第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 04
おぼろな光をはなつ髑髏は、日のかたむきかけた空にあえかな航跡をえがきながらとんでいた。ときおり雲のなかから見えかくれする髑髏とその航跡を見失うまいと、ふたりは必死で馬を駆る。
都上空を横断した髑髏は、ゆっくり高度をさげながら、小さな山のふもとにおりた。
「神楽岡だね」
「あの髑髏、こんなところでいったいなにをしようと云うのか?」
手綱をひきしぼり、馬上から周囲を見わたしていた綱が先に気づいた。
「お館さま、あれ!」
綱のゆびさした方角におおきな古い屋敷があった。屋敷のなかから蛍の光のようなあわいまたたきが見える。
「なるほど。そのようだな」
頼光が馬首をめぐらすと、綱も轡をならべて頼光につづく。
いつのまにか、空はどす黒い血のような夕焼けに染まっていた。
4
頼光と綱はおおきな古い屋敷のまえで馬をおりた。空とぶ髑髏はこの屋敷のなかにいる。
「まさに葎の門だな」
荒れはてた屋敷を前に頼光が苦笑した。文字どおり、棟門前には葎や雑草が鬱蒼とおいしげっている。
綱は手にした弓で雑草をはらいながら頼光を先導した。雑草のつゆで手甲をぬらしながら棟門をくぐる。
「ほう」
荒れ放題の庭園に足をふみ入れた頼光が感嘆の声をあげた。
おそらくは、それなりに由緒ある公卿の屋敷だったのであろう。
庭園の西にはもみじを植樹した築山が高雄をほうふつとさせる紅綿のいろどりを見せていた。
かつては翠瑠璃の水をたたえていたであろう南の池は黒くよどみ、雑草にうもれて咲きみだれる菊や秋の花々がそこはかとなく哀れをさそう。
「美しい庭であったのだろうな」
「そうだね」
綱もしずかにうなづいた。
しかし、いまやこの場で鼻をつくのは猫の小便や腐肉のすえたにおいだ。見れば、足元には動物の糞や小さな鳥獣の骨が散乱している。
「……こう云うのなんて云うんだっけ? 修行夢中? 写経無休?」
「諸行無常」
「そうとも云う」
「こうとしか云わん」
「祇園精舎のラーメンに叉焼無料のひびきあり!」
「そんな店はつぶれる」
ふたりはどうでもよい話をしながら庭園をよこぎると中門をくぐった。
「儂が屋敷を見て参る。綱はここで待機じゃ」
さも当然のような顔で語る頼光へ、綱がぷりぷり云いかえした。
「あのねえ、お館さま。斥候はつなちゃんの役目なんだよ。それにまだ敵の正体もわかんないんだから、百歩ゆずっても、ふたりでいったほうがよくない?」
綱の言葉に頼光がにやりとくちびるをゆがめて笑った。
「待つのは性にあわん。そして綱をここへのこすは、外からの敵を警戒し、変事の際に退路を確保するためじゃ」
「……ふみゅう。納得はしてないけど御意なんだよ。でも、なにかあったらすぐにつなちゃんをよぶんだよ」
綱があっさりひきさがった。子どものころから頼光につかえてきたので、彼の性格は知りつくしている。
頼光は剛胆でも軽挙妄動するタイプではない。彼に対する信頼と忠誠が、綱によけいな口をひらかせなかった。頼光が満足げにうなづいて云った。
「うむ。綱も油断するな」
頼光はあたりをきょろきょろと注意ぶかく警戒しながら屋敷へむかっていった。
(……まったく、こう云うときのお館さまの背中って、童子の時と、ぜんぜんかわんないだから)
幼いころからずっと頼光の背中を追いかけてきた綱が微苦笑した。あのころよりずっと広くたくましくなった大きな背中が未知の探索に驚喜していた。
5
屋敷は長いこと放置されていたらしく、人の出入りした形跡はなかった。ほこりまみれの白ぼけた板敷にのこるのは小動物の足跡と小さな糞ばかりだ。
みごとな筆跡の水墨山水画の障子を幾枚もひきあけながら奥の間へすすむと、頼光は眉をひそめた。
室内の空気が死で充満し、よどんでいた。
貴人の寝所であったらしい。華麗な絹織物でふちどられた畳の上に衾とよばれる寝具をひきかぶった女性の白骨死体があった。
よく見ると頭の位置がおかしい。どうやらこれが空とぶ髑髏の正体であるらしい。髑髏の額に六芒星がきざまれている。
(六芒星……道満の呪詛か!? 髑髏を屍鬼神として使役するとは、まったく趣味がわるい)
陰陽師の式神と呪導師の屍鬼神は、よびかたこそ同じでも本質がちがう。陰陽師の式神は森羅万象の霊性を使役するものだが、呪導師の屍鬼神はおもに死体(ときには生体)を呪詛で練成して使役する。屍鬼神は生命に対する冒涜と云えよう。
頼光は女性の白骨死体を衾でおおいかくすと、口のなかで念仏をとなえた。
(拝み屋のさがしていた道満のかくれ家がここか?)
よしんば、この荒れ屋敷が道満のかくれ家だとしたら、あの道満が頼光と綱の存在に気づいていないはずはない。たまたま道満が留守にしているか、京のまわりにいくつかある、かくれ家のひとつと云う可能性が高い。