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炎狼の花嫁  作者: 日々夜
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炎狼の花嫁2

 朝食の場が気まずかった。全員が無言ということに加えて、レイスのヴァルディースに対する険悪さが露骨すぎた。ヴァルディース自身はなんともなさそうなのだが、レイスは傍らのヴァルディースに一瞥をくれることもなく黙々とパンと肉を齧っている。兄、いや、本当は父であったメイスが気もそぞろな理由はよくはわからないが、姉は完全にレイスの態度に気圧されてしまっている。二人を呼びに行ったユイスは、正直気まずさの原因を作ってしまったような気がして落ち着かなかった。

「レ、レイ、これも食べて。姉さんに習って作ってみたんだ。母さんの味に近づけられてたらいいんだけど」

 ユイスはレイスの前に揚げた肉の器を差し出した。気を使われているということはわかっているのか、視線を外しながらも申し訳なさそうに、レイスは皿を受け取る。一口頬張って、ユイスにはようやくちょっと表情が緩んだように見えた。昔、レイスが好きだったものだ。

 ユイスたちがフォルマンの草原に戻ってきた翌日だ。今朝は姉に習ってフォルマンの料理を色々と教えてもらった。最初は男のユイスが料理なんてとだいぶ驚かれたけれど、昔お世話になっていた屋敷で色々と教えてもらって、料理は趣味以上のものになってしまっている。

 特に菓子類を作るのが好きなのだが、先日まで滞在していたメルディエル女王国でたっぷり砂糖を買い込んできたのに、残念なことにレイスは甘いものが苦手なのだそうだ。

 仕方なく、搾りたてのミルクから作ったチーズのデザートは、ヴァルディースの前に差し出した。

「ヴァルディースさんもどうぞ。要らないとは思うんだけど」

 ヴァルディースは精霊だ。本来なら食物を摂る必要はないし、ユイスが契約した水の精霊フェイシスからも、精霊が味覚などの感覚を理解できないことは聞いている。ただ、ヴァルディースは朝食に同席してくれているし、ごく自然に、並んだ食べ物を口に運んでいた。

「ああ、ありがとうユイス。お前の作ったものは美味いからな」

「別にお世辞とかはいいのに。でも、ありがとうございます」

「世辞じゃないぞ。実際美味い」

 言いながら一皿ぺろりと平らげて、ヴァルディースが物欲しそうにユイスの皿を見つめてくる。困惑していると、レイスが眉間にしわを寄せたまま口を挟んだ。

「コイツ、オレの感覚を共有してるんだよ。だから味覚とかはわかるんだ」

「そういうことだ。メルディエルにいた時に食べたプリンだったか? あれは最高に美味かった」

 目を輝かせてプリンを語り出しそうになるヴァルディースに、レイスがため息をつき、白い目を向けた。

「ガキじゃあるまいし」

「いいだろう。美味いものは美味い。好きなものを好きなだけ食べて何が悪い。お前だって俺の魔力を散々搾り取っていくじゃないか。今朝だって、お前も喜んで……」

 その瞬間、勢いよくレイスの拳がヴァルディースの顔面めがけて振り上げられた。ユイスとエミリアは同時に悲鳴を上げた。

 しかし寸前でレイスの拳はヴァルディースの左手に受け止められた。めいいっぱい腕に力を込めて憤怒に震えるレイスだったが、ヴァルディースは平然ともう一方の手でユイスのデザート皿を引き寄せて、美味しそうに頬張った。

「そう怒るな。飯が不味くなる」

「てめぇが怒らせるようなことをしてるんだろうが、このクソ犬!」

「ああ、わかったから大人しくしてろ」

 ヴァルディースが不意にレイスの唇を奪った。その途端怒り散らしていたレイスが目を見開いて、力が抜けたようにヴァルディースの膝に倒れこむ。それをひょいとヴァルディースが、子供のように小脇に抱き抱えた。

 茹で蛸のようになって大人しくレイスが膝の上に乗せられ、ヴァルディースの胸にもたれかかる。口から微かに悪態をつく声が溢れるが、弱々しく、おぼつかない。

 一部始終を見せつけられて、ユイスとエミリアはお互いに赤くなって顔を見合わせた。

「なんていうか」

「なんとかは犬も食わない、ってことね。ヤダもう、こっちが赤くなっちゃう」

 朝といい今といい、想像以上に熱々だ。メルディエルではレイスを気遣っていたのもあって、ずっと離れて過ごしていた。家族みんなで一緒に食事ができるようになったのは、最近になってから。ヴァルディースとレイスがここまで仲睦まじいとは、誰も思っていなかった。

「でも、良かった。レイが元気になって」

「そうね。一時はどうなるかと思ったもの。これなら私も文句ないわ。ねえ、父さん」

 エミリアの言葉に、今まで気もそぞろだったメイスがはっとして顔を上げる。

「えっ、あ、う、うん、そうだな」

「もう、シャンとしてよ。昨日言ってたこと、どうするの? 言わないなら私が言っちゃうわよ」

 エミリアがなんのことに苛立っているのか、ユイスにはわからなかった。たじたじになるメイスに、今度はヴァルディースと二人で顔を見合わせる。

 そういえば、昨日、メイスとエミリアがフォルマンの地を離れる間、森に隠していたという荷物を取りに行ったのだが、その後からメイスの様子がおかしかった。何か関係があるのだろうか。

「姉さん、どうしたの?」

「ああ、ごめんねユイ。昨日父さんと荷物を取りに行った時に言ってたのよ。本当は父さんからちゃんと言ってもらうつもりだったんだけど。もう全然役に立たないから私が言うわ」

 こほんと咳払いをして、姉は居住まいを正した。ユイスもつられて背筋を伸ばす。かしこまってヴァルディースとレイスの方を向いて、姉は挑むように二人を見つめた。

「ヴァルディースさん。レイス。あなたたち、ちゃんと祝言を挙げなさい」

 予想外の言葉に、思考が一瞬止まった。

 祝言。それはつまり、女が男の家に入る嫁入りの儀式。結婚式のことである。

 ユイス自身あまり参加したことはないが、フォルマンでは風の女神ファラムーアに誓って、夫婦の契りを結ぶ。宴は親戚一同どころか、通りすがりの人も遠慮なく混じって、一種のお祭りのようになるのが常だ。

「メルディエルに行く時に羊も全部売っちゃったし、今うちには何もない。頼れる親戚なんかもいないから持参金は出せないけど、精一杯できることはやるわ。花嫁衣装は、母さんが私のために残してくれたものがあるのよ。まあ、男のレイが着るのも変なものだけど。体裁は整うはずよ。ヴァルディースさん、それでもいいかしら?」

 姉は兄弟の中で一番意思が強い。決めたことは貫き通す。グライルとの結婚の顛末を聞いてもそうだ。母もおっとりとしてはいたが、結構似た感じではあった。ユイスは忘れていた。我が家は女の権力が強いのだ。

 それにしてもまさかこんなことになろうとは。父の様子がおかしかったのはこのせいか。女神ファラムーアは風の精霊長だった。父メイスは精霊長を継承したのだから、今フォルマンで結婚する夫婦はメイスに誓いを立てることになるのかもしれない。視線を向けるとメイスは完全に頭を抱えてしまっている。

 ユイスは、レイスの方を見るのが少し恐ろしかった。昔から姉としょっちゅう喧嘩していたレイスが、姉の性格をわからないはずもない。

 ヴァルディースの膝の上で抱きかかえられたままのレイスは、文字通り目を点にして、意気揚々と準備に取り掛かろうとする姉を見つめていた。さすがに最近のレイスの思考がわからないユイスにもわかってしまう。たぶんこれは、姉の発言を受け入れられず、思考が止まってしまっている。

「ほう、人間の結婚式ってやつか。俺もそういうのは初めて参加するな。楽しそうだ。良かったな、レイ」

 ヴァルディースが白い歯を見せて屈託なく笑う。ユイスはつられて笑ってみたものの、レイスの心境を考えると全く引きつった笑みにしかならなかった。

 せめてヴァルディースが乗り気でなかったなら、レイスも救われたことだろうに。呆然としたままのレイスに、心の中でユイスはこっそり、「頑張れ」と声援を送った。


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