四 居候
本日2話目です。
「ほう、心中事件がのう……」
「しかし、山田殿の一撃をかわすとは、その浪人者もなかなかの使い手と見えますな」
ここは老中安部正弘の屋敷。
時は天保十五年九月のことである。
将軍家慶直々に催した武術上覧会の後、気の合った者たちを残しての、改革不首尾について愚痴を聞かせる傍ら、忙中の閑を利用して少しでも鬱陶しい気分を紛らわそうと臣下の元町奉行遠山景元と御様御用の山田浅右衛門吉昌に昔話を所望した場面であった。
将軍の仰せであるからと、景元と吉昌は共通の友人に纏わる話をしようとする。
年齢順、そして出会いの順からして、まずは吉昌から話し始めたのだが、いきなり血生臭い、もしくは怪談めいた話になってしまい、恐縮気味の二人だった。
元々、この話は他言するつもりはなかった二人である。
景元は幕政に関わる者として違法を見逃していたような内容は口にすることができなかったのだし、吉昌としては、徳川の世になって以来間違いなく誰よりも多く人の命を絶ってきて、その血で口を糊してした一族として、命を軽々しく話のタネにすることは憚られたのである。
「……上様のお耳を穢してしまい、真に申し訳ございません……」
ここで吉昌が頭を下げる。
「いやいや。余の所望したことゆえ気にするでない。それで、その心中事件は景元が解決致したのか?」
「いえ、滅相もありませぬ。それがし、そのころは出仕もいたしておりませなんだ」
「そうじゃったの。城に上がる前のことであったな。では続けよ。たまにはこのような話も面白きことよの。のう、伊勢」
「は。真に……」
将軍家慶と老中安部正弘の反応からはそれほどこの話を嫌悪する様子はなかった。
遠山ら二人が考えるに、既に五十の坂を越えている家慶は、大御所時代と呼ばれる先代家斉の長きにわたる腐敗した政治を見てきたため、今更町方御用聞きのいい加減な捜査や一両二両の賄賂など取るに足りないと思っているのかもしれない。
正弘は二十四で老中になった切れ者である。酸いも甘いも噛み分けられるタチなのであろう、やはり特に批判がましい感想は述べなかった。
そして、将軍に気に入られ、この場にも立ち会わされた山田流七代目の山田浅右衛門吉利は、自分の出る幕はないと自覚しているのか全くの無言ではあるが、養父・吉昌の自分と同じく家督を継ぐ前の、弟子時代の話が聞けるとあって興味津々の様子である。
景元と吉昌は各人の反応を見て頷き交わした。
このまま話を続けようということになる。
三十と五年ほど前、当時吉昌二十二歳。景元十六歳。
この二人の出会いはもう少し後になる。
◇◇◇
「……いい天気だ……」
とある家屋の縁側に座った源八郎が、秋晴れの空を見上げて呟いた。
「源さん。暇なら薪割りでもしてりゃあいい」
「……わかった……」
源八郎の横で寝そべりながらキセルを銜えているのは着流しの浪人、清太郎である。
自分こそ暇そうな態度で。とも思ったが、同じような着流し姿になっている源八郎はゆっくり立ち上がると、言われたとおりに庭に下りて薪小屋に向かうのであった。
今二人がいるのは、谷中にある岡場所の数ある私娼屋の一つ、夢屋。
正確にはその離れである。
先日、大川端で清太郎と出会った後、誘われるままに酒場についていった源八郎だったが、ついには岡場所にまで連れてこられていた。
旅の途中、いや、江戸を離れようとしたばかりの源八郎は、自分の迷いを見定めようとするため、また、断ち切ろうとするために旅に出るのだと酒の席で清太郎に告白していたらしい。
鼻の先で笑われたが、環境を変えるのなら旅に出なくてもよかろうとも諭され、会ったばかりで何故これほど人の内を見透かすことができるのかと驚いた源八郎は、次第に清太郎に興味を覚え、言われるがままにこの歓楽街で自分を見つめ直すことにしたようだ。
連れて来られたこの夢屋では、清太郎は用心棒という名の居候だったが、御用聞きにも顔が利いているところから店主の信用も大きいらしい。
源八郎も居候の居候ということですんなりと受け入れられ、おかしなことに、清太郎は勿論、店の者も身元など詮索してこなかった。
「……そういや、首切り浅右衛門の高弟に三輪ってのがいたっけ……ま、ここじゃ腕が立ちゃ誰でもかまねえんだけどな」
岡場所の用心棒に誘われた際、源八郎は清太郎にそんなことを言われた。
清太郎の言う『三輪』とは、三輪源八。源八郎の養父で、現当主山田浅右衛門吉睦の実父である。
《一体どのような暮らしをすれば、あのように飄々と物事を見透かすことができるのだろうか……》
源八郎は、修行中の山田流試し斬りの刀を鉈に持ち替えて、庭の隅に詰まれた材木屑を黙々と割りつつも清太郎のことを考えていた。
無心になれていないのは修行不足というより、悩みが解決していないからである。
修行の旅のつもりで山田家を飛び出した後江戸も出ぬうちに清太郎に出会って修行のやり方を変えてはみたものの、この夢屋に来て三日、修行の糧になりそうなことは何も起こらず、ただ空を眺めているか、清太郎の散歩に付き合う日々であった。
「清太郎殿。何故お主は何も聞かぬのだ。何もかも知っているからなのか?」
一日、離れの縁側で寝そべっている清太郎に源八郎が尋ねたことがある。
「……俺が何を知ってるって? 仙人じゃあるまいし……」
「だが、現に拙者のことを……」
「噂だよ、噂。こんなところにいりゃ、武士もヤクザもお得意さんだ。ま、お勤め大事の堅物よりはちょびっと物知りなんだろな」
「なるほど……噂か……」
源八郎は少し気が楽になった。
己の身を顧みると、自分は、いや、山田家に関わる者は世間との交流というのが稀であることを実感する。
大事なお役目であるのはわかるが、そのせいで『人斬り』『首斬り』と忌み嫌われていては、表面的にはともかく、心安く世間話する相手も見つかるまい。
しかし……と源八郎は考えた。
自分の正体、特に秘密にしていたわけではないが、おそらく大川で自分が刀を振ったことで山田流と察しをつけたり、迷いがあるということをそれとなく見透かしたのは、清太郎はよほどの洞察力の持ち主であるということなのだろう。
加えて、山田流の斬撃を見事にかわした身のこなしといい、同じような年齢ながらますます侮れぬ人物であると考えている。
《あの場で出会ったのは何者かが垂らした縁の糸か……ふっ……そういえば、そんなことを言われてここに連れて来られたのだったか……》
着物の裾を端折り上げて薪を割る源八郎は、知らず笑っている。
そんな時、夢屋の表口でちょっとした騒動が起こっていた。
バタバタと誰かが離れのほうにやってくる。
「ちょいと! 清さん、源さん! 来とくれよ!」
まだ日は暮れておらず、女郎屋の稼ぎ時には早いというのに年増の女郎が何人か騒いでいた。
先生などと呼ばれないのはありがたかったが、一応は用心棒も居候の仕事だと聞いている源八郎はとりあえず薪割りを中断し、離れに戻る。
清太郎は源八の来るのを待っていたようであった。
源八郎が顔を見せるとようやく立ち上がる。
「清さん! 殴りこみだよ!」
「わかった、わかった。行くって言ってんだろ」
遊女たちに取り囲まれながら清太郎はいつもと変わらぬ落ち着きようであった。
「源さん、仕事だ」
「……是非もない……」
源八郎は、何故自分がこんなことを、と思わなくもなかった。
だが、打ち首役という究極の汚れ役を引き受ける家系に取り込まれた者にとって、世の中の暗部を経験してみるのもまた修行になるやもと、この流れに乗ってみる気になったのも事実なのだ。
源太郎は大小二本、清太郎は打ち刀一本腰に差すと、慌てる遊女たちに急かされて騒ぎの起こっている夢屋表口に向かった。
不定期投稿になりますが、よろしくお願いします。
全くジャンルの違う『グラウディス・サーガ』も同時投稿しています。
機会がありましたら、読んでやってみてください。




