娯楽の神
思考が覚醒し、一番はじめに感じたのは覚えがある浮遊感だった。
「うわ、久しぶりだ……この浮遊感」
明暗混じった歪んだ空間の中のきらきらした散った光にふわふわとした浮遊感。
やばい。なんかちょっと酔いそう。
思わず額を抑える。
「あれ?」
額にちくちくとかかった髪をかき上げようとした時だった。
(髪の毛が長い)
首元だけの長さだった髪が腰まで長さになっていた。変わったのは長さだけではない。
色もだ。青みがかった黒髪が、今は完全な黒髪になっている。
(………服も変わってる、この服は……?)
私は自分の体を見回す。
いつのまにかリアルの世界で普段着用していた部屋着に変わっていた。
髪や服が変わっている。いや、これは……。
「元に戻った……?」
「そうだよ。ここは乙女ゲームの世界じゃなく、次元の狭間。『レイ・ミラー』の体から『三波怜』の意識が切り離されてここに転送されたから元に戻ったんだよ」
逆さまになっているうさぎが目の前にひょいと現れた。
なるほど。どうりでヒリヒリしていた目元も喉の痛みもなくなっているわけだ。
「うさぎ……いたんだ」
なんか、突然うさぎが現れても驚かなくなってきたな。
「いたよ」
「あのさ、この浮遊感どうにかならない?ちょっと気持ち悪いんだけど」
「え」
なぜかうさぎは耳を抑えて私から離れた。
「なんで離れるんだよ」
「いや、なんとなく」
ちっ、勘の良いうさぎだ。
今の私は上下左右の感覚が皆無の状態であり、自分の意志とは関係なく体が浮遊している状態だ。この不安定な感覚を少しでもどうにかしたいと考えていた私はうさぎに話しかけている最中、うさぎを空間を漕ぐためにオール替わりにしようと思っていた。本当にうさぎをオール替わりにできるとは思わなかったが、手に何かを握っているというだけで、少しは心が平らになるはずだと考えた。それにうさぎの感触はもちっとしているからストレス発散するのにちょうどいいし。
それを勘で察したかのようにうさぎは私から離れ、一定の距離を保っている。
おいおい、あんまり私と距離を置くなよ。うさぎ質にできないじゃないか。
「で、娯楽の神っていつ来るの?」
「もうそろそろのはずだよ」
そういえば娯楽の神ってどんな姿でどんな格好をしてるんだろう。
よくある中二病全開のコスプレみたいな恰好?露出とかすごかったりして。
「………一体どんな女神なんだか」
「え、女神?」
なぜかうさぎはきょとんとしている。
「女の神だったら女神だろ?」
「…………あ~そっか、言ってなかったっけ」
「なんだ?乙女ゲームのヒロインやれってっ言ってるくらいだからてっきり女かと思い込んでいたけど、違うのか?男の神だったのか?」
「あ、いや……そうとも言えるし……そうじゃないとも言える」
なぜかうさぎの歯切れが悪い。
「まぁ、会えばわかるよ。会った時、説明するから」
うさぎが言葉を終えると突然ピカッと真上方向が光弾けた。
「うわっ、何?」
「来たよ。僕の主様である、娯楽の神様が」
「……神が来た」
その事実に心臓がドクンと跳ね上がる。やけくそ気味にここまでやってきた自覚は一応ある。正直なところ、帰るための確実な交渉の方法は頭の中できちんとまとまっているとはいえない。はっきり言って白紙状態。それでもここで引き返すという選択肢はない。私の帰りたい意志は何があろうと揺るぐことはない。やぶれかぶれな交渉になっても、絶対に帰ってみせる。ぎゅっと握り締める掌にじわっと汗が滲み出る。緊張で体を強張らせながらも私は光から目を離さなかった。
弾けた光は人の形になっていき、ゆっくりと下りてきた。光が完全に人型に形成されると、光がぱっと消える。
「!!??」
私は今、対面している。スラリとした高身長で細身の後ろ姿と。
「…………なんで後ろ向き?」
ポロッと思ったことがそのまま口に出た。
神は私に会うためにここに来たはず。それなのに、神は後ろ向きの姿のまま現れ、しかも一向に振り向く様子はない。しかも無言。対面をやけくそ気味の姿勢で待ち構えていたのに肩透かしを食らい、緊張で滲んでいた脂汗が引っ込んでいく。
なぜに振り向かない。人間と顔を合わせて話したくないから?
さすがに舐めすぎてないか?
「……あの」
「……」
「……ちょっと」
「……」
だからなぜに無言。
どうすればいいんだよ、これ。振り向かない。何も話さない。何のアクションも起こさない。
これでは交渉も何もないではないか。話をするつもりがないなら、なんでここに来た。
(おい、本当にあれが娯楽の神?)
私はうさぎと目が合うと後ろ向きの神?を指差す。うさぎは冷や汗をかきながら後ろ向きの神?に近づき、何かを耳打ちしている。
うさぎの様子から察するにやっぱり今、目の前にいるのは娯楽の神で合ってるってことか。
うさぎの耳打ちが終わると、娯楽の神はゆっくりと体を回してきた。
本当にゆっくりゆっくりと。わざと苛立たせようとしているのかと思うほど。
娯楽の神の顔がゆっくりと見えてくる。
神はこの世のものとは思えないほど華やかで美しい容貌をしていた。長く整えられた上向きの睫に輝く黄金色の切れ長の瞳に高い鼻、一切汚れやシミのない白い肌。髪は鮮やかな紫色の艶のある髪質をしていて長く、頭部に一つに括っている。
装いも派手そのものだった。まるでダンス衣装のような装いだ。
胸元が開いた部分や袖部分にフリルがついた真っ赤なシャツに裾にフリルがついた黒いズボンを着用している。腰元に巻いている金色の太いベルトがチカチカと光っていた。
娯楽の神は長身で細身のモデルのような体格なので華やかな装いが妙に似合って見える。
そんなモデル並みの体型をした娯楽の神がなぜ返事を一切返してくれなかったのか、体をゆっくり正面に回してくると嫌でもすぐにわかった。
なんだこいつ。
娯楽の神は視線も顔も下方向に向けていた。
その視線の先にあるのは娯楽の神がが握っているゲーム機だ。娯楽の神は両手で持っている何らかのゲームを夢中でプレイしている。耳を澄ますと軽快なゲーム音楽が聞こえてきた。華やかな容姿は必死の形相でゲーム画面に釘付けだった。私のことなんてまったく気にも留めていない様子だ。
なんなんだ、こいつ。
体をゆっくりゆっくりと回していた娯楽の神はよほどゲームに夢中なのか止まることなく、そのまま一回転する。再び、私に後ろ向きという一番初めの格好に戻る。
マジでなんなんだ、こいつは。
再び焦ったうさぎが耳打ちする。
おい、まさかこれ何度も繰り返すんじゃないだろうな。
冗談じゃないと心の中で舌打ちしていると、
「うるっさいわね!今忙しいのよ!邪魔しないで!」
「…………」
うさぎに向かった放たれた怒声はドスの効いた、そして間違いのない男の声だった。
その怒声を聞いた私の頭の中は数秒間真っ白になった。
……この口調に、この声音。
なんと、私が非常識だと思っていた娯楽の神は女ではなくオネエだった。




