第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 02
和泉式部(19)のまわりでは、恋愛関係のごたごたが絶えない。
もともと人妻だった和泉式部は、天皇の第三皇子・為尊親王に横恋慕されたおかげで「不倫・熱愛」などと、よくないうわさがたち、離縁されている。
しかたなく為尊親王の女房(愛人)となるも、為尊親王は1年もたたずに26歳と云う若さで死去。すると今度は天皇の女房に召された。すなわち息子の愛人だった女性をその父親が愛人としてむかえ入れたのだ。
和泉式部にはなんの罪もないし、おもてだって批難する者もいないが、さすがにこれは都中のひんしゅくを買った。才色兼備の女流歌人に対する嫉妬と羨望が彼女の印象をおとしめていた。
「それじゃ、つなちゃんも、せいぜいお館さまをふりまわしてあげるんだよ」
綱が馬上で長い髪をかきあげ、似あわぬ流し目で媚びてみせるも、頼光が一笑にふした。
「おまえにふりまわせるのは、太刀や薙刀だけだろうが」
「金の字なら、ほんとに男子かついでぶんまわしそうだけど」
「あっはっは。あれならやりかねん」
〈金の字〉とは、剛力無双とうたわれる〈頼光四天王〉のひとり、坂田金時(15)のことだ。頼光が綱の冗談に笑っていると、ふたりの眼前にぶきみな牛車があらわれた。
牛も牛車の左右について供をする車副とよばれる人もいないのに、五芒星のえがかれた網代車が音もなくゆっくりすすんでいた。
しかし、まわりの人々もなれたようすで、その異様な光景にまったく頓着していない。
「……拝み屋か。いつもながらぶきみなことよ」
頼光が眉をひそませると、牛車の前すだれが勝手にするするとひきあげられた。
「頼光どのもいらっしゃると知っていれば、出がけに声をおかけしたものの」
牛車の主はゆったりとした袍を身にまとい、口元に似あわぬ小さなひげをたくわえた麗人だった。
「目に見えぬ式神たちを従えながらのもみじ狩りなど、ぞっとせんな」
頼光は悪鬼妖怪のたぐいでも、刀で斬れるあいてに臆することはないが、式神や幽霊のように刀で対処できないあいてはすこぶるニガテだ。
そんな頼光がつっけんどんな態度で応じるのとはうらはらに、綱が気さくに手をふった。
「あ、はるちゃん、やっほー!」
「そのよびかたすなっ!」
〈はるちゃん〉とよばれた人物が牛車から身をのりだして、綱の頭をぺしっ! とはたいた。この人物こそ陰陽師・安倍晴明(18)である。
「え~、はるちゃんでよいじゃん」
わるびれるようすもなくたあたまをさする綱に、頬を赤く染めた晴明が小声で耳うちした。
「や、やめんか痴れ者! わたしが女だとバレたらどうする!?」
口元に似あわぬつけヒゲなどはりつけて男の扮装をしているが、実のところ、安倍晴明は女である。
幼いころから陰陽師としての資質にずばぬけていた晴明は、京の都の陰陽寮で天文博士になるため、男と偽って都へやってきた。
しかし、京の都に住む者で、晴明が女であると知らぬ者はない。つけヒゲではごまかされぬほどの美貌と、袍ではごまかしきれぬほどの爆乳で、はじめからバレバレであった。
男装の麗人・安倍晴明には「男なんて不潔よ! 本当に美しいのは晴明さまよね!」と主張する女性ファンや「あの爆乳と美貌。そしてつけヒゲが逆にエロい」と云う倒錯した変態のかくれ男性ファンも少なくない。
森羅万象に精通し、過去・現在・未来を見通し、泰山府君祭で死者すらよみがえらせると云う大陰陽師の晴明だが、どう云うわけか「自分が女だとバレている」ことには、まるっと気づいていなかった。京の七不思議のひとつである。
そのため「安倍晴明が女である」と云う事実は公然の秘密であり、晴明に会う人々は、みな晴明が女だと気づいていない体でふるまうことが常態となっていた。
ひらたく云うと、思いっきり気をつかわれていた。
……渡辺綱と云う、これまたいろんな意味での〈例外〉をのぞいて。
安倍晴明の屋敷と、綱の住む源頼光の屋敷は、堀川をはさんで一条戻り橋の東西に位置する。目と鼻の先と云ってよい。
かつて、死者の魂をよび戻したとつたえられる一条戻り橋だが、今はそのたもとが晴明のつかい魔である式神〈十二神将〉の待機所となっている。
迷信ぶかい人は決して通りたがらないその橋の上で、たまさか晴明と綱がはじめて行きあった時、綱は思わず大陰陽師・安倍晴明の豊満な胸をもみしだいて感嘆した。
「すっご~い! なに食べたらこんなにおっぱいおおきくなるの!? 牛乳!? キャベツ!? 鶏胸肉!?」
「ひあああああっ! ろ、狼藉者っ!」
すぐそばへひかえていた晴明の式神に瞬殺フルボッコされた綱は「晴明が女だとバラさない」よう約束させられている。
まったく意味をなさぬ約束ではあったが、この一件以来、ふたりは奇妙かつ微妙な友情(?)でむすばれている。
「はるちゃんも、もみじとか見にくるんだね」
そこはかとなく無礼な質問に晴明がこたえた。
「清浄な地には清浄な気がやどる。そう云った気を浴びて身を清めることも、人にとっては大切なことなのだよ」
「……お館さま、よっぽど心が汚れてたんだね」
「そう云うおまえの心を清めてやろうと思ってつれてきたのだ」
「やめんか。おぬしらの会話で場の気が汚れる」
あきれ声の晴明がふとなにかに気づいたらしく、頼光へ顔をむけるとまじめな口調で告げた。
「頼光どの。帰りは羅生門へまわるがよい」
「羅生門? かなり遠まわりだな」
晴明の唐突な発言に頼光が首をかしげた。
羅生門は都の中心をはしる朱雀大路の南へひらけた大門である。都の北東に位置する頼光や晴明の屋敷とは真逆の方角となる。
しかも羅生門は数年前の暴風雨で倒壊し、手つかずのままになっていた。
「簡易的な〈方違え〉とおもえばよろしい」
「そんなおかしな〈方違え〉があるか。……まっすぐ帰るとなにがおこる?」




