらしい。
(そんなことより、綱は無事か?)
屋敷の探索中、外からの異常はまったく感じられなかった。おそらく、なにごともなかったはずだが、あいてが蘆屋道満ほどの呪導師となれば油断はできない。
頼光が屋敷の外へむかっていると、障子の外からぱたぱた足音がした。頼光のいる間の先には簀の子、いわゆる廊下がある。
はじめは綱の足音かと疑ったが、可憐とは云え、滝口の武者たる綱の足音にしては、いかにも軽い。
簀の子にいる何者かの気配を警戒していると、正面の障子がほんのちょっとだけひらいた。
頼光が太刀〈膝丸〉の柄へ手をかけると、そのうごきに呼応するかのように障子がしまった。
しかし、また障子がちょっとだけひらいたかと思えばすぐにしまる。そんなことが数回くりかえされた。
障子のむこうにかいま見えたのは可憐な姫君だった。恋する乙女が気になる男子のようすをのぞき見るような、恥じらいさえ感じさせる所作だ。
頼光が障子を両手で荒々しく左右へあけはなした。すると、美しい姫君がしずしずと歩みより、頼光のまえへ座した。
絶世の美女であった。傾城とうたわれた楊貴妃や李夫人にもおとらないであろう美貌である。さすがの頼光も馥郁たる色香に一瞬、陶然とした。
道満の虜囚となっていた貴族の姫君かと思いかけたが、このような化けもの屋敷で、まともな姫君が正気を保っていられるはずもない。