来るならこい! 蹴散らしてやる!
空を見上げると雨でも降りそうな淀んだ雲が広がっている。まるで、今の私の心をそのままあらわしているかのような曇り具合だ。
「君のせいだぞ!君のせいで彼女と別れる羽目になったんだ!誰だって妊娠なんて告げられたら怖くなるに決まってるだろ!なんでこんなガキのせいで別れなきゃいけないんだ!」
男は人目も気にせず私に向かってわめき散らした。
店を通り過ぎる人は奇異なものを見る目で男をチラチラ見ている。
おいおい、恥ずかしくないのかよ。天下の往来で小娘一人にわめき散らして。何か勘違いしているようだけど私は唆したわけじゃない。あくまでいくつかある中の案として提示したんだ。あの女性もあのとき納得したはずだ。あの女性だって私がプロの恋愛カウンセラーではないことぐらいわかっているはず。いや、わかっていてほしい。
それにしてもこうも簡単に別れを決断するとは思わなかった。私があの女性客の話を聞いてからそれほど日は経ってない。
つまりこれが女性客の答えだったんだろう。私の言葉を鵜呑みにしたとしてすぐに別れを切り替えられるほどこの男に対してすでに気持ちが冷めていたんだ。妊娠を告げられ相手が難色を示しても、気持ちが残っていたらすぐに別れを決断なんてしない。
あの女性の中では別れる割合がすでに占めており、私に相談したのもそれの後押しが欲しかっただけなのかもしれない。
「どうしてくれるんだ。君のせいで彼女が出ていったんだぞ!」
黙ったままでいる私に捲くし立てるように男は責め続ける。
よくもまぁ、こんな往来で小娘一人相手にわめき散らせるな。大人気ない。
「私に一体どうしろと?」
建前として聞くが、どうせ考え直すように彼女を説得しろとか言うんだろうな。
「そんなの決まってる。責任取って次の彼女ができるまで君が家のことをするんだ」
「………………………は?」
ナニイッテンダ、コイツ。
「何言ってんだ、こいつ」
うさぎは私が今思ったことをそのまま口にした。
やっぱりうさぎもそう思うか。
「彼女が出て行ってから生活が大変なんだ。料理を作る恋人がいないからこっちはいちいち外に出ないといけないんだぞ。それに家の中はゴミが散乱していて足の踏み場がなくなってるんだ。なにより、仕事場に行くための服がシワのままだから何度恥を掻いたと思うんだ」
捲くし立てる男を私は呆然と眺めている。予想の斜め上からの物言いになんて言ったらいいのかわからない。
バカなんじゃないの、こいつ。頭大丈夫か。
男の着ている服をよく見るとヨレヨレでシャツにいくつももシワが付いており見るからにだらしない印象を受ける。今までずっと彼女に家の中をまかせっきりだったということがさきほどの言動とこの男の格好からすぐに推測できた。
別れたい気持ちも分からないでもないな。いや、よく今まで別れなかったな。
しかも収集癖もあるのだから余計にタチが悪い。その悪癖も別れた原因だというのに当人は無自覚ときている。
「人の生活狂わせたんだ!責任取ってもらうからな!」
男はじっと黙っている私にこれでもかというほど「責任」という言葉を押し付けてくる。
私が何も言えないのは男の勢いに怯え、気弱になっていると思われているのだろう。そしてこのままなし崩しに男の世話を私にさせるという魂胆か。
アホか。私が黙っているのは言いがかりがあまりにもアホらしくて何も言えないのだ。というか、本気で私に家の中をさせようと思っているのか。初対面で一回りも年下のこの私に。そのあまりにもの馬鹿馬鹿しさに怒りは通りすぎて、むしろ滑稽に思えてくる。
「あの」
男はやっと私が声を出したので、ピクッと肩を震わせた。
「自分でやるって選択肢はないの?」
そのものずばり言ってやった。
掃除ぐらい自分でやれよ。
自炊くらい自分でやれよ。
洗濯ぐらい自分でやれよ。
家事ぐらい自分でやれよ。
「何を言ってるんだ。僕は忙しいんだからできるわけがないだろ」
さも当然のように言い返された。
何を言ってるはこっちのセリフだ。あんたの彼女だって仕事しながら家事をやっていたんだ。それなのになんであんたはできないんだ。つまり彼女は仕事に家事にこの男の身の回りまでやっていたということだ。
モノを無駄に収集する暇があったらパン一枚くらい焼けよ。それすらもできないのかよオマエは。箒でゴミを掃くなんてことは5歳児だってできるぞ。
「あんたさ、さっきから私のせいだ私のせいだって言ってるけど彼女が本当に妊娠してたらどうするつもりだったの?」
男の肩が強く震えた。
「まさか堕ろせとか言うつもりだった?」
「は、話を逸らすんじゃない!」
男は激しく動揺している。
「そもそも6年も付き合ってたら妊娠していようがしていなかろうが結婚意識するもんじゃないの?あんたらの年齢なら」
「き、君には関係ない!なんで見ず知らずの人間にそんなことを詮索されなきゃいけないんだ!」
「まぁ、関係ないわな」
オマエはその見ず知らずの小娘に家事をさせようとしているんだぞ。
付き合ってらんねぇ。いちいち言い返すのもあほらしい。
私は男を無視して掃除を再開しようとした。
「ちょっ、まだ話は終わってないぞ」
掃除を再開しようとした私を再び止める。
「だいたいなんで僕が責められなきゃいけないんだ。そもそも結婚なんてしたら女は家事なんてことを言い訳にして楽するに決まっている。そして男の金で好き勝手するんだ。そんなことされたら僕のコレクションが―」
男は不快感をこれ以上ないほど顔に出し言い募った。
それが本音か。つまりこういうことか。今の好き勝手できる生活をずっと続けたかったということか。彼女という名の召使いがいなくなって楽な生活ができなくなり行き場がない怒りを私に向けているということか。
それにさきほどコレクションという単語も聞こえた。結婚しない一番の理由がこれだろう。
結婚したら趣味が続けられなくなるということか。
男は何も言わず無視を続ける私に聞こえるように舌打ちを鳴らした。
「ほんといい気なもんだよ。女は」
イラッ。
「………黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってこのダメ野郎が」
冷静だった思考に苛立ちが湧き上がった。
金以外にオマエなんかに付き合う理由がないだろ。20代後半という微妙な年齢になってくるとこんな男でも妥協せざるおえなくなるということか。いずれは私も通る道だがそんな思考になりたくない。
後悔している。軽い気持ちで女性客の相談を聞いてしまったことに。おかげでこんな筋違いな八つ当たりを受けている。もう二度と恋愛相談なんてくだらないものを受けるものか。
モブキャラのくせに私をこんな不愉快な気持ちにさせやがって。この男もむかつくしこの男と付き合っていたあのアラサーもむかつく。
「あの彼女と同棲する前どんな生活送ってたか想像できるわ」
「は?」
だんだん口が悪くなっていく私に男は眉を寄せてきた。
「ずっと身の回りの世話、ママにやらせてたんだな」
「なっ!?」
まるで家事をさも簡単みたな言い方をする男って家事をまったくしたことがない男のセリフだ。家事を忙しくてできないのではなく、まともにやったことがないからやり方がわからないんだろう。
ずっとママにやってもらっていたら飯の炊き方すらもわからないんだろうな。
「そんなに結婚したくなけりゃ壷とでも結婚してろ。オマエみたいな男、金以外に女が近寄ってくるわけないだろうけど。あ、違うか、金全部壷買うのに使うから金目的もなくなったな」
自分で言ったのに笑えてくる。
「………この小娘」
怒りで今にも殴りかかってきそうなほどに男はわなわなと震えている。
大方、次の行動が予想できる。
読めてるぞ、このパターン。どうせ、殴りかかってくるんだろ。
来るならこい!蹴散らしてやる!
「言わせておけば図に乗りやがって!」
男は拳を握り締め、私目がけて殴りかかってきた。
「レイ、あぶない!」
うさぎは必死の形相で私に向かって叫んだ。それと同時に私は箒の柄を両手で強く握り締め、両腕を曲げて大きく振りかぶった。
しかし私が持っている箒が男に振り下がることはなかった。寸前で誰かが私を守るように背に隠し、男の腕を捻り上げたからだ。
「いっててて!なんだ君は!」
男は腕を強く捻られて悲鳴を上げている。私はその人物の素早い動きに、箒を振りかぶったまま呆気に囚われていた。
乙女ゲームのヒロインがピンチのとき攻略キャラクターがタイミングよく居合わせ、助ける場面がかなりの頻度である。男が殴りかかってくる前、ふとそんな予感はしていた。
でも、オマエかよ。誰が助けに来るかはだいたい想定はしていたけど外れてほしかった。
スラリとした体格にキャラメル色のクセのついた髪。紅茶色の瞳は男を強く睨み付けているため鋭い。さきほどまで客として店に来ていたシオンがそこにいた。
あ~もう、やっぱりシオンだと認めざるおえないのか。
いっそ殴られてりゃよかったのに。
私は助けてくれた相手にそんな感情を向けていた。
しょうがないだろ。それでもやっぱり嫌いなんだから。




