第一幕 渡辺綱[土蜘蛛退治] 01
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森が萌えていた。山が萌えていた。赤や黄や朱や橙に色づいた木々が、清冽な空の青さと競いあうかのように錦秋のいろどりで山々を染めあげていた。
京の都より2~3里ほど北西に位置する高雄は、いにしえより紅葉の名所として知られている。
ふだんは夜な夜な跳梁跋扈する野盗や魑魅魍魎をおそれてよりつく人もいないが、この時期ばかりは京の貴族たちもその美しさに魅了され、遠路はるばる足をはこぶ。
まだ日は高かったが、貴族たちの牛車はぞろぞろと帰路についていた。日が暮れるまえに都へもどらねば、命がいくらあっても足りない。ここはそう云うところでもある。
牛車や人のながれに逆行し、のんびりと高雄へ馬をすすませるふたりの若者がいた。
ひとりは腰に3尺の太刀を佩き、立烏帽子に狩衣姿の精悍な青年。
ひとりは太刀を佩き、弓箭をたずさえ、紅裾濃の胴丸を身にまとう武者すがたの美少女であった。
手甲と脛当をつけているが、着物にも鎧にもそではなく、袴もはいているのかいないのか、腰をおおう胴丸の草摺から白くひきしまった太ももがのぞく。
美少女がうしろたあたまでたばねた長いぬばたまの黒髪を馬の尻尾のようにゆらしながら、狩衣の青年へふぬけた声で云った。
「お館さま~。つなちゃん、おなかへった~。おだんご食べたい、湯どうふ食べたい~!」
〈お館さま〉とよばれた狩衣の青年が苦笑した。
「まったく無粋なことだな。おまえには、この美しい景色がごちそうとはおもえんのか?」
「無粋なのはお館さまなんだよ。こう云うところで、おいしいものを食べるから粋なんだよ、雅なんだよ。……そもそも「狩りにいくぞ」って云うから、はりきって準備してきたのに、とんだ肩すかしなんだよ」
「うそはついておらぬ。「もみじ狩り」も立派な狩りじゃ」
そう云って笑う青年の言葉に美少女がすねた。
「つなちゃんにとって狩りの獲物は、食べられるもの限定なんですっ!」
「もみじの天ぷら、なんてものもあったはずだが」
「天ぷら!? お館さま、つなちゃん、天ぷらがいい! エビでしょ、イカでしょ、キスでしょ、ナスでしょ……」
「もみじが入っておらぬではないか」
馬上のふたりのまえにりっぱな屋根のついた唐庇の牛車がやってきた。天皇家あるいは摂関家につらなる者の牛車だ。
ふたりが道の端に馬をよせると、唐庇の牛車がとまった。青年と美少女がいぶかしむと、牛車のなかからすずやかな声がひびいた。
「……なにやらたのしい漫才がきこえてくるかとおもえば、頼光さまに綱さまではございませんか」
牛車を先導する車副の手で、牛車の前すだれがひきあげられると、牛車には3人の女性が座していた。
1番手前の十二単の女性が檜扇で口元をかくしたままほほ笑んだ。媚びているふうは微塵もないが、それでもどこか艶っぽい。
「これは和泉式部さま。鞍上より失礼つかまつる。さきの歌合ではお世話になりもうした」
「どうも」
青年が牛車のなかの女性へ挨拶し、青年につきしたがう美少女も、青年のうしろから会釈した。和泉式部とよばれた美女も会釈をかえす。
「こんなおそい刻限から綱さまともみじ狩りですの? さすがは音にきこえし猛賁名将、源頼光さまに渡辺綱さま。剛胆でいらっしゃるのね」
「いえいえ。長居をする気はございませぬし、こちらは馬ですから。和泉式部どのが都へ帰りつくころには儂らも追いつくかと」
馬上の青年がひらひらと手をふった。
かれの名は源頼光(17)。清和天皇の後裔にして日本最強とうたわれる武士団をたばねる若き長である。
そして、頼光につきしたがう美少女こそ渡辺綱(14)。〈頼光四天王〉のひとりで、天皇の暮らす内裏を守護する〈滝口の武者〉だ。
「そうなんですの? あまりおひきとめしても、おふたりの紅葉を愛でる時間がなくなってしまいますわね。それではまた、つぎの歌合でお会いいたしましょう。失礼いたします。お気をつけて。……綱さまも、いずれまた」
「かたじけないお言葉、ありがたくぞんじます。和泉式部さまこそ、お気をつけて」
頼光が一礼すると、和泉式部が檜扇をたたみながら艶然とほほ笑んだ。ひきさがる牛車のまえすだれへむかって綱も遠慮がちに頭をたれる。
和泉式部の牛車を見おくると、馬上のふたりは轡をならべてふたたびすすみだした。
ややあって、綱がつぶやくように云った。
「……つなちゃん、あの女ちょっとニガテかもかも」
「なにゆえじゃ?」
「当代きっての女流歌人とか云って、いかにもオンナオンナしてるかんじがダメなんだよ。男子にがっついてるふんいきださないくせに、ふしぎとエロくてどこへいってもモテモテじゃん。天然の魔性の女って同性からきらわれるんだよ。恋人とかできても、ぜったい紹介できないよね」
綱の言葉に頼光が苦笑した。
「まあ、そう云ってやるな。あれはあれで大変なのだぞ」
「あ! ひょっとして、お館さまもあの女にめろめろ……」
「ではない。天皇のご寵愛をうけるおかたに懸想するはずもなかろう」
「それって天皇さまの愛人じゃなかったら、和歌のひとつもおくってるってことかな?」
「やけにからむな? そうではない。和泉式部さまは悪いお人ではないが、どうにも自分と云う芯がなく、ながされやすいきらいがある」
「はにゃ?」
「……ようするに、美しい女子と云うものは、かぐや姫や小野小町のように、よってくる男どもへ無理難題をふっかけてふりまわすくらいでなければ、自身の安寧をえることはできぬと云う話だ」