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三 大川端の出会い

2話あります。

 昔話とはいっても相手は頑是無い童ではない。天下の征夷大将軍である。


 では卒爾ながら、と堅苦しく前置きして、遠山元北町奉行を中心に二人は語り始めた。

 有能な配下たちの逸話は、過激な描写を抑えたものであったが、それでも将軍をも唸らせることになる。


 ◇◇◇


 夏も終わり、怪談の季節ではなくなったものの、やはり夕暮れ時は人を惑わすような雰囲気を持っているものだ。


 怪談といえば、夏ごろから江戸市中に『辻斬り』が現れるという噂があった。

 町人たちは日が暮れると逃げるように家々に入り、人通りの少ないところには決して近づかないようにしている。


 そんな噂を知ってか知らずか、笠を被り、一応は旅支度をしているが、特に行く当てもないような足取りで一人の浪人が大川端を歩いていたとき、日はまさに暮れようとしていた。


 逢魔時。


 そんな言葉がその浪人の脳裏を過ぎったのは、自分が立っている土手沿いに、自分以外の人通りがないことに気がついたからであった。

 いや、その前にある匂いがしていることに気がついたからだろう。


「……血の匂いか……」


 常人であれば判別もつかない、非日常的な感覚。

 だが、その浪人は確かに嗅ぎつけていた。


 ゆっくりと気配を探すように周囲に目をやりながら刀の柄に手をかける。


「誰だ。そこにいるのは」


 護岸のための並木。

 長く伸びた影がゆらりと動いた。


「待った! 怪しいモンじゃねえ!」


 その声は編笠の浪人が刀を抜いたと同時にかけられる。


 顔を出したのは、こちらも浪人のようであるが、着流しに一刀差しの渡世人風の若者であった。


「……あやかしか物の怪の類かと思えば、何をしている」


 刀を着流しの浪人に向けたまま、編笠の浪人は視線を並木の下に移す。


 女物の着物の裾が見えた。

 血の匂いといい、動く気配がないことといい、間違いなく人が死んでいると考えられる。


「さてはこのところの辻斬り騒ぎは貴様か! 動くな!」


 着流しの男が近づく素振りを見せたところで編笠の浪人は刀を横に振るった。


 だが、もとより腕に自信があり、斬るつもりではなく相手の喉下で寸止めにして牽制するつもりだったところ、着流しの男は既にその場にいない。


「待てって言ってんだろ」


 編笠の浪人は慄然とした。


 もし着流しの男が後ろに飛んで回避したとしたら、なかなか腕が立つ、と思うくらいだったのだが、気づくとその男は自分の横に立って肩に手を置いているではないか。

 いつの間に斬撃ををかわしたのか、いや、自分の目がおかしくなったのかとも思われる動きであった。


「おのれ! 物の怪の如き真似を!」


 己の腕を過信していたわけではない編笠の男は、尋常ならざる相手と判断し、自ら後ろに飛び退ると刀を八相に構えた。


 攻防一体の構え。本気であることが窺える。

 相手にもそれが伝わったことだろう。


 だが、着流しの浪人は一歩下がっただけで刀は抜かなかった。


「待てって。よく見ろよ」


 何をだ――そう編笠の浪人は訝る。


 夕闇が濃くなり、さらに妖しさが増したといっても、どう見ても人間としか思えない着流しの男は面倒くさそうな態度で先ほど姿を表した並木の下を指差すのだった。


 相手が距離を取り、辻斬りの下手人にしては刀も抜いていないこともあって編笠の浪人は少し心を落ち着けて並木に近寄る。

 だが相手への警戒は解かない。刀は構えたままであった。


 先ほどの動きといい、抜刀術の達人という可能性も捨てきれないことからの警戒であったが、どうやら本当に着流しの男には見てもらいたいものがあるようである。


「こっ、これは……」


 警戒しながら、編笠の浪人が目にしたのはやはり死体であった。


 だが、驚いたのはそこではない。

 先ほどは女の死体があると思い、着流しの男を殺しの下手人かと疑っての行動だったのだが、死体は女のものだけではなかった。


 男女一対。

 女が男の遺体の隣で自分の喉を突いている構図。


「……心中……」


 それが真実かどうかを確かめるのは己の役目ではないと判断した編笠の浪人は、ならばこの着流しの男と敵対する必然性もないことに気がついた。


 立ち合いで一本取られたような気もするが、刀を鞘に納める。


「おお。ようやっとわかってくれたかい」


 ついと着流しの男が近づいてくる。


 笑みを浮かべていて、殺気などは感じられなかったが、編笠の浪人は胡散臭いとは思った。


「……お主はここで何を?」


 心中の現場を見てしまったからには訊かぬわけにはいかないと、笠に隠れてはいたが疑わしい目を向ける。


「見てのとおりだ。アンタとご同様、血の匂いにつられただけでさ」


「お主……」


 何もかも見抜いているような着流しの男の言葉に、編笠の浪人は言い知れぬ感覚を覚えるのであった。


「さて、ここで出会ったのもなんかの縁だ。一杯やらねえか?」


「いや、それがしは……」


 見透かしての発言なのだろうか、着流しの男は先ほど斬り付けられた相手と酒を酌み交わそうとする。

 誘われた当人は当然面食らうのであった。


「急ぎの旅でもないんだろ?」


「いや、そうなのだが……それより、この一件を届け出なくては……」


「なに、すぐに来るだろ……あっ、おい! こっちだ!」


 着流しの男は編笠の浪人の肩越しに視線を動かし、いきなり誰かに呼びかけた。

 それが相手の油断を誘うものでないことは、編笠の浪人にも後ろから人の気配がすることでわかった。


 取り囲む気でもなさそうなことも、雰囲気でわかったのでゆっくりと振り返る。


 現れたのは十手を手にした町人姿の中年男。

 御用聞き、いわゆる岡っ引であった。横の提灯を持った若いのは下っ引か。


「旦那、またですかい。死神でもこうは仏さんにぶち当たらんでしょうや」


「まあ、そういうな。鼻が利くモンだからな」


「……で、こちらは……」


 話からして着流しの男とこの岡っ引は知り合いのようで、なおかつ、何度も死体発見の通報をしていることもわかった。


 その岡っ引が夕暮れ、いや、既に真っ暗になっているにもかかわらず笠を被ったままの浪人を訝しげに見ている。

 それも当然。辻斬りの探索は奉行所でも躍起になっているはずであった。


「なに、朋輩さ」


 思いがけず着流しの男は編笠の浪人を庇うセリフを口にする。


「……そうですかい……おい、ヤス、提灯だ!」


「へい、親分――」


 まだ疑いの眼であったが、仕事が先とばかりにその岡っ引は死体見聞にかかる。

 着流しの男の報告に従って並木の陰に回った。


「……貴公、どういうつもりで……」


 編笠の浪人は、腑に落ちないことばかりの状況に、小声で着流しの男に問いかけようとする。

 だが、それを着流しの男はのらりくらりとかわすのであった。


「まあ、その話は後にしやしょうや。役人と顔を合わせるのも面倒でしょうし」


「お主……」


「旦那! こりゃ心中ですな!」


 編笠の浪人が何か言いかけようとすると、現場検証するにはあまりに短すぎる時間で岡っ引からの報告があった。


 編笠の浪人は、何か裏でもあるのかと思ったが、自分には関わりなきことと口を噤む。


「そう言えって頼んだはずだがな。言ってなかったか?」


「夜鷹の話なんざまともに聴けますかい。あのアマ、俺の顔見るなり金せびりやがった。追い返してやりましたよ」


 この遣り取りで、着流しの男がこの付近を縄張りにしている、あるいは一緒にいて死体を発見した夜鷹を通報に走らせたことがわかる。


 その夜鷹の姿が見えないのは、この付近では今夜は仕事にならないとでも思ったのか、それとも役人に関わるのが嫌だったからなのか。

 どちらでもよいことだが、編笠の浪人はなんとなくそんなことを考えていた。


「可哀想に。駄賃ぐらい渡してやれよ」


「旦那、そりゃこっちがもらいてえよ……ところで、仏さん、相手は夜鷹だが、男のほうは結構な身分のおさむれえだ。ところが懐はからっけつときてる……」


「わかった、わかった……ほれ……」


 編笠の浪人が見ている前で、着流しの浪人は岡っ引に何か手渡した。

 暗かったが、それが提灯の灯りでキラリとしたことで小判だということがわかる。


 《何てことだ。この男、死体から金子を抜き、岡っ引に袖の下として一部を渡したのか……》


 編笠の浪人は言葉も出ない様子であった。


「へっへっへ……そうですな……銭入れは、相対死にしたとき揉み合って懐から落ちちまって、そのまま大川にドボン。ってとこですか」


 よほど慣れているのだろう。岡っ引はスラスラと状況を作り出す。誰も川に飛び込んで調べようとするものもいないことを見越してのことだ。


「さすがは親分。じゃあな。俺たちはこれで……」


 俺たち、というのは自分を含めてのことだと、編笠の浪人はわかった。

 だが、今更友人などではないとも言えずに絶句する。


「へい。構いませんぜ。辻斬りにはご注意してくだせえ……おい、ヤス! 番所に走って人呼んで来い。戸板もな」


「ヘイ!」


 いくら袖の下をもらったかわからないが、親分はご機嫌な様子で疑わしげな浪人たちの退場を許可する。

 腰の物、つまり刀に血がついていないかすら検めようともしなかった。編笠の浪人に至っては顔を見せろとも言われていない。


 下っ引も、後で小遣いを弾んでもらえると期待したのか、威勢のいい返事をして提灯を親分に手渡すと、一目散に走り出した。


 その姿がすぐに闇の中に消えた後、着流しの男が呆然としている編笠の男に声をかける。


「さて、行こうか、朋輩」


「……よかろう……」


 今しばらくはこの不思議な男に付き合わねばならないだろうと心を決めた編笠の浪人は先に歩き出した着流しの男の後を追った。


 そして、着流しの男は、まるで編笠の浪人がついてきているということをわかっているかのような足取りで、振り返って確かめることもなく、大川端から町屋の、暗くなっても賑やかな場所を目指して歩を進めている。


 ある酒場の入り口前で立ち止まると、ようやく振り向いた。


「そういや、まだ名めえも聞いてなかったな。俺は清太郎ってんだ。アンタは?」


 今更といった感じで、着流しの男は往来で名乗り始める。


 向こうから名乗られたからには、そう編笠の浪人は思ったのだろう。大川の土手とは違い人通りもあったが、編笠を取り正直に名乗ることにする。


 笠の下は、月代の伸びきった典型的な浪人髷で精悍な顔つきであった。ただ、今夜の事件のことが気になるのか、あるいは元々なのか、一種迷いを宿した目をしている。


「……拙者は三輪源八郎と申す。山……いや、見ての通り浪人でござる」


「へえ……三輪ねえ……」


 清太郎という着流しの男は含みのある反応をする。

 まさか本当に狐狸の類ではなかろうか、編笠の浪人はそんな思いであったに違いない。だが、賑やかな往来のことゆえ、その思いを口にすることはなかった。


 しばし無言のまま二人は見詰め合う。いや、一人は探りを入れる表情である。


 この、三輪源八郎と名乗った男こそ、後年山田流試刀術六代目となる山田浅右衛門吉昌その人であった。



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