二 将軍、所望する
本日2話目になります。
昼餉は阿部家で取ることになっているのも幕府公認であった。
その間、元町奉行、現大目付遠山景元と山田浅右衛門吉昌は二人きりになる。
「改めて申すが、本当に久しぶりですな。山田殿」
将軍とは違い簡単な昼食の後、遠山は感慨深げに心からの言葉を投げかけた。
場所は先ほどとは違う阿部家の中庭。
池のある庭園。石造りの卓台に腰を下ろしてのことであった。
「真に。しかし、名奉行としてのお噂は聞こえてきましたからな。それほど疎遠という気がしませんでしたな」
「またそのようなことを。相変わらず人が悪いな、源さん」
「お主こそ奉行になっても上に逆らってばかりだったろう、金四郎」
立場的に言えば遠山が幕府の重職であり、年上といえど浪人の浅右衛門が対等に口を聞けるはずもないのだが、二人きりという状況で心置きなく友人として振舞うつもりのようである。
口調だけでなく、呼称も『源さん、金四郎』と公的な本名でなく通称を使っていた。
二人はこの機会にと思ったのか、決して普段はできぬ語らいを始める。
他愛もない日常生活のこと。
それが最近の世の中が息苦しくなっているなどと、明らかにご政道批判となる発言も出て来るが、老中の屋敷で、それも将軍サマがいるとわかっていて声高に話しているなど、よほど信頼できる相手同士でなければできないことであった。
それに関連してか、遠山がふと思い出したように話題を変える。
「源さん。今日は悪かったな、見せモンみたいな真似させちまって……上様をお慰めする方法はないかって阿部様に聞かれて、ついな……」
「拙者は構わん。斬るのがお役目だ。依頼人の目の前で見せる機会も多い。吉利もいい経験になったことだろう。ま、特に幕臣になろうとも思っておらぬから気楽なものだ。しかし、お慰めとは、拙者らにはわからないが、まつりごともよほど大変と見える」
「……ああ。水野様も良かれと思ってのことだろうがやり方があんまりだ。鳥居の『妖怪』も何が国のためだ! 民あってのお国だろうに!」
水野とは水野忠邦。
老中首座として後世天保の改革と呼ばれる一連の政策を推し進めた人物であり、鳥居耀蔵はその手駒として現南町奉行であった。甲斐守であったことから、影で、いや半ば公然と『耀・甲斐=妖怪』と呼ばれている。
極端な倹約令と綱紀粛正で庶民の生活はかなり疲弊していた。
「……なぜ上様はそのような者たちをお使いになられたのか……」
「……以前の老中たちが賂を取り放題だったからな。そいつらを片付けた手際を見込んだってコトだろう。何せ先代の上様には思うところがあったようだからな……」
「ほう、二人は安部に聞いたとおり昵懇のようじゃの」
後ろから不意に声がかかった。
すぐに将軍家慶だとわかり、二人は慌てて石の床几から飛び降りる。
特に話を聞かれてしまったと感じた遠山は額を地に付けんばかりに平伏するのだった。
だが、家慶は機嫌が良い。
「顔を上げよ。せっかく城を出てきたのだ。久しぶりに余の話にも付き合え。のう、景元。浅右衛門もよいな」
「ははーっ!」
良いも何もない。二人は畏まって返事を返すばかりであった。
家慶に言われたとおり恐る恐る顔を上げると、家慶の後ろには二人の武士が控えている。
屋敷の主人で老中の安部正弘がいたのは当然として、もう一人は山田家の跡継ぎ、先ほど見事な据え物斬りを見せた吉利であった。
家慶はよほど気に入ったらしく、公務としての表演が終わってからも退席を許さず、刀を持たせてこの場にまで連れて来たようだ。
養父がいるからと言われれば吉利も仕方なかったのだろう。そもそも将軍の命とあらばいくら浪人の身分でも断ることなどできない。
決して反骨精神から浪人を続けているのではないのだから。
「座るが良い。今日は無礼講じゃ」
酒宴でもないが家慶はそう言って家臣たちに座を勧める。
ちょうど石製の床几は五つ。
家臣たちは家慶が腰を下ろすのを見ておずおずと座るのだった。
石の円卓を囲んだ五人は、正確には家臣四人が聞き手になって家慶の話を待つ。
「……まずは景元、苦労をかけたな」
昨年のことになるが、北町奉行であった遠山が解任され、毒にも薬にもならない大目付という、肩書きだけは出世させられたことに対する将軍家慶の素直な気持ちであった。
言葉少なくとも、在席の者たちは何のことかすぐにわかる。
当人、遠山は勿論であった。
「滅相もございませぬ! それがしこそ力及ばず……」
老中首座水野と派閥を同じくする鳥居の暴走とも言える改革に正面切って反対して生きているのは北町奉行の遠山だけだったが、それも家慶の信頼が厚かったからこそであり、同じく反対した前南町奉行は切腹に追い込まれている。
左遷で済んだのは幸運と言っていい。
「……だが、案ずるな。そなたの出番はこれからじゃ。のう、伊勢」
「は。左様に……」
二十四歳と若すぎる老中が抜擢されたのも昨年のこと。
自分が水野たちに改革を任せたとはいえ、いや、だからこそ歯止めをかけようとしての人事なのだろう。
実際水野も安部の就任後一度失脚している。
醜い派閥争いの結果であった。鳥居が水野を見限り、対抗派閥に寝返ったからである。
とりあえず改革という名の暴風は吹き止んだが、後始末に苦労している。加えて五月に江戸城本丸屋敷焼失という事件が重なり、再建費用の捻出にも一苦労なのだ。
「しかし、何故また水野殿を復帰させたのだろうか……」
そう。水野忠邦は今年六月老中の座に返り咲いている。
浅右衛門の独り言のような旧友・遠山への質問は家慶にも聞こえたらしく、そのことにいつも反対していた安部にも聞かせるためか家慶は、こちらも独り言のように心のうちを語りだす。
「……尻拭いぐらいはしてもらわねばな。土井では再建費用も捻出できん。そう思ったのじゃが、アヤツも老いたのう……」
家慶の愚痴のような説明に出てきた土井という人物は水野忠邦の政敵であった土井利位のことである。
改革当初は忠邦に協力していた(その点では遠山景元にとっても政敵である)が、後に忠邦が提案した、江戸・畿内の領地を幕府が摂取するという上知令に強く反対したのだ。
理由は、自分も畿内に領地を持っていたからなのだろうが、将軍家慶も呆れる政策であったため反水野体制が力を強め、結果的に鳥居の裏切りなどもあり水野忠邦の失脚となったわけである。
その後老中首座となった土井であったが、先に述べた江戸城本丸火災において再建費用の捻出ができなかったという理由で家慶の不興を買い、老中を辞する羽目になった。
後釜として水野忠邦の復帰したことに新任老中の安部が強く反対するも、家慶にも何か思案があったということだろうか。
幕政には積極的でないと批判される家慶もなかなかの策略家ということだ。
「……恐れ入りましてございます……」
当初忠邦の復帰に反対していた安部も、復帰後の忠邦の様子を見るにつけ、ある意味心配は減っていたようで、家慶の発言に頷いていた。
無論、使えぬ人間が幕政の頂点に居座っているという不安は拭いきれぬが、一先ず、庶民に害を及ぼす政策は今後出ることがないだろうと一息つけるのだ。
「膿は出さねばなるまい……」
反水野派の土井がいなくなったことで形成は逆転し、裏切り者を含め、政策に何の利点をもたらさぬ者たちは復帰した水野によって報復されるだろうことは容易に想像できる。
また、水野自身も力量がなければ新老中の安部によって整理できると家慶は踏んでいるので、今しばらくは水野の好きにさせておくべきだと楽観視しているようだ。
ただ、問題がすべて解決するわけではない。
本丸焼失という事件もあり、元号を変えてゲン直しといきたいなどとも考えているので面倒なことこの上ない。
そんなことを家慶はこの場の四人に語っていた。
「……水野殿は、本日上様と拙者が城に不在ということで思うままに採決するでしょう」
将軍家慶の意図を汲んだ安部が計画、いや、予想の一部を漏らす。
家慶も微笑でその漏洩を認めた。
「そ、それは鳥居殿のことで……」
政敵の名を出す遠山。
幕政に関しては全く無関係な山田親子も、江戸に暮らす者としては成り行きが気になるように、無論直接将軍家慶ではなく、安部の顔を見つめた。
「……そうなるでしょう。ただ、後任はおそらく水野殿のお身内になるのでしょうが、それもしばらくのこと。上様の仰せになられた膿が出尽くした後は、遠山殿。あなた様の出番でございますぞ」
「そっ、それは……」
思いがけない老中安部正弘の言葉。
遠山景元は返答に詰まる。
出世に汲々とするわけではない。だが、幕府のため、将軍のため責務を果たしたいとは思っているのだが、この世情を顧みて喜ぶわけにもいかない。
そんな遠山の心情を察したのか、家慶が言葉を引き取った。
「まあ、今はじっと待つが良い」
「ははーっ」
「それより、どうだ? 何か面白き話はないかの?」
信頼できる部下と、野心を持たぬ一族を目の前にして家慶は羽を伸ばしたくなったらしい。
愚痴も言い終わったのだからと、面々に新たな余興を求めてきた。
「そういえば、遠山殿と山田殿は古くからの付き合いと見受けられます。お若いころの冒険譚はさぞかし多いのでござろうな」
将軍の思し召しとあれば、とでも思ったのか、正弘が経験豊富そうな二人に話を振ってきた。
「ほう。確かに。景元は幼少のころ市井に身を置いたと聞く。なれば余の知らぬ話もあるじゃろう。話してみよ」
「は……し、しかし……」
庶民の間でも『遠山の金さん』として有名な遠山景元のことだ。概要を将軍が耳にしていてもおかしくないが、さすがに寄席に見に行くわけにはいかなかったようで、直接本人の口から武勇伝を聞こうとした。
困ったのは遠山だ。
いつになく困り顔で旧友の顔を覗く。
吉昌も普段から朴訥な性格なだけに、伽でもせよなどと言われても、試し斬りのほうがまだ性にあっているといわんばかりの様子である。
困りきった二人が目を合わせたとき、正弘が冒険譚などと言っていたことから、不意に共通の友人のことを思い出した。
「や、山田殿……ひょっとして……」
「まさか、遠山様も……」
互いの心が読めたのか、二人は確認し合おうとする。
「清太郎!」
声が完全に重なると、二人はその場に将軍、老中サマがいるのも忘れたかのように大笑いし始めた。
残りの者はポカンとした表情になる。




