十八 あやめの出立
2話あります。
「青木数馬は自害。妖しげな祈祷所を隠れ蓑にした大掛かりな人身売買の首謀者は武州無宿の良吉、及び長崎屋徳兵衛である。この二人は現在逃亡中である。以上だ」
「ちょ、ちょっと待っておくんなさい。辻斬りの件はどうするんですか?」
清太郎たちが浅草のオシラさまの祈祷所に乗り込んだ翌日、清太郎は北町奉行所与力、矢坂彦十郎に呼び出されていた。
矢坂は人払いをした後、清太郎にこの事件の後始末の方針を告げている。
無論北町奉行・小田桐土佐守の指示に寄るものだ。
だが、清太郎は納得がいかない様子である。
「辻斬りは辻斬りだ。既に下手人の浪人者は捕らえておる。浅草の地回り、辰三を斬ったのは青木数馬。それを苦にしての覚悟の自害、といきたかったのだが、公表するわけにもいくまい。昨日捕らえた青木家の家臣たちの処分もお目付と相談せずばなるまいて。何とか辻褄を合わせねばな……」
「洒落てる場合じゃねえよ、旦那。俺が言いてえのは、辻斬りは薬で操られてたってこった。ほれ、コイツを飲ませりゃ正気に戻るはずだ」
清太郎は例の瓢箪を差し出す。
だが、矢坂は受け取ろうとはしなかった。
「清太郎。今更そんなことは公表できん。行方知れずの何人かが見つかったばかりだというてのに、妖刀だの人を辻斬りに変える薬だの、世の中を騒がせるだけではないか」
「結局青木も良吉の掌の上だったんだ。薬を使える良吉はまだ生きてるぜ。これからも辻斬りが現れるだろうよ」
「だからお手配にしたのだ。顔は割れておる。すぐに捕まえれば辻斬りは浪人者の仕業だったということでこの一件は片が付く」
「だがよ、その浪人、あまりに哀れじゃねえか。何にも覚えてねえんだぜ」
「では、お前が始末した旗本の部屋住みも同じことではないか。それを仇と信じて心中に見せかけた夜鷹も真実を知れば悔やむのではないか?」
矢坂は痛いところを突いてくる。
清太郎がこの一件に執着していたのも、いくら殺しの請負人だからといって、下手人であったはずの標的が実は被害者でもあったとわかり、後味が悪かったからである。
せめて同じような境遇の二番目の辻斬りとされている浪人者だけでも助けてやりたくなったのだ。
「……だからこそだよ。罪無き者は始末すべからず。コイツは夢屋の売りだぜ。わかってんだろ、旦那も」
「……どうしろというのだ」
「俺が捕まえてくる。いや、首を持ってきてやる」
清太郎は驚くべき提案をした。
だが、矢坂は顎に手をやり一考する。
その間、清太郎は詳しく説明し直した。
「辻斬りもかどわかしも、そもそもが良吉の考えたことだ。それなら別に罪をかぶせることになるまいよ。青木も辻斬りに遭ったで済ませば面倒はねえはずだぜ。それに、この広いお江戸の街でそう簡単に見つかると思ってんのかよ。ヘタすりゃすぐに辻斬り騒ぎが起こって奉行所の面目丸潰れってことになるかもだぜ?」
「しかしな……」
「旦那、頼むよ。俺に最後までけじめ付けさせてくれよ」
清太郎は大袈裟に危機感を煽りつつ、一方では幕府の面子を立てることを条件に、矢坂に懇願する。
矢坂の表情が変わった。
「……わかった。だが、長くは待てんぞ」
「ありがてえ! で、いつまでだ?」
「既にご老中様に報告書は上げた。裁可が下るまでと思え。当てはあるのか?」
「蛇の道は蛇、だぜ。じゃ、早速――おっと、忘れるところだった」
清太郎は矢坂の気が変わらぬうちにと部屋を飛び出すところであったが、ふと足を止める。
「さっきの話にはあやめとそのおっかさんのことは何も言ってなかったケド、お咎め無しってことでいいのかい?」
事件の始末でもう一つ気懸かりなことがあったのだ。
「……妙な祈祷とやらを二度と行わなければ、寺社方も動くまい。我ら町奉行所が関わるべきことではない……」
「またまた粋なはからいじゃねえか。恐れ入谷の鬼子母神だね。じゃあな、旦那! ちくと行ってくらあ!」
奉行所与力に対しての態度とは思えない清太郎の言動であったが、その清太郎が風のように出て行った後、矢坂も腰を上げる。
「やれやれ、ワシもお奉行さまに頭を下げてくるか……ま、唯一の救いは、これで面倒な仕事が減ったということだな……」
矢坂は清太郎の態度には関係なく腕の方を心より信じているようであった。
所変わって、清太郎の戻った夢屋でのことである。
まずはあやめが母親のお雪にこれ以上奉行所からの詮議が無いという報告にホッと胸を撫で下ろしていることろであった。
昨日、浅草の祈祷所で青木の死体を発見した後、これ以上その場にいても得るところはなく、その上間もなくやって来るであろう奉行所の捕り方に囲まれては面倒だと、大急ぎで移動することにした。
無論正気ではなくなっているお雪を連れてだ。
白装束のままでは目立つと、清太郎がその辺の壁から派手な色の布を剥ぎ取り、いささか古めかしいが、被衣風に頭から被せてやる。
あやめが心配そうに抱きかかえると大人しく付いてきたので、一行はさしたる問題もなく夢屋に帰って来れたというわけであった。
女郎が引っ切り無しに歩き回る本棟では具合が悪いということで、お雪は離れの部屋に寝かせているが、不気味なほど大人しくしている。あやめの問い掛けにも返事もしないのは何か薬の影響だと清太郎は考えていた。
一夜明けても容態は変わらない。
「嬢ちゃん、もうおめえさんはこの件から手を引くんだ。良吉のことはいなかったもんと諦めた方がいい」
あやめを喜ばせる報告をした後、清太郎は逆に突き放したような態度を取る。
「そんな! 大勢の人に迷惑をかけて、黙って逃げろと言うんですか?」
「そうじゃねえよ。嬢ちゃんの願いはおっかさんの無事なんだろ? だったらどこか江戸の外で静かに暮らすといい。そうすりゃおっかさんもきっと良くなる」
「でも……」
あやめは兄、良吉の不始末が気になるのか、逡巡している。そして、部屋の隅で目を開けたまま横になっているお雪を心配そうに見つめた。
「あのな、もう奉行所にも良吉のことがバレてんだ。今更嬢ちゃんが殺したって隠し切れねえ。そうなったら今度は嬢ちゃんがお縄になっちまう。そしたらいってえ誰がおっかさんの面倒を見るんだ? 夢屋にゃ置いとけねえよ」
「…………」
「拙者も同感だ。あやめ殿、これは僥倖と思うべきだろう。元の二人暮しに戻ったと思えば良いではないか」
母か兄のどちらかを選べと問われているような葛藤で苦しむあやめに、源八郎も母娘二人が幸せになれる道を勧める。
「……わかりました。おっかさんを連れて村に帰ります……」
ようやく頷いたあやめに、清太郎も源八郎もホッとするのであった。
だが、あやめはふとあることを思い出す。
「あ、私、ここに売られたんでした。金四郎さんにもお金を払わないと……」
「何を申す。金四郎にそんな不埒な真似はさせるものか」
「そうそう。女衒の真似はガキにゃ荷が重いってモンだ」
「誰がガキだ!」
突然庭から金四郎が現れた。
ケガの治療のため、念のためにと家に帰して休ませていたはずだが、やせ我慢ではなく本当に掠り傷だったようで、有り余る元気のせいか事件が気になってのことか、あやめの様子を見に来たらしい。
夢屋の主、おつたも一緒である。
清太郎と源八郎は、金四郎の頃合いを見計らったかのような登場に笑いこけた。あやめも、うれしさと相まってか、涙を拭いながら笑っている。
「おつた。ちょうどいい。二人を頼む」
「あいよ。さ、おいでなさいな」
「はい。何から何までお世話になりました……」
あやめは深々と頭を下げ、それから母親を起こしに行った。
既に清太郎がおつたに頼んでいたらしく、本物か怪しいところだが、手形など、あやめたちの旅の準備はできている。
慌しくも用意していた駕籠にお雪を乗せて出立させる。
清太郎たちは夢屋の裏口であやめを見送った。
「……では、本当にご迷惑をおかけしました。この恩は必ず……」
「いいんだよ。こっちもこっちでワケがあったんだ。嬢ちゃんのおかげで謎が解き明かせたようなモンだし、礼を言うのはこっちだぜ」
「そんな……」
「さ、もう行きな。これから奉行所の詮議も厳しくなる。その前に江戸を出るんだ」
「は、はい……」
名残惜しかったのだろうが、これ以上いたら却って迷惑になると、あやめは駕籠に乗せたお雪と共に夢屋を後にするのだった。




