第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 05
頼光は道満の居場所や陰謀を知るための手がかりがあるかもしれないとかんがえた。
さらに奥へ足をふみ入れると、炭櫃のしつらえられた一間にでた。
白い灰でみたされた炉をかこう幅広の框の上に、みがきあげられた包丁とまな板がおかれていた。また、炭櫃のそばに几帳があった。不自然におかれた几帳の裾のうらにもなにかある。
頼光は腰に佩いた太刀〈膝丸〉を音もなく鞘からひきぬいた。頼光の手にする三尺の太刀〈膝丸〉は〈宝剣十柄〉とたたえられる名刀のひとふりである。
頼光が太刀の峰で几帳の裾をまくりあげると、ごとりとにぶい音がしてまろびでたのは、まだあたらしい男女の生首であった。
頼光は炭櫃へふりかえり、太刀〈膝丸〉で炉をまさぐった。白い炭のなかから焼けこげた人骨のかけらがでた。頭部はない。
(昨今、貴族の姫君が幾人も拐かされているときくが、あれも道満のしわざか? 空とぶ髑髏は贄となる人間をこの屋敷まではこんでいたようだな。……頭を喰らう化物と身体を喰らう化物がべつにいると云うことか?)
屋敷の外へ待機させている綱をよびよせるべきか思案していると、几帳に目かくしされていた料理廊へとつづく遣戸がガタガタとなりだした。
遣戸のうら手からはげしい人の息づかいと遣戸をうちたたく音がひびく。だれかがとじこめられているようだ。
「待て! 今あけてやる」
頼光の声に遣戸をうちたたく音がやむも、犬のように荒々しいあえぎ声が頼光を無言でせかした。遣戸をあけると、冥い料理廊にうずくまる人影があった。
「大丈夫か? きさまは何者だ? この屋敷はなんだ? いろいろと説明してくれぬか?」
誰何する頼光の言葉に、うずくまる人影が、かふかふと空気のもれるあえかな声でこたえた。
「……わらわは290歳になんなんとす老婆にござります。この屋敷で9代の主君におつかえもうしあげました」
(290歳? 9代の主君? この老婆、世迷い言を。気でもふれておるのか?)
料理廊の冥さに目のなれた頼光が見たのは、この世のものともおもわれぬ醜悪な白髪の老婆であった。
白骨死体や生首を見ても臆することのない頼光ですら、老婆の凄惨なすがたに内心狼狽した。
めくりあげられた両目の赤い上まぶたが、それぞれちいさな錐のようなもので六芒星のえがかれた額へうちつけられていた。
(……あれは抉か!?)
本来はひものむすび目をほどくための道具だ。強引にみひらかれた目からは、涙のような細い血の筋が絶えずながれている。
くちびるがめくりあげられ、青黒い歯茎がむきだしになっていた。その上、くちびるの皮がひきのばされ、首のうしろで縫いあわされていた。よだれが滝のように下あごをつたう。
しなびてだらしなくたれさがる乳房がまえかけのように広げられ、ひざまでおおっていた。乳房は血とよだれで黒ずみ、べたべたに汚れている。
「このあたりは化物が棲むとうわさされ、長いことだれもおとずれる者はおりませなんだ。老いさらばえたわが身には、ほかにゆくあてもございませぬ。孤独に耐えながら日々泣きくらしておりまし……ひっ……ひっ……」
それはあたかも、あたえられたセリフを棒読みする三文役者のように無感情な口調だったが、その言葉も云いおわらぬうちに老婆が妙な声をあげ、ガクガクと痙攣しはじめた。
老婆の表情が一変すると、必死の形相で頼光へ懇願した。
「わらわを殺してたも! 殺してたも! ……死よりわらわの望むものなし! ……殺してたも!」
(哀れな……)
頼光は太刀〈膝丸〉を鞘におさめながら嘆息した。
この老婆は道満(あるいはそれ以前からいた呪導師)のもとで呪詛や鬼(屍鬼神)の贄となる人間をさばく仕事を何百年もさせられてきたようだ。
無惨にめくりあげられたくちびるやまぶたは、老婆を屍鬼神として使役するための忌まわしき呪いだ。
おそらく、老婆は自分が人間をバラバラに切りさばくしごとをしていたことにも気づいていなければ、すでに自分が生ける屍であることにも気づいていない。
老婆を殺さずとも呪導師や妖しを退治すれば、おのずと老婆の魂も解きはなたれるはずだ。
「儂に罪なき者は斬れぬ。しばし待っておれ。きさまの苦しみは儂がかならずおわらせてくれよう」
頼光は踵をかえすと、まだ探索していない東の奥の間へ足をむけた。
「殺してたも、殺してたも、殺してたも、殺してたも……」
頼光の背中へ念仏のようにつぶやく老婆の声がいつまでもつづいていた。
6
荒れ屋敷のなかからきこえてきた、そうぞうしい物音に綱は駆けた。
屋敷北西の角部屋が大きくあけはなたれており、料理廊へとつづく遣戸の前で凄惨なすがたの老婆がうわごとのように、
「殺してたも、殺してたも、殺してたも、殺してたも……」
と、つぶやいている。
「お館さま、大丈夫!?」
「ああ問題ない。おまえこそ異常はないか?」
奥の間へ入りかけた頼光がふりかえってたずねた。
「うん。こっちも異常はないんだよ。お館さま、この人って……?」
綱が老婆についてたずねると、頼光が怒気をはらんだ声でこたえた。
「道満の呪詛じゃ。どうやらここは道満のかくれ家であるらしい。さいわい道満は留守のようじゃが、いつもどってくるやもしれぬ。ゆめゆめ警戒をおこたるでない」
「御意なんだよ」
綱はふたたび奥の間へふみこむ頼光のうしろすがたを見おくると、屋敷のぐるりをまわって南庭へでた。道満がもどってくるとしたらこちらだ。
どす黒い血のような夕焼け空が東のはてから冥い紫色に染めあげられていく。まがまがしい色彩の宵闇が冥さを増すにつけて、ふきすさぶ風のいきおいも強くなる。
やがて遠雷がとどろいたかとおもうと、屋敷の上に暗雲がたちこめ、はげしい雨がふってきた。轟音とともに稲妻が光の龍となって大地へつき刺さる。
綱は屋敷の外ではげしい雨風にうたれながら、身じろぎもせずに立っていた。
(お館さまのことは、つなちゃんが命にかえてもまもるんだから!)
はげしさを増す風雨のなかで、綱の双眸は炯々(けいけい)とかがやいていた。