ボトルネック
君たち。
もう暗くなってきたよ、おうちに帰らなくていいのかい?
おじさん? 失礼だなあ、まだ独身だって、まだ三十代……顔がよく見えないから分かんない?
まあ、いいやおじさんで。めんどくさいから、ははは。
今どき、怪しい人と口きいちゃいけないんだって? まあね、時代だよね。
でも子どもらが暗くなってもまだ遊んでいたら、注意するのが地域の大人の義務だって、思ってるんだけどねえ。
ま、どっちにしてもおじさんは、別にあやしい者なんかじゃないよ、家は近所だし、君らここの小学校に通ってんだろ? じゃあ、大先輩だな……
おじさんはちょっと電話をして、人を待っているところだから。
もうじき来ると思うけど。
とにかくもう、帰ったほうがいいよ。
え? この後塾に? 時間つぶしてるんだ? たいへんだなあ、イマドキのコドモも。
ところでさ、あのグラウンドのすみに生えている木、すごいよね。ケヤキだったっけ? そうなんだ、へえ、樹齢三百年って? 本当? おじさんが小学生だった頃も三百年、って言われてたような気がするなあ。それからもう二十年過ぎてるしね。
何笑ってんだよ? はは、二十年てハンパだよね~って? でも三百年から比べても、十五分の一だぜ、それなりに長くないか? え? そうでもないかなあ。
まあでもさ、枝もすごいよね。昔から比べてもさらにすごくなってる気がするよ。
根の部分がネットの向こうの道路にまで少し張り出しているから、かなりのもんだよね。
でもさ。
あの道路にはみ出しているのが、ちょいと問題なんだ。ビミョウに困るんだよね。
いつもおじさんは、会社に行く時あの道を通るんだけどさ、木の所で、ひやりとすることが多いんだ。
そう、あのせいで道はばが、かなりせまく感じられるよね、
だろ? 君らもそう思うだろう? そうそう、歩道がぐにゅっと曲がっちゃってて、通りにくいだろ?
木の根が出っ張っている分、歩道も車道の方にはみ出しているから、車道もその分せまくなっているしね。
道の反対側は川のせいでがけになっているし、しかもカーブだから前が見えにくいときている。
ああいうの、何というか知っているかい?
え、カーブのことじゃなくて、道が少しせばまっていて通りにくいことだよ。
ボトルネック、という言葉、聞いたことある? ないか、そうか。
ビン? そうそう! ビンの首の所、せまくなっているだろう、それを想像してみてよ。
おじさんら大人は、よく耳にする言葉なんだよ。
何かがひっかかって、全体の流れがよくない所、問題になる所、という意味でね。
なぜ急にそんな話をしたかって? 聞きたい?
まあ、もう少し時間ありそうだから教えてあげようかな。君ら、塾に遅れて叱られても、知らないからな。
おじさんがその言葉を思い出したのはね、どんな時間に車で通ってもなぜか必ず、あの場所で対向車とすれちがうからなんだよ。
え? 全然不思議じゃあないって?
まあ、それほどさびしい道通りでもないからね。車がいつも少しは走っているって感じだよね。
でもね、いくら交通量の少ない時、例えば夜中、残業ですっかりおそくなった時でも、あそこにさしかかると、対向車が来るんだよ。
オレはその度に、ひやりとする。
朝はたいがい車が多いから、当たり前のことみたいだけど、真夜中さえもだよ?
夜は、少しスピードを上げてみたり、前に灯りが見えたらブレーキをふんだり、せまい場所で行き合わないように、スピードを調整していたつもりなんだ。だけど、オレがどんなに努力しても、なぜかちょうど対向車が来て、あのせまい場所でぴたりと、出くわしてしまう。
あんまりにも毎回毎回、あの木の横ですれちがうだろう?
オレはその度にひやりとする、本当にね。
それに嫌だったんだ、いつも狭い場所に限って、必ず対向車がある、ってのが。
だってそうだろう? なぜわざわざ、狭い箇所を譲り合わなきゃならないんだ?
たまにはせいせい、何も障害なくスイスイ通り抜けたって、構わないよな?
だろ?
ところで今日のことなんだけどね。
久々に、残業なしで、夕方早く帰って来たんだよ、うかれながら。
あの道で他の車を全然見かけなかったのもうれしくて、気分は上々だった。
だがね。
そんな矢先、ちょうど対向車の気配がした。
たった一台。だが、このままでは確実にあのせまい場所で並んでしまうだろう。
またかよ、と舌うちしながらも、オレは試しに、五十メートル程手前で待ってみた。その車が通り過ぎるのを、ね。
車は来なかった。カーブ手前で路地に入ったようだ。後は何の物音もしてこない。
で、オレは一気に加速した。
初めてだった、ボトルネックで何ともすれ違わずに、すんなり通りぬけようとしたのは。
だから、油断していた……スピードを出し過ぎて、カーブを曲がり切れない、なんて。
あのケヤキのある場所はね、だれかと出くわすからこそ、通りぬけられるのだ、って気づいたんだ。おそまきながら。
絶対に、ひとりきりで楽々と通ってしまってはいけない場所が、世の中にはあるらしい。
無事にそこを通り抜けるためには、多少やっかいでも、何らかの引っかかりが必要らしいんだ。
ビンの首は、だてにせまいだけじゃない、ってことさ。
狭いのには、必ず意味があるんだって。
君らも、いつかは分かる時が来るのかな。どうだろうね……
それより、どうして君らはだんだんと後ずさりしているんだ?
ああ、オレの姿、はっきり見えてきたの?
片腕と、顔が?
うん、車ごと崖から落ちた時、途中の木や岩にぶち当たったりひっかかったりしてね、何度も。
それで、左腕と顔も半分、ひき千切られて、失くしちまったようだ。
ようやく来た。がけ下から最後に呼んだ救急車が。
サイレン、聞こえてきただろ?
ほうら。
(了)
実際にこんな場所があったのですが、こんなおじさんはいなかった。と、信じたいものです。