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炎狼の花嫁  作者: 日々夜
3/6

炎狼の花嫁3

 なぜこんなことになったのか。レイスは激しく後悔した。

 朝食の最中にヴァルディースに鬱陶しがられ、面倒だとばかりに唇と共に魔力を奪われた。ヴァルディースの眷属となり、精霊化して以降、レイスを維持しているのは大半が炎の魔力だ。失われれば身動きも取れなくなる。疲労困憊している間、何もできなかったレイスは姉がとんでも無いことを言い出し、あまつさえ実行に移し始めるのを、ただ黙って見ているしかできなかった。

 どうにかしてこの状況を脱しない限り悲惨な結末にしかならない、ということだけはよくわかっている。わかっているのだが。

「この辺の花嫁衣装っていうのは、赤いんだな。刺繍もすごく細かくて綺麗だ」

「本当は親戚や村の人に針を入れてもらったりするんだけどね。今は私しか居ないけど、せっかく母さんが残してくれたんだもの。レイのためにもできる限り頑張るわよ」

 ヴァルディースが、衣装を直すエミリアの手元を見て感心する。今もろくに思考が回らず、レイスはその腕に抱えられたまま、途方に暮れていた。

 普通、接触しているだけでもヴァルディースから魔力は流れてくるのに、さっきから全く与えてもらえていない。飢えそうで飢えない。けれど何かしようと思う気力は出ない。そんな絶妙な魔力量で維持されてしまっている。

 言葉を発することすら億劫で、ぐったりと身を投げ出していると、エミリアに衣装合わせで腕や脚を引っ張られた。

「あらやだ。やっぱり肩まわりと腰回りはだいぶ直さなきゃ入らなそう。あんた細身だから大丈夫かと思ったけど、やっぱり男の子ね」

 当たり前だ。2、3年前ならともかく17の男を捕まえて花嫁衣装なんて無理がある。わかったなら今すぐやめて欲しいのに、頭を悩ませながらも楽しそうな姉を、ヴァルディースも進んで手伝っていた。ほとんど人形状態だ。完全に面白がられている。

 姉とヴァルディースを近づけるのではなかった。レイスは天を仰いだ。考え得る限り、最悪の状況である。

「姉さん、料理の味付けこれで大丈夫?」

 ひょい、と外からユイスが鍋を携えて顔を覗かせた。

「ありがとうユイ。うん、上出来よ。宴会料理なんてわかんないはずなのに助かるわ」

「それは、別にいいんだけど……」

 渡りに船だと、レイスは助けを求めようとした。声がろくに出ないから、何か訴えようとしても掠れた唸り声にしかならない。姉と話すユイスの額からは汗が流れ落ち、笑顔が引きつっていく。レイスに気付いていないわけもない。しかしユイスはこちらをあえて見ようとしなかった。

 ここで逃せば、頼みの綱がなくなってしまう。一層強い念を込めて見つめる。根負けしたように、ついにユイスと目が合った。

「あのさ、姉さん。あんまりレイに、無理強いは……」

「ヴァルディースさんも平気って言ってるから大丈夫よ」

 きっぱりと断言した姉とヴァルディースに、ユイスの言葉は続かなかった。レイスも呆然とした。せっかくユイスが意を決して訴えてくれたのに、軽く一蹴されてしまうだなんて、思ってもいなかった。もう少し考えてくれていいはずだ。むしろ考え直すべきだ。一体なぜそんな頑なにふざけたことをいうのか、この姉は。

 怒りというか苛立ちというか。震えるレイスに、ヴァルディースが吹き出すように笑う。

 ユイスが困惑してどうすればいいか分からず棒立ちになる。

「まあ、本気で怒ってたらこの程度じゃ済んでない筈だからな」

 クソ狼、とレイスは全身全霊で叫びたかった。

「安心しろ。レイは照れているだけだ。怒ってるわけじゃない」

 ふざけるな、怒り大爆発中だと訴えたかった。しかしただでさえ身動きできないのに、がっちりヴァルディースに抱きかかえられて、ぜいはあと息が上がるだけ。何もできやしない。

「そう、なんだ。ああ、なら、僕は続きに戻るね」

 ユイスもこれ以上巻き込まれるのを嫌ったのか、片手で謝るようにしてそそくさと天幕を出て行ってしまう。待ってくれと追いすがりたくても、ヴァルディースの腕に倒れこんで、簡単に引き戻された。

 レイスは心の内で盛大に嘆いた。神はレイスを見放した。いや、この地における神は今宴の設営とかで外にいる父メイスだから、とっくに見放されているのだが、気分の問題だ。

 せめてこの行き場のない怒りをぶつけてやろうと、ありったけの罵詈雑言を思い浮かべてヴァルディースを睨みつける。

 なのにヴァルディースは、レイスの膨れっ面を面白がるようにつついて笑った。

「何がそんなに不満なんだ、お前は」

 レイスの感情も思考も全部伝わっているはずなのに、本気で理解していないヴァルディースに腹が立つ。普通、人間の男が花嫁衣装なんて着せられようものなら、嫌がるに決まっている。

 ヴァルディースは精霊であるからわからないのだろうか。もはやため息しかこぼれない。

 エミリアは楽し気に衣装を直している。ただ寝っ転がって見ているしかできないレイスには、とても暇で苦痛な時間だ。ほつれた刺繍を直し、レイスの身丈に合わせて布を足す。姉は昔から案外そういうところは器用だった。母に習ってよく一緒に繕い物をしたり、料理をしたりしていた。

 その時、姉の姿が一瞬母と重なって見えた。唐突に血の気が引いた。

 息苦しい。呼吸ができない。

 昔、姉が繕いものをしているところで騒いで、姉に怒られた。それを見た母が笑って、そして最後にはみんなで笑った。その光景が目の前によみがえった。

 こみ上げる気持ち悪さに胸をかきむしりたくなった。

「レイ」

 ヴァルディースに名を呼ばれてはっと我に返る。額にあてられた掌が、レイスを冷やした。

 わかっている。罪悪感を覚える必要はもうない。ここはどこよりも安全で、安心できる赦された場所だ。

 けれど、その衣装に、この場所に残る母の名残が、苦しい。

「だが、エミーはお前に望んでいる」

 エミリアの突拍子もない行動も、その理由に薄々レイスは気づいていた。だから受け入れられるなら受け入れてもいいとも思った。この場に残る違和感に、気づきさえしなければ。

 拒絶はできない。けれど、向き合うのは苦しい。

 いっそお前が着ればいいと、投げやりな気分でヴァルディースに言ったときだった。首を傾げてヴァルディースが立ち上がった。

「俺が着たほうがいいのか?」

「え。さすがにヴァルディースさんは無理よ。父さんより体格いいじゃない」

 姉が、唐突なヴァルディースの言葉に、無理に決まっていると声をあげて驚く。それはそうだ。ヴァルディースはその辺の戦士も顔負けの長身で、筋骨隆々だ。そんなのが花嫁衣装など着ようものならただの化け物になる。言ったのはレイス自身だが、さすがに想像して身震いする。

「絶対やめろ。それならオレの方がまだマシだ」

 叫んだ途端に声が出た。自分でも驚くと同時に、エミリアが手を止めて目を輝かせる。

 その背後で、ヴァルディースが身を大きく震わせ、変化した。いつもの炎を纏った狼の姿ではなく、レイスよりも小柄な、それこそ花嫁衣装がよく似合いそうなくるくるとした赤毛の、可憐な少女の姿に。

「じゃあ、頑張らなくちゃ。うんと可愛くしてあげるから大人しくしてなさいよ、レイ」

 姉がヴァルディースに気づくこともなく、嬉々として直した衣装をレイスに押し付けてくる。慌てて拒絶しようとしても、後の祭り。また声すら出ない。

 ヴァルディースが喉を震わせながら元の姿に戻っていた。嵌められた。これではどうにも逃げられない。レイスは盛大に心の中でクソ狼、と罵った。


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