第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 03
「さあ、そこまでは。ただ、なにかよくない気がする」
「なんだそれは? まったく頼りにならんな、拝み屋と云うやからは」
「……ここだけの話、ちかごろ太白(金星)に異様なかがやきがでておってな。八将神〈大将軍〉の邪気が高まっておるので、詳細を調べているところじゃ」
「〈大将軍〉……3年ふさがりの方位は?」
「そんなこともおぼえておらんのか。おぬしの陰陽道ぎらいも筋金入りじゃな。今は北じゃ」
八将神〈大将軍〉は方位をつかさどる凶神である。3年ごとに北東南西と方位をかえるため〈3年ふさがり〉と云って〈大将軍〉のいる方角を3年ずつ忌む。この時代、この都で方位について細心の注意を払うのは常識である。
そして〈大将軍〉のような方位神や、個人的に凶となる方角へいくことをさけるためにおこなわれたのが〈方違え〉だ。
目的地が凶となる方角にあれば、目的地とはことなるところで一泊し、翌日、方位をかえて目的地へむかう。
「北より脅威がせまりつつあると云うことか?」
「おそらく。十二神将にさぐらせておるところじゃが、道満がなにかと妨害しよる」
「道満って〈道摩法師〉蘆屋道満のことかな?」
「ああ。あのエロじじい、どんなわるだくみをしておるのやら」
晴明が忌々(いまいま)しげに毒づいた。
〈道摩法師〉蘆屋道満は呪詛をなりわいとする最強にして最凶の呪導師である。百年以上生きているともうわさされ、報酬しだいでは天皇をも平気で呪詛する。
かつて晴明は天皇を標的とした道満の呪詛を〈呪詛がえし〉でうちやぶった。
〈呪詛がえし〉をうけた呪導師は自身のはなった呪詛と同等、あるいはそれ以上のダメージをこうむるものだが、道満は晴明の〈呪詛がえし〉を無効化した。道満とはそれほどの漢だ。
さらに道満は背たけが1丈(約3メートル)もある2匹の赤鬼・青鬼をつきしたがえており、道満の呪詛を封じたとしても、討ちとることは容易ではない。
「今宵、道満をかくれ家からひきずりだしてやろうとおもうてな。霊力を高めるために高雄の清冽な気を浴びにきたのじゃ。脅威の正体がつまびらかになれば、頼光どのにもご報告いたす。なにかあったらご助力いただきたい」
「わかった。弓や太刀でかたのつくあいてならまかせろ」
晴明の言葉に頼光が不敵な笑みをうかべてこたえた。
「そろそろわたしはおいとまいたす。おぬしらも日が暮れぬうちにかえれよ」
「童っぱあつかいするな。……拝み屋も気をつけるがよい」
「はるちゃん、じゃ~ね~!」
「人前でそのよびかたすなっ!」
牛も車副もいない牛車が、晴明の怒号をのこして音もなく遠ざかっていった。
「……お館さま、脅威ってなんだろ?」
「さあて、な。あいてが鬼であろうと妖しであろうと、邪悪なものはすべて斬りふせるまでじゃ。……さて、儂らも参ろうか」
「お~っ! 天ぷら狩りっ、天ぷら狩りっ!」
「そんな狩りなぞあってたまるか」
本来の目的をわすれてはしゃぐ綱に頼光があきれた。
2
「……天ぷらがなかったのはざんねんだったけど、湯どうふおいしかったから、ま、いっか」
「まったくおまえはどこまでも花よりだんごなのだな」
もみじ狩りを堪能した頼光と湯どうふ狩り(?)を堪能した綱が山をおりるころには、だいぶ日も西へかたむいていた。顔をなぶる風に冷たさがまじる。
「あれ? お館さま、羅生門へむかうには、ここから右にまがらなくちゃなんだけど?」
めずらしく晴明の忠告をおぼえていた綱が、山のふもとの分岐路で頼光に声をかけるも、鞍上の頼光がきっぱり云いはなった。
「めんどうくさい」
「お館さま、はるちゃんの云うこと、ちゃんときいとこうよ。はるちゃん、あれでもけっこうすごい陰陽師さんなんだよ?」
「拝み屋の云うことなどすなおにきけるか。それに今からだと羅生門へつく前に日が暮れる。ここは最短距離で押しとおす。東堀川小路より参る」
「ほんっと、お館さまって強情って云うか、きかん坊なところあるよね」
「だれのせいで下山が遅れたと思っておる」
「ふみゅう」
湯どうふ狩りで下山をおくらせた張本人がしょげた。
「明日の夕餉は天ぷらにするよう庖丁頭(料理長)へつたえておくかのう?」
「はっ! お館さまのご随意にっ!」
綱が頼光のやすい誘惑にあっさり手のひらをかえした。
3
晴明の忠告が姿をなしてあらわれたのは、ふたりが都の北東部に位置する蓮台野を西へむかって駆けているさなかであった。
蓮台野は都の周辺にいくつかある風葬地のひとつである。
亡くなった人を火葬・土葬する金も手間もかけられぬまずしい人々が亡骸をうち捨てていく。その一帯には、おちこちから腐臭がただよい、屍肉をむさぼる野犬やカラスの群れも多い。
ふたりのはるか頭上を遊弋するカラスの群れが不自然に散ったかとおもうと、おぼろな光をはなつ髑髏がひとつ、空を疾って雲のなかへ消えた。
「見たかよ」
「は~、あれが、はるちゃんの云ってたやつかあ」
怪異を目撃したとはおもえぬほど気のぬけた声で綱がひとりごちた。
「追うぞ」
「御意っ!」
ふたりは馬にムチを入れた。