二十二 追記 譬えば花の散るが如し
最終話です。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
将軍家慶は、遠山景元と山田浅右衛門の体験談を実に興味深く聞いていた。
改易された小藩ゆかりの者が一連の事件の真の黒幕とわかったときの反応は、突き詰めればそこまで追い込んだのは先代将軍、つまり家慶と確執のあった実の父親であるとして複雑な思いのようであったが、それ以外は謎あり、怪奇あり、活劇ありと、概ねご満悦の様子である。
「いや、天晴れ。さすがは浅右衛門。石灯籠の据え物斬りをこの目で見たが、剣まで一刀両断とは見事な剛剣である」
「恐縮至極にございます」
「では、事件は万事解決であるな。景元も年若きなれどよく働いた。そうでなくては町奉行は務まらぬな」
「は、お恥ずかしい次第で……」
一件落着。
確かに、これはあくまで将軍の無聊を慰めるための昔話であるからして、いちいち事後処理のことまでは報告する必要も、また、するべきでもなかった。
知ればおそらく後味の悪い思いをさせることになる。
遠山と山田は目を合わせ頷きあった。
「上様。ちょうど事件も片付いてめでたし、めでたしというところでございますな。本日はここまでと致すのは如何でございますか?」
切れ者老中の安部正弘が二人の様子から何かを感じたらしい。
しかも、いくら昔の話とはいえ、幕府転覆を謀った事件が記録としても残っていないなどということに注意が向けられでもしたら、普段なら家慶も訝って詳しく調査せよなどと言い出すかも知れないのだ。ならば、冒険譚に満足しているうちに、ここで切り上げるのが最善と閉会を提案した。
話し手の二人は目に見えてホッとした様子である。
「うむ……さようであるか。城を留守にするのも気が引けるしの……では、帰城致す。三名とも、今日はご苦労であった。褒めて取らす」
「ははーっ!」
臣下三名は平伏し、昔を語る会は無事閉幕となる。
三人は玄関先にて将軍を見送った。
「二人とも、今後も機会があったらまた話して聞かせよ」
「は。いずれまた……」
駕籠に乗り込む際、家慶は次の催しを暗示する。
二人は素直に承諾するしかない。
「さて、我らも帰るとするか……」
屋敷の主、安部正弘に見送られ、遠山と山田も門を同時に出る。遠山は駕籠で、山田は徒歩であった。
辰口から遠山は東、山田は西へと別れる。
そのとき、一言二言挨拶は交わしたが、二人の胸に去来するのはやるせない思いであった。お互いそれがわかっている。
家慶に万事解決と言わしめた昔話には、本当の意味での結末が残っていた。
遠山、山田の両名は三十五年も前の事件で己の無力さを思い知ったのである。
◇◇◇
「一体どうしてこのようなことに……」
「源八郎様、これが私の運命なのです。お気になさらないでください」
女囚服を纏ったあやめが、今にも泣き崩れようかという源八郎を慰める。
顔はどこか寂しそうであったが、笑っていた。
ここは北町奉行の仮牢の中。あやめが伝馬町牢屋敷に送られる前日のことである。矢坂に頼み込み、清太郎ら三人は死罪が決まったあやめを見舞っていた。
「一体どうして……」
源八郎が繰り返し嘆くとおり、何が起こったのか。
話はオシラさま事件が解決した数日後のことであった。
事件そのものは収束したが、爪痕はハッキリと残っている。
行方不明者の大半は未だ生死すら定かではなく、インチキ祈祷によって妙な薬を飲まされた上、金品を騙し取られた者も無数にいた。
その中でも幸いと呼べたのは、行方不明者の何人かは無事見つけ出せたこと、辻斬りの下手人が解毒薬で意識を取り戻し、記憶が無かったことでお咎め無しと放免されたこと、そして今後はこのような辻斬りが現れないと考えられたことである。
既に売られてしまった娘たちには気の毒だが、それはこの世で起こっている悲劇の一部に過ぎないと、特に女を金で売り買いする女郎屋に暮らしている清太郎はこれ以上思い悩む必要は無いと源八郎を諭した。
その言に納得しつつ、数日が過ぎる。平和な日常が戻ったようであった。
が、突如その平和を打ち破る凶報が舞い込んでくる。
「あやめが獄門になるかもしれねえ」
真っ青な顔で清太郎が奉行所からの報告を伝える。
薪割りに勤しんでいた源八郎と、剣術修行に来ていた金四郎は自分の耳が信じられない思いであった。
報告によると、無事故郷に帰ったあやめは、村の人々の好意で元の生活に戻れそうであったが、母親、お雪の具合は一向に良くならない。
清太郎の推測によると、長いこと客に薬を嗅がせてきた結果、自分自身も薬害に曝されてしまった恐れがあるという。さらに、良吉が逃げ出すとき、母親を殺すのは忍びなかったが、口を割られても困るということで組頭の薬を飲ませ、何も話すなとでも暗示をかけたのだろうとのことである。
解毒薬は飲ませたはずなのだが、時間の問題か、量の問題か、効かなかったようだ。
ついにお雪は発狂したようになり、寝ているか暴れるかのどちらかだった。
毎日糧を得るため働きづめの上、母親の看病で精神肉体共に疲れ切っていたあやめは、ある日暴れた母親を思わず突き飛ばしてしまったと供述しているという。
運の悪いことに、土間に倒れたお雪は敷石に頭をぶつけ死亡してしまった。
あやめはその様子を目にし、茫然自失となってその場を動くことすらできなくなる。
翌日、異常を感じ取った村人が様子を見に来て二人を発見、役人に通報したが、代官所は親殺しは大罪であると江戸表に処理を任せることにしたのだ。
「そ、それであやめ殿はどうなった!」
事件のあらましを聞いた源八郎は取り乱している。
金四郎も似たようなものだ。
「近日中に江戸に送られてくる。吟味の上磔獄門だろうな……何せ親殺しだ……」
「だ、だが、事故ではないか! そんな判決、理不尽だ!」
源八郎はさらに興奮する。
「事故かどうかは、誰も見ちゃいねえ。それに、お雪が薬のせいでおかしくなったなんて奉行所は言わせねえはずだ。あやめも良吉やおっかさんの悪行を今更世間にバラしたくは無いだろうよ。おそらくお互いの思惑が重なって、あっという間に沙汰が下るだろうな」
「そんな……」
源八郎は信じたくなかったが、清太郎の予想通り異例の速さで老中からの最終決裁が下った。
与力の矢坂、及び北町奉行小田桐土佐守があやめの事情を知っていたため、情状酌量を上申し、この度オシラさまの道場や長崎屋の身代を没収して多額の金子を得ていた幕府要人たちは素直に要求を呑んだそうだ。
だが、事態はそれほど好転せず、罪一等を減じて獄門磔からただの死罪になっただけである。
やっと兄の手から逃れ、母親と二人幸せになれると思った矢先の出来事に、源八郎ら三人はこの世に神も仏もないのかと嘆くのだった。
判決が下った後、矢坂のはからいで牢内のあやめに対面できた三人だが、かける言葉も見つからない。
出てくるのは嘆きの言葉だけであった。
だが、あやめは何かから解放されたように努めて明るく振舞っている。
それが一層哀れでならない源八郎であった。
「すまぬ……あの時、心を鬼にしてご母堂を奉行所に付き出すべきであった。さすればあやめ殿だけでも……」
「いいえ、源八郎様。そんなことになっていたら私は、兄も源八郎様たちもお恨みしていたことでしょう。いいのです。父が死んで、兄も殺され、おっかさんも私が手にかけてしまいました。もう一人では生きていたくはありません。家族の待つあの世へ行って、生まれ変わりたいのです。そしたらまた、今度こそ家族四人で幸せに暮らしたいと思います」
「あやめ殿……」
十五、六の娘が悟りきったように、死を前にして笑顔でいるのを見て源八郎はこの世の無常を感じた。
「……死ぬのは恐ろしいですが、兄さんとおっかさんのせいで多くの人を死なせたことの報いだと思ってます。私が二人に代わって受けるだけですから皆さんが気に病むことはございません。これまで、本当にありがとうございました……」
あやめは牢内で三人に向かい土下座した。
これは礼であり、別れの言葉でもあると三人にはわかる。
「……そうだな。また生まれ変わったら遊びに来るといい」
「おっさん……」
あやめの意思を汲み取り、いつもの調子でおどける清太郎であった。
「はい。皆様もお元気で……」
とても牢内からの言葉とは思えぬあやめの挨拶は、これ以上ここにいてくれるなという意味であった。
三人はついに覚悟を決めて奉行所を後にする。
その前に源八郎が叫んだ。
「あやめ殿! きっと拙者があの世とやらに送り届けてやる! 待っていてくれ!」
「源さん……」
あやめは何も言わず、やはり笑顔で見送った。
奉行所を出ると源八郎は清太郎と金四郎の方に向き直る。
「清さん。拙者は今日で夢屋を出る。今まで世話になった。金四郎、稽古はもう終わりだ。すまぬな」
「帰るのかい?」
「先生……」
「ではご免……」
源八郎は足早に去っていく。
二人は引き止めることも、事情を聞くこともできなかった。
それほどまでに源八郎の表情は鬼気に迫っていたからである。
さらに数日後、伝馬町牢屋敷に移されていたあやめの打ち首の日がやってきた。これも異例の早さであるが、早くあやめの口を塞ぎたい奉行所と、楽になってしまいたいあやめの気持ちが合致した結果だといえる。
「顔は隠さなくていいです……」
達観の境地にあるあやめは、死刑囚が必要以上に恐怖しないようにと顔に付けられる面紙を断った。
女牢を出たあやめは中庭にある土壇場と呼ばれる刑場に連れて行かれる。
「げ、源八郎さま……」
そこで待っていたのは、なんと三輪源八郎であった。
「約束したであろう。拙者が見事あの世に送り届けてやると」
「は、はい……」
あやめの目から涙が零れてきた。
最後の最後まで気にかけてもらったという、うれしさの涙である。
この日源八郎がこの場にいたのは、山田家五代目当主、山田浅右衛門吉睦に懇願してのことであった。
有望だった弟子が修行と称し道場を飛び出したかと思えば、いきなり帰ってくると打ち首役を是非務めたいと言われ、さぞ吉睦も困惑したことだろうが、源八郎の目に以前の迷いが無いことと、試しにやらせてみた五つ胴(人間の死体を五体重ねて斬り落とす)を成功させたことで吉睦立会いの下許可したのである。
「あやめ殿……」
「お願いします……」
二人にはそれ以上の会話は無かった。
あやめが女囚係りの女たちから両脇を抱えられ、土壇場の穴のまえに跪く。
源八郎の持つ刀に清めの水がかけられた。
あやめを大人しいと見た立会い役人は抑え役の女どもを下がらせる。
「いざ! 参られい!」
あやめは目を瞑ると首を前方に差し出す。
源八郎が八相の構えから刀を振り下ろした。
刑場の塀にとまっていた烏が一声鳴いて飛び立つ。
「……よう、終わったかい……」
「清さん……どうしてここに……」
伝馬町牢屋敷を出ると、門前に清太郎が立っていた。
源八郎は言葉ほど驚いてはいない。さもありなんという表情である。
「なに、散歩のついでだ。よかったら、ウチで精進落としでもしねえか?」
「……ああ。それもよかろう……」
二人はそれ以上何も言わず、慣れ親しんだ夢屋の離れに向かって歩き出す。
「先生! 待ってたぜ!」
夢屋では金四郎が酒盛りの準備をしていた。
「先生と呼ぶな。もう知っているだろう。拙者は首切り役になる男だ。いや、もうそうなのだろう。これ以上拙者に関わるとお主の将来のためにならんぞ」
「先生は先生だろうよ。もう仲間じゃねえか。なあ、おっさん」
持ち前の明るさで、清太郎にまで同意を求められては源八郎もそれ以上突き放すことはできなかった。
「……だが、やはり先生は止せ……源さんでいい」
「そうか。じゃ、源さん、見てくれよ、これ」
細かいことに拘らないタチの金四郎は、すぐに呼び方を変える。
そして、やおら肩脱ぎになった。
「それは……」
金四郎の右肩には源八郎がつけた傷があったはずだ。
しかし、そのとき見たのは一枝の桜の刺青。いわゆる彫り物、いれずみであった。
おそらく、源八郎がいつまでも責任を感じていると考えた金四郎が、傷を枝に見立てて桜の花びらを散らした図柄にしたのだろう。ひょっとすると清太郎の入れ知恵かもしれないなどと源八郎は二人気遣いに黙って感謝する。
十月になろうというのに、時ならぬ花見酒に場は盛り上がった。
「いいだろ、コレ? 俺の人生、まだまだ三分咲きってトコだけど、何れ満開になってみせるぜ」
「満開か……あやめ殿はまだ蕾というところだったな……」
「静心なく花の散るらん、か……それも花の人生さ……」
「そうそう。みんな最後は散っていくんだ。俺も、源さんも、おっさんもな」
「桜吹雪か……そう有りたいものだ」
「ああ。誰だって同じさ。散ってはまた咲くんだ。あやめ嬢ちゃんにとっても、きっといい散り際だったろうよ」
「そうだな……」
三人は酒を酌み交わし、あやめの冥福を祈る。
あやめのおかげで源八郎は今までの悩みが吹っ切れた。今後はあやめのような者たちが迷わずあの世に行けるように刀を振り続けるだろう。
金四郎も、ただの無頼ではなくなる。情に厚い役人になってもらいたいものだ。
清太郎は……さて、どうなるか。いずれ始末屋稼業を続けることになるのだろうが、悪人退治というのであれば源八郎も金四郎も何も言うことは無い。
三人の精進落としはいつまでも続くのであった。
了
これで最終回になりますが、シリーズ化できたらいいな、と考えて次回構想中です。




