十三 糸の端
2話目です。
清太郎が奉行所を退出したのとおよそ同時刻、夢屋の本棟二階の一室では、源八郎が金四郎を連れて事件の核心に一番近いと思われるあやめを訪ねていた。
以前と同じく三畳の狭い部屋。
あやめは少し怯えている様子である。
「……あやめ殿。昼の件は聞き及んでおるでしょう」
「は、はい……」
店主のおつたのはからいで、遊女として客を取らせられたりはしていなくとも、あやめもただ部屋に閉じこもっていたわけではない。
働かざるもの喰うべからずの精神は備わっているようで、炊事洗濯、雑用は他の女たちと共にまめにしていた。
自由に出歩いたりできない遊女たちの楽しみといえば仲間とのおしゃべりぐらいで、あやめもその点は同じであろう。
であるからして、店で起こったことはすぐに耳にしていたはずだ。
「清太郎殿との約束があり、殺し屋とやらが見つかるまでは強く詮索しないつもりであったが、既にあやめ殿の所在が知られている――」
「殺し屋?」
源八郎の、あやめに対する発言に聞き捨てにならない言葉が出てきたので金四郎は思わず口を挟んだ。
源八郎は、説明はあやめから直接してもらおうとでも考えたのか、金四郎に対する発言はせず、あやめの説得にかかった。
「あやつらが敵かどうかすら知らないままでは拙者らも動けぬのだ。話したくない事情があるのだろうが、曲げて話してもらえぬか?」
「…………」
あやめは横を向き唇を噛み締めている。
源八郎は内心の焦りを顔に出さず、静かに話を続けた。
「……先ほど、また辻斬りが出たそうだ」
「おう、そうなんでい。物騒になっちまったもんだよな」
「そ、それは……」
金四郎が知ってか知らずかあやめの罪悪感を煽るような相槌を打つと、あやめの表情が一層険しいものになる。
「あやめ殿」
「は、はい……」
「オシラさまなどという信心ごとが流行っておるそうだが、何か知らぬか?」
「ど、どうしてそれを?」
明らかに動揺を見せるあやめであった。
聞きこんできた金四郎も、まさかそのことが今回の事件に絡んでいるとは思っていなかったようで眼を白黒させている。
「……拙者は何も知らぬ。ただ、妖刀の件で、妖しき業に関わりがないかと聞いてみただけでござる」
源八郎は正直にカマをかけたことを告げる。
その態度があやめの頑なな心を少し緩ませたようであった。
「……わかりました……すべてお話します……」
「うむ。すまぬがそうしてくれ。役人に聞かれたくないというのは初めからわかっているつもりだ。安心せよ。見ての通りご公儀とは関わりのない浪人だ。金四郎も他言無用で頼むぞ」
「ああ、わかってらい」
公儀御様御用の山田浅右衛門に連なる者、公儀目付遠山景晋の跡継ぎの両名は身分を隠しここにいるのだが、確かに外見からはとてもわかるものではない。
既に殺し屋を探していることを口に出しているあやめは、二人や、特に清太郎たち夢屋の人間に対しては法を犯しているという点でお互い様という気持ちがあったのかもしれない。
ならば、それでも秘密にしたいこととは何か、それが気になる源八郎であった。
ようやくあやめの告白が始まる。
「……妖刀を作り出している者というのは、兄なのです……」
「兄……で、では、殺そうとしているのはそなたの実の兄ということか」
「はい……その通りでございます……」
一体どんな悪人を退治するつもりなのかと、ある意味あやめこそ殺し屋か始末屋の引受人のように思ってきた源八郎は心底驚いた。
自然二人は言葉を忘れたようになる。
「い、いってえどういうことなんでえ?」
今の今まで蚊帳の外に置いておかれているように感じていた金四郎が無言の空気に堪えられなくなったように身を乗り出した。
おかげで場は元の状態に戻る。
「く、詳しく説明願えるか?」
「は、はい……」
ここに至ってはと、新たな覚悟を決めたあやめはすべてを話し始める。
それも、生い立ちからであった。
「私は武州の山里にある小さな神社の娘として生まれました……」
あやめの話によると、神官の父と元巫女の母の間に兄がいたが、数年前に家を飛び出していたということである。
二年前、跡継ぎのないまま神主が急死したため、氏子たちと話し合い、他所から新たな神主を向かえることにしたそうだ。
「氏子さんたちの好意で村には残れましたが暮らしには不自由しました。野良仕事を手伝うことしかできませんので……」
直接辻斬りに関わりはなかったが、源八郎と金四郎は黙って話を聞いている。
「そんな時、おっかさんが祈祷の真似事を始めてしまって……」
「祈祷?」
「はい。昔巫女だったころから偶にしていたようなんですが、具合の悪い人の話を聞いてやって祈ると不思議に具合がよくなるそうでして……薬草にも詳しかったようなのでそのせいもあるかもしれませんが……」
「ひょっとして、オシラさまというのは……」
「はい……おっかさんです……」
少し話が繋がったと二人は思った。
「……去年兄さんがひょっこり帰ってきました。私はおとっつぁんの葬式にも顔も出さないでって、家に入れるつもりもありませんでしたが、逆に村から連れ出されてしまいました……」
あやめの兄、良吉というそうだが、良吉は何もかもわかっていて帰ってきたらしい。
住むところも仕事もあると母親を騙すように江戸へ連れてきたのだ。そしてどうやって用意したのか、江戸は浅草近くに道場のようなものを開き、お雪という名前だそうだが、白装束の母親を、どこか北の民間宗教の神の名を借りたのか、オシラさまと称して悩みのある人間を呼び寄せては祈祷で解決しているそうだ。
ところが、あるとき良吉がどこからか刀を持ってきて浪人に与えているのを偶然見かけて、あやめは何かおかしいと感じたらしい。
案の定、その予感は当たり、刀を受け取った浪人が気が触れたように人を斬ったという話を聞いてますます良吉のことを不審に思ったそうだ。
だが、母親のお雪は祈祷にのめり込み、耳を貸そうとはしないらしく、ついに辻斬りが横行するようになってからは、あやめもこのままでは兄のせいで母親までお咎めを受けることになると考え、最後の手段、お上に知られずに良吉を殺そうとまで考えるようになったという。
状況はわかった源八郎であったが、短絡的に過ぎるのではないかと眉を顰める。
「し、しかし、実の兄であろう。あまりに惨い……」
「源八郎さま! 私は命が惜しくて兄を亡き者にしようというのではありません! 母の道場に通ううち、行方が知れぬようになった人が大勢おります。きっと妖刀を作るため生贄になったに違いありません! 早く兄さんを止めなければ……」
「あやめ殿にその覚悟がおありなら、いっそご公儀に訴えるべきではないのか?」
源八郎は今更のように正論を持ち出す。
公儀の役人である父親に背を向けている金四郎も、この場合ばかりはと盛んに頷いていた。
しかし、あやめは首を横に振る。
「……兄さんには偉いお侍が付いているようなんです。なんでも家を出ているときに知り合ったとかで」
「侍か……確かに、その者が黒幕だとしたら、ご公儀に顔が利くかも知れぬ。そうなればトカゲの尻尾切り。あやめ殿とご母堂だけがお仕置きになるとも限らぬな……」
「ちっ! だから役人は嫌えなんだ!」
ここぞとばかりに毒づく金四郎であったが、それはあやめへの同情でもあった。
「あやめ殿。その侍の正体はわからぬか?」
「私は会ったことがないもので……兄さんといるところを何度か見かけましたが、いつも頭巾を被っておりましたので、顔も名前も……」
「そうか……なれば、その侍の正体を探ることが先決だな……金四郎、頼めるか?」
「おう! 任しときな!」
金四郎にとって、ケンカの相手が大きければ大きいほど熱くなるのだろうか。しかも今回は未だ相手の正体がわからないと来ている。
金四郎は勢いよく立ち上がり、三畳の部屋を飛び出そうとした。
襖がサッと開く。
「待ちねえ。その前に俺にも話を聞かせてくんな」
「清さん。帰ってたのか……」
源八郎が慌てて刀を引き寄せて身構えようとした相手は清太郎であった。
「ああ。今しがたな……どうやら姫さんのお迎えは来なかったらしいな」
「ああ。おかげで大分筋がわかってきた」
「そうかい。俺も話がある……ここじゃ何だ。離れで話そう」
「良かろう。あやめ殿は……」
「ああ。一緒がいい。これからお迎えが来てもおかしくねえ」
「そうだな……」
という清太郎の提案で、四人には狭すぎる三畳部屋を後にすることにした一行であった。
金四郎も、勢いがそがれてしまったかのように後ろに続く。
「……まずは源さん。コイツの鑑定を頼む」
「それが例の……」
清太郎が帰ってきた時から気づいていたことだが、清太郎は自分の腰の物とは他に打ち刀を一本手にしていた。
妖刀の件で奉行所まで行っていたのだから、首尾よく拝借してきたのだと聞かなくてもわかる。
離れの部屋に四人がそれぞれ腰を落ち着けると、清太郎は源八郎に問題の刀を差し出した。
あやめは、妖刀と信じきっているようで、なるべく離れるように座っている。
金四郎はというと、目を輝かせんばかりである。
源八郎は正座し、口に懐紙を銜えるとゆっくりと鯉口を切った。するりと刀身が現れ、部屋の蝋燭の明かりにギラリと光を放つ。
「……どうでい?」
まさか源八郎が取り憑かれるとは思っていないだろうが、万が一があってはと不安そうな表情で清太郎が確認する。
源八郎はすぐには答えず、刀身を蝋燭の光に翳し、隈なく見つめている。
しばらく後、柄の目釘を抜いた。
懐紙で刀身を包むように持ち、柄を取り外すと、茎の確認をする。
「無銘か……」
「やっぱり違うか……」
清太郎は源八郎が呟くのを聞いて、少なくとも取り付かれてはいないと判断し、肩の力を抜く。
「数打ちの一本だ。ナマクラとは言わないが、名刀とはとても呼べん。確かに最近人を斬った痕があるが、もう二、三人斬ったら確実に折れてしまうだろう」
「で? 妖刀かどうかってのは……」
「……なんとも言えぬな。正直ピンと来ぬ」
「源さんがそう言うならそうなんだろ」
「そんな! では兄のしていることは!」
「まあ、待ちな。コイツの持ち主がおかしくなったのは間違いなさそうだ。その原因が本当にこの刀なのか、或いは誰かに先を越されてすり替えられちまったのか……」
「やはり大元を探らねばならぬか……」
「よっしゃ! そいつは俺が引き受けた!」
既に源八郎から頼まれていた金四郎が今度こそと立ち上がる。
夜もかなり更けてきたが、こんな時間にも各地の盛り場は賑わっているそうで、裏の情報も集まりやすいということだ。
そんな話をして金四郎が飛び出していくと、あやめが思い出したように清太郎に確認してきた。
殺し屋は見つかったかと。
「それなんだがな。話を聞きゃ、兄貴を殺したところで何にもなりゃしねえよ。もっとよく考えたらどうだ?」
「そんな……」
母親を守るために兄を捨てるという覚悟をしていただけに、清太郎の提案はよほどこたえたようである。
「それに、黒幕がいるのなら、兄上殿も騙されているのかも知れぬ。そういえば、妖刀を作るとか申していたが、刀鍛冶ではないのであろう?」
「は、はい……ですが、家を出てからのことはわかりませんので……」
まだ兄さえいなくなれば母親が助かると考えている様子である。
「あのな、前も言ったが、仮に殺し屋を見つけたとしても、そんないい加減な依頼内容じゃ誰も引き受けねえよ。裏に誰が潜んでるかわからねえってのに危ねえったらねえ。もし引き受けるヤツがいたとしたらよっぽどの間抜けか、すぐに裏切る連中だぜ。そんときゃ苦界に身を沈めるどころじゃねえ。おっかさんと一緒にあの世行きになっちまうぜ。それでもいいのか?」
さすがは本職、と源八郎が感心しそうになる清太郎の分析だった。
「……じゃあ……私はどうすれば……」
あやめはガックリと崩れ落ちる。
身体が震えていた。
「……心配するねえ! 一度引き受けちまったんだ。こんなところで放り出したりなんかしねえよ。なあ? 源さん」
「うむ。調べるだけ調べようではないか。いや、あやめ殿のためだけではない。江戸に住む者として、ハッキリさせなければ拙者の気も済まぬのだ」
「清太郎さん……源八郎さま……」
あやめは涙目で二人の頼もしい浪人を見つめる。
さて、というかのように、あやめとの話がついたところで二人は改めて対策を講じることにした。
まずはあやめを本棟に戻す。
これは店主のおつたを呼び、色々言い含めた。
源八郎には清太郎とおつたの関係がわかっていたから何とも感じなかったが、あやめにしてみれば、単なる用心棒の居候がと、不思議に思ったことだろう。
あとは、金四郎の情報を待つだけである。
だが、夜更けにあやめを狙って来る者がいないとは言い切れない。いや、裏に宗教団体や謎の侍がいるとすれば、その可能性は充分あった。
二人は直接オシラさまの道場とやらに乗り込みたい衝動を抑え、夢屋での用心棒稼業に専念する。
「今夜は長くなりそうだな……」
清太郎のその言葉に、源八郎も頷いた。




