十五 潜入
2話目です。
夜が明けると、北町奉行所から早速隠密廻りの同心たちが探索に出て行く。
そして、夢屋の居候衆もそれぞれ動き始めた。
「では、行って参る」
源八郎は、初めて清太郎と出合った時と同じ旅姿で夢屋の裏口から出て行く。
金四郎はすでに人の集まる市場、河岸へと聞き込みに走っている。
「気ぃつけてな」
「ああ。あやめ殿は頼むぞ」
清太郎は今までどおり夢屋の用心棒だ。
誰か一人は残らないとならないのは、あやめの居場所は既に知られていると考えてよいからである。
編笠に袴履きの、いかにも武芸者らしい姿が朝靄の中に消えていった。
◇◇◇
「卒爾ながらお尋ねもうす。ここがオシラさまとかいう祈祷師の道場でござるか?」
源八郎は道々人に尋ねながらようやく浅草の、問題の祈祷所に辿り着いた。
わざとらしいと言われればそれまでだが、いかにも長旅してきたように振舞っているつもりである。
白い羽織姿の門番らしき人間が横柄に「そうだ」と答えたのは、道場というよりどこぞのお大尽の隠居所と呼ぶのにふさわしい瀟洒な庵風の建物であった。
浅草は浅草でも、浅草寺門前や見世物小屋の建ち並ぶ奥山ではなく、雑木林の多い隠れ里のような場所である。
なるほど、ここなら深夜に何が起こっても誰にも気付かれまい。
それが源八郎の第一印象であった。
建物は小さいが、周囲を広く幔幕で覆われている。まるで本陣がそこに置かれているかのように。
確かに武家者が関わっている。
そうも源八郎は感じた。
ならば、入り口だけでなく四方に見張りのように立っている者たちも、白の羽織以外の身なりは町人ではあるが、さては青木家の郎党たちかと判断する。
編笠の下から気付かれないように周囲を見回した後、源八郎は改めて門番に来意を告げて、祈祷の取次ぎを頼んだ。
「誰の紹介だ?」
「紹介? いや、拙者は旅先で噂を聞き訪ねたまでだが……」
一瞬、しまったと歯噛みする思いの源八郎であった。
だが、案ずるより生むが易しとはこのことである。門番の男は源八郎を待たせておき、誰か上役にでも取り次ぎに行ってくれた。
「入っていいぞ」
武家の者であることを隠そうともしないのか、或いは祈祷所の権威を示すためなのか、相変わらずの横柄な物言いで門番の男は源八郎を道場の方へ案内する。
浪人であるが武士としてはこの態度に物申したい気持ちにはなったものの、入り口で揉め事を起こすことはあるまいと源八郎は憮然として後に従った。
「初めてのお方でございますな?」
「……いかにも……」
建物の中に入ると、戸口の上がり框で別の男が源八郎を出迎えている。
門番と違い言葉遣いは相応であったが、源八郎は憮然としたまま言葉を返してしまった。
玄関の男は源八郎の態度から何があったかを悟ったように謝ってくる。
「ああ、門番の者が失礼しましたか。申し訳ございません。実はあの者は先ごろまでご浪人様でだったのです。オシラさまに仕えたいと言って武士の身分は捨てたのですが、まだ慣れないようでして……ああ、悪いことばかりではないのですよ」
「……というと?」
「はい。私どもは困っている方をお救いしようと道場を構えておりますが、ここに来られる方の中には冷やかしや、まるで見世物見物のつもりで来る方もございます。そんな時あのような物の言い方をすればそんな方たちは腹を立ててお帰りになります。本当に救いを求める方ならあなた様のように何を押しても通ろうとしなさりますので……」
本当かどうかはわからないが、筋は通っていると源八郎は内心恐れ入った。
確かに、金四郎が来ていたとしたら門番と揉め事を起こし、追い返されたに違いないだろう。苦笑したいのを何とか我慢する。
「すると拙者は試されたというわけか……」
「いえいえ。決してそのようなつもりは……」
「で、拙者は祈祷を受けられるのか?」
「あ、はい。こちらへどうぞ」
こうして源八郎はついに中に招き入れられた。
編笠を取り、いかにも長旅であったかのようなボロ草鞋を脱ぐ。
「あ、お腰のものはお預かりいたしますが……」
「……そなたの名を聞いておこうか。断じて竹光ではないからの」
この場は仕方ないと、大小二本を手渡しながら、念のためという体で本来の目的、道場内の調査を始める。
「はい。わたくしはオシラさまの雑用を任されております良吉と申します」
あやめの兄だ。
こうも早く重要人物に会えるとは思わなかった源八郎は一瞬うろたえたが、何食わぬ顔で、刀に未練を残している素振りを見せた。
「では、こちらへ……」
源八郎は案内されるままある部屋へ通される。
何の変哲もない六畳の座敷。文机が一つ置かれているだけであった。
「オシラさまのご祈祷を受ける前にご浪人様のお名前、お住まいをお伺いしたいのですが」
「……それは言わねばならぬのか?」
金四郎の報告からある程度わかっていたことだが、一度拒否してみる。
「ご浪人様、他所の神社でも絵馬に名前は書きますでしょう? どこの神様も名前のわからない人間を相手にはしませんよ」
「……これは恐れ入った。武士が神頼みなど恥を曝すかと思い、名は出したくなかったが、それも道理……わかった、言われたとおりに致そう」
よほど相談者の対応に慣れているのか、良吉は商売敵である神社を引き合いに出してまで相談者から情報を引き出そうとしている。
初めから予想されていたことだが、源八郎は納得した振りをして素性を明かすことにした。
「拙者、三輪源八郎。当年とって二十二歳にござる。住まいは……旅の途中ゆえ、ないということになるのだが……」
「その場合以前のお住まいでも結構ですよ」
「そうか。ならば、江戸は平河――」
どうせ調査されることはわかっている。嘘を言って疑われるよりはと真実を述べた。だが、山田家のことは口にせず、場所だけ説明しておいたので、後で連中が知ったときは一体どんな顔をするのかと考えると内心笑い出したくなる思いの源八郎である。
人斬り屋敷と世間で噂される山田家にどうやって身元調査のため訪れるのか。笑える話だが、敬遠されてここを追い出されないかという心配もあった。
とりあえず二、三日は大丈夫だろうとは見ているが。
その間に、奉行所も清太郎たちも調査を進めているに違いない。こちらも道場内部の暗部、妖刀の件や行方不明者の手掛かりを掴まねばならない。
そう源八郎は考えていた。
「それではオシラさまにお伺いを立てましょう」
ついに来た!
源八郎は身震いする思いであった。
あやめの母親、お雪が率先して悪事に加担しているかどうかも調査しなければならないのだ。
もし自ら片棒を担いでいるとしたら、あやめには悪いがそれこそ司直の手に委ねるべきだと源八郎は考えている。
「オシラさま。ご祈祷を求める者が入ります……」
文机の部屋を出て、短い廊下の突き当たりの部屋に入らされた源八郎は息を呑む。
先ほどの部屋は、武家作りの庵にふさわしい簡素なものであったが、この大部屋は極彩色。無数の派手な色の布が壁一杯に張り巡らされていた。
つまり、ここが道場ということなのだろう。
部屋の奥に祭壇が設えられているのは通常の神社と同じ造りのようだが、その前に座っている人物もなかなかに変わっている。
白装束に垂れ髪の白烏帽子、巫女というよりは白拍子だが、顔も白粉で塗り固められていて、表情すら定かではない。
《あ、あれがあやめ殿のご母堂か……》
当惑気味の源八郎だったが、それを隠す必要はないと思われた。
尋常な精神の持ち主なら誰でも驚くだろう。
正に源八郎の反応はありきたりだったようで、良吉は全くと言っていいほど気にした様子はなく、お雪に先ほど記録した源八郎の資料を渡す。
「こちらがこのご浪人さまのお名前です」
息子だということは源八郎だけが知っていることなのだろうが、良吉は母親に対しても丁寧な口の聞き方を変えたりしなかった。
「……三輪源八郎さま、ですね。どうぞこちらへ……」
浪人だが、一応武士だということでお雪も丁寧な口調であった。
或いはすべての相談者に対してそうなのかも知れないと源八郎は考えながら前に進み出ると、赤い毛氈の上に座らされ、源八郎はお雪と対座する形になる。
「では、お悩みを包み隠さずお話ください」
「そ、それは勿論でござるが……」
源八郎はチラリと良吉を見る。
良吉は二人から少し離れたところに座っていた。
「三輪様。どうぞご懸念なく。私どもは決して相談内容を他言しませんから」
「し、しかし……」
源八郎は言いよどむ。
実は、これは演技であった。
源八郎に悩みがあるのは本当だが、それが祈祷で解決するなどとは露ほども思っていない。また、調査のために己を曝け出すことも覚悟してきている。
この場合、良吉たちが源八郎を信じさせようと懸命なのに対し、源八郎もまた良吉たちに自分が真に救いを求めていると信じさせようとしているのであった。
「オシラさまを信じておられるなら、すべてをお話ください。祈祷成就の暁には私に話したことも気にならなくなるのですから」
「そ、そうか……そうであるな……では恥を忍んで話そう……」
源八郎は納得した振りをして相談内容を話し出す。
包み隠さずと言われたが、素性に関する、つまり山田家の首切り役に関しては口にしなかった。口外できない理由は向こうで勝手に推測してくれるだろう。
単に武芸の修行に行き詰まり、将来の道が見えないなどと、かなり漠然とした悩みであるが、偽りはない悩みである。
仮に、良吉らが山田家に確認したとしても、おそらく同様の答えが返ってくるだろう。出奔するときに同門の仲間にそれとなく漏らしていたのだから。
「……この太平の世に拙者のような者が何の役に立つのであろうか……」
「三輪様は剣の腕は確かで? ご流派はどちらで?」
良吉が横から口を出してくる。
「武士の矜持に懸けて流派は言えぬが、腕に覚えはある……故に剣は捨てられるのだ。拙者にはこれしかないのだからな……」
「……左様で……」
良吉は意味ありげに頷くのであった。
源八郎はそれを知らぬげにお雪に、オシラさまに詰め寄る。
「さあ! 拙者の悩みはすべて話した。祈祷でこの苦しみを除いてくれぬか!」
「……わかりました……神にお伺いを立ててみます……」
お雪は静かに言うと祭壇の方に向かって座り直した。
護摩の火を焚き、なにやらブツブツと呟く。
「カーッ!」
一際大きく叫ぶと、また源八郎の方を振り返る。
「……三日後、またおいでください……」
「なに? 三日後だと? 今すぐはできんのか?」
わかっていたことだが、源八郎はいかにも不満そうな表情で苦情を訴える。
そこに良吉が割って入った。
「三輪様。早く解決したいお気持ちはわかりますが、お告げにはお従いください。それに、お悩みに合わせて薬草を用意しなければなりませんので」
「薬草? 拙者は病などないが?」
「あ、いえ。神様を降ろすのに必要な儀式でございます。この世には様々な神様がおられまして、私にもまだわかりませんが、三輪様の場合、さしずめ武芸の神かと……」
「なるほど、武芸の神か……確かに、会ってみたいものだ……」
上手いことを言うと内心呆れるやら感心するやらであった。
「それに、江戸には悩みを抱える者が多ございます。その祈祷の順番もございますので、ここは一つ心静かにお待ちください……」
「相わかった。なれば三日後再び見えよう」
すべてが金四郎の調査どおりだったことに感心しながら源八郎は席を立つ。
お雪に一礼し、良吉に案内を頼むと部屋を出て行った。
そのとき、チラリとお雪のほうを見たが、お雪は座ったまま表情ひとつ変えなかったので不気味な感じがしたものである。
「……時に良吉であったな」
「はい。なにか……」
先ほどの文机の部屋で刀を返還されたとき源八郎は良吉に声をかけた。
「この近くに安い宿屋はないだろうか?」
「宿、でございますか?」
「うむ」
「お屋敷へはお帰りにならないので?」
「申したとおり、拙者は修行の旅に出た身の上。途中で舞い戻るなどできぬ相談だ」
これは源八郎の本心であった。
ましてや、これから監視が付くはずだろうに、ノコノコと夢屋にも戻れない。
「左様で……」
良吉は少し考えるようにした。
その後すぐ何かを思いついたように提案してくる。
「でしたら、ここに使っていない納屋がございます。お武家様には失礼かも知れませんが、よろしかったら三日ほどですのでお使いください」
「おお、それはありがたい。なに、武家とは名ばかりの浪人暮らし。旅の途中だと思えば夜露を凌げるだけでも感謝いたす」
祈祷所の内情を調べるのには渡りに船の提案であった。
源八郎は心から喜び、良吉に礼を言う。
「そうでございますか。では、こちらへ……」
良吉は庵の玄関から出ると、すぐに建物の裏に源八郎を連れて行き、目当ての古い納屋を紹介する。
正直こんなところで起居した経験はなかったが、源八郎はそういう素振りを見せずに改めて礼を述べた。
「他の方々の祈祷の邪魔になると困りますので、母屋には決して立ち入らないでくださいまし。そうしてくれましたらここはご自由にお使いなすって結構ですから」
「相わかった」
「井戸と厠はあちらに。食事は粗末なものですが運ばせます。何かご用のときは修行中の弟子たちに申し付けてください」
「何から何までかたじけない。では、早速井戸で旅の垢を落としたいのだが、構わぬか?」
至れり付くせりの待遇だったが、いっそのこと源八郎を閉じ込めておきたいという意思があるのは明白だった。
ここで出される食い物も手を付ける気などないが、源八郎は惚けてあつかましく振舞う。
「どうぞ、どうぞ」
良吉は苦笑しながら井戸まで案内し、そこで次の相談者がいるからと源八郎と別れて母屋に戻っていった。
「……修行中の弟子か……」
監視されているのは感覚でわかる。
口にした通り井戸から水を汲み、着物を肩脱ぎにして汗を拭き始めながら源八郎は呟いた。
聞かれても特に構わないといった感じであるが、心中では穏やかならぬ思いであり、やはりこの道場とやらは油断ならぬと警戒を怠らない。
《弟子とやらは武芸の心得があると見える。やはり青木家の家臣か。或いは雇われの浪人者たちか……この中から辻斬りが生まれるのであれば、顔を覚えていた方がよいかもしれぬな……しかし、祈祷料については一言も触れなんだな。祈祷が済んでから吹っかける気か? いや、見た目から金子には期待していないのかもしれぬな……》
源八郎は身体を拭きながらあれこれと考える。
金四郎の調査によると、金持ちからは相当な祈祷料を取るそうだが、そうでないものからは控え目であるそうだ。
そのことも、相談者との揉め事も起こさず、逆に評判となってオシラさまの人気に拍車を掛けている理由かもと清太郎は分析している。
《……まあ、金のことはいい。拙者の仕事は妖刀の真偽と行方不明者の探索だ……》
源八郎は考えをまとめ直すと、身体も拭き終わったので着物を着なおし、素知らぬ振りで監視役であろう白羽織の弟子たちに近づいていく。
「ちと尋ねる。拙者、良吉殿に自由にしろと言われたが、三日も閉じこもっているのはいかにも手持ち無沙汰。何か仕事はないか?」
「え……」
監視相手にいきなり話しかけられ、白羽織たちは戸惑っていた。
「薪割りでもさせてくれぬか?」
「し、しばし待て……」
一人が慌てて母屋に向かう。
その慌て振りも含めて、源八郎はジッと白羽織たちの容貌を覚えようと見つめていた。
無論、そうとは気付かれないように。




