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六 据え物斬り

2話目です。

「……その少年が遠山殿でございました……」


「ほう! 景元が無頼の若者たちとともにの!」


 ここは老中安部正弘の屋敷。

 将軍家慶の催した武術上覧会の後、偶さかの息抜きのつもりで元町奉行遠山景元と、御様御用役、山田浅右衛門吉昌の二人から昔語りを聞いているところであった。

 無礼講にと、中庭に設えられた石の円卓に座り、上も下もないような一席である。


「……全くお恥ずかしい……」


 吉昌の口から二人の出会いを将軍に語られた景元は、心積もりはあったものの、赤面を隠せないでいた。


 景元が年少のころ市井に暮らしたというのは、江戸庶民にすら知られていることだが、具体的な話を知っている者はいないはずである。

 その秘密が、齢五十過ぎてから、それも天下の征夷大将軍に知られるというのは公私共に恥であろう。


 仮に、今の将軍が家慶でなかったら、この話は墓の中まで持って行ったかもしれない。

 家慶になら、という気持ちであった。


 家慶と景元は同年齢。

 景元三十二歳の折、小納戸役として初出仕後の仕事は将軍家世子であった家慶の世話係であり、それからちょうど二十年の付き合いとなる。


 家慶も世子とはいえ、父である前将軍・家斉と折り合いが悪かった上、将軍になってからも大御所として権力を振るう父に意見することもできずにいた時期が長かった。

 上司に睨まれ続けた有能な遠山景元を自分のことのように見ていたのかもしれない。


 その証拠とでもいうかのように、吉昌から景元の昔の話を聞いた家慶は、蔑みも不機嫌にもなる様子はなかった。


「やはり、市井の者の気持ちがわからねば奉行は務まるまいの。のう、伊勢」


「全く。それがしも、遠山殿を見習いたく存じます」


 若き老中、安部正弘も、単に将軍に迎合した感じではなく、本気で感心している様子であった。


「阿部様まで……それがし、身の置き所がございませぬ……」


 大分年下の上司にまでからかわれた遠山の金さんこと、遠山景元は小さくなっている。


 阿部家の中庭は好意的な笑いに包まれるのであった。




 老中安部正弘の屋敷では、突発的に山田浅右衛門吉昌による据え物斬りが行われようとしていた。


 据え物斬りというのは、本来刀の良し悪しを鑑定するためにすることなのだが、使い手の技量が充分でなければその意味もなく、結果、腕試しの面をも持つことになる。


 そうなると、もはや見世物といっても差し支えなく、特に戦国の時代から二百年以上過ぎた、この平和の時代においては、武士といえど娯楽として捉えても致し方ないことであった。


 平和、というのは、群雄割拠の戦乱状態ではないという意味合いで、現状は、内に改革の失敗あり、外に異国船の増加ありと、平和には程遠い状況である。

 だからこそ、将軍・家慶は日頃の憂さを晴らしたいとでも思っているのだろう。

 信頼できる腹心たちと束の間の、御政道とは関わりのない話に興じていた。


 その遠山景元と、幕臣ではないが、山田浅右衛門吉昌の昔語りを聞き、特に吉昌の立ち回りに興味を覚えた家慶は、養子のほうの、若い浅右衛門吉利だけでなく、先代の浅右衛門吉昌の技量も見たくなったようだ。


 そして、平素であれば年齢や立場を理由にして固く断っているはずの吉昌も、己の若きころの話をしていたからなのか、ついに引き受けてしまう。


「……父上。これを……」


 若くして山田浅右衛門の名を継いだ吉利は、さすがに豪胆であり、将軍に無理にこの場につき合わされたにもかかわらず淡々とした態度であった。

 池のほとりに立つ養父・六代目山田浅右衛門、吉昌に将軍から預かった刀を差し出す。


「うむ……」


 吉昌は刀を受け取ると、鯉口を切り、鞘からゆっくりと抜き放ち、鞘を吉利に預けるのであった。


 中庭には五人を除いて他者の姿はない。

 無論警護役が屋敷中を守っていることに間違いはないとしても、もし浅右衛門親子が将軍の命を狙ったとしたら阻止する手はないのだが、この場にそんな心配をする人間はいなかった。


 万が一があるとすれば、利害関係でなく、全くの精神錯乱による犯行になるとしか考えられない。

 そんな心配は、街を歩いていて雷に打たれるのを心配するようなものである。


 将軍家慶も老中安部正弘も、山田浅右衛門に会うのは今日が初めてであったが、それぐらいは信頼しているということである。

 心広い将軍サマと山田家歴代当主が積み上げてきた信用に感謝しながら、吉昌は池のほとりに立てられた石灯籠に近づいた。


「阿部様。この灯篭、少々形が変わることになり申すが、よろしいか?」


「は? か、構わぬでござる……」


 家慶がいきなり据え物斬りを所望したため、肝心の据え物をどう用意するか悩んでいた安部であったが、吉昌に不意に許可を求められ、つい応じてしまう。


 ここ辰口にある備後福山藩上屋敷は、老中に抜擢された折移ってきたばかりで、まだそれほど愛着も湧いていない庭だったが、きれいに苔生(こけむ)した石灯籠は歴代藩主が折に触れて目にしてきたものかもしれない。


 そんな思いもしたが、一度口にした以上取り消すこともできず、ただ吉昌の動向を見守ることになった。


「えいっ!」


 大きく刀を振り上げた吉昌は、石灯籠に目掛けて、正確には火袋の上、笠の部分に刀を振り下ろした。


「おおっ!」


 四角形の笠の突端に付いている『わらび手』と呼ばれる装飾部分が欠けた。

 いや、見事に切断されたのだ。


 家慶は思わず声を上げる。

 正弘も気になり、自らその場に駆け寄って斬り落とされた石灯籠の欠片を拾い上げる。そして驚愕の表情と共に家慶のもとに戻ってきた。


「上様、ご覧ください。見事な切り口で……」


「うむ。確かに。見事である。浅右衛門」


 七代目の吉利のときもそうであったが、家慶は惜しみない賞賛の言葉をかける。


 家慶も武士であるので、据え物斬りの難しさは良くわかる。

 相手が石などとは考えもよらない。当たり前に考えて刀が折れるか、または石の細工部分の細かいところが欠けるかのどちらかである。

 だが、吉昌は斬ってのけたのだ。


「まだまだ現役じゃの」


「いえ、年甲斐もなく……阿部様にも申し訳ない真似を……」


 気分が高揚していたのか、許可があったとはいえ、一国の主の所有物を傷付けてしまったことになるのだ。

 吉昌は慌てて膝を付いた。


「いやいや、武家の者としては本望でございます。これは家宝の石灯籠といたしましょう」


 正弘もまた上機嫌である。


 お咎めがあるはずもなく、その場は武士の集まりにふさわしい、何か武者震いのしそうな空気に包まれた。


 それまで黙っていた遠山景元は、吉昌の見事な据え物斬りを見て、再び昔を思い出す。



 ◇◇◇




「えいっ!」


 鋭い掛け声のあと、カランという音が聞こえてきた。


「ん? イテテテ……」


「おう? 起きたかい」


 少年が目を覚ますと男の声がした。

 ゆっくり身体を起こした少年の、まず目に入ったのが、夕日の光にギラリと煌く抜き身の刀である。

 後姿であったが、刀を構えているのは仲間を蹴散らした浪人であると瞬間的にわかった。


「イテッ……」


 何か怒鳴ってやろうとしたが、自分の口、顎の辺りに激痛を感じ、言葉にならない。

 同時に笑い声がした。


 少年が痛みを堪えて声のするほうに顔を向けると、壁に寄りかかった着流しの浪人がキセルを銜えて少年を見ている。


「このっ! イテテテ……」


 少年はニヤけた浪人者に飛びかかろうとしたが、そのときになってやっと自分のいるところが道端などではなく、畳の上だということがわかった。

 刀を持った浪人も、少年が目を覚ましたことを知り振り向く。


 挟まれた。

 そう少年は思うと、逃げ場を失った気がして開き直ることにしたようだ。


「おうおう! 殺すなら殺しやがれ!」


 口を開くとまだ痛かったが、少年は立ち上がることを断念し、胡坐になって首を突き出すような姿勢になる。


「……殺しはしない。目が覚めたのなら裏口から出て行くがいい」


 静かに答えたのは刀を持った浪人、源八郎であった。

 清太郎が容赦なく少年の顔面を蹴り上げていたので心配になって、この離れまで運んできたのだが、これだけ悪態がつければ大丈夫だと判断し、源八郎は再び少年に背を向けるのであった。


「……ちくしょう……」


 少年が源八郎に背を向けられたのはこれで二回目である。

 なぜか悔しかった。

 だが、その浪人の後姿を見ていると身体が竦むような気がして、身動きができない。目も離せなかった。


「……何してんだ。ヤロウ……」


 悔し紛れか、或いは強がりか、少年は部屋の中にいた浪人、清太郎に声をかける。


「あ? ああ、薪割りだと」


「薪割り?」


 少年は見ていた。

 源八郎のすることを。


 庭に立てられた三尺ほどの杭。その上に平らな板が載せられており、さらにその上に一尺ほどの薪が、確かに薪だろうと思われる、大人の腕ほどの太さの丸太が立てられている。


 据え物斬り。 

 山田家を出て来た源八郎であったが、特に剣の道、試刀術を捨てたわけではなく、夢屋に来てからも日に一度はこうして試し斬りをしているのだ。


「えいっ!」


 鋭い掛け声が聞こえ、続けてカランという音がした。

 少年が先ほど夢現の中で聞いた音だ。


 見ると、杭の上の丸太は斜めに斬られているが、下半分は微動もせず、上半分だけが下に落ちている。

 少年は言葉も出なくなっていた。


「……恐ろしいよな。ありゃ、斬られても痛くねえぞ、うん。試してみるか?」


 人が悪いとはこのことである。

 呆然としている少年に、清太郎は笑いながらそう言った。


 少年は首筋が凍るように冷たくなった錯覚に陥る。


「清さん! また悪ふざけを……さあ、お主は帰れ」


 いつの間にか清太郎を愛称で呼ぶようになっていた源八郎であったが、騒ぎを起こした少年に対しては冷たい口調で追い払おうとした。


「ち、チクショウ!」


 格が、腕が違うと思い知らされ、少年は立ち上がると離れを飛び出す。


「待て!」


「な、何だ!」


 声をかけられると、なぜかうれしいような、そんな気がした。

 だが、全くの勘違いとわかり、顔を真っ赤にすることになる。


「……裏口はあっちだ……」


「チクショウ! いつか思い知らせてやるからな!」


 赤面は罵倒することと真っ赤な西日で隠されたかもしれないが、清太郎は少年を見て笑っていた。


「それしか言うことはないのかね……」


 裏口のほうに走り去った少年を見送り、清太郎は呟く。


「……清さん、まさか、また居候が増えるのでは……」


「……さてね……」


 清太郎と出会って数日の源八郎であったが、何となく清太郎という人間がわかってきたようである。



 

もう1話有ります。

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