クールな男だ
「うわぁ!」
男の悲鳴が聞こえた。その声はリーゼロッテの髪の毛を掴んでいた男だ。
「手が、手が……」
「お、おい。どうした」
リーゼロッテの髪の毛を放し、悶え始めた男を仲間の3人が心配そうに声を掛けている。3人の男の視線は私も含め右手に集まった。
「な、なんだその手は?」
男の右手の甲に大きな氷が張り付いている。
「い、いてぇ」
男は右手の手首を掴みながら片膝をついた。目を凝らずと手が見る見るうちに青くなっていく。
「こんな往来で一体何の騒ぎですか?」
後ろから声がした。思わず振り返ると腰に細剣をさした青い軍服の男性が立っていた。蒼穹のような青い髪に澄んだ湖を思わせる水色の瞳。男は眉目秀麗という言葉がぴったりの顔立ちをしている。
綺麗な切れ長の目に引き締まった口元。あの顔は見たことがある。
「ねぇ、怜」
「わかっている。ちょっと黙ってて」
うさぎが言わんとすることがわかる。
乙女ゲーム雑誌で見た攻略キャラクターの一人だ。いちいち反応するのも面倒くさくなってきた。
それに今はそれどころではない。この男性がリーゼロッテを助けてくれたということがすぐにわかった。
男性は射抜くような鋭い眼光で男性たちを見据えている。その眼光に男たちは怯む。
「な、なんだお前は?お前がこれをやったのか?」
手の甲を凍らされていた男は自分の右手を見ながら苦しそうに顔を歪ませた。
「こ、この」
「おい、ちょっと待て」
今にも飛びかかりそうな男を仲間が制した。
「あの男、どこかで見たことがあると思ったら、コンラッド・シュトラールだ」
「なっ、シュトラール?もしかして公爵家の?」
男たちのさきほどの憮然とした態度が消え、青ざめた様子で男性を見た。
「社交界で見たから間違いない。父親は国王の宰相であの男はシュトラール家の嫡子で若くして第一部隊に配属されたって聞いた」
男はペラペラと攻略キャラクターの一人であるコンラッドの情報を語り続けている。
公爵家ということは貴族か。こういうファンタジー系のストーリーで貴族や王子など身分の高い男が攻略キャラクターという設定の乙女ゲームはよくある。
「お、おい、コンラッド。突然走り出すからびっくりしたよ」
同じ軍服を着た男が息を切らせながらコンラッドのそばに駆けてきた。
中肉中背で黒髪の凡庸の顔立ちをした男だ。こいつはサブキャラだな。
「どうしたんだ?」
コンラッドも何も答えずただ男たちを見据えている。
「……なるほど」
壁際に座り込み気まずそうに顔を伏せている男と青ざめた顔で目を泳がせている4人の男。その中の一人は手を凍らされている。近くには乱れた髪の毛を押さえながら震えている娘。
平凡顔の男は得心がいったという顔をした。
「あ、えっと」
男たちは明らかに動揺している。
この男たちも貴族のはずだが、さすがに公爵家の嫡子には下手に意見は言えないらしい。しかも、その中の一人は平民の娘に狼藉を働いていた。
「もう休憩時間は終わったはず」
コンラッドは少し右手を動かし凍らせていた男の甲を氷解した。
「教官は戒律には厳しい。戻りなさい」
感情を感じさせない低い声が男たちに向けられた。
「お、おい」
「行こうぜ」
「あ、ああ」
男たちは動揺しながらもこそこそとネズミのようにその場を去ろうとした。
「その顔、たしかゲリス子爵の次男……」
コンラッドの発せられた言葉に逃げようとしていた4人のうちの一人が肩を震わせた。その男はリーゼロッテの髪を乱暴に掴んでいた男だ。
「覚えておきます」
「……っ!」
その言葉でさきほどよりもビクンと肩を震わせ、他の3人と一緒に逃げていった。
「ゲリス子爵の次男坊か。あの子爵は黒い噂が絶えないので有名だよね」
「はい、でも悪知恵と用心深さのせいでなかなか尻尾を出さないとか」
「その息子か……長男はあれ以上のドラ息子だったはず。あれが僕たちと同じ兵士か」
平凡顔の男は辟易としながら言った。
「兵士になれたとしても長くはもたないでしょう」
コンラッドは見えなくなった男たちのほうを見据えながら言った。
「とりあえず、なんとかこの場はおさまったね」
うさぎはほっと胸を撫で下ろした。私も思いのほか脱力している。
出て行かなくて良かった。私よりあの男が助けに入ったほうが確実だ。
「あの、ありがとうございました」
さきほどまで震えていたリーゼロッテは多少落ち着いたのか、ゆっくりと顔を上げた。そしてふらりとコンラッドのほうに踏み出した。
「本当に……っきゃ!?」
そのとき、足がもつれたのか突然バランスを崩し転びそうになる。
「あぶない」
コンラッドは前に倒れそうになったリーゼロッテを抱きとめるような形で支えた。
おやおや、乙女ゲームのお約束だ。転びそうになるリーゼロッテ。そしてそれを抱きしめるようにして受け止めるコンラッド。おそらくこの瞬間、シーンのスチルが出るのではないか?
そう思わせるほど見事な受け止めっぷりだ。乙女ゲームの定番中の定番。ヒロインが何もないところで転びそうになるところには必ずといっていいほど攻略キャラクターがそばにいて十中八九それを助けてくれる。それが攻略キャラクターとのルート進展のきっかけになることがある。リーゼロッテはそのヒロイン補正が発生しているようだ。
「す、すみません」
「気をつけて」
リーゼロッテは赤面しながらすぐに離れた。
「君、大丈夫?あの4人に絡まれていたみたいだけど」
平凡顔の男は心配そうにリーゼロッテの顔を覗きこんだ。
「はい、大丈夫です。本当にありがとうございました」
リーゼロッテは二人に向きなおし、ゆっくりと頭を下げた。
「怪我は?」
「ないです」
表情を変えないままコンラッドの目がすっと細められた。
「あの……」
何も言わず見つめられてリーゼロッテは居心地が悪そうだ。
「なぜ、あんな真似を?」
「え?」
「男4人相手に向かっていくなんて無謀にもほどがある。私がいなかったらどうなっていたか」
「す、すみません。どうしても見ていられなくて」
ゆっくりとした諌めるような口調で話され、リーゼロッテは叱られた子供のようにしゅんとしてしまった。
「まあまあ、コンラッド。でも、ああいう時は僕たち兵を呼ぶべきだよ?今度からは気をつけてね」
平凡顔の男は気さくそうに言った。
「それに……」
コンラッドは壁際で動かないままでいる男を見た。そして視線を動かさないまま何かを言いたげにしている。おそらくそれはあの男ではなくリーゼロッテに向けられる言葉だろう。
しかし、ゆっくりと息を吐きその言葉を発するのをやめたようだ。
男は視線だけ動かしコンラッドを見る。
「君も戻りなさい」
「はい」
男はゆっくりと頷いた。
もう出て行っていいだろうか?ずっと傍観していたため出るタイミングがわからなくなっていた。
出て行くか。私はチーズを持ったまま壁から身を乗り出した。
「リーゼロッテ」
「あ、レイ」
「まったく、どうしようかと思ったわ」
「ごめんなさい。心配かけて」
別に心配はしていない。無鉄砲な子だと思っただけだ。
私は持っていたチーズをぎゅっと握り締めた。
「君たちも早く帰りなさい」
コンラッドは見回りに戻るのか踵を返した。
クールな男だ。乙女ゲームではこういうクール系男子って必ず一人はいる。
「ほら、行くよ。今の騒ぎのせいでだいたい10分くらいは経ったんじゃない?早くしないとパンダカフェに遅刻する」
私はコンラッドを一瞬見た後リーゼロッテの腕を軽く引っ張る。
「パンダ……カフェ」
なぜかその場を去ろうとしたコンラッドの動きが止まった。
「どうした?コンラッド」
「いえ、なんでもありません。見回りに戻りましょう」
コンラッドたちはその場を去った。私の言葉の何かに反応したようだが、別に気に留めるほどのことでもないので何も言わなかった。




